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【御供田村及び土屋又三郎について】 以下の事項について知りたい。1.御供田村とは現在の金沢市のどこか。2.御供田の現在に至るまでの地名の変遷。3.御供田とは宮社の社地であったことを指すのか。4.どこの宮社の社地か。5.御供田はどこの藩領、給人知か。6.御供田村の村高。7.土屋又三郎家の持高。8.又三郎の配下の村名。9.草苅に行く入会の山はどこか。10.十村役、引越十村について書かれた資料。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:52)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:52)
1~4については、地名辞典で把握が可能。『角川日本地名大辞典 17 石川県』(118552562)p.373より抜粋すると、地名の由来は「かつて増泉にあった神田神社の神田であったことによるというが不詳」(出典は『石川郡誌』)とある。同書によると、御供田村は明治22年に米丸村の大字となり、昭和10年金沢市神田町となっている(なお、御供田村の現在の金沢市御供田町とは別の場所)。住居表示導入に伴い、昭和42年神田1~2丁目などに変更されている。村には神田神社と白山社があったと記載されている。5については、『石川県立郷土資料館紀要 第11号 加州三郡高免付御給人帳』(11906958)(同書では内容を寛文10年と推定している)p.48に御供田村の記載あり。村高は787石で、又三郎の扶持のほか15人の給人による相給となっている。6については、『加能越 ...
【桂離宮と加賀奉書の関わりについて】 調べ物をしていて、桂離宮の松琴亭に加賀奉書が使われているという情報を得たが、その根拠となる資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:52)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:52)
館内の資料を調べたが、桂離宮(松琴亭)の工事のために加賀奉書が贈られた/使われた根拠となるような一次資料は見つけることができなかった。以下に調べる過程でわかったことを記録する。◆加賀奉書について一般的に、藩政時代に二俣(ふたまた)村で漉かれていた上質紙のこと。加賀藩の御料紙・献上紙として庇護を受けていた。『金沢美術工芸大学紀要 第36号』(119379514)p.1「加賀奉書における擣紙の研究」二俣が前田氏指定の御料紙漉き場となった根拠として知られる『御献上紙等御料紙由緒覚書』が引用されている。また、『雍州府志』には越前鳥子紙と並んで最上級の紙だと記述があるとのこと。→『石川県史 第3編』(118587399)p.931-936二俣の製糸、藩の料紙製造、御料紙由緒(「御献上紙等御料紙由緒覚帳」)について書かれており、 ...
『47都道府県・妖怪伝承百科』(113603749)に各県ごとの特色と妖怪譚がまとめられている。出典も示されている。国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースで検索が可能。詳細検索で地域を絞ると、石川・金沢の妖怪譚を見ることができる。【URL】http://www.nichibun.ac.jp/youkaidb/search.html郷土資料で妖怪譚のみに特化して集成したものは確認できず。昔話や民話、伝承(口頭伝承)について書かれた資料の中に、妖怪譚も収録されていることが多い。一例として以下のような資料がある。『三州奇談』(11824844)『加賀・能登の伝承』(11823865)『日本の伝説 12 加賀・能登の伝説』(11826162)『加賀の昔話』(109167537)『石川の民話』(118412839)『加賀奇談考』(11802223)『金沢市文化財紀要 25-1 金沢市口頭伝承調査報告書』(11906968)『金沢市文化財紀要 51 金 ...
「高尾城」というキーワードで資料検索し、以下の資料に当たってみた。『高尾城址調査概報』(119554516)昭和46年に発行されたものだが、経緯などは記載されていない。『金沢市文化財紀要 83 高尾城跡分布調査報告書』(119330774)p.11「昭和四五年九月北陸自動車道建設のため土砂取場となり城址は無残にも破壊された。十一月北陸史学会によって、この事実が確認され石川県教育委員会に保存要望が提出されたのであった。」上記の記述から、昭和45年11月の新聞記事を探したところ、以下の記事を見つけることができた。記事によると、山が県有地となったのは昭和45年5月末、土砂取場となったのは9月だとわかる。『北国新聞縮刷版 No56 昭和45年11月号』(119951220)p.299 昭和45年11月13日(金)7面「高尾城跡(金沢)が壊滅」p.315 昭和45年11月14日(土)15面「 ...
「シクラメンのかほり」は、1975年に発表された楽曲である。歌手は布施明である。該当年の『新版 日本流行歌史 下 1960~1994』(411165476)は泉野図書館で所蔵。→後日確認し、p.235に掲載されていることがわかった。作詞家が小椋佳であることから、小椋佳関係の資料を確認。『小椋佳全詩集』(11004995)を確認したところ、p.54~55に「シクラメンのかほり」が収録されていたため、質問者に紹介した。その他、分類767.8の書架を確認。以下の資料がある。『話題で楽しむヒット歌謡』(11045504)p.124『昭和歌謡100名曲』(113278819)p.241質問受付時は所蔵資料が貸出中だった為、国立国会図書館の目次で収録を確認【URL】http://rnavi.ndl.go.jp/mokuji_html/024079980.html
「湯涌」「念仏踊り」というキーワードだけでは郷土関係の資料が図書館システムであまり検索されなかったので、インターネットで「湯涌念仏踊り」を検索すると、以下のホームページにまとまった説明があった。金沢市公式ホームページ いいね金沢 「湯涌念仏踊り」【URL】https://www4.city.kanazawa.lg.jp/11104/bunkazaimain/shiteibunkazai/minzoku/yuwakunenbutu.html「ハルバイナ」「さかた(おどり)」「目連尊者」などもキーワードに探すこととする。『加能民俗研究 第44号』(109174442)p.43「金沢市の民謡-湯涌念仏踊りと大桑あさんがやし-」『地域に生きる民俗芸能』(109207300)市内各地域の公民館ごとに民俗芸能について紹介されている。p.88-93「湯涌さかた」由来と伝承だけでなく、唄の文句も詳しく掲載されている。『わがふるさと今・むかし 田上校下の ...
【ユン ボンギル(尹 奉吉)について】 ユン ボンギル(尹 奉吉)がどんな人物か金沢との関わりも含めて知りたい(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:51)
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尹 奉吉に関する以下の資料を紹介した。『評伝 尹奉吉 その思想と足跡』(113044097)『尹奉吉 暗葬の地・金沢から』(118420240)尹 奉吉は朝鮮独立運動家である。上海の虹口公園で行われた祝賀会で手榴弾を投げ、多数の死傷者を出した。この事件で死刑判決を受け遺体が野田山の共同墓地に埋葬されていた。『尹 奉吉 暗葬の地・金沢から』p.42に日本人と在日韓国朝鮮人の市民グループが埋葬方法や事件背景、軍国主義を反省し、石碑を建てたとの記載がある。
「金沢」「わき水」といったキーワードで検索し、以下の資料を紹介した。『金沢のわき水 調査報告書』(119601554)『金沢のわき水』(119763150)…わき水の紹介と地図が掲載されている。『北陸の名水』(119496234)『名水・わき水ガイド 中部版』(118393528)
インターネットで「ストレチャ」と検索したところ、「ストレリチア」(または「ストレチア」)が多く表示されるため、こちらが正式名称のようである。「ストレリチア」と「グロリオサ」で蔵書を検索しても適当な資料が見つからないため、分類470あたりの書架を確認。「ストレリチア」には、「ゴクラクチョウカ(極楽鳥花)」という和名があるため、「ストレリチア」で植物図鑑の巻末などのある和名索引を引いても出てこない(学名索引ならば該当する)。巻末の和名索引をもとに、以下の資料を紹介した。『原色牧野日本植物図鑑 3』(118579074)p.261、281『原色世界植物大図鑑』(11079111)p.249~250、303『原色園芸植物大図鑑』(11823855)p.678『世界植物探検の歴史』(113659332)p.55『フローラ Gardening Volume1』(112745267)p.643『フローラ Gardening Volume2』(1127 ...
【医者の宮河家の系図について】 金沢在住で代々前田家に医者として仕えていた宮河家の系図はあるか。宮河白峰の子に、幕府の医者塩田家に養子入りした塩田順庵がおり、宮河家は弟の養源が継いでいる。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:50)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:50)
藩医の由緒帳、系図の出ている可能性のある「先祖由緒并一類附帳」、「諸士系譜」を確認。宮川姓の家はあるが、医師の家はなし。『近世金沢の医療と医家』(118577033)に、侍帳(交名帳)記載の医者がまとめられているが、宮河姓の記載はなし。宮河という姓の医師として、宮河順達という人物がいる。華岡青洲の門人で、文化・文政期の金沢の町医者である。ただし宮河白峰家との関連は不明。宮河順達については、以下の資料に記述がある。『日本の医療史』(11043194)p.333『北陸史学 第55号』(109151395)p.81-98「加賀藩蘭学の受容と医者の動向」『石川郷土史学会々誌 第3号』(11916421)p.1-5「華岡青洲と加賀藩」津田進三氏は加賀藩の医学史について研究が多いが、その他の研究に関連する記述はなし。なお、塩田順庵は、石川県立図書館の「石川 ...
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