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○町会の法的根拠について『町内会』(11029513)p.36に「制度として廃止された結果、町内会などは任意団体として存続することになった」と書かれている。法律に準ずるものとして町内会に関する判例をD1-Lawなどで閲覧することができる。金沢市町会連合会の会則等は『金沢市町会連合会50周年記念誌』(119985579)p.224-231に、各町会の会則等はそれぞれの記念誌等に掲載されている。○町会成立の歴史的経緯『金沢市と町内会』(11903076)p.5-11「金沢市町内会の成立」によると、町内会は昭和15年9月に発せられた「部落会町内会等整備ニ関スル訓令」によって全国的に整備されたが、昭和22年5月の政令第15号(いわゆるポツダム政令)によって禁止、解散させられた。その後、金沢市では昭和27年ごろから校下町会連合会が結成されはじめ、昭和33年に金沢 ...
【にし茶屋街・寺町の昔の写真について】 明治・大正・昭和初期のにし茶屋街・寺町の様子が分かる古い写真はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:27)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:27)
○にし茶屋街『石川県下商工便覧』(118542593) p.184-207に、石坂西新地の商店の図版が掲載されている。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/803608/1/96『金澤案内』(118576250)p.54-55の間の4コマ目の写真「西廓」『金澤市案内記』(119511448)114コマ目の写真右側「西廓」『金澤新繁昌記』(118588055)巻頭写真「西新地」『金沢市史 資料編14 民俗』(119748725)p.563「写真10-2 西の廓」、p.574「写真10-9 西料亭組合事務所(旧西検番)」(昭和4年頃)『20世紀の照像 石川写真百年・追想の図譜』(改編版)(118388152)p.99「西ノ廓・大正初年」、p.101「紅灯の巷」(嫖客でにぎわう西新地(石坂遊廓))○寺町『金沢のいまむかし 写真と地図でみる』(118283517)p.20-21「寺町台地より市街地中心方向のまちの姿」(昭和8年、望楼付きの木造三階建ての建物)『写真集明治大正昭和金沢』(11900848)p.15「寺町 ...
日経流通新聞(1995年3月2日8面)「開業指南 持ち帰り式、品数豊富に」「原価率四五%」を目指したいと記載されていたため、はっきりとした原価率は分からなかった。日本経済新聞(2008年11月20日地方経済面北海道1面)「「安くおいしい」菓子追求」「菓子メーカーの場合、原価率を三五%程度に抑えるのが一般的」だと記載されていた。『はじめよう!「お菓子」の店』(510553386)p.14 「1章 2 菓子屋は付加価値の高い商売」「●価格を自分で決められる~中略~菓子づくりにおける材料費は、売価に対して25%~35%程度で、30%が標準原価率といわれています」と記載されていた。和菓子と材料が類似しているパンやケーキの原価・パンの原価『これが「原価」だ!』(112314447)p.88 「材料原価 30~40円(小売価格150円)」と記載されていた。『データでわかるモ ...
【泉町の寺子屋・市場について】 泉町にあった寺子屋、市場の場所が知りたい。また、昭和30年代の泉町の商店の名前が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:26)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:26)
○寺子屋『稿本金沢市史 学事編第2』(119562750)P366寺子屋の経営者一覧の「習字並に読書・算術の一、又は二を男児に教えたる者」の項目に「泉新町 田中勇吉」とある。『三馬公民館 五十年の歩み』(119703483)P166「念西寺に泉小学校の机」「寺子屋時代の泉の学校の古机があって今でも使っている」P167「この寺に伝わる件の机は、明治七年当時念西院といったこの寺で泉小学校が設置され、泉、有松、西泉、寺地の子供達が通ったと三馬小学校年表にある。」質問された利用者の話では、現在の泉二丁目の安楽寺の付近にあったということだったので、同じ泉二丁目にある念西寺の寺子屋のことで相違ないと思われる。『三馬公民館 五十年の歩み』の巻末地図に念西寺の場所が記されている。○市場『ふるさと三馬』(11921950)P107~109「はりつけ ...
【富田主計について】 富田高定の実子である富田主計と、高定の実兄である宗高の実子の千代丸とを入れ替えて、本物の主計は稲葉主計として摂津国の中島藩に入ったという内容が書かれた資料はないか。また、主計町の名前の由来になっている、富田主計重家のエピソードなどが知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:26)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:26)
○富田高定について『戦国人名辞典』(119320713)p.170「富田高定」『戦国人名事典』(11086165)p.550「富田高定」上記資料によると、富田高定は豊臣秀次に従った若江七人衆の一人で、のち加賀の前田利長に迎えられたと書かれている。『越登賀三州志』(119989783)p.234-235「富田蔵人高定」によると、富田高定は富田左近将監の次男で、子がなく、後家へ小給を与えたようだが、『越登賀三州志』を書いた富田景周の祖の富田氏とは別苗であるとする。富田左近将監(富田一白)については、『戦国人名辞典』(118469920)p.700に、前田家に仕えた富田氏の家系については『石川県史資料 近世篇8 諸士系譜』(109084069)p.145-151に記載がある。『加能郷土辞彙』(初版)p.634「富田高定」 父の名前は盛高といい、高定の後は子がなく断絶したと書かれている。○富田重家 ...
【石井一蛙について】 『一蛙小説集』に収録されている「加賀怪談雨夜の灯」が連載されていた新聞名が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:26)
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『一蛙小説集』の序文の日付は明治27年正月だったため、その前の北國新聞(明治26年8月創刊-同12月)を通覧したが、「加賀怪談雨夜の灯」は掲載されていなかった。『石川県史 第4編』p.1238によると、石井一蛙は北陸新報(明治14-28年)で小説と雑報を書いていたとのこと。北陸新報は石川県立図書館にマイクロフィルム(明治22年2月-明治29年1月、欠あり)が所蔵されている。
【王維と宋之問の漢詩について】 王維「藍田山石門精舎」、宋之問「端州別袁侍郎」の全文と書下し文が載った資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:26)
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王維「藍田山石門精舎」について『中国詩詞翻訳索引』(118573722)p.155によると、『歴代漢詩評釈』 p.289-293、『名詩評釈:初盛唐中晩唐』 p.102-105、『中国文人詩選』 p.34-36に記載があるとのこと。『歴代漢詩評釈』と『名詩評釈:初盛唐中晩唐』は所蔵なし。『中国文人詩選』(11044953)p.34-36 全文、書下し文の記載あり。『小林太市郎著作集 4 王維の生涯と芸術』(129380018)p.184-185 全文の記載あり。書下し文の記載はない。『全唐詩 検索系統』によると、全唐詩巻125に記載があるとのこと。【URL】http://cls.lib.ntu.edu.tw/tang/tangats/Tang_ATS2012/SrchMain.aspx宋之問「端州別袁侍郎」について『宋之問詩索引』(11920515)p.12 「102.端州別袁侍郎 641 下-11-A」と記載あり。これは作品番号、全唐詩詩題、全唐詩ページ、下巻11葉表に記載されていることを示している。『 ...
『参勤交代道中記 加賀藩史料を読む』(118310786)「第5章 参勤交代の通る街道」p.136 「表5 北国上街道を通った実例と理由」によると、東海道を経由しているのは以下の4回である。(江戸~金沢間)寛文4(1664).5.11~4.5.26 文化11(1815).3.16~11.4.4天保11(1840).4.18~11.5.6安政5(1858).4.18~5.5.8
【林鐘庭について】 金沢の庭園の一覧が掲載された資料はないか。林鐘庭という旧林屋家庭園の住所が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:25)
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『金沢市史 資料編 17 建築・建設』(119623121)p.293「庭園一覧」14に旧林屋家庭園が掲載されている。所在地は「金沢市宝町」と記載されている。『加賀・能登の庭園』(118299061)p.176「旧林屋家林鐘庭」によると、所在地は「金沢市宝町7番10号」である。『松雲学園十年史』(11917261)巻頭「校旗・校章」の説明・写真によると、現北陸大学教養館はもともと創設者・初代理事長林屋亀次郎邸で、併設の庭に「五人扶持の松」が植生している。『金沢・百万石の城下町』(118406626)p.168-169「五人扶持の松」、p.191-192「五人扶持の赤松」に所在地及び由来が記載されている。
『もりやま 森山校下町会連合会50周年記念誌』(109214735)、『北陸道(北国街道)』(119473113)、『石川写真百年・追想の図譜』(1979年)(11901030)に昔の森山の写真は掲載されていなかった。『金沢市詳細図 昭和38年版』(118407249)p.40に「田辺製菓所」の記載あり。『目で見る金沢の100年』(119752610)p.104「森山公民館図書室(昭和31年)」の写真あり。『金沢市世帯主職業住所総覧』(118400650)に田辺製菓所の先代の名前が掲載されている。モルタルになる前の写真が見たいということだったが、外観写真は見つからなかった。
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