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横井博(日大工学部の教授)が30年程前に執筆していた、福島民報の日曜論壇が読みたい。誰かが横井先生に送った手紙というていで書かれていたような気がする。おそらく、1986年から1997年のあいだ。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 12:04:18)
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以下の記事ではないかと思われる。1989年3月19日(2面) 日曜論壇 「ある学生からある教師への手紙」『福島民報百二十年史』(福島民報社120年史編集委員会/編 福島民報社 2014.3)で執筆期間を特定し、福島民報縮刷版の索引を確認した。1987年4月から1989年3月まで執筆しており、全部で12回。その他に横井博が執筆した日曜論壇が掲載されている日付は以下のとおり(すべて2面に掲載)。1987年:5/17、7/19、9/20、11/221988年:1/31、4/3、5/22、7/24、9/18、11/201989年:1/22
信夫山に伝わる三狐について、民俗学的な資料を知りたいです。子ども向けの昔話のようなものではなく、云われや、地名との関わりや、寺社仏閣との関わりや遺構などについて書かれている資料はありますか。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 12:00:20)
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資料1『福島郷土文化風物誌 ふくしま散歩 県北編』 小林金次郎/著 改訂版 西沢書店 1977 *国立国会図書館デジタルコレクション収録(送信サービスで閲覧可能)p.64-70「三狐ものがたり」に石ケ森の加茂左衛門狐、信夫山の権坊狐、一盃森の長次郎狐についての記述があります。p.178-181「石ケ森稲荷」に加茂左衛門狐についての記述があります。資料2『信夫山めぐり ほんとの信夫山の歴史』 梅宮茂/著 信楽社 1990 p.31「24 御山の御坊狐と猫稲荷」には、「祠の後に洞穴があって、伝説「御山の御坊狐」が封ぜられた古巣といわれる。」とあり、p.32に「御山のゴンボー狐」の民話が載っています。p.99-100「89 狐塚と熊野滝行場跡」には、「御山の御坊狐、一杯森の長次郎、石森の加茂左エ門の三狐が集まったと伝える古巣がこ ...
ハワイ在住の日系人の方のご先祖様を探しています。福島県からハワイに移民した方の名前が書かれている資料はありますか。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:56:32)
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お問い合わせいただいた、福島県からハワイに移民した方の名前が書かれている資料をご案内します。・資料1『福島移民史 ハワイ帰還者の巻』 高橋莞治/著 福島ハワイ会 1958pp.17-222 ハワイ帰還者銘々伝pp.223-262 ハワイ在留福島県人銘鑑・資料2『福島県出身海外移住者名簿』 福島県商工経済会/編 福島県 1966 ※貸出不可pp.129-146 在ハワイ県人移住者名簿 「(註)昭和33年現在のハワイ在住者」と記載があります。・資料3『布哇在住福島県人略歴写真帖』 渡部弥吉/著 布哇在住福島県人略歴写真帖刊行会 1955 ※貸出不可資料4は福島県以外の移民についても含まれている資料です。・資料4『日系移民人名辞典 北米編 第2巻』 日本図書センタ- 1993.2 ※貸出不可※曽川政男著『布哇日本人銘鑑』 (布哇日本人 ...
太平洋戦争中の福島県における東京からの学童集団疎開の受け入れについて調べています。受け入れに伴って、東京都又は区との受け入れ人数の協議や資金提供、食糧配給など、疎開に関連する内容が記載された資料はありますか。また受け入れ時や受け入れ中に県と各市区町村がやり取りした内容等に関する記述があれば見たいです。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:53:30)
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資料1『福島史学研究 第51号』 福島県史学会 1989pp.1-28 「福島県における東京都学童集団疎開」野地一二/著 p.27-28「東京都学童集団疎開関係文献一覧 野地一二編」が掲載されています。資料2『福島市史資料叢書 第42輯 新聞資料集成』福島市史編纂委員会/編 福島市教育委員会 1985昭和15年1月から昭和20年8月15日までの福島市域に関する福島民報記事を抜粋編集した資料です。pp.57-59 学童疎開に関する記事 p.58 「学童疎開の受入 本県の大体方針決る」(昭和19年7月11日) 「内務省に於ける関係府県知事会議に出席した石井本県知事」が、知事室で関係部課長会議を開き、政府の方針を至達し、疎開児童受入れ県として本県の対策を協議したこと、その方策の内容が書かれています。→「疎開学童に対する食糧は、本省より配当配給され ...
利根川中流と江戸川をむすぶ鮮魚街道(なまかいどう・なまみち)沿いには、鯖の像があると知人に聞いた。これについて調べたい。(千葉県立西部図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:53:22)
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調査の結果、鯖ではなく「鯖を持った弘法大師の像」が街道筋に奉られて「鯖大師」と呼ばれ、千葉県以外にもあることがわかった。以下の資料を提供した。(1)鯖大師の像について、次の資料を紹介した。【資料1】『世界大百科事典』(平凡社 2007)「大師信仰」「旅姿の大師をばかにしたので悪いことが起こったとする型の伝説も多い。その一つに鯖大師伝説がある。行商人に大師が鯖を1匹請うが,行商人は与えない。そこで,〈大坂や八坂坂中鯖一つ大師にくれで馬の腹病む〉の呪文をとなえて,立ち去る。すると馬が腹痛を起こしたので,以後鯖を片手に持つ大師像をまつったとする伝説である。」「サバ」「古い街道筋の要所である坂や峠に僧がサバを手にもつ像を祭って〈鯖大師〉と呼び,弘法大師が旅僧の姿でサバ1匹を請 ...
以下の資料に、氏名まで記載のある、二本松城下の絵図が見つかりましたのでご紹介します。資料1(インターネット資料)『〔日本古城絵図〕 東山道之部(6)』191 奥州二本松城図,写,〔江戸中期-末期〕.※国立国会図書館デジタルコレクション インターネット公開資料、当館所蔵なし(https://dl.ndl.go.jp/pid/1286455)資料2『二本松城址 調査報告書 1(平成2・3年度)』 二本松市教育委員会/編 二本松市教育委員会 1992.3付図に二本松城の絵図が収録されています。いずれも白黒の図版です。付図3「奥州二本松城図」(郡山市・木目沢家所蔵絵図より模写) 数名ですが屋敷に氏名の記載もあり。付図4「二本松城図」(二本松市・和田家所蔵) 「寛政三辛亥年四月寫 文化七庚午年正月寫」とあり。邸宅と思われる個人名まで記載があります ...
福島市にある稚児塚・稚児桜について、鎌倉建長寺及び江の島弁天との伝承があるようですが、福島市史や江戸時代の地誌などに稚児塚・稚児桜についての記述はありますか。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:45:54)
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資料1『福島市史 第1巻 原始・古代・中世(通史編1)』福島市史編纂委員会/編 福島市教育委員会 1970p.382 白菊丸の稚児塚についての記載があります。伝承については以下の通りです。「鎌倉円覚寺の自休蔵司が廻国の途、泰慶寺の稚児白菊丸とめぐりあい、その悩みを救った。のち、白菊丸が鎌倉に自休を尋ねたが会えず、江島の稚児淵に身を投じて死んだ」p.650-651 白菊丸の『児塚』(ちごづか)について説明があり、「大蔵寺庭園の稚児桜についても同じ伝承がある」と記載されています。資料2『すぎのめ 第3号』 福島市杉妻地区史跡保存会/〔編〕 福島市杉妻地区史跡保存会 1980pp.27-28「稚児塚のこと」稚児塚の伝承については資料1とほぼ同様ですが、自休蔵司については「鎌倉の建長寺に仕える僧」とあります ...
関連資料を紹介いたします。資料1『近代日本の教育学 谷本富と小西重直の教育思想』稲葉宏雄/著 世界思想社 2004.2→p.202-208 「1 人間小西重直」 教育者としての小西重直について記述あり。 →p.203 「小西重直がそなえていた滋父のような人格的魅力については、彼の直接の弟子を含めて実に多くの人々が語っている」との記述あり、資料2の紹介あり。 「師としての小西に直接教えを受けた」人物として「片岡仁志・京都大学名誉教授」「鰺坂二夫・京都大学名誉教授」等の名前あり。 →p.206 資料3の引用あり。 →p.206 資料4の引用で、「篠原助市の小西についての思い出」がとりあげられています。資料2『小西重直の生涯と思想』 加藤仁平/著 黎明書房 1967.11 ※貸出不可 https://dl.ndl.go.jp/pid/2989573(国立国会図書館デジタルコレク ...
以下の資料に記載があった。・『いわき市史 第6巻』いわき市史編さん委員会/編 いわき市 1977.3 p.510に「勿来焼」の項目あり。(口絵図版四には写真も掲載)・『いわき地方史研究 第28号』いわき地方史研究会/[編]いわき地方史研究会 1991.7 pp.52~61「松岡焼と名古曽焼」(瓦吹堅)・『いわきの工芸展』 いわき市文化センター/[ほか編] [いわき市文化センター] [1983.2] 図録の最後に名古曽焼の写真と説明あり(ページ付なし)・『窪田藩の研究』甲高 武雄/著 白銀書房 1976.9 pp.94~112 第四章 窪田藩三代治績 第二節 藩成立と陶芸移入 pp.108~109「なこそ焼の語源と勿来釉工法資料」 pp.110~112「勿来釉と工法資料」 などあり・『福島のやきものと窯』松宮輝明/著 歴史春秋出版 1985.6 pp.120~124「いわきの諸窯」 pp.123~124「赤井焼 ...
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