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昔見た写真を探している。徳島市の新町橋か両国橋の写真で、藍の産業が盛んだった頃、お接待の人々でとても賑わっている様子を写したものだった気がする。(徳島市立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/9/27 12:24:19)
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当館所蔵の以下の資料を提示した。『目で見る徳島の100年 写真が語る激動のふるさと一世紀』(徳島市・名西郡・名東郡)三好 昭一郎∥監修 郷土出版社 1999年34ページに「両国橋の花魁道中」という写真が掲載されている。回答プロセス:当館の郷土資料コーナーを直接確認した。当館所蔵の資料のなかで、昔の徳島市の様子が掲載されている写真集を複数冊選別し、確認を行った。内容を確認した結果、下記資料の34ページに、「両国橋の花魁道中」という写真が掲載されていた。『目で見る徳島の100年 写真が語る激動のふるさと一世紀』写真の注釈には、「明治から大正時代にかけて、冨田街の遊興街では全国の藍商人の接待が連日行われ、100人を超える芸者がいて華やいだ」という記載があり、こちらの資料を提示した。参考資料:三好昭 ...
徳島県の塩業について、参考資料を教えてください。特に、徳島市の製塩業についての記述があるものがいい。(徳島市立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/9/27 12:24:19)
from レファレンス協同データベース (2024/9/27 12:24:19)
当館所蔵の以下の資料10冊を提示した。(「徳島市の製塩業」に関する記述があった資料には、文末にページ数を記載)『徳島市史 第三巻 産業経済編・交通通信編』 徳島市市史編さん室∥編 徳島市教育委員会 1983年 183ページ~202ページ『鳴門塩田絵巻』 緒方 常雄∥原画 文 小橋 靖∥解説 グランド印刷 2015年 22ページ,56ページ『古代製塩の島 淡路 古代の塩づくりはどうしていたか』 洲本市立淡路文化資料館∥編 洲本市立淡路文化資料館 2001年 34ページ~35ページ『塩の道 (講談社現代新書382) 』平島 裕正∥著 講談社 1978年『鳴門塩業史』加川 健三郎∥著 日本専売公社 1973年『製塩秘録』緒方 常雄∥著 1964年『高島塩田の開拓と篠原家』村 武勇∥著 1983年『鳴門の塩 (民俗文化財集 第十集)』 徳島県郷土文化会館民俗文化財集編集委員会 徳 ...
当館所蔵の以下の資料7冊を提示した。『人に話したくなる土壌微生物の世界 食と健康から洞窟、温泉、宇宙まで』 染谷 孝∥著 築地書館 2020年『土壌学の基礎 生成・機能・肥沃度・環境 新版』 松中 照夫∥著 農山漁村文化協会 2018年『土の中の美しい生き物たち 超拡大写真でみる不思議な生態』 萩原 康夫ほか∥編著 塚本 勝也ほか∥著 朝倉書店 2019年『土のなかの奇妙な生きもの』 渡辺 弘之∥著 築地書館 2011年『図解でよくわかる土壌微生物のきほん 土の中のしくみから、土づくり、家庭菜園での利用法まで』 横山 和成∥監修 誠文堂新光社 2015年『土壌動物の世界』 東海大学出版会 2002年『写真で見る小さな生きものの不思議 土壌動物の世界』 皆越 ようせい∥著 平凡社 2013年回答プロセス:当館の検索システムで、キーワードに「土の ...
一路居士(1888-1965)、本名馬場一郎、高崎出身。 「一路」という号は愛読していた黒岩涙香『天人論』の「ああ向上の一路ある哉」によるものとのことです。 東京の丸ビルで和風堂(夏目漱石が命名)という商店を営んだかたわら、数多くの書画を残しました。 墓は赤坂町の恵徳寺にあります。 昭和49年観音山慈眼院境内に、遺品・遺作を集めた「一路堂」が建てられましたが、現在は建物の一般公開も遺作の展示もしておらず、展示会などの際だけ建物の公開をしているようです。 慈眼院HP「慈眼院について」(http://takasakikannon.or.jp/about.html 最終確認2015.6.5) 当館所蔵の関連資料資料としては以下のものがあります。 一路居士のこと 橋爪良恒編集 和風堂 1974.5 一路観音碑道しるべ 藤田いくみ編集 和風堂 1985.4 一路居士遺墨集 一路居士著 和風 ...
高崎縄のれんは、い草の縄をねじって互いに巻きつくように編んだ涼感あふれる縄状ののれん。九蔵町の川端喜久男さんによって戦後1948(昭和23)年頃から製作され、1993(平成5)年度に群馬県ふるさと伝統工芸品に指定されている。川端喜久男さんは2005(平成17)年に亡くなっており、現在事業が継承されているかは不明。 以下、当館所蔵の参考資料になります。 上州文化 №84 2000年11月号 p12-13 高崎縄のれん 川端喜久男(ふるさと伝統工芸士 3) 縄のれんを作るに至った経緯や、材料・製造方法をはじめとするインタビュー記事。 作業風景の写真複数あり。 群馬県ふるさと伝統工芸品 p33 高崎縄のれん 高崎縄のれんのカラー写真が大きく掲載されている。 事典 日本の地域ブランド名産品 p91 高崎縄のれん 簡単な解説あり。 広報たかさき 1994(平成6) ...
昭和はじめ頃の山口市の文化的な環境が分かる資料はあるか。昭和4~9年頃の喫茶店などの店や、催事、演劇、映画、美術などに関する様子が分かるようなものを探している。(山口県立山口図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/9/27 9:45:43)
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下記資料に関連情報あり。資料1『写真集 明治大正昭和 山口』昭和の山口市の写真の掲載あり。商店や文化施設に関するものとしては以下の項にあり。「商店・会社」(p53~61)の項あり。お調べの年代に近い写真としては以下のものがある。p56「山口醤油株式会社」(女郎屋町、昭和4年頃)p57「中央マート」(中市、昭和4年頃)p59「湯の花まんじゅう」(昭和10年頃)p60「山口自動車商会」(山口駅前、昭和4年)「娯楽・観光」(p106~113)p106「昭和三年頃の山口座」(久保小路)p107「戎座」(湯田、昭和初年)p108「金龍館」(道場門前、昭和4年)p109「大和座」(米殿小路、昭和初年)p112「ちょうちん七夕」(昭和初年)資料2『地図と年表でたどる大殿界隈』(ページ付けなし)年表⑥ 大正~昭和39年の年表。「(昭和8年)ちまきや八 ...
「毛利四代実録考証論断」の全体を収録した資料は見たらなかった。同書の改訂版である「毛利三代実録考証」と、同書の本編にあたる「毛利四代実録」、その改訂版である「毛利三代実録」は、下記資料1・2『山口県史 史料編 1 上・下』に収録されている。「毛利四代実録考証論断」(「四代実録考証論断」「毛利氏四代実録考証論断」とも呼ばれる)は、幕末期から明治初期にかけて編纂された史書。山口県文書館が所蔵(写本、105冊)しており、いまのところ全体を活字化した資料は見当たらなかった。(市町村史や研究文献などにその一部が収録されているものは見つかった。)“山口県文書館 所蔵文書検索 毛利氏四代実録論断考証”(山口県文書館)(2024年9月22日最終確認)https://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/msearch/detail_doc/12802「 ...
湯田温泉の起源とされている、白狐の言い伝えは何処から来たものなのか。また、そのことが記された資料があれば知りたい。(山口県立山口図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/9/27 9:45:42)
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湯田温泉と狐に関する伝説として、湯田温泉を管理していた野原家に伝わる『防州吉敷郡湯田村温泉記』という書物に、狐に関する伝説が記されていると示している資料があった。下記資料1『山口市史』p414に湯田温泉の由来として、老狐に関する伝説が紹介されており、この伝説は湯田温泉の元祖とされている野原家に伝わる『湯田村温泉記』に記されているとある。また、『湯田村温泉記』を現代語訳し、註や原文などを付したものに資料2『防州湯田村温泉記』がある。資料2『防州湯田村温泉記』p66によると、『湯田村温泉記』の正式名称は『防州吉敷郡湯田村温泉記』であり、正徳元(1711)年に儒者であった田中克軒が、当時の湯主野原吉左衛門から依頼を受けて著述したものであるとのこと。p40-44には、田中克軒は温泉の館主 ...
吉田松陰の著作の和装本で、原稿用紙(原稿紙)を用いたものを探している。以前、山口県立山口図書館で見たことがあり、書名や内容は不明だが、大きさは通常の和装本より小さかった。(山口県立山口図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/9/27 9:45:42)
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下記資料1『松陰神社所蔵宝物図録』に掲載された図版の中に、原稿紙が用いられた松陰の和装本の図版もあり。そのうち、当館にも所蔵があるものの現物を確認し、原稿紙が用いられていたのは資料2、3(『孫子評註 乾』『孫子評註 坤』)。また、『松陰神社所蔵宝物図録』p90に「松下村塾原稿紙版木」の写真があり、解説によると、安政3年(1856)6月6日以前に松陰は月性から写真の版木と同様のものを贈られ、それ以降は松陰の述作には原稿紙が用いられたとのこと。その他、比較的小さいと思われる松陰の和装本『涙松集』、『留魂禄』、『照顔録』等を確認するが、原稿紙ではなかった。参考資料:1.松陰神社編集. 松陰神社所蔵宝物図録. 松陰神社, 2009.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1130282272731264000, 参考資料:2.吉田 松陰 著 , 吉田 ...
下記資料1-2に『富岡先生』が収録されている。また、資料2p.566には『富岡先生』についての簡単な解説が掲載されている。富永有隣に関しては資料3-9を紹介。参考資料:1.国木田独歩 [著] , 坪内祐三, 関川夏央 編. 国木田独歩. 筑摩書房, 2001. (明治の文学 ; 第22巻)https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002971267, 4-480-10162-4(p109)参考資料:2.国木田独歩 著. 定本 国木田独歩全集 第2巻. 学研, 1978.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I30111100078309, (p437、566)参考資料:3.高木 正煕 著. 作家たちの萩 : 読みがき文学散歩 : 萩ゆかりの作家たち 上巻. 萩ものがたり, 2010. (萩ものがたり ; Vol 25)https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I35111000764640, (p27)参考資料:4.田中 行成 編. 追われる富永有隣の土佐の八年間. 田中行成, 1979.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I35119810068778, 参 ...
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