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昭和50年代に、日本人のいちばん好きな流行歌は「青い山脈」だったというアンケート調査があった。この調査の出典が何か知りたい。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:56:47)
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(1) 『 流行歌物語 -精選盤 昭和の流行歌-』 (日本音楽教育センター [出版年不明)p.14-21「昭和とともに歩みつづけてきた、僕の音楽人生。/服部良一」のp.15「日本人に最も愛された曲「青い山脈」」の項に 、「昭和五十五年にTBSが行った『歌謡曲と日本人』というアンケート調査で、明治、大正、昭和の三代にわたる一〇〇〇曲の中から、日本人が最も好きな歌のトップに選ばれたこともある。このときの支持率は51%。日本人二人に一人が、この曲を好きだ、といってくれている。」とあります。(2) 『私の履歴書 文化人 14』 (日本経済新聞社/編 日本経済新聞社 1984.4)p.411-482「服部良一(作曲家)」のp.470「青い山脈」に関する記述の中で「東京放送の『調査情報』誌が「歌謡曲と日本人」のテーマで明治、大正、昭和の三代にわたる千曲の歌 ...
ブギの女王・笠置シヅ子が大阪市大正区の小学校の出身で、実家の銭湯または小学校を会場としてコンサートを開いたというのは本当か?(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:55:48)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:55:48)
(1)『ブギの女王・笠置シヅ子 : 心ズキズキワクワクああしんど』(砂古口早苗/著 現代書館 2010.10)「第一章 「ようしゃべるおなごやな」-讃岐生れで大阪育ち-」のp.22-27「少女歌劇に入る」の項、p.23に「一家は一九ニニ年に下福島から中津に引っ越し、静子は曽根崎尋常小学校へ転校。翌ニ三年には十三に引越し、神津尋常小学校に転校。ニ四年に川口へ引越し、本田尋常小学校へ転校。ニ五年、大正区南恩加島へ引っ越し、南恩加島尋常小学校へ転校」とあります。巻末p.256-266「笠置シヅ子年譜」のp.256に「一九ニ七(昭和二) [年齢]十三 三月、大阪市大正区南恩加島尋常小学校卒業」とあります。また、銭湯での記述もあり、上述p.23に「幼少期から風呂屋の脱衣場を舞台に踊りや歌を披露したのが近所の評判となり、小屋掛けの浪曲劇団 ...
1939年、服部良一/作曲・奥野椰子夫/作詞の「夜のプラットホーム」と言うタイトルの曲が、検閲を受け発売中止となった。戦後、出し直してヒット曲となったが、この曲の検閲理由が知りたい。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:55:10)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:55:10)
下記の資料に関連する記述がありました。(1) 『ぼくの音楽人生 -エピソードでつづる和製ジャズ・ソング史-』 (服部 良一/著 日本文芸社 1993.3) p.179-192「東宝系映画音楽」の章のp.181に「夜のプラットホーム」の発売禁止処分について記述があり、「発禁理由は、軟弱で、厭戦思想があるというものであった。もっとも、作詞家の奥野君は、新橋駅で出征兵士を見送る勇ましい歓呼の中で、プラットホームの柱の陰で泣いている新妻らしい女性の姿に心打たれて詩を作ったという。検閲官にもそれが感じられるのか、「出征兵士を見送る風景が連想され、めめしい」と、発売を許さなかったのである。」とあります。(2) 『上海ブギウギ1945 -服部良一の冒険-』 (上田 賢一/著 音楽之友社 2003.7) 「3 特殊工作員、服部良一」のp.95「一九三九年、今 ...
『ドラえもん』のエピソードで、「未来の世界ではコンピュータで計算をするのが当たり前で、コンピュータが壊れて困っている際に、のび太が筆算で計算して驚かれる」という内容を探している。何巻に載っているか知りたい。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:54:36)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:54:36)
『ドラえもん』ではなく、藤子・F・不二雄/作『みきおとミキオ』の「みきおのかつやく」にお探しのエピソードが掲載されていることを確認しました。以下の資料に当該エピソードが掲載されています。『藤子・F・不二雄大全集 [19] みきおとミキオ』(小学館 2011.3)p.58-69 「みきおのかつやく」筆算のシーンはp.60-61に掲載されています。回答プロセス:1.当館が所蔵するドラえもんのガイドブック等を確認するが、情報なし。2.Googleで“ドラえもん のび太 筆算”等のキーワードで検索するが、ドラえもんの学習シリーズ等がヒットして有用情報は得られず。3.『ドラえもん』や藤子・F・不二雄作品に詳しい職員等に確認。『みきおとミキオ』のエピソードでは、との情報を得たので、当館所蔵の収録資料を確認。参考資料:当館書誌ID 藤子・F ...
「さいの木神社」は大阪市淀川区西中島七丁目にある神社です。淀川区のホームページ( https://www.city.osaka.lg.jp/yodogawa/page/0000000563.html#a01_04 )の区内のスポット「さいの木神社」の項では、「延宝6年(1678年)4月、奉行所の役人たちが召し捕りにくる直前に、当地で自害した、中島水道開削工事の責任者、澤田久左衛門・一柳太郎兵衛・西尾六右衛門の三庄屋の冥福を祈って建てられた社です。」とあります。「さいの木神社」について記述のあった資料を以下のとおりご紹介します。(1) 国立国会図書館デジタルコレクション『東淀川区史』(川端直正 著 東淀川区創設三十周年記念事業委員会 1956)(図書館・個人送信限定) https://dl.ndl.go.jp/pid/3009352/1/56 (2023.1.30確認)p.61(コマ番号56)の「さいの木」の項では、「この工事によって永く当区農民は甚 ...
全国水平社の歴代委員長は、南梅吉と松本治一郎の2名です。関連記述がある資料を以下に紹介します。(1) 『全国水平社 -写真記録-』 (部落解放同盟中央本部/編 解放出版社 2002.3)「全国水平社1922-1940 1922(大正11)」の項、p.22-23「創立大会」に「中央執行委員長に南梅吉が選出された」とあり、写真も掲載されています。同章「1925(大正14)」の項、p.76「第4回大会」に「いわゆる「スパイ事件」の責任を問われて中央執行委員長の南梅吉が辞任、(中略)この大会で松本治一郎が中央委員会議長となった。」とあります。(2) 『日本大百科全書 :2版 13 すけ-せん』 (小学館 1994)p.733-734「「全国水平社」の項のp.734に「創立大会で南梅吉 (うめきち) が中央執行委員長に選ばれたが、(一九)二五年の第四回大会以後は松本治一郎 (じいちろう) に ...
以下の論文で、電車の揺れと眠くなる原因について論考されています。(1) 北堂真子, 荒木和典 高橋達也, 井邊浩行, 梁瀬度子「低加速度全身振動が入眠に及ぼす影響 電車の固有振動と1/fゆらぎ特性を応用した振動による入眠促進効果」 『人間工学』 1999年35巻 4号 p.229-239 https://doi.org/10.5100/jje.35.229 (2023.11.1確認)抄録に「電車の特徴的な振動を基に合成した振動に1/fゆらぎの特性を併せ持つ低加速度レベルの全身振動を人体に与え, 入眠に及ぼす影響について主に生理的反応から検討を行った」とあります。(2) 遠藤真美, 木村 仁, 小関道彦, 伊能教夫 「104 誘眠効果をもたらす機械的環境の研究(GS-5:一般セッション:歩行・姿勢,オーガナイズドセッション5:組織・器官のメカノバイオロジー)」『バイオエンジニアリング講演会講演論文集』2006.19巻 (2 ...
高松伸の大阪市内の作品(項番1~5)に関する記述が、以下の資料に見つかりました。1.ナンバヒップス(中央区)(1)『近代建築 2007年4月・61巻4号』 (近代建築社 2007.04)「特集:高松伸 作品系譜」のうち、p.101、112に「NAMBA HIPS」の掲載あり。(2)『商店建築 2008年3月・53巻3号663号』 (商店建築社 2008.03)「NEW SHOP & ENVIRONMENT」 p.71-81「ナンバヒップス」(3)『朝日新聞』2016年6月22日 夕刊be水曜 4面「(まだまだ勝手に関西遺産)「namBa HIPS」の壁 オチないで、き~つけや【大阪】」(4)『日本経済新聞』2009年7月9日 朝刊 25面「ヤンキー建築って何?、わくわくさせる大衆文化(NIKKEIARTREVIEW)」2.キリンプラザ(中央区)(5)『建築雑誌 1993年1月号・1337号』 (日本建築学会/[編] 日本建築学会 1993.01)p.36-39「【学会賞受賞作品解析座談会】KIRIN PLAZA OSAKA 1989年受賞 受賞者:高松 ...
1872年に点灯した天保山灯台について、建設・廃止の経緯や改築など、明治期における変遷について知りたい。(大阪市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:49:12)
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:49:12)
お問い合わせの件について、関連する記述のあった資料をご紹介します。●1872年点灯の天保山灯台の建築・点灯年について(1) 『日本灯台史 -100年の歩み-』(海上保安庁灯台部/編 灯光会 中央公論事業出版(製作) 1969)「第一部総説 第三節事業の創設 1灯台建設の開始」のp.21にブラントンが任期中(明治2年8月~9年3月)に完成した灯台の一覧があり、「[灯台名]天保山 [等級]四等 [着工]3.12 [完工]4.5 [建築]木造」とあります。p.22には写真「第3-14図 天保山灯台」があります。また、巻末の「附録・資料・年表 資料」のp.603の表「2 明治初年(10年ごろまで)に建設された重要灯台」に、「[灯台名]天保山 [初点年月]明治5年8月 [等級]四等 [構造着色]木造四角形 白色 [灯質]不動白色 [高さ 基礎上]3丈 [海面上]5丈3尺 [燭光数]500 [光達距離[海里]]12」とあります。 ...
JOBK大阪放送局の黎明期、ラヂオ体操について調べています。NHK大阪局のホームページでは「1928年(昭和3年)8月 全国にさきがけて「ラヂオ体操」の放送開始」とあります。しかし、他のホームページを検索してもそれが見当たりません。例えば、郵政博物館のホームページでは前略 「9月18日に名称を「国民保健体操」と決め、昭和3年11月1日放送を開始しました。」とあります。他のホームページでも概ね、11月1日放送開始となっています。NHK大阪放送局だけが何故「8月」なのか?その根拠が知りたいです。(大阪市立中央
from レファレンス協同データベース (2025/3/7 11:47:57)
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以下の資料に関連する記述が見つかりました。(1) 『ラジオ体操の誕生(青弓社ライブラリー 4)』 (黒田 勇/著 青弓社 1999.11) 「第1章ラジオ体操の創始と保健衛生 1 ラジオ体操の創案」のp.11-12「ラジオ体操以前の「ラジオ体操」」の項のp.11に「ラジオ体操は、一九二八年(昭和三年)十一月一日午前七時に放送が開始されている。(中略)この十一月一日に東京中央放送局(AK)で開始されたものをもってラジオ体操の開始とするのが一般的である。しかし、細かい点にこだわるならば、この年、大阪中央放送局(BK)が八月一日から日曜日を除いてラジオ体操の放送を一カ月続けている。その名称から考えても、こちらを日本のラジオ体操の起源であるといったほうがいいのではないだろうか。」とあります。その内容についても詳細に記述さ ...
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