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【北陸線の写真について】 北陸線を走っている電車の写真はないか。また、金沢―上野間が開通されたのはいつか知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:20)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:20)
『石川百年』(11826689)p.339『石川写真百年・追想の図譜』(1979年)(11901030)p.134-135『北陸線写真帖』(118487348)p.238 に北陸線を走っている電車の写真の記載あり。『北陸線の記録』(11902801)管内線路図の記載あり。『石川県史 第4編』(109050632)p.1025-1030「大正二年四月全通して、本県と東京との交通は益利便となれり。」と記載あり。『石川県史 現代篇2』(118412740)p.432-437に北陸線についての記載あり。『北陸線写真帖』(118487348)p.253に北陸線開通までの細かい年表の記載あり。(大正2年4月1日に北陸本線全通)
蔵書検索でラジオ歌謡について記載の資料を調査したところ、小林文庫「NHKヒットソング集 2・3」のみヒットした。図書に『ラジオ歌謡』はNHKが戦後放送したラジオ番組名であること、代表的な歌の歌詞、楽譜が記載されており、歌のタイトルが判明したので、検索をAVに限定し、タイトル検索を行い、次のCDを紹介した。・「CD日本の抒情歌愛唱歌大全集」1・3・6・7・「服部良一」(160051416)・「私の好きな歌」(160065350)・「想い出の歌」(160032869)
【陰陽道の記号について】 前田土佐守直方の書で『医術の気の事』という文献の中に記号が記載してあるが、この記号がどういう意味なのか教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:20)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:20)
近世史料館の職員に確認したところ、「陰陽五行説」から来た記号だということが分かった。陰陽五行説(易学)の理論を図示した文献を探したところ、以下の文献が見つかった。・『太極図説・通書』(129669311)p.17「太極図」(◎を「陰静」「陽動」と記載する)・『乳井貢全集 第3巻』(129657366)「易象」p.75(●の中に〇を「陰中之陽」、〇の中に●を「陽中之陰」と記載する)・Gooleブックス『道脈図解』「四象図」(●の中に〇を冬[太陰]、〇の中に●を夏[太陽]と記載する)【URL】https://bools.google.co.jp/books?id=j8-oBAAAQBAJ以下の文献は、「陰陽五行説」で文献検索した資料である。・『図説 東洋医学 用語編』(11101842)・『陰陽五行』(111943320)・『日本人なら知っておきたい陰陽道の知恵』(113097887)・『陰陽道の発見』(113137759)・『幸運を招く陰陽五行』(11309 ...
・「全国漢籍データベース」で「祖詠」を検索すると、『祖詠集』という文献があった。ただし、中国語の文献なので提供できず。・「漢詩ノート碌碌山房」で「祖詠」を検索し、詞題の結果が出た。(36首)【URL】http://rokurokusambo.web.fc2.com・『唐詩選 上』(112231756)p.359記載あり 「江南旅情」「蘇氏別業」・『唐詩選 中』(112231765)p.147、p.250、p.393記載あり。 「清明宴司勲劉郎中別業」「望薊門」「終南望余雪」他に以下の文献あり。・『中国の古典 28 唐詩選 中』(110720447)p.206、p.210記載あり。 付録p.27記載あり。・『中国の古典 29 唐詩選 下』(11077079)p.110記載あり。・『新釈漢文大系 19 唐詩選』(11006320)p.537、p.629記載あり。・『漢詩大系 7 唐詩選 下』(129587360)p.89記載あり。<追記>国会図書館より以下のご教示あり。【新詩改罷自長吟】全唐詩檢 ...
①『角川 石川県地名辞典』より、北安江町は以前は弓取村であり、『石川県石川郡誌』(「石川県石川郡自治協会」昭和2年刊の復刻) の弓取村の項p1215から、「農業を主としているが、工業21戸あり」とわかる。②『金沢市詳細図 昭和38年版』p24-25の北安江町のページからもいくつか工場がわかる。③『伸びゆく諸江』(109068815)p20- 弓取村の歴史や金沢市へ編入後の工業のうつりかわりについて記述あり。④『石川県商工要覧』、『金沢市商工要覧 昭和28年版』(119527125)に北安江が住所の会社あり。漁網の会社が目立つ。⇒『金沢商工人名録』に会社名がある場合、開業年が分かる。
『金沢のいまむかし』(国書刊行会、1991年)(119768764)p.36「金沢駅の今昔」(昭和末~平成)『石川写真百年・追想の図譜』(1979年)(11901030)p.328「金沢駅と駅前広場」(1951年)『金沢の昭和』(いき出版、2010年)(118525019)p.142「金沢駅ホームの様子。この駅は明治31年4月1日に開業した。〈昭和42年頃〉」p.143「バッグを持った団体の旅行客が金沢へと向かう。〈昭和36年頃〉」『開業八十八周年記念』(奥村富雄、1986年)(119640267)沿革史「昭和48年7月10日 金沢駅出札室オープンカウンター完成」『昭和花あり嵐あり』(北國新聞社、2007年)(112943577)p.289「電化が進む北陸線の金沢駅構内」『金沢ステーションデパート十五年史』(金沢駅地下ビル、1968年)(11826386)口絵「デパートに通ずる地下改(出)札口」p.78「いつも大繁昌の“緑の窓口”」p.84「金沢駅にあらわれたキ ...
【浅野川大橋の火の見櫓について】 浅野川大橋のたもと(橋場町側)に建てられた火の見櫓の写真(明治頃)が掲載された資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:19)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:19)
『石川写真百年・追想の図譜』(1979年)(11901030)、『金沢のいまむかし』(国書刊行会、1991年)(119768764)、『写真集明治大正昭和金沢 ふるさとの想い出』(国書刊行会、1978年)(109152230)に掲載なし。「火の見櫓」で検索したところ、以下の文献に掲載あり。『金沢市文化財紀要 146 金沢の共同井戸・洗い場・火の見櫓』(金沢市教育委員会、1998年)(119622222)p.68「写真4 浅野川大橋西詰にあった火の見櫓 明治6年(1873)撮影 今井一良氏 提供」『市史かなざわ 第1号』(1995年)(119496771)に以下の論文あり。「浅野川大橋橋畔の火の見櫓」今井一良/著
『日本大百科全書 20』(11093899)p.832~833記載あり。昔は、人工的な噴水は発達していなかった。兼六園の噴水は稀な例である。『岩波日本庭園辞典』(112497427)p.264記載あり。石神遺跡庭園遺構出土の須弥山石や石人像、飛鳥京跡苑池遺構の石造物など、飛鳥時代(7世紀)に作られたものが知られる。江戸時代のものとしては兼六園に、園内の霞ヶ池を水源として文久元年(1861年)に作られた噴水があり、飛鳥時代のものを除けば、これが現存する日本最古の噴水である。『兼六園の今昔』(119640089)p.139~141記載あり。日本公園緑地協会、佐藤昌名誉会長からの指摘で兼六園の噴水より古いものが偕楽園にあったといわれた。『加賀百万石と江戸芸術』(118372902)p.68、163~164記載あり。
【ゼームス・マルドックについて】 第四高等学校に教師として在籍していたゼームス・マルドックという人物について書かれた文献が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:18)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:18)
『第四高等学校同窓会会員名簿』(第四高等学校同窓会、1948年)(11825832)p.11「ゼームス・ムルドック 教師 明27.8-同31.1」国会図書館サーチで「ムルドック」と検索したところ、『国史大辞典』に立項されていることが判明した。『国史大辞典 13』(吉川弘文館、1992年)p.1「マードック James Murdoch 1856-1921 イギリスの日本研究家。(後略)」「ジェームス・マードック」「James Murdoch」で再検索したところ、以下の文献を見つけた。『内と外からの夏目漱石』平川祐弘/著(河出書房新社、2012年)(113264789)『漱石の師マードック先生』同(講談社、1984年)
【大野庄用水について】 大野庄用水の起源について書かれた本はないか(同用水を開削したとされる富永佐太郎という人物について知りたい)。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:18)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:18)
『金沢用水散歩』笹倉信行/著(十月社、1995年)(111638496)p.130に「大野庄用水が、何時、どうやって開削されたかは明確ではない。天正年間(1573-91年)、利長の家臣富永佐太郎によって完成したと伝えられているだけである。」と記述されている。出典は明記されていない。『稿本金沢市史 市街篇第1』(金沢市役所、1916年)p.121に「大野庄用水は嘗て大野用水といひ、旧名を大野瀬木と称へたり」とある。また、同p.122に「大野庄用水の一名御荷川は、又鬼川の仮字を用ひたり、御荷川の名は金沢城修造の時、所用の材木を此川より引上したるに因れり」とある。「金沢城修造の時」は寛永8年(『越登賀三州志』石川県図書館協会、1933年、p.443)としている。『金沢古蹟志 第6編』(金沢文化協会、1934年)巻16 p.33に「大野瀬木 五枚町の町尻と伝馬町の入 ...
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