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中世の金沢について調べているとのこと。質問者がすでに閲覧したことのある資料は以下の通り。『稿本金沢市史 市街編第1』(119562840)p.20-22に金澤庄の地域と起源について記載がある。『金沢市史 通史編1 原始・古代・中世』(119881707)『金沢市史 資料編1 古代・中世1』(119623023)『金沢市史 資料編2 中世2』(119741359)各巻の索引や細目次を見ても「金沢庄」の記載を見つけられなかった。『加能郷土辞彙』(改訂増補)(119865516)p.196の4段目に「金沢庄」の記載がある。上記の資料をふまえて、「金沢庄」というキーワードで改めて所蔵検索を行い、次の資料を提供した。『加賀志徴 下編』(118511659)p.284金澤庄『加南地方史研究 第49号』(119757831)p.30-39「「小松」という地名の由来と小松寺について(四) -付「金沢庄」並に「金沢寺」の事」という項目 ...
【昔の火の見櫓について】 明治時代の下堤町(しもつつみちょう)5は現在のどの辺りか。また、その近くに火の見櫓があったと聞いたが、どこにあったのか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:34)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:34)
①明治時代の下堤町5が現在のどの場所かを調べる。『住居表示区域町名便覧』(11918000)p.38旧下堤町は、現在の高岡町と武蔵町とわかる。『金沢市住居表示新旧対照表 86-4』(11917852)p.1153-1167『金沢市住居表示新旧対照表 86-7』(11917855)p.2068該当ページに下堤町5は見当たらない。旧下堤町55-5は、現在の武蔵町14-30の記載がある。『金沢市詳細図 昭和38年版』(118407249)p.47『金沢市住宅明細図 中央部版 平成29年版中』(118598006)p.186で、質問者自身がおおよその場所確認をした。②当時の火の見櫓について調べる。当時金沢市内に3か所の火の見櫓があり、そのうちの1つが下堤町にあったと聞いたので、その場所を確認したいとのことだった。『金沢市文化財紀要 146 金沢の共同井戸・洗い場・火の見櫓』(119622222)p.27-34に現在の火の見櫓(警鐘台)の一覧が記 ...
【金沢歩兵連隊について】 金沢連隊について調べており、歩兵部隊と砲兵中隊の編成が知りたい。『石川県史』に具体的な編成が記載されているはずである。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:34)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:34)
『石川県史 現代篇1』(119871700)p.777「第五章 軍事」に大正~昭和の軍隊について記述があるが、軍隊の変遷が主な内容であり、編成についての記述はあまりない。『第九師団戦史』(119565331)p.13明治31年~40年の編制、p.15明治41年~大正14年の編制、p.16昭和15年~終戦の編制についてそれぞれ図が掲載されている。『旧第九師団山砲兵第九連隊史』(119566339)p.13-15「山砲兵第九聯隊満州派遣部隊(留守隊)編成表」、p.16「独立山砲兵第四聯隊創設編成表」、p.100-106「山砲兵第百九聯隊職員表」、p.117-137「沖繩「台湾転進」山砲兵第九聯隊将兵名簿」など、砲兵聯隊についての詳しい編成がわかる。『金城聯隊史』(119566052)p.355-357「歩兵百七聯隊編成表」など詳しい編成がわかる記述がある。
金沢駅付近の連続立体交差事業の事業概要を記したパンフレットは所蔵しているが、事業完了後の工事記録誌は確認できない(同事業は昭和53年度~平成3年度にかけて実施)。工事の日程や総事業費については、『鉄路有情 金沢駅開業百周年記念誌』(118368463)に記述がある。『金沢駅東広場工事記録誌』(119884763)には、連続立体交差事業について記された部分は確認できない。
○泉鏡花の没年月日について『石川県人物・人材情報リスト 2017』(113573194)p.392「泉鏡花」の項目によると、没年月日が昭和14(1939)年9月7日であるとわかる。○当館では、昭和14年の新聞記事については、北國新聞と北陸毎日新聞の2誌をマイクロフィルムで所蔵している。当該没年月日周辺の記事を探したところ、以下の2記事を見つけることができた。・北國新聞 昭和14年9月8日朝刊3面 見出し「文壇の耆宿泉鏡花氏逝く」・北陸毎日新聞 昭和14年9月8日朝刊5面 見出し「文壇耆宿泉鏡花氏逝く」
【林信成について】 林信成という加賀藩士について調べている。特に林が残した寛政9年の伊勢参り等の覚書について知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:33)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:33)
日本古典籍総合目録によると、伊勢参り等の覚書の書名は「道草の日記」といい、寛政9年に林信成によって書かれている。所在は雲泉文庫とあり、同文庫は現在不明とされている。『近世紀行日記文学集成 第2巻』(当館に所蔵なし、Googleブックスで確認) 津本信博/著によると、自筆本を著者が架蔵していたが、既に亡くなられている。なお、林信成については、『加越能文庫解説目録 上巻』(119573816)に収録されている「先祖由緒并一類附帳」p.194に林姓の人物で、別名や通称が「信成」という人物が記されているため、加賀藩士であると考えられる。
質問者は『英国一家、日本を食べる』(113433818) マイケル・ブース/著をご覧になっており、このような外国人の視点で日本文化を紹介した本の金沢版はないかということだった。『ニイハオ金沢』(119853300)p.122-123「一衣帯水の国で見た緑の町」では、金沢を「まさに緑の町で、人間と自然がよく調和、共存している町」と紹介している。『Hello Kanazawa』(119715466)には、p.5に外国人向けの紹介として「Since the city has been completely untouched by war, Kanazawa remains much of its historic beauty.」と記されている。『留学生が感じた金沢』(119411273)には、金沢に滞在した留学生の感想として、p.2-3「金沢の良い点は、年中四季を通じて、その変化がはっきりしており、その中ではぐくまれた歴史、文化の誇りが高いということです」、p.6「金沢では、日本の現代的なも ...
【高山右近の領地について】 高山右近が前田家に召し抱えられた際、何石もらっていたか。また、領地はどの辺りにあったのか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:33)
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先にご自身で調査を進めており、『加賀藩史料』の何ページに記載があるか知りたいとのことだった。『加賀藩史料 第2編』(11801625)p.993「付録年表」の「慶長十九年 甲寅 皇紀二二七五 正月」の項目に「○高山南坊・内藤德庵等切支丹宗徒たるを以て捕へらる。(一九〇)」とある。該当項目に以下の通り記載がある。p.191『三壺記』を引用「其時加州に高山南坊二萬石」p.192『混見摘寫』を引用「時に利家公深く勞り給ひ、且武功の士故に、少知にて被召置度旨、秀吉公へ被仰上、御免有て二萬七千石にて御國に被居けると也。」p.193『天寛日記』を引用「近年加賀に罷在、知行二萬石取申候。」領地の場所についてはわからなかった。
【古道について】 金沢市昭和町にあった古道という区域の歴史・由来・地図・エピソードなどが記載された資料を集めたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:33)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:33)
『角川日本地名大事典 17 石川県』(118552562)p.800-801「古道」によると、江戸期-昭和41年の町名で地子町の1つである。『加能郷土辞彙』(初版)p.732「古道」によると、往昔金沢から宮腰へ向かう道路は三ツ構高巌寺の付近から長田・二口村を経ていたが、元和2年前田利常の命によって今の宮腰往還に付け替えられた。その旧道に当たる所に古道の名が残ったとのこと。『金沢古蹟志 第10編』巻25p.58「古道之来歴」に町名の由来が詳しく説明されている。『金沢町名帳』p.246-248「古道町」に文化8年時点での古道町における居住者の名前と職業が掲載されている。『金沢市街地図』(2003年)(119781499)(『20世紀の照像 石川写真百年・追想の図譜』(改編版)(118388152)付録、昭和14年発行「大日本職業別明細図・金沢市」の複製)、『昭和モダンの金沢』(2014年)(1 ...
○米フツについて『骨董』(129538454)p.38-100「蘇子瞻米元章」(『露伴全集 第16巻』(129574586)p.499-550に収録)『米【フツ】 人と芸術』(11091935)『中国書人伝』(129393876)p.164-166「米フツ」『中国書道史事典』(111711264)p.237-238「米フツ」『中国書人名鑑』(112937014)p.86-87「米フツ」『すぐわかる中国の書』(112711394)p.86「米フツ「元日帖」」『世界大百科事典 25』(118486117)p.447「米フツ」『宋元明尺牘名品選』(113260921)p.66「米フツ」○「蜀素帖」について書かれた資料『説き語り中国書史』(113202721)p.134-136「王羲之ゆずりの行草書 米? 「蜀素帖」」『中国書道辞典』(11030235)p.479「しょくそじょう 「蜀素帖」」『中国書道文化辞典』(118516010)p.819「米フツ・蜀素帖」
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