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うつ病患者の家族のケアについて書かれた書籍を探しています。家族がうつ病患者についてどう振る舞うべきかを書いた資料は、一般読者向けのものも多く見つけられますが、それにより発生する家族側のメンタルの摩耗をどうケアするかについて書かれた書籍はありますか。(さいたま市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:01:56)
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うつ病患者を持つ家族のケアについて、さいたま市図書館の蔵書から関連する内容が書かれたもの、また、ウェブサイトで家族のケアについて書かれてサイトがあるか調べました。≪さいたま市図書館で所蔵している書籍≫・『家族が「うつ」になって、不安なときに読む本』下園壮太/著 前田理香/著 日本実業出版社 2022年 p.145~ 「暴力や暴言に悩んだときには距離を取り医療機関の力を借りる勇気が必要」 うつ状態をサポートする周囲の人への直接的なアドバイスが書かれている。 p.161~ 第4章 「うつ」になった大切な人への寄り添い方と自分も大切にする方法 うつ病の家族を見守る側も疲れることを理解し、患者の症状の変化に翻弄されないこと、自分のせいだと誤解しないことが大切と書かれている。 p.174~ マンガや本、支援 ...
回答プロセスにある②~⑦の資料を紹介した。回答プロセス:・蔵書資料をキーワード:「吉良仁吉」「吉良の仁吉」で検索→浪曲CDがヒット・国立国会図書館サーチで上記キーワードを検索→蔵書より関連資料を当たる①『清水次郎長』(講談名作文庫) 講談社 1976年 ……講談シナリオ②『次郎長三国志 下巻』村上元三/著 角川書店 2008年 ……小説 P255「吉良の仁吉」あり③『東海遊侠伝―次郎長一代記―』今川徳三/著 教育社 1982年 ……小説 P185「高神山の喧嘩」あり④『清水次郎長と明治維新』田口英爾/著 新人物往来社 2003年 ……伝記 P129「荒神山の決闘」あり⑤『梅蔭寺 清水次郎長伝』田口英爾/著 みずうみ書房 1987年 ……伝記 P148「荒神山に両軍対峙し仁吉ついに散る」⑥『人物探訪 日本の歴史 10 任侠の群像』 暁教育図 ...
大宮花の丘農林公苑の歴史について知りたい。開園したのはいつか、開園以前は何があったのかなど。(さいたま市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:01:56)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:01:56)
現在、大宮花の丘農林公苑が位置する場所(埼玉県さいたま市西区西新井124番地)は、1974年~1981年まで一般廃棄物の処分場であった。1988年大宮市が立案した「ふるさと農林公苑事業」により、1990年、大宮市西新井に『(仮称)ふるさと農林公苑』整備計画が制定され、造成が行われた。1991年には園内に『緑のふるさとセンター』がオープンし、お花畑の工事は1997年12月に完了した。しかし「開園日」がいつであるかは、同公園にも記録がなく、新聞記事や大宮市の広報などにも発見できなかった。現在のさいたま市HPでは2000年10月をもって公園完成としているが、その旨が記載された紙媒体の資料は、現時点で確認できていない。回答プロセス:インターネット情報の最終確認日は全て2024年1月25日①さいたま公園ナビ 公益財団法人さいたま ...
障子紙の引手の部分が破けるのを防ぐために、一部をバツ印のようにして補強するという手法があった。それがいつの時代に生まれたものなのかを知りたい。(さいたま市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:01:55)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:01:55)
具体的に障子のバツ印にする張り方がいつごろから行われてきたかを明確に記したものは見つからなかった。そのため、障子の歴史を紐解きつつ、過去の絵巻などを確認しながら、バツ印がいつごろ登場したものなのかを確認した。そもそも現在の障子は、鎌倉時代に『蔀戸』(しとみど)などと組み合わせることによって急速に普及された。室町時代になると茶室が発展し、近世初頭に武家住宅で、接客のための「茶室」「書院」を中心とした「書院造」が確立。間仕切りとして明障子が多用され、近世になると庶民の住宅が飛躍的に発展した。バツ印は引手の補強という意味合いをもつため、茶室というよりはしょっちゅう開け閉めされる庶民住宅の障子に当てはまる。そのため、普及してから生み出された手法であると考えられる。『 ...
昭和15~16年頃、横浜からグアム・サイパン・パラオへ日本郵船の定期便が出ていた。その出航頻度と料金が知りたい。(さいたま市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:00:35)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:00:35)
昭和15年頃に横浜からサイパン・パラオへ定期便が出ていたことを確認したが、グアムへ船が就航していた記録は見つけることができなかった。以下の資料及びインターネット情報を提供し回答とした。・『時刻表世界史-時代を読み解く陸海空143路線-』曽我誉旨生/著 社会評論社 2008年・『明治大正時刻表 10』 新人物往来社 1998年国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開・2024.7.9最終確認)・『南洋旅行案内』伊藤友治郎/編 南洋専修学校出版部 1933年 (https://dl.ndl.go.jp/pid/1213099)・『南洋航路案内』 南洋海運 1940年 (https://dl.ndl.go.jp/pid/1122523)回答プロセス:【所蔵資料を検索】△682『時刻表世界史-時代を読み解く陸海空143路線-』曽我誉旨生/著 社会評論社 2008年 P215 空と海から日本の委任統治領を結んだ南洋行 ...
『童子早学問』に読み仮名が振られているが、読み方が分からないので正しい読み方が知りたい。解説書、現代語訳があれば読みたい。(さいたま市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:00:35)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:00:35)
『童子早学問』は江戸時代の往来物の1つだと思われる。質問者が持ち込んだ資料は『童子早学問』細川並輔/校合、池田善次郎/画、出版者は泉屋市兵衛で天保14(1843)年刊行であることが確認できたが、往来物は非常に種類が多く、現代語訳・解説書の出版は確認できなかった。参考としてくずし字の読み方の本を提供した。回答プロセス:(最終確認はすべて2024.3.1)・『童子早学問』をgoogleで検索 東京学芸大学教育コンテンツアーカイブ(https://d-archive.u-gakugei.ac.jp/item/18408039)で質問の資料と思われる現物が見られた。 「ドウジハヤガクモン」と読み、細川並輔/校合、池田善次郎/画、出版者は泉屋市兵衛、天保14(1843)年刊行、主題は往来物、教科書となっている。 国書データベースでも同じ資料が閲覧できる。 (https://kokusho.nij ...
『大宮市史 第4巻 近代編』に「大宮市では「市常会たより」を毎月発行して」という記述がある。この「市常会たより」はどのようなものか。また現物を閲覧することができるか。(さいたま市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:00:35)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:00:35)
戦時中、大政翼賛運動の実践のために組織されたものの一つが市常会である。大宮町(1940年11月より大宮市、現・さいたま市大宮区)では市常会→地区ごとの町内会連合会→町内常会・部落常会→隣保班・隣組という組織構成であった。市常会は毎月27日に開催され、会長は市長、構成員は町内会連合会長(地区常会長)・各種団体長・各種公職者などであった。この市常会で決定した事項を通達するものが「市常会たより」だったと思われる。『大宮市史 第4巻』のp413~414に「市常会たより第6号 昭和17年12月28日」の内容が掲載されている。これが町内会などの下部組織への通達なのか、末端の市民まで回覧されたのかは不明。現時点では大宮の「市常会たより」の現物、または写真を閲覧できるところは見当たらない。「市常会たより」ではな ...
“美食にふさわしい器とは”という記事にある「満月壺」の写真を見たい。一旦割られて修復したものがあるようだが、割られる前の写真をできれば見たい。(さいたま市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:00:35)
from レファレンス協同データベース (2024/7/30 12:00:35)
以下の資料とインターネット情報(2024.3.23最終確認)を紹介した。【書籍】・『高麗青磁・李朝白磁へのオマージュ』伊藤郁太郎/著 淡交社 2017年【オンラインデータベース】・東京新聞 1998年8月20日夕刊 11面 「ライトアップ=作家志賀直哉ゆかりの「李朝白磁の壺」復元」【インターネット情報】・「白磁壺」大阪市立東洋陶磁美術館 収蔵品検索 (https://jmapps.ne.jp/mocoor/det.html?data_id=2037)・「「修復師スゴすぎ…」粉々から蘇った壺、その裏側を訊いた」京阪神エルマガジン社のニュースサイト(https://www.lmaga.jp/news/2021/12/376774/) ・「白磁 壺」デジタル大阪ミュージアムズ 大阪コレクションズ・アーカイブ (https://dom.ocm.osaka/database/moco/2037)回答プロセス:インターネット情報は全て2024.3.23最終確認・“美食にふさわしい器とは”という記 ...
以下の資料を紹介した・『クールベ 画家のアトリエ』ベネディクト・ニコルソン/著 阿部良雄/訳 みすず書房 1978年 P26~27・『クールベ(新潮美術文庫23)』クールベ/画 阿部良雄/解説 新潮社 1975年 作品1・『グランド世界美術 18 クールベと近代絵画』クールベ/画 吉川逸治/編集・解説 講談社 1979年 作品49、50・『『NHKオルセー美術館 1 リアリズム・美の革命』隠岐由紀子/責任編集 日本放送出版協会 1990年 P51・『ヴィヴァン-新装版・25人の画家- 5 クールベ』クールベ/画 阿部良雄/編集・解説 講談社 1996年 P97・103 ・『パリの肖像』フェリックス・ナダール/著 ポール・ナダール/著 立風書房 1985年 P79~80 ・『ギュスターヴ・クールベ-1819-1877 最後のロマン派-』ファブリス・マザネス/著 タッシェン・ジャパン 2007年 多 ...
「椹野川」の名の由来が複数あったため、諸説あるとお伝えしたうえで、以下(1)-(4)を回答。(1)「和名抄」に東大寺管領の時代に囚人を囲う俘囚郷「フシュウノゴウ」の「フシュウ」が転訛して「フシノ」となった。また、俘囚野(フシフノ)が「フシノ」となった。(下記資料1、2、3、5、6)(2)上記(1)に加えて、「俘囚(フシノ)」という文字が不吉だから「椹野(フシノ)」と文字を変えた。(資料3、7)(3)椹野川周辺にヒノキ科の常緑高木サワラ(椹 フシ)の大木があったことから「フシノ」となった。(資料1、2、3、4)(4)もともとは枝分かれした河川が流れる平野をいう伏野(フシノ)という文字であった。(資料6)(4)は『角川日本地名大辞典 35』(資料6)の「椹野川」の項でしか見つけられず、また、「浮 ...
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