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昭和39年(1964年)の新潟地震以降に栗ノ木川(くりのきがわ)が埋め立てられ、道路になった経緯に関する資料はあるか。(新潟市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/7 0:30:28)
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以下の資料に記載があった。(1)『新潟市合併町村の歴史 第3巻 中蒲原郡から合併した町村の歴史 上』(新潟市合併町村史編集室 1980) p133~136「第9 土木工事」 栗ノ木川の、新潟地震による水害から埋め立てまでの経緯についての記載あり。(2)『ぬったり 沼垂定住三百年記念誌』(沼垂定住三百年祭実行委員会 1984) p79~80「(5)栗ノ木川の埋め立て」 栗ノ木川埋め立ての基となった「東新潟地区河川対策」の事業骨子についての記載あり。(3)『新潟の堀と橋 新潟歴史双書 5』(新潟市 2001) p130~131「栗ノ木川の埋め立て」 昭和39年8月には埋め立ての陳述が出されていたとの記載あり。(4)『わたしたちのまち 笹口・沼垂・万代長嶺小学校編』(新潟市東地区公民館ぬったり地域楽 2009) p9「栗ノ木川を埋め立て、栗ノ木バ ...
昭和20年代、現在の新潟市中央区万代町にあった「小島橋」の写真があれば見たい。小島堀にかかる橋で、木造からコンクリート製になった。文章では見るが写真が見つからない。『思い出ほろろん〈新潟編〉』(中俣 正義写真 新潟日報事業社 1997)に載っていないことは確認済み。(新潟市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/7 0:30:28)
from レファレンス協同データベース (2024/3/7 0:30:28)
小島橋の写真は見つけられなかった。1 参考として「小島橋」の場所を確認(1)『流作場二百五十年誌』(大橋 毅著 三社神社御鎮座二百五十年祭実行委員会 2000) p300~301 「「11」 小島橋、D小島堰」の説明あり。 p302 流作場の橋と水門 第一図(新潟市大正13年製図)の地図に小島橋の記載あり。(2)『新潟市合併町村の歴史 沼垂・山ノ下・大形 第3巻』(新潟市合併町村史編集室 1980) p134~135 「「2」 沼垂の堀の埋め立て」 小島堀の記載もあるが長さは「不明」、埋め立て時期については「小島堀の埋め立ては昭和30年から35年ころまでかけたような気がするが確かなことはわからなくなった。」(p135)とある。2 インターネットで探す(確認日は2024年1月20日)・レファレンス協同データベース(https://crd.ndl.go.jp/reference/)、新潟県立 ...
以下の資料より、新潟県内では新潟市と村上市でナマズが食べられていた事がわかった。1 図書館所蔵資料(1)『新潟市史 通史編3』(新潟市 1996)p476「潟で捕れるフナ・ドジョウ・ヤツメ・ナマズや小魚も食べた」(2)『新潟市史 資料編10』(新潟市 1991)p174「川や潟などから捕れるフナ・ドジョウ・ヤツメ・ナマズ・雑魚などが中心」新潟市のどこの地域で食べられていたのか明確な記載はなし。(3)『日本の食文化全集15 聞き書 新潟の食事』(農山漁村文化協会 1985)p2~3、p23~24、p76表「福島潟からの食物利用のしかた」(4)『伝承写真館日本の食文化 5 甲信越』(農文協編 農山漁村文化協会 2006)p10~11、p42~43図 福島潟でナマズが獲れ、日常的に食していた記述あり。(5)『平成27年度 新潟市潟環境研究所研究成果報告 ...
「六地山(ろくじやま)遺跡」は新潟市西区内野町郊外の砂丘上に立地。昭和31(1956)年、旧新潟市域で最初に発掘調査された遺跡。弥生時代を中心に奈良・平安時代、中世の遺物も出土している。モミ跡の付いた土器片も出土している。アメリカ式石やじりの出土は新潟県第1号。六地山遺跡について、次の所蔵資料を提供した。(1)『内野の今昔 創刊号』(内野の今昔を語る会 1983)p32~37「弥生時代-六地山遺跡の紹介」(2)『六地山遺跡-1982年発掘調査を中心に-』(新潟市教育委員会 1986) (3)『新潟市の遺跡』(新潟市 2007)p106~107「六地山遺跡」(4)『新潟市史 通史編1』(新潟市 1995)口絵「図2 弥生土器(カラー写真)」、p21「図20 弥生土器に残されたモミ殻の跡」、p36~38「北陸と東北の共存」(5)『新潟市史 資料 ...
新潟市中央区古町地域にある料亭「鍋茶屋(なべぢゃや)」の戦時中の増築と、料亭「かき正(かきまさ)」の3階増築について記載されている資料はあるか。(新潟市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/7 0:30:27)
from レファレンス協同データベース (2024/3/7 0:30:27)
「鍋茶屋」「かき正」どちらとも増築について記載されている資料は見つけられなかった。次の資料を確認した。1 「鍋茶屋」について記載があった資料(1)『湊町新潟に伝承する文化・芸能の歴史的資料』(東日本鉄道文化財団 2009)p236~271「古町の料亭文化」、p236~247、p269~270に鍋茶屋についての記載あり。増築の記載なし。(2)『新潟古町花街の「今」 増補改訂版』(新潟市 2018)p13、p17 外観・内部の写真あり。増築の記載なし。(3)『かわらばんにいがた にいがた点描』(新潟日報西新潟販売店会 1986)p11 紹介と外観の写真の記載あり。増築の記載なし。(4)『新潟ののれん』(新潟日報事業社 1974)p37~46 紹介と外観の写真の記載あり。増築の記載なし。(5)『新潟歴史双書6 新潟市の文化財』(新潟市 2002)p138~139 ...
新潟県の高校の募集定員、クラス数、倍率を知りたい。新制高校(昭和23年)から現在まで、少なくとも昭和40年くらいからを知りたい。(新潟市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/7 0:30:27)
from レファレンス協同データベース (2024/3/7 0:30:27)
以下の資料に記載があった。1 新潟市立図書館所蔵資料を調査以下の資料に、すべての年ではないが募集定員等の記載がある。(1)『新潟県教育要覧』(新潟県教育委員会 1950~1960)(2)『新潟県教育年報』(新潟県教育委員会 1961~1984、新潟県教育庁総務課 1985~1997)2 インターネットで調査新潟県庁ホームページ「にいがた県統計ボックス」内の「新潟県の教育統計」に「高等学校等入学状況調査」があり、令和4年度の募集定員・学級数が分かる。倍率はないが受検者数の記載があるので計算は可能。合格率の記載あり。3 「高等学校等入学状況調査」について調査新潟県立図書館で『高等学校等入学状況調査報告書』(新潟県教育庁総務課)を昭和61年度から所蔵している。
以下の資料に記載があった。(1)『昭和天皇実録 第10』(東京書籍 2017)p472~481 昭和22年10月8日から10日まで新潟市滞在記録あり。8日「午後四時二十分新潟駅にて下車される。」「五時十七分、御泊所の新潟県知事公舎に御到着になる。郷土食を取り入れた御夕餐を召し上がった後、岡田知事夫妻の拝謁を受けられ、」と記載あり。9日朝食は記載なし。昼食は電車の車中と記載あり。「午後五時二十分、御泊所新潟県知事公舎に還御される。」と記載あり。9日夕食は記載なし。10日は新潟県知事公舎を出発後、西蒲原郡などへ向かった。(2)新潟日報 昭和22年10月9日夕刊1面「明晩はお好きなうなぎ」昭和天皇巡幸の8日夕食を「かき正」鍋谷藤作、「瓢亭」川崎溝太郎両氏と岡田知事夫人が調理したとあり。併せて8日夕飯からの献立につ ...
昔、大学入試で合格、不合格になったときに電報が来たようだ。電報の内容は大学によって違うらしい。どんな言葉だったのかを知りたい。(新潟市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/3/7 0:30:26)
from レファレンス協同データベース (2024/3/7 0:30:26)
以下の資料に記載があった。(1)『スープのさめない距離 辞書に載らない言い回し56』(道浦 俊彦著 小学館 2007)p152~154「サクラサク」に「合格電報は、戦後、大学の学生サークルがアルバイトとして始めたと言われる。」とある。また、合否の電報の文句は大学によって異なり、お茶の水女子大、東京商船大、信州大、奈良教育大、高知大の電報の文句が掲載されている。(2)『現代無用物事典』(新潮社 1989)p115~120「合否電報」に当時受験生に電話や電報で合否を伝える「電報屋」がいたことや「合否電文郷土色」に各大学の電文が掲載されている。(3)NTT西日本のホームページ「電報150年の歴史を振り返る「電報今昔」」https://www.ntt-west.co.jp/dmail/pickup/denpo150th/(確認日は2023年3月2日)「2006年2月20日付けの朝日新聞・天声人語 ...
以下の所蔵資料に記載があった。(1)『新潟市史 資料編10』(新潟市 1991)p460~463「盆棚」(2)『新潟市史 資料編11』(新潟市 1994)p365~367「盆棚」(3)『民俗資料選集 32 盆行事 5』(文化庁文化財部 2004)p3~4「盆棚・精霊棚」p17~19「盆棚・精霊棚」p180~181「7 飾り」(上越地方)p183~184「4 墓棚」(上越地方)p192~193「5 ボンダナ(オショライダナ)」(中越地方)p203「6 ショウライダナ(精霊棚)」(中越地方)p215「7 盆棚」(中越地方)p226~228「7 盆棚」(下越地方)p237「7 盆棚」(下越地方)p247~248「7 盆棚」(下越地方)p260~261「4 八月十三日」(下越地方)p278「7 盆棚」(下越地方)p292「7 盆棚」(佐渡地方)p299~300「3 盆のしたく(盆棚など)」(佐渡地方)(4)『新潟県大百科事典』(新潟日報事業社出版部 1984) ...
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