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Older workers are sticking around and that is no bad thing
以下の資料に記載があった。<在留インド人について>『京都府統計史料集 : 百年の統計, 第1巻』(資料①)pp.228-229に在留外国人の一覧があり、その中に「インド」の項目がある。ただし、昭和1年から昭和22年の記録のみ。数値は京都府統計書によるとのこと。『京都府統計書』(資料②)明治36年から在留外国人の記載があるが、インドは「その他」の項目で一括されている時期がある。『京都市統計書』(資料③)明治41年から在留外国人の国別一覧が記載されている。例えば、明治41年では「英領印度」の項目があり、大正2年以降は「英領各地」となっている。なお、『京都市統計書』は京都市統計ポータルの京都市統計刊行物デジタルアーカイブスで全て閲覧できる。https://www2.city.kyoto.lg.jp/sogo/toukei/Publish/YearBook/Archives/yearbook.html(最 ...
以下の資料を紹介した。『京都の橋・河川・水路, 1』(資料①) pp.271-272「団栗橋」に施工の内容が詳説されている。『四条大橋, 復刻版(緑紅叢書 ; 4の12(48) [京の三名橋 ; 中])』(資料②) p.25~「どんぐり橋」 四条大橋の南にある橋で、「木樂橋」ともいわれる。「団栗橋」の名称は、橋の東詰にどんぐりの木があったことに由来する。『京都坊目誌, 下京乾(新修京都叢書 ; 第16巻)』(資料③) p.363「団栗橋」回答プロセス:京都の橋や河川関係の資料を調べた。参考資料:①京都市理財局財務部財産監理課[編]『京都の橋・河川・水路, 1』 京都市理財局財務部財産監理課、2003, (当館請求記号:MK1||517.091||Ky6||)参考資料:②田中緑紅[著]『四条大橋, 復刻版(緑紅叢書 ; 4の12(48) [京の三名橋 ; 中])』三人社、2019, (当館請求記号:K1||291.62||Ta84 ...
「蝶々踊り」とは、天保の飢饉が収束を見せた天保10(1939)年の京都で、町衆が仮装して昼夜問わず町を練り歩いた踊りを指す。「チョイチョイ踊り」「豊年踊り」ともいう。詳しくは以下の資料に記載があった。『若冲と京 (みやこ) の美術 : 京都細見コレクションの精華』(資料①) pp.50-51に図版「ちょうちょう踊り図屏風」、p.156に作品解説が掲載されている。『伊藤若冲と京(みやこ)の美術 : 京都細見美術館 : 細見コレクションの精華』(資料②) pp.50-53に図版「ちょうちょう踊り図屏風」、pp.156-157に作品解説が掲載されている。※資料①と資料②は同内容。『行列にみる近世 : 武士と異国と祭礼と : 企画展示』(資料③) pp.166-169「仮装行列」の項目に、蝶々踊図や蝶々踊絵巻の図版が掲載されている。 p.204に解説「描かれた蝶々踊 ...
以下の資料に記載があった。『花園史学』33号(資料①) pp.1-51 廣庭基介「近世末期における下鴨社の社家についての一考察」『近世末期下鴨神社における社家町を含む周辺地域の構成』(資料②) ※『20世紀における京都の文化と景観に関する学際的研究 : 下鴨・北山地域を中心に』(京都府立大学地域貢献型特別研究(ACTR)研究成果報告書 ; 平成21年度)(2010)の抜刷『神郷下鴨郷土史話』(資料③) pp.33-35「鴨社の社家」に明治時代以降の社家の概要や歴史について記載がある。『京都の社家と民家型式の関係についての試論』(資料④) pp.192-193に下鴨社家の泉亭越後守屋敷について記載あり。 ※「日本建築学会計画系論文集」第79巻第695号(2014.1)の抜刷回答プロセス:自館OPACやCiNiiで検索した。参考資料:①花園大学史学会編『花園史 ...
以下の資料に記載があった。<雲居寺の沿革や大仏について>『京都市の地名(日本歴史地名大系;27)』(資料①) p.211に『拾芥抄』、『京都府地誌』、『坊目誌』、『京羽二重織留』、『続日本後紀』、『扶桑略記』、『中右記』、『百錬抄』などの文献に現れる雲居寺に関する記述を紹介している。『京都・山城寺院神社大事典』(資料②)pp.108-109『昭和京都名所圖會, 1 洛東 上』(資料③)pp.192-194川勝政太郎「洛東雲居寺と瞻西聖人」(資料④) p.224に室町時代に描かれたという「八坂法観寺古図」の部分図が掲載されている。今津紹柱「東山雲居寺考」(資料⑤)谷信一「雲居寺大像造像次第 ―佛師の問題として―」(資料⑥) 雲居寺には坐高四丈(約12.1m)の阿弥陀大像があったが、立てば八丈になるため、八丈の大仏と称され ...
ヴァイオリニストのミッシャ・エルマンが大正10(1921)年3月2日に京都市公会堂(岡﨑公会堂)で演奏した演目を知りたい。(京都府立京都学・歴彩館)
from レファレンス協同データベース (2024/9/15 10:29:10)
from レファレンス協同データベース (2024/9/15 10:29:10)
以下の資料に記載があった。『大阪毎日新聞 京都滋賀附録』(資料①) 大正10(1921)年3月1日、3月2日、3月3日にエルマンの来日に関する記事があり、3月2日には演目の記録があった。 以下、全て原文のままに表記し、()で回答者による注釈を付した。<第一部> ヴィヴァルデー「競奏曲」(アントニオ・ヴィヴァルディ「協奏曲」) ラロー「交響楽」(ラロ「スペイン交響曲」)<第二部> ヴィニアフスキー「ファウスト幻想曲」(ヘンリク・ヴィエニャフスキ「ファウスト幻想曲」) シューベルト「聖母礼賛」(シューベルト「アヴェ・マリア」か) ベートフィン「田園舞曲」(ベートーベン「田園交響曲」か) ショパン「ほ調小夜曲」(ショパン「夜想曲(ノクターン)」か) サラサアテ「流浪民の歌」(パブロ・デ・サラサー ...
以下の資料により、所在地は複数回移転していることがわかった。『京都の医学史』 (資料①) pp.924-927「種痘所 有信堂」「熊谷鳩居堂と種痘」で、所在地について、嘉永2年10月創業時は【御幸町通姉小路上ル】、のちに【柳馬場通御池】に移転し、再び【御幸町通姉小路】に移転したと記載されている。 p.638 鳩居堂の熊谷蓮心が私費で【四条坊東洞院街西】に種痘所をつくったことが書かれている。なお、明治初年には【東洞院通姉小路上ル町】に種痘所があったとしている。『京都の医学史, 資料篇』(資料②) p.436 年表に「嘉永2(1849)年10月 【東洞院姉小路上る】に種痘所有信社を興す」とある。 『京の医史跡探訪, 増補版』(資料③) p.251~「種痘所有信堂と熊谷蓮心」という項目があり、【中京区御幸町姉小路上ル】【上京区富 ...
明治37(1904)年以降の京都府内(特に乙訓地方)における、ウンカ(浮塵子)の被害について知りたい。(京都府立京都学・歴彩館)
from レファレンス協同データベース (2024/9/15 10:29:10)
from レファレンス協同データベース (2024/9/15 10:29:10)
ウンカはイネの成長や収穫に被害を与える害虫。浮塵子や白蝋虫とも表記する。被害状況等については、以下の資料に記載があった。『農業総合研究所80年史』(資料①) pp.165-166「病害虫に関する研究」に「主要な研究成果の概要」という項目があり、「ウンカ・ヨコバイ類」について記載あり。 京都府内における明治30年代から昭和40年代までのウンカの被害状況と防除の取り組みについて記されている。『農事試験場特別報告 第1号』(資料②) 明治38(1905)年、京都府によりイネが委縮する被害とウンカの関係性やウンカの被害試験について報告あり。 国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる。 https://dl.ndl.go.jp/pid/839440/1/(最終確認日2024年8月2日)『事務概要, 昭和38,42,43年度』(資料③) 「明治38年 産業振興課」の「病害 ...
以下の資料に掲載されていた。『重要文化財玉林院本堂及び附玄関修理工事報告書』(資料①) 口絵p.2に竣工、図版pp.3-5に本堂竣工、p.14、16、17に本堂修理前の襖絵が一部掲載されている。 口絵p.2([絵]2) 竣工本堂内観(檀那之間より東を見る) 図版p.3(図版7)、p.14(図版32) 正面側四室(礼之間より西を見る) 図版p.4(図版8) 室中北面 図版p.5(図版10)、p.16(図版36) 大書院及び礼之間(南より) 図版p.5(図版11)、p.16(図版35) 衣鉢之間及び西衣鉢之間(西より) 図版p.14(図版31) 正面側三室(檀那之間より東を見る) 図版p.17(図版37) 大書院及び中二階上り口河野元昭「探幽を中心とする大徳寺玉林院障壁画 上」(資料②) 図版に「狩野常信 楼閣山水図」「狩野探幽 山水図」「狩野安信 竹林七賢・四愛図」あり。 p ...
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