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○五十嵐随甫・『加能郷土辞彙』(初版)p.33「五十嵐道甫」・・・弟に随甫がいた(初代)。・『金沢市史 資料編16 美術工芸』p.229に作品解説と略歴あり。○河村是外・レファレンス協同データベースによると、『石川県物産陳列館第2年報』に氏名と住所の記載があり、竪町36に居住していたとのこと。「「河村是外」という人物について」【URL】http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000042796・『金沢漆芸・加賀蒔絵』(11929430)p.39、大正10年に営まれた五十嵐道甫追善供養の参画者の中に河村是外の名前が見える。・『職人の世界 伝統工芸』(111308374)田中喜男/著、浅香光甫からの手紙の中に河村是外への言及があり、南画を得意としていたとのこと。(その他、『金沢市史』・『金沢の近代工芸史研究』に記載なし。作家でなく職人のためか。) ...
金沢観光協会のホームページによると、せせらぎ通りにメグスリノキが植えられているが、最近植えられたもののようである。香林坊と目薬の関係については、『金沢古蹟志 第6編』巻16 p.8「向田香林坊伝」に、香林坊の地名の由来となった向田香林坊が目薬の秘方を所持し、前田利家に調合したこと、宇喜多秀家に差し上げたところ平癒したことなどが記されている。ただし、メグスリノキとの関係は不明である。「向田香林坊伝」の原典「香林坊家記」は、『日本都市生活史料集成 5』(129174190)に翻刻されている。
【鰤起し(雷)の呪文について】 『おもしろ金沢学』112ページに「雷山行け海鳴り下行け」、「雷、雷、ここは竹のトグイ(先端)やぞ、山行け山行け」という雷よけの呪文が書かれているが、これについて詳しく書かれた文献はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:06)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:06)
『金沢市史 資料編14 民俗』444ページに地震、雷除けの呪文が紹介されている。
『石川百年史』(119563130)P471「市第二区の有志総代岸秀実、吉岡太十郎」P819「(金沢百貨)同盟会長に吉岡太十郎(雑貨商)」P913「(金沢市会議員、大正6年)吉岡太十郎(二級)」『金沢市議会史 資料編2』(119602266)P976「大正6年12月7日執行 吉岡太十郎 片町51-1 慶応3年7月18日(生)*現在は宝飾店、おでん屋などが入る雑居ビル『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)P130 「明治16年4月(創業)雑貨(営業収益税)104.00 吉岡太十郎 片町51」『金沢市史 資料編11 近代1』P721 明治28年度商工業名簿「蝙蝠傘 (野町)1丁目 吉岡太十郎」以上をまとめると、吉岡太十郎は慶応3年7月18日に生まれ、明治16年4月16才で雑貨屋を営んだ。明治28年28才の時には野町1丁目で 蝙蝠傘(販売)を行っていたが、その後片町に移転し、大正6年には市会議員に当選した。昭和4年三越開業に際し ...
【四度飯について】 辰巳用水を引いたときに、人夫に四度飯を食べさせたということが記載されている文献を教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
金沢文化協会出版物を検索したところ、以下の文献に記載あり。・『加能外史』(119547487)p.224・・・『三壺聞書』を引用「さらば急ぎ致させ可申由(中略)役人一日に四度宛の賄をさせて、四度食といふ事是より初る」・『金沢古蹟志 第2編』(11916399)巻5p.18・・・同じく『三壺聞書』を引用する。『同 第3編』(11916400)巻7p.45「何方之御普請に而も、役人四度食給申儀堅停止」(寛永15 普請役定書)『加賀辰巳用水』(11916675)p.244-245・・・『金城深秘録』『三壺聞書』の引用あり。『金城深秘録』は『三壺聞書』からの引用と思われるとのこと(p.248)。『加賀藩史料 第2編』p.693・・・『金城深秘録』を引用する。『三壺聞書』(118512001)p.215『金城深秘録』(118404935)p.66
【松平大弐康正の辞世の句について】 松平大弐康正の辞世の句を知りたい。利用者の知り合いが松平大弐の子孫で、直筆の辞世の句を持っているとのことで、そのコピーをお持ちになった。それが、本物か確かめるために、辞世の句が載っている資料を見たいとのこと。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
『贈従四位松平康正勤王事績』(119540261)K155/148 p.14-15「故郷に今宵ばかりの命とも知らでや我を松虫の鳴く」は松平大弐の辞世の句として伝わっているが、菊池寂阿作の歌の改竄であり本人の作ではないとされている。「松平大弐辞無し」とあり、その他の辞世の句については記載なし。『松平大弐康正』(419126699)210.6/マ p.21大弐の自刃した滋賀県正行院所蔵とされる辞世の句(写し)の写真が掲載されている。「露時雨何かに徒けて気草臥」歌は利用者の持っていたコピーと同じもの。利用者は正行院に確認したところ「現物は子孫が持っている」との回答だったとのこと。
【安原村村是について】 安原村村是は全国に先駆けて制定された町村是のモデルとして前田正名に取り上げられる等、全国的にも有名であるが、その制定過程やその後の変遷等を記した文献はないか。『安原郷土史』に該当箇所があればコピーしてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
安原村村是1 余業奨励・・・なし2 肥料共同購入組合設立・・・なし3 防風林設置・・・『安原郷土史』口絵、『石川県石川郡誌』(「石川県石川郡自治協会」昭和2年刊の復刻) p.778-7794 藺作奨励・・・なし5 立毛共進会設置・・・なし6 田区改正完成・・・『石川郡誌』p.225-243、『石川県史 第4編』p.895-9147 小作奨励会設立・・・なし8 村有基本金増殖・・・なし9 華美虚飾矯正・・・なし10 規時会設置・・・なし11 農業教育普及及夜学奨励・・・『安原郷土史』p.136-137、『石川県石川郡誌』(「石川県石川郡自治協会」昭和2年刊の復刻) p.771-772安原村の農業振興に関する部分・・・『安原郷土史』p.69-89
【能沢長太郎・栄太郎について】 味噌蔵町下中町29番地(尾張町1丁目6番20号)の屋敷が記載されている大正期の地図はないか。また、その家の当主で市会議員を勤めた能沢長太郎・栄太郎について書かれた文献を教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
○大正期の地図について大正期の詳細な地図は見つからなかった。安政期の地図では「寺西」と記載されている。昭和38年の住宅明細図(『金沢市詳細図』)では現住者の氏名になっている。○能沢長太郎・栄太郎について能沢長太郎については、『北陸人物名鑑』(118406107)に伝記がある。能沢栄太郎については、『金沢市近江町市場史』(11902686)p.42-43に金沢魚市場組合長(滝次商店主)として記載がある。滝次商店の引札が同書p.36,57に収録されている。『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)によると、瀧次商店は文政年間創業で、店舗は上近江町(魚市場内)にあった。議員としての活動は、『石川百年史』(119563130)p.362,401,414,420,445,892,956を参照のこと。能沢栄太郎の著書に『魚市場に就て』(129816785)がある。
【森本小学校について】 ①「石川県教育施設一般」という史料を所蔵していないか。②八田與一は森本尋常高等小学校を卒業しているが、上記史料には「森下尋常高等小学校」と書かれている。八田與一が在籍した明治30年代の正式な校名を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:05)
①「石川県教育施設一般」は国立国会図書館デジタルコレクションで1・2号が公開されている。石川県立図書館が1・3号を所蔵している。 ②『石川県河北郡誌』P.570「同(明治)25年4月小学校令の改正に伴いて、森下尋常小学校と号し、森本村の児童を収容することとなり」「森下高等小学校を、森下尋常小学校の階下に置く」 『森本のあゆみ』(119992134)P.289「昭和16年、太平洋戦争の始まったこの年、森下尋常高等小学校は、「森本国民学校」と名前を改め」(『もりもと』P.50-51年表を参照のこと) 『石川県職員録』昭和16年9月1日現在(国立国会図書館デジタルコレクション)P.101(国民学校)「森本」 森本という地名は前近代から「森本」と「森下」が混用されていたが、江戸時代の正式表記は「北森下」「南森下」(『加能越三箇国高物成帳』(10908 ...
【湯涌温泉について】 湯涌温泉観光協会ホームページに、湯涌の水が「大正初のドイツで開かれた万国鉱泉博覧会に日本の名湯として出展」とあり、また、何かの賞(一等、金賞)を取ったと聞いた事があるが、この根拠となる資料が見たい。(世界三大鉱泉なども)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:04)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:04)
「万国鉱泉博覧会」⇒該当なし『日本博覧会史』(129309200)P.204明治44年 ドイツ(ドレスデン)に万国衛生博覧会の記述あり。…大正初頃にドイツで開かれたものがこれしかない。「ドレスデン市ニ開催セラレタル万国衛星博覧会日本館」にて温泉ノ分布や用水支給、公衆浴場、模型などの展示があった。『日本鉱泉誌』(1886年)(1954年)(国立国会図書館・富山県立図書館所蔵)にて湯涌の水質調査がされていることが確認できる。なお、1886年調査は明治13年ドイツ フランクフルト鉱泉学博覧会の出展の為、作成されたものであり、和倉温泉はこちらに出展した。(新修七尾市史 10 P.370)『官報 大正元年8月20日』P.525ドレスデン万国衛生博覧会顛末報告あり。明治44年5月6日~同年10月31日の期間に開催された。9月6日、9月30日、10月6日に日本で賞を受ける。( ...
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