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昭和31年に羽咋の眉丈山でトキが撮影された際の新聞記事が見たい。参考 石川県立歴史博物館所蔵資料 「トキの生態写真」https://www.ishikawa-rekihaku.jp/collection/detail.php?cd=GI00503#:~:text=%E3%83%88%E3%82%AD%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%85%8B%E5%86%99%E7%9C%9F%EF%BC%88%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%81%9B%E3%81%84%E3
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:36)
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新聞では見当たらない。回答プロセス:(1)『石川県年表』『新聞でみる七十五年史』などには掲載されていない。(2)『トキ舞う空へ』『写真集・能登のトキ』などから、村本義雄氏がトキの撮影に成功したのは昭和31年8月と判明。 それ以降の新聞記事で探索。(3)レファレンス協同データベースを検索。当館の類似事例を紹介(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000132965)参考資料:1 トキ舞う空へ 石川県立歴史博物館?編集 石川県立歴史博物館 2010.7 K069/25/010-2, 参考資料: 4 写真集・能登のトキ 村本 義雄∥著 パブリケーション四季∥編 能登印刷 1982.3 K488/14,
昔閲覧したことがあるが、書名を忘れたので調べてほしい。1778年くらいの史料で、写本だったと思われる。虫喰いが酷かったと記憶している。文聾(ブンロウ)という俳人が穴水町の中居で詠んだ歌が載っている部分が見たい。(石川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:36)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:36)
お探しの史料は『能登名跡誌』(1777)と思われます。文聾というのは、『能登名跡誌』著者の「太田道兼」の俳人としての雅号「文聾斎」のことと思われます。現在は当館の検索サイトSHOSHO ISHIKAWAで画像を公開しているため、インターネットで閲覧が可能です。また、穴水町の中居で詠んだ歌については、翻刻の『能登名跡志』1970,p.79~に中居についての記載があり、p.81に中居八景について詠まれた歌の記載がございます。公開画像では、『能登名跡誌』坤ノ中巻(K291/41/2-2)の冒頭から中居について書かれており、中居八景の歌は7コマ目になります。https://www.library.pref.ishikawa.lg.jp/shosho/detail/orgn/B002431880#canvasId=p7 (2022/12/02確認)また、画像を公開していない『能登名蹟志』坤巻(K291/40/2)にも中居についての記載がありますが(36丁表~39丁表)、 ...
①行政デジタル化の歴史が分かる資料②市役所の業務全般(概要)が分かる資料。市役所職員がこういう業務をしている、という事が分かる一覧。(石川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:36)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:36)
①行政デジタル化の歴史が分かる資料『情報通信白書』に、2000年以降の政府の取り組みについて記載がありました。ただし、市区町村の細かい動きまでは記載がございません。『情報通信白書』は総務省の情報通信統計データベースでも公開されています。・『情報通信白書 令和3年版 ICT白書』https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r03/pdf/index.html「第1部 序章 我が国におけるデジタル化の歩み」→「1我が国デジタル化政策の歴史」「第2部 第9節 ICTによる行政・防災の推進」また、『情報通信・北陸 北陸版情報通信白書』という北陸地域の資料が2001~2006年まで所蔵がございます。(その後は『情報通信・北陸 2007 地域ユビキタスネット社会の創造』『UPLOAD 2007 北陸の情報通信』『UPLOAD HOKURIKU 2008 北陸の情報通信』が総務省北陸総合通信 ...
森田 平次『金沢古蹟志 上巻』1976の「金澤古蹟志巻七」P.433に記載のある“紙屋庄三郎”について知りたい。(石川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:35)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:35)
『金沢古蹟志 上巻』1976,P.433-434「紙屋庄三郎傳」に記載の以下の情報を基にお調べいたしました。P.433 “金澤家柄町人の一人(中略)居士姓中田氏。”P.434 “商業は干菓子を製造し、舊藩中は幕府進獻の菓子なども命ぜられ、高名なる菓子店なりき。”・『加能郷土辞彙 改訂増補』1979.6P.221 “カミヤショウザブロウ 紙屋庄三郎→ナカタショウザブロウ 中田庄三郎”P.648 “ナカタショウザブロウ 中田庄三郎”※2項目記載あり。(1)“紙屋氏の祖。尾張の産、加賀に来り町年寄となり(中略)承応二年四月十六日八十四歳で歿した。”(2)“家を紙屋と称し、町年寄・銀座役等を勤め菓子を業とした。(中略)享保二年九月五日齢六十を以て歿。”後述の『記 加賀百万石ゆかりの菓子』P.40によると、(2)は四代庄三郎かと推測されます。・『金沢 ...
『難病事典』に「重症筋無力症(MG)」の項目あり。『今日の治療指針 2022』に「重症筋無力症 myasthenia gravis (MG) 中根俊成 日本医科大学准教授・脳神経外科」の項目あり。「CiNii Research」で「重症筋無力症」を検索すると3千件以上がヒット。「中根俊成」で絞り込みを行うと10件の医学論文がヒット。(https://cir.nii.ac.jp/)2023.12.1参照回答プロセス:(1)Nalisで全文検索してもなし。(2)インターネットで検索すると、臓器特異的自己免疫疾患(https://www.nanbyou.or.jp/entry/272)とあるので、自己免疫疾患と検索すると、『自己免疫疾患の謎』という本がヒットしたので、493.1の棚に行く。(3)『自己免疫疾患の謎』は読み物だったので、493.11にあった『難病事典』を確認、項目を見つける。(4)『今日の治療指針 2022』の索引を確認、 ...
昭文社発行の『石川のトリセツ』という本に「前田利家は加賀藩の藩祖だが、初代藩主ではない。前田利長が藩主である」とあり、・利家が死去したのは1599年で江戸時代に生きていない(徳川家に仕えていない)・藩とは江戸時代の大名の領地のこと(利家の時代に「加賀藩」はなかった)という理由ではないかと考えているが、疑問を解明してほしい。(石川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:35)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:35)
(1)北陸中日新聞「利家公は「初代藩主」? 専門家「無理ある」でも伝統的な呼称」(2020年11月23日)(https://www.chunichi.co.jp/article/158825)を確認すると、大西泰正さんの『前田利家・利長』(平凡社)が紹介されていましたので、同書を確認してみました。(2)大西泰正著『前田利家・利長』によりますと、「加賀藩研究の世界では、利家を「藩祖」として初代藩主に数え、利長を「二代藩主」と呼ぶのが一般的だが、明らかに日本史の通則に反している(こうした加賀藩主の数え方の形成過程は[仁ヶ竹2015]に詳しい。)」(p13)とあります。これは、主要参考文献(p317)によると、仁ヶ竹亮介「加賀藩主の数え方」(高岡市立博物館HP掲載、2015年公開分・2018年11月閲覧)というインターネットサイトです。(3)確認すると「高岡市 ...
第二次世界大戦時の石川県における町内会で、どのような取り組みが行われていたのかを具体的に知ることができる資料はありますか?(石川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:35)
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(1)『金沢市と町内会』p48-55に戦中の町内会について記述があります。取組にあたるかわかりませんが、戦時下の行政協力として物資配給や保健衛生、納税についての項目があります。具体的な協力方法というより、国からの通達、県からの訓令等が挙げられています。(2)『金沢市史資料編11』p656-665には「昭和18年1月 町会長隣保班長講習会資料」金沢市として 昭和15年11月金沢市町会整備要項が掲載されています。町内会独自の活動については見つかりませんでした。(3)『金沢市と町内会』に”部落会町内会の下部組織たる隣保班(隣組)”とあることから、参考に隣組の活動について書かれている資料を紹介します。『内務省制定時局防空必携 昭和18年改訂』(金沢市)空襲時の家庭と隣組の役割が書かれています。目次は下記の ...
昭和10年9月中旬に県内の金沢帝国座で行われた七代目松本幸四郎と七代目澤村宗十郎の巡業の詳細(公演日、演目、典拠)を知りたい。(石川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:35)
from レファレンス協同データベース (2024/7/28 10:22:35)
当時の新聞記事(マイクロフィルム)を確認しました。昭和10年9月の金沢帝国座で行われた七代目松本幸四郎と七代目澤村宗十郎の巡業について以下の記事あり。「北國新聞」昭和10年9月13日(夕刊)3面 (9月14日発行 第1万五千三百三十号)①夢翁生「幸四郎宗十郎一座歌舞伎見物手引草」という記事があり 記事中に第一の「大蔵卿」は神戸では・・・略・・・第二の「太十」・・・省略・・・と演目の紹介あり。。②写真があり (右)松本幸四郎の武智光秀 (左)澤村宗十郎の武智十次郎 「東京大歌舞伎 太十」14,5両日の帝国座と記述あり。「北國新聞」昭和10年9月14日(朝刊)3面 (9月14日発行 第1万五千三百三十号)③「十四・十五 高麗屋芸談 千二三百回やった家の芸「勧進帳」回答プロセス:図書や雑誌記事より巡業の詳細(公演日、演 ...
1 『YKK五十年史』 p5-7 沿革編 第1章創業から第2次世界大戦終結「吉田3兄弟の結束」「1.創業前史「上京と就職」」に、吉田久政氏についての文章があります。またp5下部に久政氏を含む3兄弟の白黒写真が掲載されています。この図書は当館に所蔵があり貸出可能です。なお国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11952101 「送信サービスで閲覧可能」の資料です。2 『吉田忠雄追想録』 巻末の年表の大正14(1925)年のところに関連記述があります。また巻頭に2枚の白黒写真(いずれも集合写真)が掲載されています。この図書は当館に所蔵があり貸出可能です。3 『北國年鑑』 北國新聞社 昭和29(1954)年~昭和39(1964)年の計11冊の年鑑の各年に氏名・肩書の掲載があります(会社・商店の名簿中) ※各年共、当館に本 ...
〇国立国会図書館サーチで「つれづれの友」を検索し、ヒットする論文「明治期における溝口家の道具移動史」(宮武慶之) の「抄録」中に「(略)調査により松山喜太郎(一八三六─一九一六)による「つれづれの友」を息子・米太郎(一八七〇─一九四二)が写した写本の存在を確認した。「つれづれの友」には溝口家の売立に関する記述があり、(略)」という文章が確認できる。 論文本文は file:///C:/Users/nalis-work.LIBRARY/Downloads/jinbun_13_252_223%20(1).pdf 20221217確認で閲覧できる。 論文の本文中 p(33)-(35) ⅰ 溝口家の売立 に「つれづれの友」は「松山喜太郎の手記(号は青柯、吟松庵)」であり、「抄録本は慶應義塾大学の高橋箒庵文庫に所蔵」されていることがわかる。またp(34)から(35)に「つれづれの友」巻十 からの抜粋文の ...
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