リンク集 RSS/ATOM 記事
ホーム >>
リンク集 >>
RSS/ATOM 記事 (29250)
ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。



ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。



大正時代の高等文官や判事、検事、弁護士の合格者名簿等があるか。ある資料で「大正時代のさんしけん(三試験)」と表現されており、おそらく高等文官等の試験を指すものと思われる。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:10)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:10)
「高等文官試験」が「三試験」という名称であったことは、以下の資料で調べましたが見当たりませんでした。【 】内は当館請求記号です。資料1 国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典』5, 吉川弘文館, 1985年【210.03/1979.3/5R】資料2 国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典』12, 吉川弘文館, 1991年【210.03/1979.3/12R】資料3 戦前期官僚制研究会 編 ; 秦郁彦 著『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会, 1981年【317.3/ハ1/R】資料4 内閣制度百年史編纂委員会 編『内閣制度百年史』上巻, 内閣官房, 1985年【317.2/ナ2-2/1】なお、資料1, p.466「高等文官試験」の項に「第二次世界大戦前において、上級の官吏を登用するために行われた試験。(中略)試験実施の方法については、大正七年(一九一八)の高等試験令、昭和四年(一九二九)の同令 ...
会津藩の白虎隊を歌った歌詞の中に「こじょうにさゆる」というフレーズがあるが、「こじょう」の「こ」にあたる漢字は何か。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:10)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:10)
当館所蔵資料で調べた結果は以下のとおり。【 】内は当館請求記号。「白虎隊」というタイトルの歌は3曲ある。1 野村俊夫作詞の「戦雲暗く 日は絶えて」から始まるもの。2 島田磬也作詞の「戦雲暗く 陽は落ちて」から始まるもの。3 検定小学校(第5年)唱歌の「霰のごとく 乱れくる」から始まるもの。このうち、「こじょうにさゆる」と続く歌詞は、野村俊夫作詞のものであった。資料1 霧島昇 歌『白虎隊 : 流行歌』Nippon Columbia, [19--]【X1810/キ--0/SP】上記レコードは野村俊夫作詞の『白虎隊』を収録したもので、歌詞カードには「孤」の漢字が記載されていた。また、島田磬也作詞のものは「こじょうにつきの」と続くが、この歌詞が掲載されている資料は5冊所蔵している。資料2 古茂田信男[ほか] 編『日本流行歌史』上, 新版. 社会思想 ...
オランダ(特に17世紀前後のネーデルランド)での「民衆の生活や文化、社会」等について知る事ができる資料はあるか。また、17世紀のヨーロッパでの「民衆文化」を包括的に扱っている資料も同様にあるか。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:10)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:10)
当館所蔵資料でお問い合わせの内容が掲載されている資料は、以下のとおりです。【 】内は当館請求記号です。1 オランダ(特に17世紀前後ネーデルラント)における「民衆の生活や文化、社会」についての資料資料1 佐藤弘幸 著『図説オランダの歴史』河出書房新社, 2019年【235.9/2019.5】pp.69-91, 「六章 黄金時代の経済と文化」の項図説を中心にオランダの文化について紹介しています。資料2 ペーター・J.リートベルゲン 著 ; 肥塚隆 訳『オランダ小史』かまくら春秋社, 2018年【235.9/2018.8】pp.160-184, 「17.オランダ黄金時代の文明」「18.十七世紀後半の社会と政治」の項17の章では17世紀のオランダの教育や音楽、美術等の文化的側面が記述されており、18の章では17世紀の政治家の紹介を中心に、オランダの社会を記述しています。資料3 田辺雅 ...
下記の資料に記載がありました。※【 】は当館の請求記号です。資料1 宮城県栗原郡栗駒町企画管理課 編『栗駒道標(みちしるべ) : 栗駒町五十周年記念誌』栗駒町, [2005年]【K243.3/053】p.51「山車まつり」の項資料2 佐藤雅也「宮城県における山・鉾・屋台を主体とする祭礼行事」『調査報告書』18, pp.10-32, 仙台市歴史民俗資料館, 1999年【PK380/セ】pp.26-28「くりこま山車まつり」の項参考資料:宮城県栗原郡栗駒町企画管理課/編. 栗駒道標(みちしるべ). 栗駒町, [2005.3]【K243.3/2005.3】:, 参考資料:仙台市歴史民俗資料館. 調査報告書 18集. 仙台市歴史民俗資料館, 1999【PK380/セ】:,
慶応4年10月28日に柴田家中に起きた白鳥事件を調べており、柴田町史等によると、芸州藩士は阿武隈川の小坂船場(現・角田市小坂)から舟で西小坂に渡り、大沼へ行き白鳥を撃っていたという。その小坂船場のことを別の文献では違う名前で記載されているか調べたいので、白鳥事件の現場について記載している文献があれば知りたい。併せて、芸州広島藩側の文献には何と記載されているのか知りたい。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:09)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:09)
下記資料を調査しました。※【 】内は当館請求記号です。1 白鳥事件の現場について記載している文献は下記のとおりです。資料1 柴田郡教育会 編『柴田郡誌』名著出版, 1972年【K213/シ1-2】pp.213-218 「白鳥事件」の項に「(略)中にも玉藏は憤懣の餘り止むるをもきかず北鄕村神治郎の知人から銃を借受け後を追うて下名生清水船塲に至り(阿武隈河畔)遂に銃を執つて射撃し、官兵の船にあたつた。」(p.214)とあります。資料2 谷川健一 著『神・人間・動物 : 伝承を生きる世界』平凡社, 1975年【381.1/1975.Y】pp.36-41 「白鳥事件」といわれる争い」の項に「彼らは兵士を追って阿武隈川と白石川が分かれるあたりの小坂の舟場についた。そのとき、三人の西軍兵士をのせた渡し舟は、川の中流にさしかかっていた。」(p.38)とあります。なお、 ...
御照会の件について、当館所蔵の下記資料から「Zenyuch」を調査しましたが、見当たりませんでした。【 】内は当館請求記号です。資料1 日外アソシエーツ 編『新・アルファベットから引く外国人名よみ方字典』日外アソシエーツ, 2013年【288.1/2013.1/R】資料2 日外アソシエーツ 編『アルファベットから引く外国人名よみ方字典』日外アソシエーツ, 2003年【288.1/2003.2/R】資料3 石川敏男 編『5ヵ国語世界地名・人名表記辞典』ジャパンタイムズ, 1992年【290.3/イ3/R】資料4 竹之内安巳 著『世界地名人名辞典』国書刊行会, 1978年【290.33/1978.9/R】資料5 岩波書店辞典編集部 編『岩波世界人名大辞典』第2分冊, 岩波書店, 2013年【280.33/2013.Z/2R】資料6 日外アソシエーツ 編『21世紀世界人名典拠録欧文名』2, 日外アソシエーツ, 2017年【280.33/2017.7/2R】資料7 デイヴ ...
幕末仙台藩校の養賢堂教授を務め、廃藩後は東京大井の伊達邸で家扶をし、『東藩史稿』を著した作並清亮の肖像画(写真)が掲載されている資料はあるか。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:08)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:08)
下記資料を御案内いたします。※【 】内は当館請求記号です。資料1 佐藤均 著『追蹤録』木村秀太郎, 1910年【K027/サ1】巻頭口絵(頁付なし)に、作並清亮の肖像写真(白黒)が掲載されています。なお、この資料は国立国会図書館デジタルコレクションに収録されており、「図書館送信参加館内・個人送信」限定で閲覧できます。URL:https://dl.ndl.go.jp/pid/781479(最終アクセス日:2024/05/21)参考資料:佐藤 均/著. 追蹤録. 木村秀太郎, 1910【K027/サ1】:,
以下の資料に掲載がありました。※【 】内は当館請求記号です。資料1 保田光則 著『新撰陸奥風土記』歴史図書社, 1980年【K290.1/ヤ1-2】 pp.65-66 「巻之二」-「風俗」-「一 さんさしぐれ」の項資料2 鈴木省三 編『仙台叢書』第8巻, 仙台叢書刊行会, 1925年【K081/セ1/8】pp.391-392 「東藩野乗」のうち「国謡」の項資料3 今泉篁洲 編『仙台叢書』続刊, 第1巻, 仙台叢書刊行会, 1936年【K081/セ3/1】pp.73-74 「やくたい草」のうち「さんさしぐれ」の項資料4 湯朝竹山人 著『歌謠襍稿』東北書院, 1931年【911.9/ユ1-6】pp.163-184 「中巻 民謡篇」-「仙台のさんさ時雨」の項資料5 沙棠生 編著『竹に雀の囀るところ』再版. 仙台日日新聞社, 1936年【K200.4/サ1】pp.105-110 「御国ぶりの名物「さんさ時雨」」の項pp.107-108 大槻如電「京阪地方から伝えた恋歌」およびpp.109-1 ...
下記の資料を御案内しました。※【 】内は当館請求記号です。資料1 桐山由季, 伊藤トオル「特集.パワーが溢れる開運神社 : 政宗公の魂が生きる青葉の杜の守り神 : 青葉神社」『りらく』13巻5号, p.23, 理楽社, 2010年【PK050/リ】資料2 佐藤雅也「青葉神社の創建期,および社格昇格運動と瑞鳳殿への奉祀運動等について」『調査報告書』 36集, pp.1-53, 仙台市歴史民俗資料館, 2018年【PK380/セ】資料3 「青葉神社特集号」『仙臺郷土研究』復刻版. 10巻9号, pp.455-493, 仙台郷土研究会 1980年【PK201/セ】資料4 栗原伸一郎「伊達政宗の顕彰と青葉神社」『市史せんだい 』Vol.27, pp.50-62, 仙台市博物館, 2017年【K225/セ14-3/27】資料5 佐藤兵蔵 編『県社青葉神社三百年祭典誌』県社青葉神社三百年祭々典事務所, 1936年【K176/サ1】参考資料:理楽社. りらく 13巻5号. 理楽 ...
1 仙台藩の支藩の石高について記載がある資料は下記のとおりです。※【 】内は当館請求記号です。資料1 木村礎[ほか] 編『藩史大事典』第1巻, 雄山閣出版, 1988年【210.5/ハ7/1】pp.135-150「一関藩」の項p.135下段に「(前略)一関所替後の田村氏の知行地は、(中略)合計三六ヶ村半都合三万一五七二石五斗四升であった。(後略)」との記述があります。pp.151-152「伊達村和領」の項p.151上段に「元禄八年(一六九五)七月六日、伊達村和が仙台藩四代藩主伊達綱村より三万石の分知を受けて成立。(後略)」との記述があります。pp.152-153「岩沼藩」の項p.152下段に「(前略)寛文元年(一六六一)八月、三万石の村付が決定した。それによると、(中略)合計二郡三三ヶ村三〇一七貫〇〇六文(三万一七〇石六升)であった。(後略)」との記 ...
execution time : 0.335 sec