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当館所蔵資料を調査したところ、以下の資料に新潟港築工の歴史に関する記述が見つかりました。 うち(1)~(7)の資料に、お雇い外国人技師ブラントン、リンドウらが行った測量調査に関する記述が見つかりました。(1)『信濃川大河津分水誌』第1集(建設省北陸地方建設局長岡工事事務所/編 建設省北陸地方建設局長岡工事事務所 1968) 「第3章 第2節 明治時代の経緯」に、明治期の大河津分水紀行までの経緯を編年体で記述しています。 p93~97「3 明治4年~明治5年(1871年~1872年)」に、ブラントンが新潟港の修築上の重点を信濃川の流末に置くとともに、在来の水路から導いて海に放流する必要があるので、分水工事は廃止すべきとの結論に至った旨の記述があります。 p97~98「4 ...
当館所蔵資料を調査したところ、(1)~(6)の資料に新潟会議(別称:鳥清会議)・酒屋会議に関する記述が見つかりました。(1)『新潟市史』通史編2 近世(下)(新潟市史編さん近世史部会/編 新潟市 1997) 「第6章 第3節 諸藩の軍備強化と会津藩の動き」内p430~431「新潟会議」に、慶応3年9月16日に開かれた新潟会議における会津藩及び越後諸藩の動向や、会議で交わされた各藩の意見を集約した条約書等に関する記述があります。(2)『新潟市史』通史編3 近代(上)(新潟市史編さん近代史部会/編 新潟市 1996) 「第1章 第1節 戊辰戦争と新潟の人々」内p10~12「会津藩の進駐」に、新潟会議を承け、翌4年2月2日、会津藩が越後諸藩の代表を会津藩陣屋のある酒屋村へ招集した ...
当館所蔵資料を調査したところ、(1)~(7)の資料に、戦国期における浄土真宗門徒の越後への移住例に関する記述が見つかりました。(1)『新潟県史』通史編2 中世(新潟県/編 新潟県 1987) 「第3章 第3節 教団と信仰」内p473~491「7 真宗教団の展開」に、長尾為景の一向宗禁制や、上杉謙信と真宗、織田信長期の一向宗等に関する記述があります。 p488に、「特に蒲原平野の信濃川沿岸地域は、北信濃時代からの本誓寺・浄興寺などと深い関係があった。寺院・門徒農民が移転し、村落開発に当たったという伝承がある。蒲原平野や新潟をはじめとする日本海沿岸にはさらに北陸諸国からも多くの寺院・門徒が移転し、形成されつつあった本願寺教団と合流して、中世末期の越後真宗教団を旺盛に形づく ...
元会津藩士の大場恭平と坂口五峰の交友について、1.坂口五峰の作った漢詩結社名2.大場恭平の漢詩作品3.坂口五峰略伝(新潟県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/1 10:49:19)
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当館所蔵資料を調査しましたが、「大場恭平」に関する記述は見つかりませんでした。 なお、以下の資料に会津藩士「大庭恭平」(名:機、号:松斎)に関する記述が見つかりました。1.坂口五峰の作った漢詩結社名 当館所蔵資料(1)に、漢詩結社名「風月唫社」と記載があります。 また当館所蔵資料ではありませんが、(2)の論文に恭平と五峰の交友や「風月唫社」に関する記述があります。こちらの論文はインターネット上で全文閲覧が可能です。(1)『北越詩話』下(阪口五峰/著 国書刊行会 1990) 阪口五峰による越後詩人の評伝です。 「巻十 古山文静」内p766に「…往年会津の人大庭松斎、新潟に寓し、風月唫社を創し、数ば同人を松風亭に会す。…」と、p769~770に「…大庭松斎。名は機、恭平と ...
1.関越道・関越トンネル建設決定までの経緯2.関越道・関越トンネル建設中の苦労話など3.関越道・関越トンネル開通による効(新潟県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/3/1 10:49:19)
from レファレンス協同データベース (2025/3/1 10:49:19)
1.関越道・関越トンネル建設決定までの経緯2.関越道・関越トンネル建設中の苦労話など 当館所蔵資料を調査したところ、以下の資料に関連の記述がありました。(1)『上越国境を越える道』(阿部公一/著 ネクスコ・エンジニアリング東北 2016年) p56~73 第8章 関越自動車・関越トンネル(2)『長岡工事事務所建設誌(北陸自動車道・関越自動車道)中之島見附~西山・越後川口~長岡』(日本道路公団新潟建設局/編 日本道路公団小出工事事務所 1983年)3.関越道・関越トンネル開通による効果 当館所蔵資料を調査したところ、以下の資料に関連の記述がありました。(3)『高速交通体系の整備等の影響とそれに伴う新潟県の新社会・経済システムの整備の方向に関する調査報告書』(新社会・経済シ ...
以下の資料に記述が見つかりました。【斉藤家家譜】(1)『ふるさと関屋』上(ふるさと関屋楽研究会/編 新潟市関屋地区公民館 2004) p39~50「4章 関屋村と齋藤家と神社・仏閣」に、斉藤家の歴史に関する記述があります。 特にp42~43「3 12代斎藤金兵衛(金衛)」、p44「4 斎藤巳三郎」、p44~45「5 斎藤唯信(ゆいしん)」の事績に関する記述があります。 またp45に「関屋村移住後の斉藤家の略系譜」を記載しています。ただし、金衛の娘「登女」の記載はありませんでした。(2)『越佐人物誌名家系譜』(牧田利平/編 野島出版 1986)※前掲 p94~96「41 斎藤家」に、関屋の斉藤家の家譜を記載しています。【斉藤金衛】(3)『越佐人物誌』上巻(牧田利平/編 野島出版 ...
当館所蔵資料を確認したところ、下記(1)~(11)の資料が見つかりました。(1)『上越線水上石打間工事誌』第1巻~第5巻(鉄道省東京建設事務所/共編,長岡建設事務所/共編,東京電気事務所/共編 鉄道省 1933~1935) 第2巻と第3巻が「清水隧道工事」の項目です。 第1巻には「測量及選定」、第5巻には「軌道及保安工事」、「電化工事」、「通信設備工事」の項があり、清水トンネルに関する記述も散見されます。(2)『魚沼の先覚者』(磯部定治/著 恒文社 1994) p9~75「上越線の父・岡村貢」の項に、岡村貢の生い立ちから上越線開通までの記述があります。清水トンネルに関する記述も散見されます。(3)『鉄路は山脈(やまなみ)の彼方に』(上越鉄道敷設に挑んだ男たちの物語 し ...
当館所蔵資料を確認したところ、下記(1)~(3)の資料が見つかりました。(1)「近代における長野県と上越との合併に関する一考察」(新井雄太/著 『上越社会研究』23号 上越教育大学社会科教育学会 2008年10月 p56~66) 明治時代と大正時代に起こった合併の動きについて、新聞記事等の資料を紹介しつつ、まとめています。新潟県や上越側の動きについても記述があります。(2)「長野県と上越の合併論」(新井雄太/著 『地方史研究』66巻4号 地方史研究協議会 2016年8月 p7~11) 上記(1)の資料を要約した内容です。(3)「1890年前後における長野県下の政治的動向(2)―分県移庁論をめぐる政治抗争1―」(上条宏之/著 『信濃』21巻6号 信濃史学会 1969年6月 p1 ...
当館所蔵資料を調査したところ、次の資料に該当する記述が見つかりました。『辻又』(つじまた記念誌事業実行委員会/編・発行 1986) 巻末「資料「辻又の歴史」内p171に、「1185(元歴2年) 平家亡び残党離散し水落家先祖辻又ヤゴに住みつく。…」と記述があります。なお、標題下部に「明治年間迄は水落平八郎氏(76才)資料による」と注記があります。
以下の資料に関連する記述が見つかりました。【斉藤家家譜】(1)『千町歩地主斎藤家の構成』新潟県大地主所蔵資料 第4集(農政調査会/編 農政調査会 1962) 巻頭[頁数なし]「斎藤家略系譜」に、9代目信寿(弥惣兵衛)、10代目美誠(徳太郎)、11代目有寿(彦太郎)を含む家系図が掲載されています。9代目信寿の四男徹について「幼名丈治 明治三十六分家」と記載があります。 また「斎藤家の概観」内p1~10「家系」に、斉藤家の人物の事績に関する記述があります。特にp6~7に9代目信寿とその係累、p7~8に10代目美誠とその係累、p9~10に11代目有寿とその係累の事績を記載しています。(2)『越佐人物誌名家系譜』(牧田利平/編 野島出版 1986) p94~96「41 斎藤家」 ...
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