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【黒部奥山廻りについて】 黒部奥山廻りについて書かれている資料を見たい。教材として使うので、なるだけわかりやすいもののほうがよい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:39)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:39)
「黒部奥山」、「山廻」等、関連する単語で検索をかけると、以下の文献を探し出すことができる。『黒部奥山と奥山廻り役』(129812481)『黒部奥山と加賀藩』(119534961)『黒部奥山史談』(111403201)『黒部奥山と扇状地の歴史』(118434326)『奥山巡見』(119978707)『絵図に見る加賀藩と黒部奥山』(119813547)『加賀藩山廻役の研究』(118417245)『石川郷土史学会々誌 第34号』(119781514)『追録 宇奈月町史 歴史編』(119348732)『奥山巡見』、『絵図に見る加賀藩と黒部奥山』は立山博物館の展示図録であり、視覚的に読みやすいものと思われる。『宇奈月町史』も比較的記述がまとまっている。
【「金澤下本多町」に描かれている場所について】 川瀬巴水「金澤下本多町」に描かれている場所と方角を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:39)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:39)
「金澤下本多町」は、以下の資料に収録されている。『川瀬巴水木版画集』(113016038)『川瀬巴水決定版 日本の面影を旅する』(113596125)『川瀬巴水作品集』(113291472)版画の描かれた年代は大正10年9月と記載されている。下本多町(しもほんだまち)という地名と街路の形状や両側の塀の描かれ方から、現在の金沢歌劇座横から市役所方面に抜けていく道ではないかと推定。(現在の同地にも、城南荘など土塀をある家屋が建ち並んでいる)。同時期の地図が収録されているものとして『金沢市遊覧案内』所収の「金沢新市街地図」(118570687)がある(地図の年代は大正12年)。当時の地図を確認したところ、現在の道路と比べて、カーブ部分がY字状になっている、道幅が狭い、一部クランク状になっている等の違いは見受けられるものの、当時から現在に ...
【世良太一の経歴について】 明治時代に統計の導入・普及に貢献した人物である世良太一(せらたいち)が、金沢藩に勤めていた頃(明治3年前後)の経歴や携わった業務などがわかる資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:39)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:39)
【質問者による事前調査資料】金沢市立玉川図書館ホームページ「市史年表 金沢の百年(明治編)」(金沢市図書館>郷土資料>市史年表(明治編)のページ)【URL】https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/shishinenpyou.htm・明治3(1870)年12月7日〔社会・文化〕 英国代理公使アダムスが金沢、大聖寺、富山藩預けの浦上キリシタンが残酷な扱いを受けている と右大臣三条実美に待遇改善の申入れをした。政府は関一郎を派遣し実情調査をさせた。関は金沢藩参事世良太一を伴って帰京した。・明治30(1897)年2月25日〔社会・文化〕 前田家編輯課主任野口之布がやめ世良太一が後任となった。【当館での調査事項】下記の資料に明治3年当時の世良太一の役職が記載されていたが、「参事」という表記ではなかった。『石川県史料 第5巻』(119563050)旧金沢藩官員 ...
【湯涌温泉の開湯年代について】 湯涌温泉が開湯1300年と言われているが、何か文献にはっきりとした記述がされているのか知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:39)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:39)
湯涌温泉の起源については、「養老年間」、「養老2年」と言い伝えられているが、明確な記述があるわけではなく、言い伝わってきたものが各文献に記されている。養老年間を起源とする点で諸伝承は一致しており、パンフレット等の公式見解となっている。養老2(718)年の成立とすると、開湯1300年ということになる。起源については、鷺が止まっていた場所を見たら湯が出ているのが発見されたというものと、泰澄大師が開いたというものがある。ただし、いずれも言い伝えの域を出ない。以下に参考文献を列挙する。・『ふる里 資料』(109068780)前者の見解を紹介している。同書は『湯涌谷村史』(当館に所蔵無し)の記述を中心に編まれている。・『加賀志徴 下編』(11824805)「郷村名義抄」の、往古より出湯があったため村名とな ...
【卯辰山の臥竜洞と碑の所在について】 卯辰山(うたつやま)の臥竜洞(がりゅうどう)前にあるという阿閉政太郎(あとじせいたろう)の顕彰碑の詳しい所在を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:38)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:38)
【質問者による事前調査事項】①『書府太郎 上巻』(118458293)p.16-17「阿閉政太郎」の項目があり、「卯辰山の臥竜洞前に顕彰碑がある。」と記載がある。②『せゝらぎ 第2集』橋本政男/著 好文社 1958 p.225当館に所蔵のない資料のため、手がかりを求めて石川県立図書館に照会した。→「あとがき」には碑の由来は載っていません。しかしその前の部分(p.224)「新田素堂翁と編集子」に次の記述があります。「一例をあげると、卯辰山臥竜洞前に、板屋兵四郎、阿閉(あとじ)政太郎翁の碑のほか臥竜洞碑、殉労塚、万人筆塚はみな大乗会釈尊講の事業として建てられたものである。碑文と筆者は素堂翁である。」③『渡米日記酪農四十年』阿閉温三/著 1958 p.105当館に所蔵のない資料のため、手がかりを求めて石川県立図書館に照会した。→ ...
【大野ゆかりの人物について】 大野にゆかりのある若狭屋藤右衛門という人物について知りたい。おそらく大野醤油に関係する人物だと思われる。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:38)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:38)
質問者によると直源醤油の創業者・直江屋伊兵衛と関わりのある人物ではないかとのこと。「大野 醤油」というキーワードで資料検索を行い、下記の資料を調査した。『大野醤油の歴史』(109140613)p.18-19安政3年(1856年)の大野肝煎と組合頭による加賀藩への答申原文の組合頭連署の中に「同 藤右衛門」と記述があるが、若狭屋かどうかはわからない。『金沢の老舗』(118413003)p.199-201 大野醤油の直源p.202-204 宝暦創業の直久商店(醤油業の老舗)「若狭屋藤右衛門」に関する記述は見当たらない。大野醤油と関わりの深い大野日吉神社にも尋ねたいと質問者が希望したため、大野日吉神社の公式ホームページから問い合わせ先をお伝えした。大野日吉神社公式ホームページ【URL】http://www.ohnohiyoshi.com/(2018.6.9参照)大野のまち紹介>醤油業者一覧とラ ...
【文学論争について】 昭和21年~22年ごろ、平野謙と荒正人が、中野重治に仕掛けた「批評の人間性」の文学論争が載っているものはないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:38)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:38)
当館所蔵検索システムで、「批評の人間性」をキーワードに検索し、ヒットした資料の中から貸出可能な以下の資料を紹介した。『戦後文学論争 上巻』(129525616)p175-182「批評の人間性(1) 平野謙・荒正人について」なかの・しげはる/著p120-129「批評の人間性(2) 文学反動の問題など」なかの・しげはる/著p206-213「批評の人間性(3)」中野重治/著なお、上記資料には各文学論争ごとに解題があり、質問者の言う文学論争についてはp248「いわゆる「政治と文学論争」の発端は中野重治の「批評の人間性(1)」によって開かれたわけだが」とある。また、巻末には論争関係資料として、論文の出典が掲載されている。『全集・現代文学の発見 第4巻』(129588198)p392-400「批評の人間性 1 平野謙・荒正人について1」p400-409「批評の人間性 2 文学反動の問題な ...
【加賀藩大名行列の絵図について】 忠田敏夫氏の著書の表紙に出ている大名行列の絵図が出ているものを見たいが、図書館で展示をしていたことなどはないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:38)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:38)
質問者が確認した資料は、下記のいずれかと思われる。・『参勤交代道中記』(118310786)・『加賀百万石と中山道の旅』(118484767)両資料とも、表紙に写っているものは石川県立歴史博物館所蔵の「加賀藩大名行列図屏風」で、大正から昭和初期にかけて、風俗画家巌如春を中心とするグループにより作成されたものである。同資料の画像は石川県立歴史博物館のホームページで見ることができる。 【URL】http://ishikawa-rekihaku.jp/collection/detail.php?cd=GI00446同資料は、多くの図録等に掲載されている。以下はその一例である。・『参勤交代』(119379381)・『金沢市史 資料編16 美術・工芸』(119725865)・『行列にみる近世 武士と異国と祭礼と』(109165935)・『中山道板橋宿と加賀藩下屋敷』(109112000)・『描かれた行列 武士・異国・祭礼』(113390891)・『江戸と金沢』( ...
【関孝和の墓について】 卯辰山で関孝和の墓(150回忌の碑?)を見た。金沢市内には他にも墓(碑)があると聞いたので、そのことについて知りたい。また、関孝和と金沢(加賀藩)との関係も知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:38)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:38)
「関孝和」というキーワードで所蔵検索を行い、郷土資料に分類されているものを中心に提供した。『関孝和』(112689981)p.189「四 金沢の記念碑」「石川県金沢市には関孝和の墓と称する記念碑が二基存在する。この二基はいずれも関孝和の百五十回忌を記念した墓碑である。すなわち、安政四年(一八五七)に建立された。」「二つのうちの一つは金沢市の中心に近い寺町四丁目にある立像寺にある。」「この記念碑は、卯辰山の観音院にある。この寺は昔は医王寺といった。」と書かれている。それぞれの碑文も確認できる。p.173-207「第6章 関孝和の墓碑と記念碑 付免許状」では日本各地の墓碑や記念碑について述べている。『石川県産業功労碑集』(11913013)p.132「関先生之墓」「金沢市寺町立像寺内 同卯辰山医王寺内」とある。碑文も確認で ...
【論語の書き下し文について】 「論語 子罕」の「歳寒然後知松柏之後凋也」の訓読文(白文の語順のままレ点などを付け、日本語として読めるようにしたもの)が見たい。書き下し文は「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る。」とわかっている。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:37)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:37)
『論語と孔子の事典』(111780468)事項索引で「子罕」、章句索引で「歳寒くして」を手がかりに探したがは見つけられなかった。しかし、目次を見るとp.365から「『論語』全篇(原文)」が掲載されており、全文が訓読文の状態で確認できる。「子罕」は編名であり、p.386から「子罕第九」編が掲載されている。p.389にその28章目として、白文に返り点と送り仮名がついた訓読文で「〔九28〕子曰、「歳寒、然後知松柏之後凋也。」」がある。『中国古典名言事典』(11825023)「歳寒くして」をキーワードとして語句索引から探した。p.50「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る。」の項目に、白文に返り点のみの訓読文が掲載されている。『漢詩漢文名言辞典』(11824636)「歳寒くして」をキーワードとして索引から探した。p.718「寒くして、 ...
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