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記録されたものだけということになりますが、文献の種類、火事の範囲や大きさ等によって90件から2000件まで数えられています。詳しくは回答プロセスと参考資料をご参照ください。回答プロセス:【資料1】『東京市史稿 変災篇』第4・5巻には天正18(1590)年~明治40(1907)年の江戸東京の火災編年集。【資料2】「江戸災害年表」には『東京市史稿』に基づく災害年表。火事は出火時刻・火元・風向き・類焼範囲を列挙。【資料3】『東京百年史』第1巻に江戸時代主要火災年表あり。【資料4】『江戸の火事』には「吉原健一郎氏の丹念な調査によれば前記267年間で、大小あわせて1798件の火災が確認されている。」とある。【資料5】『江戸の火事と火消』には「江戸時代の江戸についてみれば、記録された大火は右の三大火を含めて実に200件以上 ...
諸説あり明確にはわかりません。詳しくは回答プロセスと参考資料をご参照ください。回答プロセス:『日本人の坐り方に就て』(【資料1】)によれば、諸説あるが明確にはわからない。数々の史料から古くから形があった事は推察できるが、絵巻物等をみる限り人物のほとんどがあぐらをかいているので一般的ではなかったといえる。今日のように一般的に正座をするのは元禄、享保ごろからであろう。『正座と日本人 The new fifties』 (【資料2】)によると、古い書物に「正座」と書いてあっても、それは当時の正しい座り方を示しているだけであって、胡座や片膝立ちである可能性もある。 貝原益軒『養生訓』の中の「正座」は「胡坐」を意味し、明治時代まで「正座」という言葉自体がほとんど使われていないという。今日的な意味 ...
該当模型については『模型でみる江戸・東京の世界』(【資料1】)に平面図があります。詳しくは回答プロセスと参考資料をご参照ください。回答プロセス:『模型でみる江戸・東京の世界』(【資料1】)によると、復元にあたっては「伊予殿屋敷指図」(岡山大学池田文庫所蔵)、「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館所蔵)、「甲良向念覚書」(東京都立中央図書館所蔵)などを利用した。『東京人』(no.323)(【資料2】)によると、正面となる東側が京間96間(約189m)に対して北側53間(約105m)の長方形に、南西部分に39間(約77m)×12間(約24m)の小さな長方形を足したL字型の敷地(約6600坪)であった。参考資料:【資料1】『江戸東京博物館常設展示図録〈模型編〉 模型でみる江戸東京』東京都歴史文化財団,東京都江戸東京博物館/ ...
『復元鹿鳴館・ニコライ堂・第一国立銀行 江戸東京博物館常設展示東京ゾーン「文明開化東京」』(【資料1】)によると、明治16年(1883)11月29日に開館。明治23年(1890)には宮内省に移管され、一部が華族会館となった。明治27年(1894)6月の地震での被災が契機となり華族会館に払い下げられて昭和2年(1927)まで利用された。その後は日本徴兵保険会社となり、昭和15年(1940)に解体されて67年間の生涯を終えた。跡地(千代田区内幸町1-1-7)には近年まで「鹿鳴館跡」というプレートがあった(備考※1)。詳しくは参考資料と備考リンク先をご参照ください。参考資料:【資料1】『復元鹿鳴館・ニコライ堂・第一国立銀行 江戸東京博物館常設展示東京ゾーン「文明開化東京」』藤森照信/他著 東京都江戸東京博物館/監修 ユーシープラン ...
萩市の多越神社(たおじんじゃ)で『金銅鰐口(こんどうわにぐち)』の3Dプリンターで作られた複製品が披露された。この鰐口に掘られている経文が知りたい。(萩市立萩図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/17 10:52:37)
from レファレンス協同データベース (2025/2/17 10:52:37)
資料①から③を提供回答プロセス:資料①読売新聞2016年10月25日朝刊より、「多越天神社」で披露されたことが分かった。同記事内に「側面には山口月輪山円政寺天神宮」と彫られていると記載あり。資料②より、①読売新聞の記事を踏まえ、当該の「金銅鰐口」の全文を確認できた。資料③より、現在「金銅鰐口」を所蔵している奈良国立博物館のデータベース。キーワードに「金銅鰐口」を入れて検索、詳細ページの銘文の欄に全文記載あり。事前調査事項:質問者より、資料①の情報提供あり。参考資料:①読売新聞 2016年10月25日朝刊 p. 27, (ヨミダス歴史館)参考資料:②山口県立山口博物館 編. 山口県立山口博物館研究報告 第1〜6号. 山口県立山口博物館, 1968. p.32https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I35115010030732, 参考資料:③奈良国立博物館収蔵 ...
資料①を提供回答プロセス:角川日本地名大辞典、山口県の地名由来事典、当該地方史誌を調べた後に記載のあった資料を紹介した『防長地下上申 第4巻564ページに以下の記載あり「右此所往古麻苧を植、いつれの地よりも能く生立申之由ニて、自然と所の名に呼来伝候事」参考資料:①山口県地方史学会 編修. 防長地下上申 第4巻. 山口県地方史学会, 1980. p.564https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001468306,
【資料1】『図説明治事物起源事典』、【資料2】『舶来事物起原事典』によると、現在と同じような洋式名刺が使われたのは、記録に残っているものとしては、万延元(1860)年、幕府の遣米使節が初めてではないかとされています。詳しくは参考資料をご参照ください。参考資料:【資料1】『図説明治事物起源事典』湯本豪一/著 柏書房 1996年 請求記号:0314 / 10 / 96 p.312-313, 参考資料:【資料2】『舶来事物起原事典』富田仁/著 名著普及会 1989年 請求記号:0314 / 1 / 89 p.361, 参考資料:【資料3】『モノの履歴書』吉井敏晃/著 青弓社 1993年 請求記号:6751 / 2 / 93 p.95-101, 参考資料:【資料4】『20世紀モノ語り 創元ライブラリ』紀田順一郎/著 東京創元社 2000年 請求記号:0314 / B23 / 000, 備考:(類似事例)「名刺について、歴史・由来なんでも知りたい。」 ...
葛尾村活性化センターにて葛尾村で女子大生が栽培した「えごま」や葛尾村特産「凍みもち」を使って料理教室が開催されました。 「えごま米粉麺パイ」「じゅうねん蒸しパン」「凍みクルミゆべし風」「凍みもチーズ春巻き」を地域の方々と一緒に作りました。 地域の方より「令和・昭和のすいとん」「令和・昭和のじゅうねんぼたもち」を教えてもらい、食べ比べをしました。交流を深め楽しい料理教室でした。 本事業は、福島イノベ機構「復興知」事業の一環として実施しております。 ①調理の様子1 ②調理の様子2 ③会食の様子 ④出来上がった料理
文化14(1817)年に両国柳橋の萬屋八郎兵衛方(万八楼)で大酒大食大会が開かれた記録があります。詳しくは回答プロセスと参考資料をご参照ください。回答プロセス:それまでに大食い大会のようなものが全く無かったわけではなく、酒の飲み比べ、神事としての大酒・大食はあった。【資料1】『図説江戸時代食生活事典 新装版』によると、万八楼での記録は『文化秘筆』『兎園小説』にある。しかし食べた量の記録には疑問を呈する意見もあると紹介。【資料2】『ヴィジュアル百科江戸事情』第1巻によれば、元禄以降、庶民の間では行司を立てて飲み比べ食べ比べが行われるようになった。大酒大会については、江戸では少なくとも慶安、文化、天保年間の記録があるとしている。参考資料:【資料1】『図説江戸時代食生活事典 新装版 ...
歌舞伎俳優が『東海道四谷怪談』を上演する前に詣でるという、「お岩さん」を祀ってある神社仏閣はどこにあるか。(東京都江戸東京博物館 図書室)
from レファレンス協同データベース (2025/2/17 10:15:57)
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参考資料によると、実際にお岩さんのモデルと言われる人物の墓は妙行寺にあり、明治2(1869)年に四谷から現在の場所(豊島区西巣鴨4-8-28)に移っています。その他、お岩さんにゆかりがあるとされる神社仏閣は、新宿区の陽運寺(左門町18)(備考※1参照)、新宿区の四谷於岩稲荷田宮神社(左門町17)(備考※2参照)、中央区の於岩稲荷田宮神社(新川2-25-11)(備考※3参照)などがあります。詳しくは参考資料、備考リンク先をご参照ください。参考資料:『江戸東京の怪談文化の成立と変遷 一九世紀を中心に』横山泰子/著 風間書房 1997年 請求記号:7721 / 82 / 97 p.234-237,417-426, 参考資料:『江戸東京の寺社609を歩く』(山の手・西郊編) 槙野修/著 山折哲雄/監修 PHP研究所 2011年 請求記号:1859 / 61 / 2 p.260-261, 参考資料:『落語地誌 江戸東京〈落語場所〉 ...
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