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昭和はじめ頃の山口市の文化的な環境が分かる資料はあるか。昭和4~9年頃の喫茶店などの店や、催事、演劇、映画、美術などに関する様子が分かるようなものを探している。(山口県立山口図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/9/27 9:45:43)
from レファレンス協同データベース (2024/9/27 9:45:43)
下記資料に関連情報あり。資料1『写真集 明治大正昭和 山口』昭和の山口市の写真の掲載あり。商店や文化施設に関するものとしては以下の項にあり。「商店・会社」(p53~61)の項あり。お調べの年代に近い写真としては以下のものがある。p56「山口醤油株式会社」(女郎屋町、昭和4年頃)p57「中央マート」(中市、昭和4年頃)p59「湯の花まんじゅう」(昭和10年頃)p60「山口自動車商会」(山口駅前、昭和4年)「娯楽・観光」(p106~113)p106「昭和三年頃の山口座」(久保小路)p107「戎座」(湯田、昭和初年)p108「金龍館」(道場門前、昭和4年)p109「大和座」(米殿小路、昭和初年)p112「ちょうちん七夕」(昭和初年)資料2『地図と年表でたどる大殿界隈』(ページ付けなし)年表⑥ 大正~昭和39年の年表。「(昭和8年)ちまきや八 ...
「毛利四代実録考証論断」の全体を収録した資料は見たらなかった。同書の改訂版である「毛利三代実録考証」と、同書の本編にあたる「毛利四代実録」、その改訂版である「毛利三代実録」は、下記資料1・2『山口県史 史料編 1 上・下』に収録されている。「毛利四代実録考証論断」(「四代実録考証論断」「毛利氏四代実録考証論断」とも呼ばれる)は、幕末期から明治初期にかけて編纂された史書。山口県文書館が所蔵(写本、105冊)しており、いまのところ全体を活字化した資料は見当たらなかった。(市町村史や研究文献などにその一部が収録されているものは見つかった。)“山口県文書館 所蔵文書検索 毛利氏四代実録論断考証”(山口県文書館)(2024年9月22日最終確認)https://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/msearch/detail_doc/12802「 ...
湯田温泉の起源とされている、白狐の言い伝えは何処から来たものなのか。また、そのことが記された資料があれば知りたい。(山口県立山口図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/9/27 9:45:42)
from レファレンス協同データベース (2024/9/27 9:45:42)
湯田温泉と狐に関する伝説として、湯田温泉を管理していた野原家に伝わる『防州吉敷郡湯田村温泉記』という書物に、狐に関する伝説が記されていると示している資料があった。下記資料1『山口市史』p414に湯田温泉の由来として、老狐に関する伝説が紹介されており、この伝説は湯田温泉の元祖とされている野原家に伝わる『湯田村温泉記』に記されているとある。また、『湯田村温泉記』を現代語訳し、註や原文などを付したものに資料2『防州湯田村温泉記』がある。資料2『防州湯田村温泉記』p66によると、『湯田村温泉記』の正式名称は『防州吉敷郡湯田村温泉記』であり、正徳元(1711)年に儒者であった田中克軒が、当時の湯主野原吉左衛門から依頼を受けて著述したものであるとのこと。p40-44には、田中克軒は温泉の館主 ...
吉田松陰の著作の和装本で、原稿用紙(原稿紙)を用いたものを探している。以前、山口県立山口図書館で見たことがあり、書名や内容は不明だが、大きさは通常の和装本より小さかった。(山口県立山口図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/9/27 9:45:42)
from レファレンス協同データベース (2024/9/27 9:45:42)
下記資料1『松陰神社所蔵宝物図録』に掲載された図版の中に、原稿紙が用いられた松陰の和装本の図版もあり。そのうち、当館にも所蔵があるものの現物を確認し、原稿紙が用いられていたのは資料2、3(『孫子評註 乾』『孫子評註 坤』)。また、『松陰神社所蔵宝物図録』p90に「松下村塾原稿紙版木」の写真があり、解説によると、安政3年(1856)6月6日以前に松陰は月性から写真の版木と同様のものを贈られ、それ以降は松陰の述作には原稿紙が用いられたとのこと。その他、比較的小さいと思われる松陰の和装本『涙松集』、『留魂禄』、『照顔録』等を確認するが、原稿紙ではなかった。参考資料:1.松陰神社編集. 松陰神社所蔵宝物図録. 松陰神社, 2009.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130282272731264000, 参考資料:2.吉田 松陰 著 , 吉田 ...
下記資料1-2に『富岡先生』が収録されている。また、資料2p.566には『富岡先生』についての簡単な解説が掲載されている。富永有隣に関しては資料3-9を紹介。参考資料:1.国木田独歩 [著] , 坪内祐三, 関川夏央 編. 国木田独歩. 筑摩書房, 2001. (明治の文学 ; 第22巻)https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002971267, 4-480-10162-4(p109)参考資料:2.国木田独歩 著. 定本 国木田独歩全集 第2巻. 学研, 1978.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I30111100078309, (p437、566)参考資料:3.高木 正煕 著. 作家たちの萩 : 読みがき文学散歩 : 萩ゆかりの作家たち 上巻. 萩ものがたり, 2010. (萩ものがたり ; Vol 25)https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I35111000764640, (p27)参考資料:4.田中 行成 編. 追われる富永有隣の土佐の八年間. 田中行成, 1979.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I35119810068778, 参 ...
「周防国国衙船所」が実際にどこにあったか、発掘などにより確定しているわけではないが、防府市に「船所」という地名があり、同所に周防国の国府津(港)が設けられたと考えられている。なお、「船所」は現在の住居表示では防府市国衙5丁目から警固町2丁目近辺にあたると思われ、JR防府駅の東側で、内陸部にあるが、中世においては、海岸であったと推定されている。いわゆる源平合戦で源義経が壇ノ浦に向かう際、「周防国在庁船所五郎正利」が船を献じたとの記事が、「吾妻鏡」第4の文治元年3月21日条(下記資料1『現代語訳吾妻鏡 2』p86)にみえる。このことについて、該当部分の注(資料1p212)によると、「正利」は周防国の在庁官人で、国衙の船所を管理した、とある。「国衙の船所」は、防府市にある「周防国 ...
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