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【明治22年の金沢-敦賀間の交通について】 明治22年に金沢から敦賀へ行くには、どのようなルートや方法があったか。(明治22年敦賀-米原間の鉄道が開通し、質問者の曽祖父が当時これを使って金沢から東京へ出たと思われ、残りの金沢-敦賀間について調べたいとのこと。)※敦賀-福井間の鉄道は明治29年開通のため利用できない(『北陸線写真帖』(118487348)p.253)。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:07)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:07)
○海路・金石港から敦賀港へ定期汽船の航行があり、長田町から上金石へは人力車で旅客を運んでいた。『石川県史 第4編』(118412276)p.1030・明治20年金石港に加能汽船会社が設立、輪島以西敦賀間を運行していた。県内から京畿、もしくは東海道を経て東京へ行こうとするものは、荒天でない限りは概ねこの船便を利用していた。『同上』p.1038・「加能汽船会社創立趣意書」『金沢市史 資料編11 近代1』(119647301)p.457-・「加能汽船会社の創立」『金沢市史 通史編3 近代』(119958310)p.219-※・「維新後港運」『金石町史』(11801960)p.563-・「近代の大野海運」『金沢市大野町誌』(119810901)p.279-○陸路明治以降の道路整備・「明治以降の旧北国街道をめぐる陸上交通の概要」『北陸道(北国街道)』(119473113)p.32-・牛谷峠開削、天田峠開削、国道の再 ...
【浄土真宗の僧侶について】 先祖で浄土真宗の僧侶だった英文郁という人物について資料を探してほしい。(その子、英実英〔掬月実英〕は有名な人物とのこと。)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:06)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:06)
「英実英」、「掬月実英」で人名事典を探したが、なし。『龍谷大学三百五十年史 資料編 第四巻』p.284に「(明治13年)8月30日(中略)山城国「下京区廿三組住吉町慶証寺住職」掬月実英 得業申付候事」とある。よって、西本願寺派の僧侶である。『加能真宗僧英伝』、『加能寺社由来』上下、『金沢市史 資料編13 寺社』に記載なし。
【郡付足軽について】 1.足軽を登用する際、藩としては足軽の頭数だけを揃えておけばよかったのか、もしくは遠くても血筋の人を登用するのか。2.射水御郡足軽の中村家について調べてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:06)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:06)
1.足軽の登用方法について・『藩国官職通考』(109091054)に今石動足軽32人、「北藩秘鑑」(『金沢市史 資料編4 近世2 藩制』所収)に今石動附足軽30人(内小頭2人横目4人)とある。遠所付足軽の定数管理はしているものの、史料や時代により異同がある。・新規採用の一例として、嘉永元年(1848)に杉木役所を再置した際の記述を以下に示す。「下級職員として留書足軽五人が杉木新町に居住し執務することとなったが、福井助之丞・小寺丈右衛門は小杉より住替え、滝田滝之助・高橋六次郎は新規採用、他の一人は割場附足軽から郡付足軽として配置替えとなり、砺波郡山方御用を兼帯、山内六丞は小杉宿にあって杉木役所の手伝い、この他に中島弥三平・高橋直之丞・松本忠蔵・山田重蔵は杉木新町にあって砺波郡山方御用を勤めた」(『近世在郷 ...
○五十嵐随甫・『加能郷土辞彙』(初版)p.33「五十嵐道甫」・・・弟に随甫がいた(初代)。・『金沢市史 資料編16 美術工芸』p.229に作品解説と略歴あり。○河村是外・レファレンス協同データベースによると、『石川県物産陳列館第2年報』に氏名と住所の記載があり、竪町36に居住していたとのこと。「「河村是外」という人物について」【URL】http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000042796・『金沢漆芸・加賀蒔絵』(11929430)p.39、大正10年に営まれた五十嵐道甫追善供養の参画者の中に河村是外の名前が見える。・『職人の世界 伝統工芸』(111308374)田中喜男/著、浅香光甫からの手紙の中に河村是外への言及があり、南画を得意としていたとのこと。(その他、『金沢市史』・『金沢の近代工芸史研究』に記載なし。作家でなく職人のためか。) ...
金沢観光協会のホームページによると、せせらぎ通りにメグスリノキが植えられているが、最近植えられたもののようである。香林坊と目薬の関係については、『金沢古蹟志 第6編』巻16 p.8「向田香林坊伝」に、香林坊の地名の由来となった向田香林坊が目薬の秘方を所持し、前田利家に調合したこと、宇喜多秀家に差し上げたところ平癒したことなどが記されている。ただし、メグスリノキとの関係は不明である。「向田香林坊伝」の原典「香林坊家記」は、『日本都市生活史料集成 5』(129174190)に翻刻されている。
【鰤起し(雷)の呪文について】 『おもしろ金沢学』112ページに「雷山行け海鳴り下行け」、「雷、雷、ここは竹のトグイ(先端)やぞ、山行け山行け」という雷よけの呪文が書かれているが、これについて詳しく書かれた文献はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:06)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:06)
『金沢市史 資料編14 民俗』444ページに地震、雷除けの呪文が紹介されている。
『石川百年史』(119563130)P471「市第二区の有志総代岸秀実、吉岡太十郎」P819「(金沢百貨)同盟会長に吉岡太十郎(雑貨商)」P913「(金沢市会議員、大正6年)吉岡太十郎(二級)」『金沢市議会史 資料編2』(119602266)P976「大正6年12月7日執行 吉岡太十郎 片町51-1 慶応3年7月18日(生)*現在は宝飾店、おでん屋などが入る雑居ビル『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)P130 「明治16年4月(創業)雑貨(営業収益税)104.00 吉岡太十郎 片町51」『金沢市史 資料編11 近代1』P721 明治28年度商工業名簿「蝙蝠傘 (野町)1丁目 吉岡太十郎」以上をまとめると、吉岡太十郎は慶応3年7月18日に生まれ、明治16年4月16才で雑貨屋を営んだ。明治28年28才の時には野町1丁目で 蝙蝠傘(販売)を行っていたが、その後片町に移転し、大正6年には市会議員に当選した。昭和4年三越開業に際し ...
【四度飯について】 辰巳用水を引いたときに、人夫に四度飯を食べさせたということが記載されている文献を教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
金沢文化協会出版物を検索したところ、以下の文献に記載あり。・『加能外史』(119547487)p.224・・・『三壺聞書』を引用「さらば急ぎ致させ可申由(中略)役人一日に四度宛の賄をさせて、四度食といふ事是より初る」・『金沢古蹟志 第2編』(11916399)巻5p.18・・・同じく『三壺聞書』を引用する。『同 第3編』(11916400)巻7p.45「何方之御普請に而も、役人四度食給申儀堅停止」(寛永15 普請役定書)『加賀辰巳用水』(11916675)p.244-245・・・『金城深秘録』『三壺聞書』の引用あり。『金城深秘録』は『三壺聞書』からの引用と思われるとのこと(p.248)。『加賀藩史料 第2編』p.693・・・『金城深秘録』を引用する。『三壺聞書』(118512001)p.215『金城深秘録』(118404935)p.66
【松平大弐康正の辞世の句について】 松平大弐康正の辞世の句を知りたい。利用者の知り合いが松平大弐の子孫で、直筆の辞世の句を持っているとのことで、そのコピーをお持ちになった。それが、本物か確かめるために、辞世の句が載っている資料を見たいとのこと。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
『贈従四位松平康正勤王事績』(119540261)K155/148 p.14-15「故郷に今宵ばかりの命とも知らでや我を松虫の鳴く」は松平大弐の辞世の句として伝わっているが、菊池寂阿作の歌の改竄であり本人の作ではないとされている。「松平大弐辞無し」とあり、その他の辞世の句については記載なし。『松平大弐康正』(419126699)210.6/マ p.21大弐の自刃した滋賀県正行院所蔵とされる辞世の句(写し)の写真が掲載されている。「露時雨何かに徒けて気草臥」歌は利用者の持っていたコピーと同じもの。利用者は正行院に確認したところ「現物は子孫が持っている」との回答だったとのこと。
【安原村村是について】 安原村村是は全国に先駆けて制定された町村是のモデルとして前田正名に取り上げられる等、全国的にも有名であるが、その制定過程やその後の変遷等を記した文献はないか。『安原郷土史』に該当箇所があればコピーしてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
安原村村是1 余業奨励・・・なし2 肥料共同購入組合設立・・・なし3 防風林設置・・・『安原郷土史』口絵、『石川県石川郡誌』(「石川県石川郡自治協会」昭和2年刊の復刻) p.778-7794 藺作奨励・・・なし5 立毛共進会設置・・・なし6 田区改正完成・・・『石川郡誌』p.225-243、『石川県史 第4編』p.895-9147 小作奨励会設立・・・なし8 村有基本金増殖・・・なし9 華美虚飾矯正・・・なし10 規時会設置・・・なし11 農業教育普及及夜学奨励・・・『安原郷土史』p.136-137、『石川県石川郡誌』(「石川県石川郡自治協会」昭和2年刊の復刻) p.771-772安原村の農業振興に関する部分・・・『安原郷土史』p.69-89
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