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【『加賀藩史料』収載の幕臣について】 『加賀藩史料 第6編』p.996に名前の出てくる、橘宗仙院、丹羽正弥、松平石見の3名について調べたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:31)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:31)
〇橘宗仙院 橘元孝(もとたか)『寛政重修諸家譜 第20』(129089053)、p.363宝永6年10月23日家を継ぎ(700石)、寄合(医)となる。享保3年9月28日奥医に列し、12月18日法眼に叙す。19年9月15日御匙となり、12月18日法印に叙す。延享4年4月28日死去す。〇丹羽正弥『寛政重修諸家譜』に名前なし。〇松平石見 松平忠一(ただかず)『寛政重修諸家譜 第1』(129088860)p.151宝永2年7月12日遺跡(1,000石)を継ぎ、寄合に列す。正徳元年6月7日御使番となり、11日布衣を着することを許さる。享保2年2月15日仰せを承りて、山陰山陽の国々を巡視す。8年4月6日禁裏附にに移り、8月20日従五位下石見守に叙任す。元文4年7月11日西城の御留守居に進み、延享元年正月11日御旗奉行に移る。寛延2年6月26日務めを辞し、3年5月4日死す。享年78。
【勝田氏の由緒について】 1.勝田氏の菩提寺である妙慶寺の由緒を調べてほしい。2.勝田氏に関わりのある小幡家(『甲陽軍鑑』の著者、小幡勘兵衛の系統)の由緒を調べてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:30)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:30)
1.妙慶寺の由緒『加能郷土辞彙』(初版)p.831「妙慶寺 (中略)当寺の開山寂蓮社城誉円阿はもと越中射水郡牧野村安養山極楽寺の僧であったが、天正十三年前田利家が佐々成政征伐の軍を進めた時、家臣松平久兵衛之を伴ひ帰り、一時その下邸に置き、元和元年今の寺地を得て伽藍を興し、之を久兵衛の母妙慶尼の菩提所に宛てた。」『金沢古蹟志 第7編』巻19 p.3「妙慶尼之伝」によると、妙慶尼は松平伯耆の母、三河国の士丹羽勝左衛門の娘で、同国伊保の城主松平紀伊守乗信に嫁した。乗信の死後、金沢に来、その子久兵衛はのち伯耆康定と称し、采地1万石を賜った。同p.4「妙慶寺伝話」によると、当時の住職、慶学和尚は利長・利常と懇意で、利長の書状や利常の書画が伝来しているとのこと。2.小幡家の由緒『石川県史資料 近世篇9 諸士 ...
【卯辰山の地名について】 昭和30年頃の卯辰山の地名で「飛鳶台」「玉鬼台」というのがあると小説に記載されている。この読み方を教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:30)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:30)
・インターネット等で検索した結果、「飛鳶台」は「飛鶯台」かもしれない。また「玉鬼丘」は「玉兎ヶ丘」ではないかと思われる。ネットではここまでしか調べられなかったため、地元資料に当ってほしいとの依頼でした。・角川、平凡社の地名辞典により、卯辰山に「玉兎町」があることが判明。よみは「ぎょくとがおか」・「飛鳶台」または「飛鶯台」は地名辞典にいずれも記載なし。・卯辰山関連の資料を調査した結果、『卯辰山と浅野川』(119420862)の付録「散策図」に「飛鳶台」あり。同じ位置を『卯辰山』(119554169)の「卯辰山自然公園碑配置略図」には「飛燕台」と記載されており、よみは「ひえんだい」と判明。最近は、「飛燕台」と記載されることが多いが当時は両方使われていたか同音のため間違ったかはわからない。
【石川県師範学校および石川県啓明学校、校長野村彦四郎について】 明治8年10月から明治10年7月にかけて石川県師範学校および石川県啓明学校(いずれも金沢大学の前身)の校長を、明治12年ごろ石川県学区取締を、明治13年6月から明治14年4月まで羽咋郡長を務めた野村彦四郎という人物について調べている。記述、写真、史料、研究文献があれば紹介してほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:30)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:30)
『〔石川県師範学校学友会〕会誌 第57号』(118561383) 巻頭に第一代校長として写真あり。『石川県師範学校同窓会会員名簿』(119511368) P12 「死亡、就任 明治8、去任 明治10」と記述あり。『金沢大学の淵源 加賀藩医学館から甲種医学校まで、および石川県啓明学校・石川県専門学校の歴史』(109175243) P101 略歴記載あり。石川県立図書館のサイト石川県関係人物文献検索で検索の結果『石川県史 第4編』P174『石川百年史』P153(写真)、669『石川教育』第137号(大正4年7月)P35『歴代顕官録』P757 明治19年4月より第一高等中学校長を勤める。(国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。)【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1021174/1/1
【滝村の御救米願について】 『一ノ宮の歴史』p.103に「御救米願」(享和3年正月15日の海難事故に伴うもの)という史料の翻刻が収録されているが、後半の百姓名が省略されているので、全文が掲載された史料はないか。(出典は加越能文庫と記されている。)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:30)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:30)
『加賀藩史料 第11編』の享和3年の項には記載なし。滝村は現在の羽咋市域に該当するため、『羽咋市史 近世編』を確認したところ、p.605に全文が収載されていた。同ページに「滝村起網一件(加越能文庫16.73-7)」の表紙写真が掲載されている。近世史料館で確認したところ、同史料内に「御救米願」の原文が収録されていた。
『北国新聞に見るふるさと110年』上・下は2003年の刊行のため、それ以降の記事はなし。ここ10年程度の新聞記事の見出しを一冊にまとめた本は、現在のところ刊行されていない。ただし、北国新聞が年末(12月29日頃)に、その年の主な出来事(略年史)をまとめているため、『北国新聞縮刷版』の12月号を紹介した。
【神威と自然現象との関係について】 神仏の力によって風が吹くなどの自然現象が発生したことが書かれた郷土の文献があれば教えてほしい。(『三州奇談』に出てくるとのこと。)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:30)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:30)
『加賀藩史料 第10編』p.899「春日野晴嵐 地震よりさきにくづるる引山は袋の神のあらし吹くかも」『白山颪』(109177542)9丁にも同じ狂歌が収載されている。
【天保6年の火災について】 『加賀藩史料 第14編』p.560に「三月十一日。横安江町より火を失す」とし、次のページに焼けた町名などが記されているが、武家地か町人地なのか教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:29)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:29)
p.561「横安江町青木八郎左衛門出火、武家寺家町家軒数附」とあり、被災地は武家地・寺地・町地にまたがっている。青木以下28家・・・武家地東末寺以下9寺・・・寺地横安江町以下9町・・・町地
○闇市の定義「闇取引の品物を売る店が集まっている所。第二次大戦直後、各地にできた。闇市場。」(『大辞泉』) 闇市が存在したのは敗戦後から昭和25年頃にかけてとされる(『国史大辞典 14』)。○金沢における闇市の所在地『金沢市近江町市場史』(11902686)p.76に「昭和20年(1945)11月20日、魚類の統制が撤廃されるとヤミ市となった近江町にはだれかれとなく品物を持ち込んで品物を売り繁盛するのであった。」と記されており、近江町市場が敗戦後の一時期、闇市と化していたことがわかる。『石川の戦後50年』(118557872)によると、片町に「寿美田の扇屋さんのとなりの、今の片町センターのところに、バラック営業の市民市場」、「昔の大和の大橋寄り」の「連鎖店」の二つの闇市があった(p.44-45「ヤミ市の活気」)。『20世紀の照像 石川写真 ...
・『前田利家の出自 荒子城物語』(119778887)p71 (五)荒子衆「『北藩秘鑑巻十八』によれば「尾州荒子御普代」とは、山森吉兵衛・奥村次右衛門・吉田長蔵・姉崎勘右衛門・三輪作蔵・山森久次・金岩与次 右七臣之外、村井又兵衛、(以下14名略)是等荒子衆ト云。一書、弘治二年より、荒子六人衆、高畠孫十郎、村井長八郎、原田又右衛門、木村三蔵、吉田孫兵衛也ト云。安土七人衆、吉田長蔵、三輪作内、姉崎勘右衛門、山森橘兵衛、山森久次(後改恒川)、奥村次右衛門、金岩与次」以上が荒子城時代の家臣である、と記載されている。・『石川県大百科事典』(118310632)p31 荒子衆前田利家が尾張国荒子城を領有していたころ(1569~75年)の従臣。そのうちでも山森伊織、奥村治右衛門、吉田孫兵衛、姉崎四郎衛門、三輪作蔵、山森久次(後に恒川と改 ...
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