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「就学規則」について調べている。(1)『茨城県教育史 上巻』p.730に記載のある、1892(明治25)年発令の「学齢児童就学規則」(茨城県令甲第十三号)はどこで現物が見られるのか。(2)上記の「学齢児童就学規則」は第二次「小学校令」を受けての対応だと思われる。第一次、第三次の小学校令に対応する「就学規則」も発令されたものと思われるが、『茨城県教育史』には記述がなかった。茨城県では第一次、第三次の小学校令に対応する「就学規則」は発令されなかったのか。(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:54:51)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:54:51)
茨城県の学齢児童就学規則について、以下のとおり回答いたします。『茨城県教育関係布達目録』(茨城県歴史館史料部史料室/編集 茨城県歴史館 1975)【当館請求記号:L069.6/イレ-5/2 郷土資料室】※貸出用図書あり茨城県布達、茨城県官令全報、茨城県報などの史料から、教育に関する事項を収めた目録です。学齢児童就学規則について、次のとおりの記述がありました。1886(明治19)年4月10日 第一次「小学校令」発令以降「明治一九(一八八六)年 一一・二七 県令甲第三五号 学齢児童就学規則制定〔布全六四(傍訓茨城県布達全報第六四号)〕」(p.21)「明治二〇(一八八七)年 一一・二 県令甲第七五号 明治一九年県令甲第三五号学齢児童就学規則中改正〔官全二一(傍訓茨城県官令全報第二一号)〕」(p.23)「明治二一(一八八 ...
「北茨城市史 上巻」P.253-254に書かれている内容について(1) 大塚掃部助は1348年に討死とあるが、どのような状況で亡くなったか分かる資料があれば紹介してほしい。「常陸三家譜」について、この資料がどのようなものか知りたい。(2)“河内国の大塚掃部助”について、著者によっては「茨城県人ではなく、大阪の『河内』のことではないか?」と書いている。どちらが正しいのか。茨城県人なのか、大阪人なのか、分かるような資料があれば紹介してほしい。(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:30)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:30)
(1)大塚掃部助が亡くなった時の状況(死に様)について『大阪府史 第3巻 中世編1』(大阪府史編集専門委員会/編集 大阪府 1980)【 国立国会図書館デジタルコレクション 図書館送信対象資料 】URL: https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9574408 (デジタルコレクション 389コマ目)P.732-735 第三章 武士勢力の伸張 第二節 南北朝の角逐と摂河泉 3.楠木一族の動向 四条畷の合戦 P.734[大塚惟正は、正行の戦死を聞き、ただ一騎敵陣に切り込んで戦死したという。]『太平記 4 』(山下 宏明/校注 新潮社 1985) ※貸出用図書ありP.174-179 巻第二十六 楠正行最期の事…[大塚掃部助、手負うたりけるが、楠なほ後にあるともしらで、放れ馬のありけるに打ち乗つて、遙かに落ち延びたりけるが、和田・楠討たれたりと聞きて、ただ一騎馳せ帰り、大勢の中へ ...
常陸国と下総国の境について、以下の資料をご紹介します。1 事典辞書類で確認できる資料・『国史大辞典』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1986)【館内閲覧資料】(7巻 しな‐しん)p.143-147 「しもうさのくに 下総国」の項があります。うち、「下総国郡鄕一覧」(p.144-145)では、古代の郡名から現在の県・市町村(昭和六十年四月一日現在)までが対照表となっています。(11巻 にた-ひ)p.925-928 「ひたちのくに 常陸国」の項があります。うち、「常陸国郡郷一覧」(p.926-927)では、古代の郡名から現在の県・市町村(平成元年四月一日現在)までが対照表となっています。・『日本歴史地名大系 8 茨城県の地名』(平凡社 1982)【館内閲覧資料】下総国(p.647-653)p.647-651 「下総国」について記述があります。時代区分(古代・中世・近 ...
小学2年生向けの詩集を26名分探している。同じものが26冊ではなく、いろいろな詩集があるといい。どのようなものがありますか。(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:30)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:30)
対象とする本に関しては,例えば『新・詩のランドセル 2ねん』(江口 季好/〔ほか〕編集委員 らくだ出版 2005)のように学年別にわけた詩集がございます。また,子どもたちが手に取りやすいことを考えると,まどみちおさん,谷川俊太郎さん,金子みすゞさんなどの詩を絵本にしたものはいかがでしょうか。回答プロセス:当館作成の団体貸出用の資料リストを確認。自館OPACで「全項目-詩集」、「資料種別-児童書」の条件で検索。その他、こどもとしょしつ911をブラウジング。絵本になっている詩歌もあるので紹介した。
以下の条件を満たすもので,教育勅語の原本が見たい。・全文が一ページまたは見開き一ページに収まっている。・御璽が押してある。(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:30)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:30)
次の資料を紹介した。・『教育勅語』(杉浦 重剛/著 勉誠出版 2002)「教育勅語」原本 p.4-5 御名に「睦仁」,御璽に「天皇御璽」と記されており,「明治23年(1890)10月30日,天皇より下賜された「教育勅語」」と記されている。(上記を提供後に確認した資料)・『徹底検証教育勅語と日本社会』(岩波書店編集部/編 青木 理/[ほか著] 岩波書店 2017)口絵 写真下に「教育勅語原本(国立国会図書館所蔵)」と記されている。回答プロセス:・図書を希望されていたため,デジタル資料の検索は行なわず。・当館OPACの全項目で「教育勅語」を検索。・レファレンス協同DBで「教育勅語」を検索し,紹介されている資料を確認。【その他確認資料】〈教育勅語(謄本)の掲載(写真)〉写真が掲載され,「御名」「御璽」と記されている。・ ...
20年以上前(1995年位)の旧 玉造町の電話帳やタウンページがありますか。閲覧は可能でしょうか。(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:29)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:29)
ご質問のありました,当館で所蔵している1995年頃の旧玉造町の電話帳について,次のとおり調査しましたので,ご確認ください。・ハローページ『ハローページ 50音別 茨城県石岡・鉾田地区(1994年2月10日現在)』『ハローページ 50音別 茨城県石岡・鉾田地区(1995年2月17日現在)』『ハローページ 50音別 茨城県石岡・鉾田地区(1996年2月19日現在)』・タウンページ『タウンページ 職業別 茨城県東部版(1994年2月10日現在)』『タウンページ 職業別 茨城県東部版(1995年2月17日現在)』『タウンページ 職業別 茨城県東部版(1996年2月19日現在)』こちらは茨城県立図書館の郷土資料室で閲覧することができます。回答プロセス:クイックレファレンス
雑誌『ナイフマガジン』で、「彦さんのコラム あすの別れ、田崎成一のこと」という記事が掲載されている巻号を知りたい。2000年以降に発行されていると思われる。(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:29)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:29)
国会図書館に問合せたところ,お探しの記事が見つかりました。『Knife = ナイフ・マガジン』ワールドフォトプレス【国会図書館請求記号:Z11-1696】 記事名 彦さんのコラム 95回 あすのわかれ・田崎成一のこと 著者名 彦一彦 掲載巻 17(4)(通号97)2002.8 ページ pp.30-31(カラーページ)回答プロセス:『ナイフマガジン』掲載記事に関する類似事例の際に参考にした個人のHPを確認したが、今回調査している記事に関連する記述は見つからなかった。http://www4.tokai.or.jp/nunokiri/b-ta.html【2021/01/06最終確認】「あすの別れ 田崎成一のこと」というキーワードでインターネット検索したところ、個人のHPがヒットし、「ナイフマガジン95号」「彦先生の『あすの別れ・田崎成一のこと』」と記載されていた。https://6615.teacup.com/nishikan/bbs/37 【2021/01/06最終確認】 ...
以下の資料を紹介した。(1)『ローマ教皇史』(鈴木 宣明/著 筑摩書房 2019)「3 西欧中世初期」「カロリング国家における教皇職 オットー大帝」P.156「教皇とドイツ皇帝 オットー朝皇帝権の下に」P.156-157(2)『ローマ教皇歴代誌』(P.G.マックスウェル‐スチュアート/著 創元社 1999)「第2章 東西のはざまで」 P.94-95(3)『キリスト教史 3』(上智大学中世思想研究所/編訳,監修 講談社 1990)「第一部 六〇四~一〇四八 第四章 教皇職の変遷(604~1049)」 P.126-127(4)『ローマ教皇事典』(マシュー・バンソン/著 長崎 恵子/訳 三交社 2000)「第1部 歴代の教皇 東西教会の決定的分裂(一〇五四年まで)」 P.73(5)『教皇264代の系譜』(新井 修/著 コルベ出版社 1981)「第二章 中世,誇りと恥辱の春秋」「聖大グレゴリウスの登場」P.6 ...
諏訪三河守の記述があった資料をご紹介いたします。(1)『そうわの文化財 5号』(総和町教育委員会・町史編さん室/編 総和町教育委員会・町史編さん室 1996)【貸出用図書あり】「Ⅰ 指定文化財の概要 1 総和町の指定文化財(平成6年度) 小堤城跡出土古銭―下河辺荘小堤郷の中世的景観から― 内山俊身 P.8-40」P.9「一 発見から現在に至る経緯」の項目があり,第一次出土銭について,「小堤城館に関わるもの,とくに城館居住者で古河公方家臣と伝えられる諏訪氏のうち,大永六年(一五二五)に当地を去ったとされる最後の城主三河守頼方かその家老級武士の「備蓄銭」であろうと推測された。」との記述があります。P.16-21「四 中世における小堤地域の歴史的環境」の項目があり,P.19に「諏訪三河守が小堤に移り小堤城館を築いたと ...
伊東甲子太郎の幼少期,「すけじ」あるいは「すけゆき」と名乗っていたか知りたい。漢字だと「子₊右(子へんに右)次」(茨城県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:28)
from レファレンス協同データベース (2024/12/14 13:24:28)
幼少期の名前を確認出来た資料(1)「伊東甲子太郎と幕末の同志」(かすみがうら市歴史博物館/編集 かすみがうら市歴史博物館 2017)「1 伊東甲子太郎の故郷と家族」P.3「(1)志筑という地域について」「幼名は祐」との記述があります。※「祐」のふりがなは記載が無く,読み方は不明(2)「竹内百太郎と伊東甲子太郎」(かすみがうら市/企画 かすみがうら市郷土資料館/監修 かすみがうら市 2015)P.79「資料10/伊藤甲子太郎の青年期」「幼少期は「祐」,青年期の名は「鈴木大蔵」といい」との記述があります。(3)「幕末維新大人名事典 上巻」(安岡 昭男/編 新人物往来社 2010)P.144「伊東甲子太郎」の項目に「初め鈴木大蔵のち伊藤摂津を称す」との記述があります。回答プロセス:自館OPACにて全項目「伊東甲子太郎」で資料 ...
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