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以下の資料を紹介しました。【資料①】『タトゥー・ギャラリー』(富士美出版 2005)【資料②】『タトゥーデザインブック』(富士美出版 2005)【資料③】『タトゥー・ワークス』(富士美出版 2003)回答プロセス:・分類の大まかな検討をつけるため、『日本十進分類法 2 新訂10版』(日本図書館協会 2014)[R-014.4-ニ-2・1115068189]の相関索引で「入れ墨」「タトゥー」を検索。「入墨(民俗) 383.7」であることがわかった。・『日本十進分類法 1 新訂10版』(日本図書館協会 2014)[R-014.4-ニ-1・1115068197]で確認。「383.7 身体変工:刺青[入墨],御歯黒,耳朶穿孔,纏足,抜歯」とあり。書架へ利用者を案内。参考資料:【資料①】タトゥー・ギャラリー. 富士美出版, 2005. (富士美ムック)https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007875254, 4-89421-597-7(383.7-タ-・111 ...
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1.佐賀江川の舟運(船による輸送や交通)について知りたい。2.川沿いに酒屋が多い理由を知りたい。荷物を舟で運びやすいためか。(佐賀県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/10/8 16:56:00)
from レファレンス協同データベース (2024/10/8 16:56:00)
御質問の件について、次のとおり回答します。1.「佐賀江川の舟運」については、次の資料に記載がありました。 (1)『角川日本地名大辞典 41 佐賀県』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1982 p.317 「さがえがわ 佐賀江川 <佐賀市・諸富町>」 明治中期ごろまで千石船が往来し、佐賀市今宿から材木町にかけては回漕問屋や材木店が軒を並べにぎわった。今宿が川港として最も繁栄したのは幕末のころという(蒲原家文書)。 (2)『日本歴史地名大系 42 佐賀県の地名』 平凡社 1980 p.172 「佐賀江」 またこの江湖は川舟による水運の便に恵まれ、江戸時代は米などの運送には欠かせない水路で、佐賀城下と諸富津・寺井津(中略)・早津江津(中略)を結んでいた。高尾(現巨勢町)にあった佐賀藩の米蔵はこの舟運に立地していた ...
御質問の件については、当館の調査した資料(古文書等、古地図・絵図等歴史資料を除く)では、確認できませんでした。 お探しの「永石善治兵衛」とは名前が異なりますが、以下の資料を御紹介します。『塩田町史 上巻』 塩田町史編さん委員会/編 佐賀県藤津郡塩田町 1983 p.476 善次兵衛は寛政八年(一七九六)亡くなっており(後略)p.477 二代永石善次兵衛(中略)江戸城の普請に行き全国より集った石工達と技を競い一位となったが謀られて毒殺されたと伝えられている。※国立国会図書館デジタルコレクション送信サービスで閲覧可能 コマ番号:263 (最終アクセス日:2023.11.4)参考までに、蓮池藩に関する資料として「請役所日記」を御紹介します。 「請役所日記」は佐賀県立図書館「古文書・古記録・古典籍データベース」で公開 ...
御質問の件について、次のとおり回答いたします。1.「1963年に建築された佐賀県立図書館の館内図」については、次の資料に記載がありました。 (1)『佐賀県立図書館竣功記念パンフレット』 宮内嘉久編集事務所/編 佐賀県立図書館/企画 佐賀県立図書館 1963pp.10-11 (2)『建築文化 1963年3月号 (No.197 図書館設計への提案と質問)』 彰国社 1963 p.48 2.「1.以前の佐賀県立図書館の館内図」については、次の資料に記載がありました。 (3)『佐賀県立図書館60年のあゆみ』 宝蔵寺 和人/著 佐賀県立図書館 1973 pp.83-84参考資料:『佐賀県立図書館竣功記念パンフレット』 宮内嘉久編集事務所/編 佐賀県立図書館/企画 佐賀県立図書館 1963https://www2.tosyo-saga.jp/kentosyo2/opac/switch-detail-iccap.do?bibid=1102274132, 参考資料:『建築文化 1963年3月号 (No.197 図書 ...
御質問の件について、次のとおり回答します。 (1)『三日月町史 下巻』三日月町史編纂委員会/編 三日月町 1989 pp.231-232 「四 金石文と文化財 (一)陸軍少尉正八位今泉三太郎君之碑」 金石文及び雪中行軍遭難の概要の記述あり (2)『小城の歴史 合冊本(第1号~第26号)』 小城郷土史研究会/編 小城郷土史研究会 1981 (昭和52年)第23号 p.8 深川栄二「八甲田山雪の行軍」 雪中行軍遭難の概要及び今泉三太郎について記述あり 「今泉三太郎 明治十二年九月廿七日生 亡父義熙 母ケサ 姉ツシ(友田久吉に嫁す)今泉家の子孫は今泉義一 墓は三間寺。今泉三太郎の従弟にあたる南里清氏。その実弟が古賀義勇(陸軍大佐、三日月村長)」「大坪芳子(南里清の娘)佐賀市多布施二-二-二四を訪ね聴取したもので、既に明治は遠く本人の経歴性格等詳 ...
1.『佐賀県近世史料』第8編第2巻の参考資料に、<久米邦武「葉隠に就て」『佐賀』第80-81号 S/051/SA15/>が挙げられています。 第81号の末尾(54頁)では「次回より葉隠れのお話をしませう。」となっており、未完でした。これは、第82号以降の号に続編が載っているのでしょうか? 2.また、『佐賀県近世史料』第8編第2巻の参考資料には、<久米邦武「葉隠に就いて」『肥前協会』第50~65号 S/051/H56/>も挙げられています。これは、上記『佐賀』掲載のもの(第82号以降も含む)と同一内
from レファレンス協同データベース (2024/10/8 16:56:00)
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御質問の件について、次のとおり回答いたします。 1.『佐賀』第82号以降を確認しましたが、久米邦武「葉隠に就て」の続編の掲載はありませんでした。 2.『肥前協会』50号~58号「葉隠に就て」(一)~(九)は、『佐賀』第80,81号の内容とほぼ同じでした。(句読点や語尾が若干違う程度)『肥前協会』59号~65号「葉隠に就て」(十)~(終)(16回目)は、『佐賀』第80,81号の続編にあたります。 参考に以下の資料をご紹介します。 (1)『肥前協会 33号(昭12)~38,40,42~43,46~52号(昭和13)』 肥前協会 50号 p.13「葉隠に就て」(一)より 初の部分は、雑誌「佐賀」に掲載されたが、後の部分は其のまま筐底に蔵せられた(中略)或る事情の為め中止せられ完結して居らぬ(中略)玆に始から之を掲載する事とした。参考資料:『佐賀 第79号-第81号』佐 ...
次の資料に記載がありました。 (1)『佐賀県干拓史 復刻』 初版:佐賀縣耕地協會/編纂 佐賀県干拓協会 1975 坤巻p.8 川副地区の大堤塘と搦を示した図が掲載されています。 坤巻pp.9-12 第一節 龍造寺隆信公時代の海岸線 (2)『有明干拓史』 有明干拓史編集委員会/編 九州農政局有明干拓建設事業所 1969 p.10 佐賀平野の開発「1580年ごろの海岸」「1870年ごろの海岸」などを示した図が掲載されています。 p.33 佐賀平野の干拓地 搦を示した図が掲載されています。 お探しの年代とは異なりますが、参考までに以下の資料を御紹介します。 (3)『有明海博物誌』 佐賀県立博物館/編 佐賀県立博物館 1999 p.10 ■図4.海岸線の変遷図中に「縄文時代前期(約6000年前)」「弥生時代終末期(約1800年前)」の海岸線が示されています。参考資料:(1)『佐賀県干拓史 復 ...
精霊流しについて調べております。 1.佐賀新聞(2023年8月16日)に1989年から始まった嘉瀬川での精霊流しの記事があり、佐賀市内から100隻ほど流したとありますが、1989年から新しく始まったものでしょうか。過去に行っていたのが中断していて、よみがえったものでしょうか。嘉瀬川の精霊流しについて書かれた資料をご教示ください。 2.佐賀市今宿町、伊万里市、唐津市において、海でも川でもいいのですが、精霊流しの行事の行われているところをご教示ください。開催場所や、精霊流しの行事がいつから始まったのか
from レファレンス協同データベース (2024/10/8 16:55:59)
from レファレンス協同データベース (2024/10/8 16:55:59)
御質問の件について、次のとおり回答します。 1.嘉瀬川で行われている精霊流しについては、次の資料に記載がありました。 (1)『久保田町史 下巻』 久保田町史編さん委員会/編 久保田町企画課 2002 p.583 「精霊流し」夕刻になると、精霊棚の飾りつけを取り外し、供物を麦わらでつくった舟に乗せ、精霊流しをした。現在は平成2年から、商工会主催の精霊流しが、嘉瀬川で行われるようになり、精霊舟も豪華になった。 (2)『佐賀新聞 1989(平成元)年8月11日』 18面 「15日に花火大会と精霊流し」 【久保田町】久保田町商工会は15日、午後8時から嘉瀬川の得仏橋下流で花火大会と精霊流しを初めて開く。 (3)『嘉瀬町史』 嘉瀬町史編集委員会/編 佐賀市立嘉瀬公民館 2008 p.148 「盆踊り(8月13日~8月15日)」初盆の家庭では親類等から贈られた ...
次の資料に記載がありました。 (1)『栄城 50~55号 大正七-十年』(以下を収録している合本) 『榮城第五十號』 髙取 儀太郎/編 佐賀縣立佐賀中學校榮城會 1918 p.19 職員ノ異動 五來 要人先生 (大正六年)十一月廿六日 本校教諭に任せらる 『榮城第五十一號』 髙取 儀太郎/編 佐賀縣立佐賀中學校榮城會 1918 p.10 職員の異動 五來 要人先生 (大正七年)八月二十日 願に依り退職を命ぜらる事前調査事項:佐賀中学校・佐賀西高等学校の周年記念誌(栄城)140周年、130周年、90周年など複数冊の記念誌が出ていますが、巻末に旧職員一覧があれば分かるのですが。福井県敦賀商業学校から、1917年11月に転入してきた。その後、陸軍通訳になったのか、和歌山県の海草中学校へ移動したのか。参考資料:(1)『栄城 50~55号 大正七-十年』https://ndlsearch.n ...
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