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1960年から1970年代の四日市市の地価データ(①公示地価②基準地価③相続税路線価④固定資産税路線価)を調査できる資料はないか。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
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①公示地価当館所蔵資料では確認することができませんでした。「リサーチ・ナビ>土地・路線価>地価公示の調べ方」によると、「不動産情報ライブラリ」(国土交通省)で、調査開始年以降の公示地価を検索することができます。なお、公示地価の調査開始は1970年となります。(リサーチ・ナビ>土地・路線価>地価の調べ方)②基準地価「三重県公報」に、調査開始年以降の基準地価が掲載されています。「三重県公報」は当館も所蔵しておりますが、三重県のホームページよりご覧いただくこともできます。https://www.pref.mie.lg.jp/app/kenkoho/index/(三重県トップページ > 県政・お知らせ情報 > 県政情報 > 公報)1975から1979年の基準価格が掲載されている公報は以下の通りとなります。・昭和50年10月1日号外「国土利用計画法施行令の ...
静岡県掛川大祭の「仁藤の大獅子」の由緒と言われる、白子町の大獅子引き回しについて、白子町あるいは三重県内で該当するものの記述がある文献はあるか。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
三重県および鈴鹿地域の民俗、祭り、文化財の資料を確認しましたが、該当の大獅子に関する記述を見つけることができませんでした。調査した資料『三重のまつり』三重県観光連盟 1976『伊勢型紙を中心とした民俗資料緊急調査報告書』三重県教育委員会/編集 三重県教育委員会 1974『鈴鹿の民俗』宮畑 巳年生/[著] [宮畑巳年生] 1966.3『鈴鹿山麓の民俗』伊勢民俗学会/編 光書房 1983『三重のまつり』三重県観光連盟/〔編〕 三重県観光連盟 1992『白子郷土史 [複写本] 後編』舌津 顕二/〔編〕 白子郷土史研究会 1960.7『三重の祭』伊勢志摩編集室 1994『祭礼行事 三重県』高橋 秀雄/[ほか]編 おうふう 1995.5『三重県の文化財』三重県教育委員会/編集 三重県教育委員会 1996.8『祭礼(マツリ)・山車・風流』四日市市立博物館/編集 四日市 ...
戦後すぐカトリック四日市教会として貸し出された旧小菅家・洋館の写真、イラストが掲載された資料はあるか。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
カトリック四日市教会の写真等が掲載されている資料は見つかりませんでした。<調査した資料>『目で見る四日市の100年』四日市商工会議所 1993『よっかいち歴史浪漫紀行』北野 保/著 四日市商工会議所 2011.6『よっかいち歴史浪漫紀行 続』北野 保/著 四日市商工会議所 2017.3『四日市空襲』四日市市立博物館/編集 四日市市立博物館 1995.6『アメリカ軍が撮影した四日市・1945』四日市市立博物館/編 四日市市 1996.3『目でみる郷土史四日市のあゆみ』市民部地域振興課/編集 四日市市役所 1978『写された四日市』四日市市立博物館/編集 四日市市立博物館 2002.2『四日市市の今昔』樹林舎 2017.8『四日市の昭和』樹林舎 2011.9『四日市今昔写真帖』郷土出版社 2002.1『目で見る四日市の100年』椙山 満/監修 名古屋郷土出版社 1990.3『四日市大学 ...
「歩兵80連隊」について調べている。三重県にはかつて「第八十連隊第五中隊会」という80連隊に所属した方たちの戦友会があったが、同会がまとめた冊子や資料がないか。また、ニューギニアから生きて帰ってこられた方の証言記録などがないか。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:42)
当館には第八十連隊第五中隊会の発行した資料、または第八十連隊第五中隊会についてまとめた資料は見つかりませんでした。当館所蔵の戦争記で目次から第八十連隊またはニューギニアについて書かれていると推察できるものを探しました。第八十連隊については見つかりませんでしたが、ラバウルに派兵された方の回想記が2冊ありました。『捕虜になった日』横田 正/著 オーデン 1995『記憶に留めん』亀井 實/著 文芸社 2015.52冊目はp.41-49が「ラバウル前線基地」という項目です。また、三重県のウェブサイトには戦争の体験談が掲載されています。三重県戦争資料館> 体験文集https://www.pref.mie.lg.jp/common/03/ci500004926.htm八十連隊で検索しましたが、該当の記事はありませんでした。ニューギニアで検索したところ次のページにヒットする内 ...
土井ごう牙の死因となる病名について直接的な記載はありませんでしたが、晩年の病気については以下の資料に記載されていました。(1)『斎藤拙堂・土井【ゴウ】牙』橋本 栄治/著 明徳出版社 1993.6p.178-179 「病気は疝疾」、「五十九歳で発病、荏苒として癒えなかった」p.189(p.181-189斎藤拙堂・土井※牙略年譜) 1879年「中気を病み、半身不随」1880年「胃病を併発」 ※「敖」の下に「耳」なお、当資料のタイトルに関して、環境依存文字であるため当館では「土井【ゴウ】牙」の表記で登録しております。正しいタイトルはすべて漢字で書かれております。(2)『伊勢の歴史と文化』早稲田大学日本地域文化研究所/編 行人社 2009.5p.97 明治7年「疝疾を病む」「その後、胃痛を併発」(3)『新・津市人物伝』駒田 博之/著 伊藤印刷株式 ...
以下の資料を調査しましたが、『幕末の桑名』に掲載されている服部正義の写真以外は発見できませんでした。<調査した資料>『幕末維新と桑名藩』桑名市博物館/編集・発行 2017.10『図説北勢の歴史 上巻』『図説北勢の歴史 下巻』北勢の歴史刊行会/編 郷土出版社 1992『目でみる桑名の江戸時代』桑名市教育委員会/編集,桑名市立文化美術館/編集 桑名市教育委員会 1983.12『幕末の桑名藩主 松平定敬 (1)黒船来航』西村 健二/著 桑名市社会福祉協議会 2020.2『幕末の桑名藩主 松平定敬 (2)京都動乱』西村 健二/著・発行 2020.7『幕末の桑名藩主 松平定敬 (3)長州征伐』西村 健二/著・発行 2021.7『松平定敬のすべて』新人物往来社/編・発行 1998.12『京都所司代松平定敬』桑名市博物館/編集・発行 2008.10『三重幕末維新戦記』横 ...
『川西町史 下巻』に、「天文二十年(1551)伊達晴宗の時代伊勢山田の御師宝師大夫が皇大神宮、内宮外宮のご神号と神教の巻物ならびに神木を持って玉庭に来て皇大神宮の尊さを教えをひろめ里人の幸を祈って宅神祭をおこなった。元禄十四年(1701)本殿及び拝殿を再建し遷座祭を行った。神主は御師蔵田左京である。」とあるが、御師宝師大夫の素性を知りたい。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:41)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:41)
以下の資料を確認しましたが、宝師大夫の名前を見つけることはできませんでした。(確認した資料)『神道研究ノート』桜井 勝之進/著 国書刊行会 1998.5『禁裏御師』村田 氏美/編・発行 1969『御師と伊勢講』皇学館大学神道博物館/編・発行 2002.3『神宮と日本文化』皇學館大学/編・発行 2012.4『長崎の伊勢信仰』久田松 和則/著 長崎文献社 2018.11『近世の伊勢神宮と地域社会』上野 秀治/編 岩田書院 2015.3『伊勢御師と宇治山田の学問』窪寺 恭秀/著 弘文堂 2023.7『近世前期神宮御師の基礎的研究』谷戸 佑紀/著 岩田書院 2018.3『館町の御師』櫻井 治男/研究代表 皇學館大学文学部櫻井治男研究室 2014.2『ある伊勢御師の軌跡』皇學館大学佐川記念神道博物館/編集・発行 2023.10『伊勢参宮の先導者たち』皇學館大学佐川記念神道博物館 ...
平安時代、渥美半島と伊勢とが海路で結ばれていたとされているが、伊勢(あるいは鳥羽)の港や使われていた海路について書かれた資料はないか。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:41)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:23:41)
お問い合わせの件につきまして、詳しく書かれた資料は見つけられませんでした。以下、関連していると思われる記述がある資料をご紹介します。(1)『伊勢湾海運・流通史の研究』村瀬 正章/著 法政大学出版局 2004.1p.5「平安時代には(中略)伊良湖をへて伊勢の安濃津に陸揚げし、鈴鹿峠を経て京都に運んだと思われる。」p.6「三河南岸の国府の港すなわち御津から出帆した船は、伊勢の安濃津に至って荷を陸揚げし、鈴鹿峠を越えて京の都に陸路を運んだと思われる。」なお、この資料以外に安濃津に陸揚げをした旨の記述がある資料は見つけられませんでした。(2)『三重県史 通史編原始・古代』三重県/編集・発行 2016.3p.416-423古代の「伊勢湾交通」に関する項目において、「持統六年の伊勢行幸」(p.418-420)と「大宝二年の参河行幸」(p. ...
紀伊半島南部で「一雨十両」のような格言のようなものがあったと思うが、検索しても確認できない。このような言い回しがあれば、それについて載っている資料が知りたい。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:22:03)
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当館が所蔵する南紀地域の歴史や民俗の資料を確認しましたが、「一雨十両」およびそれに類する言い回しを見つけることはできませんでした。インターネット上では「一雨千両」「一雨三千両」等の類似の言葉はありましたが、三重県ではないものや、個人のブログなど公的なサイトではないものでした。(調査した資料)『尾鷲市史 上巻』尾鷲市役所/編集 尾鷲市役所 1969『三重 の文化伝承 』堀 哲/著 伊勢民俗学会 1978.8『紀伊長島町史』紀伊長島町史編さん委員会 1985.8『海山町史』海山町役場/編集 海山町役場 1984.8『南紀土俗資料』森 彦太郎/編 名著出版 1974『熊野街道志原川尻古譚』岡本 実/著 [岡本実] 1972.6『熊野市の農林業』農林省三重統計情報事務所熊野出張所/編 熊野市 1981.『尾鷲市の農林業』農林省三重統計情報事務 ...
志賀直哉日記には、小説執筆のため昭和8年(1933年)7月3日月曜日に奈良駅から三重県の菰野町にある湯の山温泉に滞在し7月5日水曜日に奈良へ帰る記述がある。4時の鳥羽行きに乗り、亀山に着く1時間40分まで目まぐるしく天候が大きく変わったことが書ており、災害があった可能性がある。昭和8年(1933年)7月2日、3日、4日の天気図、気象情報など三重県の状況を表した全国紙新聞及び地方新聞記事はないか。(三重県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:22:03)
from レファレンス協同データベース (2024/11/23 17:22:03)
『朝日新聞縮刷版 昭和8年7月』(日本図書センター 2001.7)で7月2日から4日の四面を確認しましたが、三重県の天気についての記事はありませんでした。また、マイクロフィルムで朝日新聞三重版の昭和8年7月2日、4日を確認しましたが、天候についての記載はありませんでした。こちらは三重版の1面分のみマイクロフィルム化したもので、該当の日付の紙面すべてを確認できるものではありません。なお、7月3日は休刊で紙面はありませんでした。過去の気象データは、気象庁のウェブサイトから確認することができます。気象庁> 各種データ・資料> 過去の気象データ検索https://www.data.jma.go.jp/stats/etrn/index.php津の昭和8年7月の気象データhttps://www.data.jma.go.jp/stats/etrn/view/daily_s1.php?prec_no=53&block_no=47651&year=1933&month=07&day=03&view=p1その他当館の資料を ...
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