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北九州市小倉南区にある砥石山は砥石を産出した場所ですか?砥石産出と関係ないならば、名前の由来を教えてください。(北九州市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/18 10:16:31)
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砥石を産出していたことは確認できなかった。名前の由来については、以下の資料を紹介した。『企救郡誌 伊東尾四郎/編 1931年発行』P71 天疫神社(企救村大字城野字砥山にあり)に由緒が掲載されており、 【神社明細帳】「或時須佐之男命ヲ觀請シ、新二神劔ヲ打、蛇淵源流ヲ汲、社内ノ岩石ニテ、之ヲ磨ギ奉納ス。 因テ砥石山と號ス。」とあります。P72 【企救郡誌四】「此神鎮座年月不詳。社の地は城野の村に繼て、一面の岡なり。松立茂り、少し高き地なれば、西野方 より見るに、紫石在て、山の如し。里人砥石に用に、依て砥石山と云。」とあります。回答プロセス:自館端末を「砥石」「砥石山」で検索。以下の資料を確認したが、産地であることは、確認できなかった。「地域相研究 1981年7月 第10号」 地域相研 ...
明治32年(1899年)10月5日横浜港からハワイへ出港した「SS DALMYVOSTOC(ダルニ・ボストック)号」の門司港への入港日と出港日を知りたい。(北九州市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/18 10:14:44)
from レファレンス協同データベース (2024/12/18 10:14:44)
「門司新報」に以下の記述があります。明治32年9月23日「外国船の入港 露ダルニボストック號は廿二日長崎より入港横濱へ」 明治32年9月26日「露国汽船ダルニーボストック號は米国航行の途次当港に寄泊し三菱合資会社門司支店の手にて燃料炭及び米国への輸出炭を積載して二十四日の朝神戸に向ふ」「本船は米国への出稼人七百余名を載せるものにして、神戸より直ちに横濱へ向ひ更に布哇を経て米国の桑港へ向け航行するものなり」回答プロセス:明治32年10月5日に横浜港からハワイへ出港したとのことから、その日以前の「門司新報」を検索。明治32年9月23日に入港の記事、明治32年9月26日に出港の記事を確認した。
以下の資料をご案内いたしました。回答プロセス:筑前黒田藩と豊前小笠原藩との界を、元禄13年に筑前国箱崎村に両藩相寄って境界線を協定したものが、箱崎協定といわれるものである。その箱崎協定で決められた事柄について知りたい、とのことだったので、インターネットで「箱崎協定」と検索したところ、『黒田新續家譜』に箱崎協定の内容が書かれていることが分かった。さらに、「黒田新續家譜 箱崎協定」のキーワードで調べてみると、『黒田新續家譜 11巻』に該当箇所があることが分かった。なお、『黒田新續家譜 11巻』の翻刻版が『新訂黒田家譜 第3巻』に載っている。参考資料:川添 昭二/校訂,福岡古文書を読む会/校訂. 新訂黒田家譜 第3巻. 文献出版, 1982.9. p. 172, (自館請求記号 K288/ク/3, 自館資料番号 00109937 ...
資料『全国市街地価格指数,全国木造建築費指数』について伺います。現在インターネットで公開中の2022年9月末現在の資料のなかの➀市街地価格指数・指数表(商業地・住宅地・工業地・全用途平均・最高価格地)P.8②市街地価格指数・過去4回の動向 P.9部分の昭和50年3月末分を探しています。求めているのは「市街地価格指数表」ですが昭和50年の資料では該当文言はございますでしょうか。あった場合は、掲載ページを教えて頂くことは可能でしょうか。(国立国会図書館(National Diet Library
from レファレンス協同データベース (2024/12/18 10:11:58)
from レファレンス協同データベース (2024/12/18 10:11:58)
当該資料の目次・表のタイトル程度を概観しましたが、「市街地価格指数表」という文言は見当たりませんでした。表はいずれも「市街地価格推移指数表」とありました。目次の網羅的な転記は通常行っておりませんが、表の数等に鑑み、目次をもとに表の一覧をお知らせします。1 全国市街地価格推移指数表 p.72 地域別全国市街地価格推移指数表 p.83 地域別六大都市市街地価格推移指数表 p.94 六大都市を除く地域別市街地価格推移指数表 p.105 戦前基準全国市街地価格推移指数表 p.116 戦前基準地域別全国市街地価格推移指数表 p.127 戦前基準地域別六大都市市街地価格推移指数表 p.13いずれも推移とあるとおり、複数年の値が記載されています。ご照会の「商業地」「住宅地」等の記載があるのは、タイトルに「地域別」とある表2,3,4,6,7です。 ...
森鷗外『小倉日記』の明治34年11月17日(土)に「八幡製鐵所の作業開始式に臨む」という記述があります。開始式は18日ではないか調べる資料はありますか。(北九州市立中央図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/18 10:09:50)
from レファレンス協同データベース (2024/12/18 10:09:50)
福岡日日新聞 明治34年11月19日(火) 1面より18日だったことが分かりました。前日18日(月)の開始式について「開始式 小春気朗らかにして天晴れる」から始まる記事があります。『小倉日記』11月18日には「大風吹き、みぞれ降る。」とあります。『鷗外研究年表 苦木 虎雄/著』の11月15日の部分に対して、この「日記には不審な点がある」、として16日の日記を15日と筆写の際の誤ったものと考えられる部分があると記述があり、17日についても誤記の可能性があることが分かりました。ひろば北九州1999年1月号 22-1 (151) 『口語訳『小倉日記』抄/谷伍平著』の該当部分には「17日 18日の誤記」と記載がありました。回答プロセス:当時の新聞、森鷗外・八幡製鐵所関連資料から確認しました。 ...
請求記号Y78-G2695遊・戯・王モンスターカプセルブリード&バトル (Vジャンプブックス. ゲームシリーズ)遊・戯・王モンスターカプセルブリード&バトルというプレイステーションのゲームの攻略本となっております。このゲームには、初回プレス特典として、10枚のカードが付属しております。つきましては、上記書籍に10枚の特典カードの情報が記載されているかご確認いただけますでしょうか。(国立国会図書館(National Diet Library))
from レファレンス協同データベース (2024/12/18 10:09:48)
from レファレンス協同データベース (2024/12/18 10:09:48)
ご照会の資料の目次を調査しましたが、お探しの項目「特典カードの情報」は確認できませんでした。見出しも通覧しましたが、見当たりませんでした。遊・戯・王モンスターカプセルブリード&バトル (Vジャンプブックス. ゲームシリーズ)ホーム社 編. 集英社, 1998.8 【当館請求記号:Y78-G2695】事前調査事項:同様の形式で販売されているゲームボーイのゲーム攻略本には初回特典カードの情報が記載されていた。備考:サービス企画課(レファレンス承認者)
「社会福祉学」ISSN0911-0232 26巻1号 P63~82「社会福祉におけるレクリエーション観」垣内芳子(著)の論文が記載されているか知りたい。またこちらの論文は、日本語・英語でどちらで書かれているものかも知りたい。(国立国会図書館(National Diet Library))
from レファレンス協同データベース (2024/12/18 10:09:17)
from レファレンス協同データベース (2024/12/18 10:09:17)
ご照会の資料の目次をお調べしましたところ、お探しの論文が確認できましたのでお伝えします。当該論文は日本語です。論文名 社会福祉におけるレクリエーション観著者名 垣内芳子巻号・年月 26巻1号(通号31) 1985.9ページ pp.63-82日本社会福祉学会機関誌編集委員会 編. 社会福祉学, 日本社会福祉学会, 1960-. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000010587国立国会図書館請求記号 Z6-275備考:サービス企画課(レファレンス承認者)
引き揚げた兵士が療養していた病院「小倉陸軍病院(現小倉医療センター)」が掲載している①『小倉医師会史』724頁、『小倉陸軍病院の思い出』等下記の資料をご案内しました。回答プロセス:自館端末でキーワード検索したのち、郷土資料の棚でブラウジングしました。事前調査事項:1875年(明治8年)に歩兵14連隊が創設され営所病院として開設し、1888年(明治21年)小倉衛戍(えいじゅ)病院に改称。第12師団軍医部長を務めた森鷗外も訪れた。1936年(昭和12年)に小倉陸軍病院となり、太平洋戦争終結後の1945年(昭和20年)12月、国立小倉病院(国立病院機構小倉医療センターの前身、平成20年に名称変更)となった。参考資料:①『小倉医師会史』 ( 北九州市小倉医師会/著 1981 北九州 当館資料コード ...
資料により曽田共助の病院は「耳鼻咽喉科」と分かりました。『新豊前人物評傳 中村 十生/著』・・・「大正8年小倉堺町に耳鼻咽喉科医院を開いて仁術を施し大いにはやった」と掲載がありました。『北九州学 その7』・・・「現小倉飯店(福岡県北九州市小倉北区堺町1-8-14)の横に当時曽田邸があり、その近くに耳鼻咽喉科医院を開いた」と掲載がありました。『小倉郷土会のあゆみ 曽田共助につづく人びと』・・・「大正5年、小倉市立病院耳鼻咽喉科開設にあたり医長として赴任。大正8年に堺町に耳鼻咽喉科医院を開業」と掲載しています。『小倉医師会史 北九州市小倉医師会/著』・・・「曽田耳鼻咽喉科病院」という病院名や経歴の記載がありました。回答プロセス:自館端末でキーワード検索したのちインターネットで検 ...
北九州市若松区の小田山墓地に、「1945・9・17 若松沖遭難者慰霊碑」と刻まれた朝鮮人遭難者慰霊碑があります。この慰霊碑は、強制的に日本に連行された朝鮮人が、祖国に帰るため玄界灘を小船で渡ろうとしましたが、1945年の枕崎台風に襲われて転覆し後日、若しの海岸におびただしい数の遺体が打ち上げられ、遺体が埋められたことを受けて霊を慰めるために建立されました。『九州の戦争遺跡』(p50)のなかに、「昭和五十(1975)年の「毎日新聞」の記事に、「九州地方朝鮮人強制連行真相調査団」が聞き取り調査をしたことが載っている」とありました。掲載の月日が分からなかったため、毎日新聞1975年の8月を見てみましたが、記事の確認はできませんでした。(『 小田山墓地・朝鮮人遭難の碑』(p9)には「1974 ...
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