リンク集 RSS/ATOM 記事
ホーム >>
リンク集 >>
RSS/ATOM 記事 (26350)
ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。



ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。



Markets fall as lawmakers and the head of state wrestle for control
Wall Street’s AI-powered rally risks ‘correction’, Vanguard warns
from UK homepage (2024/12/4 3:52:36)
from UK homepage (2024/12/4 3:52:36)
Asset manager’s chief economist Joe Davis says investors are overplaying the near-term potential of the technology
PM’s ‘political list’ said to be long even as he axes 92 hereditary peers to trim the size of the Lords
Troubled utility faces fines of £400mn by March 2027 as it tries to avoid renationalisation
Are American pathologies the necessary price of economic dynamism?
Premier’s diplomatic skills run out of rope with far-right opposition
①台東区のホームぺ―ジの光明寺(台東区元浅草4)にある木造阿弥陀如来像の解説に「開山の学蓮社善誉(がくれんしゃぜんよ)万応」とあるが、光明寺のウィキペディアには「根連射善誉(こんれんしゃぜんよ)によって開山」とある。「学蓮社」と「根蓮社」が同じか、どのような関連か知りたい。②学蓮社善誉についてどのような出自かなど、わかる資料が有れば読みたい。(台東区立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/4 0:31:06)
from レファレンス協同データベース (2024/12/4 0:31:06)
台東区文化財関係資料では「学蓮社…」とある『台東区の文化財保護第8集』に解説あり浅草仏教会『創立五十周年記念誌』P81光明寺の欄では「根蓮社…」とある僧万応としている書もあり関連は不明事前調査事項:質問者が日野市の坂下地蔵の背中に根蓮社善誉と書かれていたと思い、台東区文化財の浅井さんに電話で問い合わせたところ、『台東区の文化財保護第8集』P65を案内されたとのこと。日野市の坂下地蔵については当館の「日野市史」(1283196)のP276に「根蓮社覚誉善正大徳」と有ることをお伝え済。引き続きしらべて欲しいとのこと。参考資料:B13160501 台東区の文化財保護 第8集 台東区教育委員会/編 台東区教育委員会 2016.3 709.1361, (P65)参考資料:B12796149 御府内寺社備考 3 台東区教育委員会/編 台東区教育委員会 2003.3 185.9, 参 ...
・写真については、当館のデジタルアーカイブをご案内した。キーワード「人力車」で73件ヒット、写真1件、絵はがき30件。いずれも明治~昭和戦前のもの。写真、絵はがきでは、浅草で人力車が写っているものはない。浅草で人力車が使用されていた事がわかる古いものとしては明治4年の浮世絵「浅草並木人力車の賑ひ」「東京名所四十八景 新よし原見かえり柳」などがあり、当時から浅草に人力車が走っていたことがわかる。・資料①最初のページの口絵「浅草金竜山広小路馬車人力車往来の図」とp29の記述により、明治初めの浅草で人力車が走っていた事がわかる。・資料②p322に当館アーカイブに所蔵の「浅草並木人力車の賑ひ」について解説あり。「道路の左右に人力車屋が店を構え、客を待って待機している車 ...
看板建築の町並みの写真を探している。日暮里駅前の「谷中せんべい」(現存:谷中7丁目)辺りを希望。その他、台東区内の看板建築の街並みの写真もあれば希望とのこと。(台東区立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/4 0:31:05)
from レファレンス協同データベース (2024/12/4 0:31:05)
看板建築の町並みの写真としては、参考資料1『看板建築』p16~17に根岸3丁目の写真、参考資料2『看板建築』p89に台東の五軒長屋の写真掲載あり。そのほか、以下の台東区内の看板建築の写真が見つかりました。参考資料(3)『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』…p57藍染川 ・根津神社付近(来館時案内済)参考資料(4)『歴史を伝える近代のたてもの』…p45-46根岸参考資料(5)『台東区近代建築調査報告書 データ編』p123-129 谷中また、台東区立図書館 デジタルアーカイブの定点写真にも看板建築の写った写真が見つかりましたので、こちらも参考にしてください。参考URL(1) 台東区立図書館/デジタルアーカイブ 三ノ輪二丁目北側S49_037_01…谷中3丁目参考URL(2) 台東区立図書館/デジタルアーカイブ よみせ通り商店街S49_001_03 …三ノ輪2丁 ...
明治時代初期~昭和戦前の上方と江戸の器(茶碗・湯呑)について。①上方(京都・大阪)と江戸では、どのような形の器が主に普及していたか。②上方と江戸で、普及していた器の形などに違いがあるのか。(台東区立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/4 0:31:05)
from レファレンス協同データベース (2024/12/4 0:31:05)
参考資料『明治文化史 12』p208に「飯は陶器、汁は木地というのが全国共通した現象であり(中略)東日本では瀬戸物を売る店は地方の町にあったが、多くは市で買った。しかし北陸・西日本では食器のすべては木地を使っていた所が多く(中略)京都府丹波地方は明治二十年頃から瀬戸物が使われるようになり、舞鶴方面から運ばれた」とある。参考資料『講座食の文化 第4巻』p288に「わんの形」についての解説、p289~「わん類のきまり寸法も径四寸(12cm)、瀬戸ものの飯茶碗も漆の汁椀も(以下略)」、p305「昭和前期の食器」の項に「一般家庭で使用する食器は、東日本ではほとんど瀬戸焼・美濃焼の「せともん」と汁器、菓子器としての漆器が主(中略)西日本の一般庶民用の食器は、有田焼、唐津焼の「からつもん」を中心に ...
execution time : 0.287 sec