リンク集 RSS/ATOM 記事
ホーム >>
リンク集 >>
RSS/ATOM 記事 (17705)
ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。
ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。
『新聞集成明治編年史』9巻p254に以下の記事掲載。明治28年5月21日 東京日日新聞 記事名「当節流行 凱旋門」 写真でなく、図(絵)があります。参考までにお知らせします。日本の凱旋門 https://tanken.com/gaisenmon/styled-4/ (令和5年1月22日確認)に東京日日新聞(1895年5月21日) 明治28年5月21日 より「凱旋門」についての記事が引用されています。写真は以下とよく似たものが公開されていました。東京江戸博物館デジタルアーカイブスhttps://www.edohakuarchives.jp/detail-654.html (令和5年1月22日確認) 「日清戦争写真帖」(和装本 明治30年刊 2巻本)をデジタル化したものです。参考資料:1 新聞集成明治編年史 第9巻 新聞集成明治編年史編纂会?編纂 財政経済学会 1936 210.08/10/9,
江戸期の金沢の銭湯(湯風呂屋 湯風呂商売 湯風呂)の事情について調べています。※料金 ※加賀藩の銭湯商売に関しての規制事項など ※町人などの銭湯利用模様など考察、レポート、論評資料などありましたら教えてください。(石川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:37)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:37)
考察、レポート、論評資料などまとまった資料は見つかりませんでした。部分的な記述ですが以下の資料が見つかりましたのでおしらせします。東京大学史料編纂所近世編年データベースより『加賀藩史料 5編 』 335頁 元禄八年十月十六日(16950100160)【綱文内容】 金沢藩、金沢の風呂屋営業を株立とす【出典名】国事雑抄https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/100/1041.43/6/5/0335?m=all&s=0335 (令和4年12月8日確認)『加賀藩史料 5編 』380頁【和暦年月日】 元禄十年二月四日(16970020040)【綱文内容】 風呂屋の開業を許可せられたる者等、請書を上つる【出典名】温故集録https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/100/1041.43/6/5/0380?m=all&s=0380(令和4年12月8日確認)『金沢叢語』 和田文次郎 著 加越能史談会 大正14国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.n ...
2010年に発表されたある論考(*)に貴館HPに「宮津、敦賀、三国、七尾港図」が公開されている(画像として閲覧出来る趣旨か)との記載(**)があります。しかし、小生が貴館のHPにアクセスしても見当たりません。画像としてのインターネット閲覧方法及び貴館での書誌事項(史料名、請求番号、URL等)についてご教示いただければ有り難いです。また、この「宮津、敦賀、三国、七尾港図」が「図説 七尾の歴史と文化」(平成11年刊)p.116掲載の「七尾港測量図」と同じものか否かも確認したいと思います。もし異なる場
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:37)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:37)
(1)書誌は「七尾港,宮津港,敦賀港,三国港図」で、以下のサイトでデジタル画像を公開しています。 https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/shosho/detail/orgn/B002448612(2)『図説 七尾の歴史と文化』(平成11年刊)p.116掲載の「七尾港測量図」と同じものです。=追加質問への回答=(1)『七尾港,宮津港,敦賀港,三国港図』の裏面には、デジタル画像がなくて申し訳ないのですが、①「東宮殿下御成婚記念県人文庫」、②「石川県立図書館 昭和3.3.31」(受入印)の2点の押印があります。①「東宮殿下御成婚記念県人文庫」とは、石川県立図書館書庫内に設置された以下のような文庫です。 ・名称:東宮殿下御成婚記念県人文庫 ・目的:「石川県出身にして社会各方面に現に活躍しつつ々ある人士又は故人の著書を蒐集し以て本県の文化的所 ...
石川県に所在する「土地改良区」の名簿を探しています。土地改良区名のほか住所が一覧表となって、行政資料としてまとめられているか、農業農村整備事業の資料に内包されていることがあり得るかと思います。土地改良区の合併・廃止が進んでいるため、令和元年以降で、その時点で現存する土地改良区をすべて網羅していることが望ましい。お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。(石川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:36)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:36)
1.当県の比較的新しい土地改良の資料として『石川県の土地改良 令和2年度版』があります。こちらの資料からは、土地改良区名の名簿に相当する一覧表は見当たりませんでした。それぞれの事業概況について調べることのできる資料です。2.『石川県土地改良史 資料編』(昭和60年時点の資料)には、「土地改良区一覧表」があり、所在地が記載されています。3.「水土里ネット(土地改良区)について」(http://www.midori-net.jp/midori/)で一部の土地改良区について調べることができます。4.石川県農林水産部農業基盤課(農地整備グループ)では名簿を行政資料としてまとめて公表はしていません。以上より、当県に所在する令和元年以降の「土地改良区」の名簿は見つかりませんでした。参考資料:1 石川県土地改良史 資料編 石川 ...
昭和31年に羽咋の眉丈山でトキが撮影された際の新聞記事が見たい。参考 石川県立歴史博物館所蔵資料 「トキの生態写真」https://www.ishikawa-rekihaku.jp/collection/detail.php?cd=GI00503#:~:text=%E3%83%88%E3%82%AD%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%85%8B%E5%86%99%E7%9C%9F%EF%BC%88%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%81%9B%E3%81%84%E3
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:36)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:36)
新聞では見当たらない。回答プロセス:(1)『石川県年表』『新聞でみる七十五年史』などには掲載されていない。(2)『トキ舞う空へ』『写真集・能登のトキ』などから、村本義雄氏がトキの撮影に成功したのは昭和31年8月と判明。 それ以降の新聞記事で探索。(3)レファレンス協同データベースを検索。当館の類似事例を紹介(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000132965)参考資料:1 トキ舞う空へ 石川県立歴史博物館?編集 石川県立歴史博物館 2010.7 K069/25/010-2, 参考資料: 4 写真集・能登のトキ 村本 義雄∥著 パブリケーション四季∥編 能登印刷 1982.3 K488/14,
昔閲覧したことがあるが、書名を忘れたので調べてほしい。1778年くらいの史料で、写本だったと思われる。虫喰いが酷かったと記憶している。文聾(ブンロウ)という俳人が穴水町の中居で詠んだ歌が載っている部分が見たい。(石川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:36)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:36)
お探しの史料は『能登名跡誌』(1777)と思われます。文聾というのは、『能登名跡誌』著者の「太田道兼」の俳人としての雅号「文聾斎」のことと思われます。現在は当館の検索サイトSHOSHO ISHIKAWAで画像を公開しているため、インターネットで閲覧が可能です。また、穴水町の中居で詠んだ歌については、翻刻の『能登名跡志』1970,p.79~に中居についての記載があり、p.81に中居八景について詠まれた歌の記載がございます。公開画像では、『能登名跡誌』坤ノ中巻(K291/41/2-2)の冒頭から中居について書かれており、中居八景の歌は7コマ目になります。https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/shosho/detail/orgn/B002431880#canvasId=p7 (2022/12/02確認)また、画像を公開していない『能登名蹟志』坤巻(K291/40/2)にも中居についての記載がありますが(36丁表~39丁表)、 ...
①行政デジタル化の歴史が分かる資料②市役所の業務全般(概要)が分かる資料。市役所職員がこういう業務をしている、という事が分かる一覧。(石川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:36)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:36)
①行政デジタル化の歴史が分かる資料『情報通信白書』に、2000年以降の政府の取り組みについて記載がありました。ただし、市区町村の細かい動きまでは記載がございません。『情報通信白書』は総務省の情報通信統計データベースでも公開されています。・『情報通信白書 令和3年版 ICT白書』https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r03/pdf/index.html「第1部 序章 我が国におけるデジタル化の歩み」→「1我が国デジタル化政策の歴史」「第2部 第9節 ICTによる行政・防災の推進」また、『情報通信・北陸 北陸版情報通信白書』という北陸地域の資料が2001~2006年まで所蔵がございます。(その後は『情報通信・北陸 2007 地域ユビキタスネット社会の創造』『UPLOAD 2007 北陸の情報通信』『UPLOAD HOKURIKU 2008 北陸の情報通信』が総務省北陸総合通信 ...
森田 平次『金沢古蹟志 上巻』1976の「金澤古蹟志巻七」P.433に記載のある“紙屋庄三郎”について知りたい。(石川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:35)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:35)
『金沢古蹟志 上巻』1976,P.433-434「紙屋庄三郎傳」に記載の以下の情報を基にお調べいたしました。P.433 “金澤家柄町人の一人(中略)居士姓中田氏。”P.434 “商業は干菓子を製造し、舊藩中は幕府進獻の菓子なども命ぜられ、高名なる菓子店なりき。”・『加能郷土辞彙 改訂増補』1979.6P.221 “カミヤショウザブロウ 紙屋庄三郎→ナカタショウザブロウ 中田庄三郎”P.648 “ナカタショウザブロウ 中田庄三郎”※2項目記載あり。(1)“紙屋氏の祖。尾張の産、加賀に来り町年寄となり(中略)承応二年四月十六日八十四歳で歿した。”(2)“家を紙屋と称し、町年寄・銀座役等を勤め菓子を業とした。(中略)享保二年九月五日齢六十を以て歿。”後述の『記 加賀百万石ゆかりの菓子』P.40によると、(2)は四代庄三郎かと推測されます。・『金沢 ...
『難病事典』に「重症筋無力症(MG)」の項目あり。『今日の治療指針 2022』に「重症筋無力症 myasthenia gravis (MG) 中根俊成 日本医科大学准教授・脳神経外科」の項目あり。「CiNii Research」で「重症筋無力症」を検索すると3千件以上がヒット。「中根俊成」で絞り込みを行うと10件の医学論文がヒット。(https://cir.nii.ac.jp/)2023.12.1参照回答プロセス:(1)Nalisで全文検索してもなし。(2)インターネットで検索すると、臓器特異的自己免疫疾患(https://www.nanbyou.or.jp/entry/272)とあるので、自己免疫疾患と検索すると、『自己免疫疾患の謎』という本がヒットしたので、493.1の棚に行く。(3)『自己免疫疾患の謎』は読み物だったので、493.11にあった『難病事典』を確認、項目を見つける。(4)『今日の治療指針 2022』の索引を確認、 ...
昭文社発行の『石川のトリセツ』という本に「前田利家は加賀藩の藩祖だが、初代藩主ではない。前田利長が藩主である」とあり、・利家が死去したのは1599年で江戸時代に生きていない(徳川家に仕えていない)・藩とは江戸時代の大名の領地のこと(利家の時代に「加賀藩」はなかった)という理由ではないかと考えているが、疑問を解明してほしい。(石川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:35)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:35)
(1)北陸中日新聞「利家公は「初代藩主」? 専門家「無理ある」でも伝統的な呼称」(2020年11月23日)(https://www.chunichi.co.jp/article/158825)を確認すると、大西泰正さんの『前田利家・利長』(平凡社)が紹介されていましたので、同書を確認してみました。(2)大西泰正著『前田利家・利長』によりますと、「加賀藩研究の世界では、利家を「藩祖」として初代藩主に数え、利長を「二代藩主」と呼ぶのが一般的だが、明らかに日本史の通則に反している(こうした加賀藩主の数え方の形成過程は[仁ヶ竹2015]に詳しい。)」(p13)とあります。これは、主要参考文献(p317)によると、仁ヶ竹亮介「加賀藩主の数え方」(高岡市立博物館HP掲載、2015年公開分・2018年11月閲覧)というインターネットサイトです。(3)確認すると「高岡市 ...
execution time : 0.225 sec