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【牛ヶ首用水について】 牛ヶ首用水についての文献を見たい。特に、牛ヶ首用水に関わった「沢田」という人物について書かれた文献を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:50)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:50)
○牛ヶ首用水について・『富山県の地名』(平凡社)・・・江戸時代初期に開削された神通川左岸の大用水。牛ヶ首の名称は、用水工事最大の難所であった八ヶ山切通し作業の際、牛岳明神の信託により牛の生首を生贄に捧げて人夫の士気を高め、工事を成功させたことによる。○沢田という人物について・『富山県の歴史と文化』p.156-158・・・寛文十年(1633年)にいたって用水路が完成した。藩は沢田安兵衛を用水裁許に任命した。願人3名は湯大将に任命されて常時用水の運営に当ることになった。(『ふるさと富山歴史館』にも同様の記述あり)<その他参考資料>・『神通川誌』重杉俊雄/著(富山漁業協同組合、1955年)(当館所蔵なし)・『牛ヶ首用水史』坂井誠一/著(牛ヶ首用水市町村組合、1952年)(118544785)・牛ヶ首用水文書・・・富山市郷土 ...
【北國銀行の旧浅野川支店の写真について】 尾張町(旧橋場町)に現存する(現在は書店として使用)、北國銀行の旧浅野川支店の創建当初の写真が載った資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:50)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:50)
『北国銀行四十年小史』(11915352)によると、北國銀行浅野川支店の沿革は次のとおり。昭和9年12月26日 加能合同銀行橋場町出張所昭和18年12月18日 北國銀行橋場出張所と改称昭和19年12月1日 浅野川支店と改称昭和27年5月1日 店舗新築昭和38年の住宅明細図(『金沢市詳細図』)によると、尾張町1丁目に北國銀行浅野川支店があるが、平成24年のものでは「東山房」という書店になっている。『石川の近代建築』(11907175)、『金沢絵葉書』(11826123)、『20世紀の照像 石川写真百年・追想の図譜』(改編版)(118388152)等に同店の写真は見当たらず。北國新聞マイクロフィルムの上記年月日に関連記事なし。
【「愛国行進曲」について】 昭和12年、全国から公募して制定された「愛国行進曲」について、以下のことを調べたい。①57,000余りの中から作詞者に選定された鳥取県の森川幸雄という人物について知りたい。②補作や改作をされて出来たものだが、それ以前の原文を見たい。③選考委員の佐々木信綱と北原白秋が、選定を巡って激しく対立したらしいが、対立の焦点は何だったのか知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:49)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:49)
①インターネット「日本列島中央部徒歩横断日記」(ブログ)『醉茗随筆』p.339「森川幸雄に寄す」(国立国会図書館デジタルコレクションによる)②文献に記載なし。『昭和の戦時歌謡物語』(118543643)2行ほど原作をとどめただけで、ほとんど改作されたらしい。③『昭和の戦時歌謡物語』(118543643) p.173-174 記載あり。・佐々木信綱記念館もあるので、そちらもご案内した。
【白鳥堀の埋め立てについて】 金沢城の白鳥堀が埋め立てられたのはいつごろか。おそらく市電開通前の明治末頃だと思うのだが。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:49)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:49)
『石川写真百年・追想の図譜』(1979年)(11901030)p.20「百間堀の埋め立ては、明治30年代の中頃から議論され、日露戦争後の1906年(明治39)年に具体化。1910年(明治43)から道路化工事を始め翌1911年(明治44)6月に完成した」『実録石川県史 1868-1989 激動の明治・大正・昭和全記録』(能登印刷出版部 1991年)(118499993)p.186「明治44年」「百間堀道路の開通式 6・1 42年に着工した百間堀道路がこのほど竣工(中略)新道路は百間堀の全部と白鳥堀の一部3400坪余りを道幅6間・延長317間の道路にし、間に幅30尺・長さ30尺の陸橋をもうけたもの」
・国立国会図書館サーチ一部情報があるが、1974年52号がいつか分からず。・「京都国際マンガミュージアム」の所蔵資料検索一覧あり。1974年52号は12月24日、冬の増刊であることが分かった。【URL】http://mmsearch.kyotomm.jp/infolib/search/metsearch.cgi
【粛姫、中川光重(宗半)について】 前田利家の次女粛(しょう)姫についての伝記(書状・人物像など)と夫の中川光重についての伝記はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:49)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:49)
○粛姫(※姫) ※は、くさかんむりに粛『加賀藩史料 第1編』p.48・49・882『前田利家』(118449374)p.82『真説 前田利家とまつの時代』(118373347)p.158『加能郷土辞彙』(初版)p.443「瑞雲院」(粛姫の法号)、p.784「前田氏 初代前田利家 ○子女」○中川光重『加能郷土辞彙』(初版)p.608-609『加賀の茶道』牧孝治/著p.23-28「加賀藩の武将茶人 中川宗半略伝」『金沢古蹟志 第9編』巻24 p.54-57「中川宗半伝」など※詳細は石川県関係人物文献検索を参照のこと。
・『金沢市内電車50年のあゆみ』(北陸鉄道、1968年)(11909314)簡略化された路線図の記載あり。<参考>・「金沢市街地図」(『昭和モダンの金沢』付録)昭和4年の市内電車の路線図あり。・「日本商工業別明細図 金沢市」(同)昭和28年の市内電車の路線図あり。・『金沢市及附近名所略図と桑田福栄堂案内 金沢市街図』(118561427)大正13年の市内電車の路線図あり。
『烏丸光広 図版編 上』(小学館、1982年)、『時代の美 五島美術館・大東急記念文庫の精華 第3部(桃山・江戸編)』(五島美術館、2013年)・・・当館に所蔵なし。国立国会図書館デジタルコレクション「小倉山荘色紙形和歌」・・・インターネット上で閲覧できる.【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/2532466/1/1
【「論書三十首」日下部鳴鶴/著について】 件名の資料が読みたい。また、書き下し文、もしくは現代語訳が読みたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:48)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:48)
・「論書三十首」国立国会図書館デジタルコレクションにあり。・「鳴鶴先生叢話」p.89~(82-83)国立国会図書館デジタルコレクション 論書三十首についての所感あり。・「真跡鳴鶴遺稿全集 1 別冊」(「真跡論書三十首」「鳴鶴論書三十首」と同じと思われる)所蔵館(岡崎市立中央図書館)に確認したところ、書き下し及び解釈(訳)があるとのこと。なお、折本のため、ページ数不確定。
【卯辰山天満宮について】 慶応3年の番付(「天満宮御祭礼獅子囃俄等」、「御遷宮御祭礼獅子にわかぎをんばやし道しるべ」、金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵)に出てくる、遷宮をした「天満宮」とはどこを指すのか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:48)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:30:48)
慶応3年、卯辰山開拓の一環として竹澤御殿にあった天満宮(もと学校にあったもの)を卯辰山に遷し、「卯辰山天満宮」と称した。のち豊国神社としてともに東御影町に遷した。<参考文献>・『金沢市東御影町卯辰山天満宮の算額聞書』吉住雅住/著(2006年)(119960328)・『卯辰山天満宮覚書』横江義雄/編(1966年)(119562287)
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