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寛永寺の時の鐘を管理運営していた「柏木家」について1)幕末~明治ゼロ年代までの暮らしぶり 豊かだったか、つつましかったか 使用人はいたか、家の規模など2)鐘撞職以外に収入があったか3)社会階層はどのあたりの位置にいたか(台東区立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/11 0:30:07)
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1)2)参考資料(1) 『柏木家文書』 p144 慶応2年2月~3年4月の日記には(寛永寺目代)田村権右衛門お役所に出勤している様子などがわかることから、一定の扶持をもらっていたと考えられる。また、p149 慶応3年2月22日に(柏木家の)役宅に強盗が入り、下駄2足を現場に残したことが記されていることから、役宅があったことが伺える。(参考URL(1)柏木家文書3)P178~「江戸府内の時の鐘と上野寛永寺鐘撞頭柏木家」「柏木」の名字は公式ではなく通称。幕府の公式文書には記されていない。時の鐘の管理には鐘撞料(鐘撞銭)や托鉢などで維持していたようである。請負人が公式な呼称。上野寛永寺の請負人柏木は「東叡山時鐘請負人」の他、「時鐘頭」「鐘撞頭」「時鐘堂頭」などの肩書を名乗っている。江戸の時の鐘は設置から請負人 ...
竜泉寺にあった水谷主水の下屋敷(約2万坪)の様子を写真または絵で知りたい。特に2400坪の大地、50坪の中の島の写真または絵を入手したい。『たけくらべ』に登場する、関東大震災の焼土で埋め立てた、等の表現があり往時の姿を是非知りたいです。(台東区立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/11 0:30:06)
from レファレンス協同データベース (2025/2/11 0:30:06)
『上野浅草名所案内』(111003471)によれば、水谷(みずのや)主水の下屋敷というのは台東区金杉上町並びに入谷町に跨り(約二万坪)存在し、この地は「みずのや」とよばれていたという。邸内には大池がありここには朝日弁財天が祀られてあり弁天池と呼ばれたという。(以上、ここまで文字情報であり、質問者の求める写真や絵ではないが参考として)〇今回は、質問者が希望する写真や絵などは当館資料からは見つからなかった(江戸期の下屋敷なので写真は当館以外にもほぼ無しか)が、明治期の地図では、弁天池の中の島であろうことが確認出来る地図がいくつか見当たった。当館のデジタルアーカイブでみることができる。(キーワード「上野」→「地図」にチェック→製作年(昇順)で並びかえを行うと絞り込みやすい)紹介 ...
歌手の江利チエミさんが、戦前台東区入谷の生まれだったと聞きました。具体的にどこで、いつ頃の事でか記載された書物或いはどんな家庭、家族など分かりましたら教えて下さい。お忙しい中、申し訳ありませんが宜しくお願いいたします。(台東区立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/11 0:30:06)
from レファレンス協同データベース (2025/2/11 0:30:06)
資料①『東京都〈台東区・墨田区・江東区〉人物・人材情報リスト2009』に「江利チエミの項あり、出生地・本名・出身校・経歴等ほか、参考資料・新聞掲載等の記載もある。参考資料中②『江利チエミ物語』③『江利チエミ波乱の生涯テネシー・ワルツが聴こえる』は当館にもあり。新聞はデータベースを活用していただけます。ご家庭・ご家族についても資料からご覧ください。参考資料:B10876657 東京都人物・人材情報リスト 2009 日外アソシエーツ株式会社/編集 日外アソシエーツ(制作) 2009.3 281.361, (人物・人材情報リストp68-69)参考資料:B10614194 江利チエミ物語 藤原佑好/著 長崎出版 2006.8 767.8 4-86095-139-5, 参考資料:B10044258 江利チエミ波乱の生涯テネシー・ワルツが聴こえる 藤原佑好/著 五月書房 2000.10 767.8 4-7727-0333-0,
お調べいたしましたが台東区に黒門橋という石橋は見つけられませんでした。 お調べの橋かは分かりませんが、千代田区に黒門橋という橋がありましたのでご紹介いたします。資料(1)に付随してる地図に黒門橋の記載あります。現在の所在地を資料(2)で確認すると、千代田区神田須田町1~2丁目、神田鍛冶町3丁目、鍛冶町2丁目の中間地点に黒門橋ガード・黒門橋架道橋の記載がありました。 また、資料(1)に付随してる地図では黒門町橋という橋も確認できましたので合わせて紹介させていただきます。資料(1)P17 黒門町橋の記載があり。『表面煉瓦及石材を以って装飾す』とある。付随してる地図から、以下の資料にある黒門町橋高架橋と同一の橋と思われます。資料(3)P216ー217 黒門橋高架橋(※1)の写真あり。 ...
寛永寺の子院でした「凌雲院」の結末について上野戦争、関東大地震、東京空襲などで様変わりになったようですが、1、廃寺になったのでしょうか2、廃寺になったとしたら、祀られていた方々のお墓はどうなったのでしょうか(台東区立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/11 0:30:06)
from レファレンス協同データベース (2025/2/11 0:30:06)
1、について【参考資料①】『天台宗明細簿(旧下谷区)明治十年 』P.87に以下の記載があり、廃絶されたことがわかりました。※①:当該寺院が存続している場合は「現存」、廃絶している場合は「廃絶」②:当該寺院が廃絶している場合は「廃絶の年次と合寺先」、移転している場合は「移転先」、移転がない場合は「不変」③は現存寺院の現在の場所が示される項目ですが、凌雲院は該当しないため記載がありません④:経過と参考になる事項「5、凌雲院①廃絶 ②昭和三十一年頃寛永寺に合寺。④当時は現円珠院の東北に在った。後、西洋美術館の地に移転。この地が収公されたため寛永寺に合寺された。(以下略)」2、について【参考資料②】『たいとう名所図会』P.84に記載あり「77 慈海僧正墓(都指定旧跡)墓は、初め凌雲院 ...
ラーメンの歴史に出てくる「来々軒」(現:台東区)について。明治34年に開業とされているが、客観的に確認できる資料を探している。さまざまな資料には当たっているので、『近代日本食文化年表』(小菅桂子)等とは別に、地図や広告、著名人などの日付のわかる日記、ローカル誌などで年代と開店日を知りたい。(台東区立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/11 0:30:04)
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・NDL WEB資料『通人物語趣味の東京』の「浅草食通誌」中、138コマP255左から3行目に名前が載っているのみで開店などの情報はない。本書は大正2年刊であるが、本文最後144コマP266 文末に(四五年春)。また文中142コマP263左から3行目に「四五年(ことし)で、創業一百〇五年~」ともあることから、執筆は明治45年春とわかる。よって、明治45年にはすでに来々軒はあったことになる。・ラーメン博物館の記事にある浅草来々軒を始めた「尾崎貫一」については、複数の資料にあたるものの「来々軒」の記述はなし。その他:資料1『浅草繁昌誌』(昭8)P21下段3行目支那料理来々軒/資料2『浅草細見増補新訂』(昭51)P153大正10年頃の「来々軒」写真/資料3『浅草公園と千日前』(大9)P111下段4行目(「浅草の食べ物」久保田万太郎) ...
The leaders of America, Russia and China are now all committed to territorial expansion
US president’s plans hit shares of some European and Asian steel producers
The White House responded to lobbying from carmakers with exemptions. The EU went after bourbon
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