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いわき市の八剣神社について調べています。特に神社の彫刻について興味があります。また八剣神社だけでなく、福島県内の寺社についてまとめられた資料があれば教えていただきたいです。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:19:49)
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調査したところ、いわき市平下高久に所在する「八劔神社」について、記載のある資料が見つかりました。資料1『いわきのお宮とお祭り』 山名 隆弘(大國魂神社宮司)/監修,ユニバース株式会社/編集 いわきのお宮とお祭り刊行会 2009.3pp.200-201「八劔神社」歴史と伝承のほか、本殿が市有形文化財に登録されている旨の記述があります。「拝殿の格天井に龍の彫刻」(p.200)など、彫刻についてもわずかに記載があります。資料2『いわき市の文化財』 いわき市教育委員会/編,いわき市文化財保護審議会/監修 いわき市教育委員会 2017.3p.112「八劔神社本殿」本殿に施された彫刻について説明等があります。【福島県の寺社についての資料】福島県内の神社について、神社名簿の他、主要神社や地域別などでまとめられた資料 ...
明治時代に信夫郡長を務めた柴山景綱という人物について調べています。1 柴山景綱の信夫郡長の在任期間を知りたい2 柴山景綱の信夫郡長時代の業績について知りたい3 柴山景綱の福島県時代の役職や業績を知りたい(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:17:03)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:17:03)
ご依頼の事項3点についてお調べした結果は以下のとおりです。①信夫郡長柴山景綱氏の在任期間について以下の資料1、2に柴山景綱氏の信夫郡長の在任期間が記載されていました。資料1『福島県政治史 復刻版 上巻』 諸根樟一/〔ほか〕共著 吾妻書館 1982.9 ※国立国会図書館デジタルコレクション収録(国立国会図書館内/図書館・個人送信対象資料)附録の「四 同舊郡長更迭表」に「一 信夫郡長(岩代國十郡)」が収録されており、歴代の信夫郡長の在任期間が記載されています。柴山景綱氏は以下のとおりです。「(轉入)明治一六、一一、一三 (轉出)明治一九、四、一九」資料2『柴山景綱事歴』 山崎忠和/著 山崎忠和 明29.7 ※当館未所蔵資料。国立国会図書館デジタルコレクション収録(インターネット公開資料)( http ...
日本経済にとって最大の貿易相手国が中国であることが示されているグラフが掲載されている本を教えてください。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:10:15)
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関連資料を紹介いたします。資料1『日本経済図説 第5版』宮崎 勇/著,本庄 真/著,田谷 禎三/著 岩波書店 2021.5→p.183 「主要輸出相手国・地域」の一覧あり、最新2019年の1位はアメリカ、2位が中国とあり。→p.185 「主要輸入国・地域」の一覧あり、最新2019年の1位は中国とあり。 いずれも出典元は、後述「インターネット情報2」の「財務省貿易統計」です。資料2『日本国勢図会 日本がわかるデータブック 2023/24』矢野恒太記念会/編集 矢野恒太記念会 2023.6 ※貸出不可→p.279-280 「主要貿易相手国」一覧あり。輸出と輸入の合計が多い順で、中国が1位となっています。出典元は後述「インターネット情報2」の「財務省貿易統計」です。→p.307 「主要国の相手先別貿易(Ⅰ)(2021年)」の表あり。日本は輸出・輸入とも中国が1位になって ...
翻刻を行う際の要点についてお調べしたところ、以下の資料1~3が見つかりました。資料1『古典籍研究ガイダンス 王朝文学をよむために』 人間文化研究機構国文学研究資料館/編 笠間書院 2012.6pp.384-393に「翻刻と校訂 日本古典文学作品を読むために」(小林 健二/著)という項があります。翻刻を行う際の要点等が簡単に記されています。資料2『書誌学入門 古典籍を見る・知る・読む』 堀川 貴司/著 勉誠出版 2010.4pp.215-221に「27 注釈書を読む」という項があります。翻刻のルールや実例について簡単に記されています。資料3『歌舞伎評判記集成 第1巻~第7巻,別巻』 歌舞伎評判記研究会/編 岩波書店第1巻から第7巻及び別巻に付されている月報に「翻刻覚書」(原 道生/著)という連載が収録されています。『歌舞伎評判記集成』 ...
平安貴族の給料について書かれている資料や図書、サイトがあれば知りたい。網羅的に知りたいのと同時に、具体的には以下のことについて特に知りたい。・令外官(特に関白や摂政、蔵人)の職田や職封雨。・大学寮の学生(給費生)の菜料と灯油代(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:01:43)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:01:43)
平安貴族の給料について記載のある資料について、下記に関連する記載がありました。資料1『平安貴族の実像 教養の日本史』阿部猛/著 東京堂出版 1993.3p.138 Ⅳ貴族の生活 二.官人としての収入 資料2『源氏物語手鏡』清水好子,森一郎,山本利達/著 新潮社 1975.4p.169 Ⅱ貴族生活と財政 貴族の給与資料3『平安貴族の世界』 村井康彦/著 徳間書店 1968.6 p.31 第1章貴族政治への道 3.都鄙懸隔(その1) 給与体系資料4『上代官吏制度の研究』岩橋小弥太 著 [他] 吉川弘文館 1964 ※当館未所蔵。国立国会図書館デジタルコレクション収録(国立国会図書館内/図書館・個人送信対象資料)p.43 給与また、大学寮の学生(給費生)の菜料や灯油代については、下記に関連する記載がありました。資料5『有職故実研究 上巻』石村貞吉/著 学術 ...
下記の資料をご覧いただきました。回答プロセス:部分的に掲載しているものしかなかったので、ご案内すると『豊国名所』に描きこまれている武蔵の石碑(現在は移設して手向山公園:小倉北区赤坂4丁目にある)が広重の作品にも書き残されていないか見てみたくてご来館したとのご要望。『諸国六十八景』か、なければそれに類するものでも良いとのこと。*国会図書館デジタルコレクション『諸国六十八景:長門(巌流島などが描写「コマ番号28」)』https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2540870(「諸国六十八景」の確認はできたが思っていたものと違う、、、『黒崎之里』27頁に掲載の安藤広重の一部掲載作品の作品全体もご覧になりたいとのご要望→2022.11.1追加 こちらは歌川秀貞「巌流島図」と判明)*『博多に強くなろう北九州に強く ...
・多磨全生園の通史を確認→多磨全生園患者自治会編『倶会一処』(一光社、1979年)p16・誘致の候補となった場所の地域史を確認→田無市史編さん委員会編『田無市史 第三巻 通史編』(田無市企画部市史編さん室、1995年)p718→東村山市史編さん委員会編『東村山市史2 通史編 下巻』(ぎょうせい、2003年)p253→『全生園の100年と東村山 平成21年度特別展図録』(東村山ふるさと歴史館、2009年)p9・多磨全生園に関連する人物の手記を確認光田健輔『回春病室』(朝日新聞社、1950年)p35桜沢房義著、三輪照峰編『全生今昔』(私家版、1991年)p10⇒1908年に田無村、1909年に東村山村で起こったハンセン病療養所誘致反対運動について記述あり。東村山の反対運動は「東村山騒擾事件」と呼ばれている。慰廃園のある目黒、田無村、清 ...
・多磨全生園開設時に関する事項ということで、初代園長である光田健輔の著作を精読。光田健輔『回春病室』(朝日新聞社、1950年)p35「意外の襲撃」→「はじめ、目黒にはすでに十五年も前から私立慰廃園が建っているし、慰廃園の近くにはなお度々とした空地があるので目黒がよかろうという案があった。いろいろ基本調査をすませて関係者が現地を視察することにしていたが、目黒の村民の間から反対論が起ってきた。 (中略) 北多摩郡の田無村も候補に出たが反対で絶望、清瀬は民家が少いし、目だたなくてよかろうというので調査員がなるべく清瀬にするつもりでひそかに出かけたが、村民に発見せられて不穏の気配がみえたのでやむを得ずひきあげた。 (中略) 悄然として東村山の茶店で休んでいた。そこへ村の有力者が二 ...
・多磨全生園に関連する事項ということで、多磨全生園自治会編の通史を精読。多磨全生園入所者自治会編『倶会一処』(一光社、1979年)15p「1 開院式」→「面積は現在の東村山市と同じだが、明治の末でも、まだ人口わずか六一〇八名、戸数八八〇戸の大部分が畑作農家で占められていた」参考資料:多磨全生園患者自治会 編. 倶会一処 : 患者が綴る全生園の七十年. 一光社, 1979.https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000038-I798951,
・「神田猿楽町」でgoogle検索『千代田区ホームページ』(https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/bunka/chome/yurai/sarugaku.html 2024年8月1日最終閲覧)→「この界隈(かいわい)は江戸時代、おもに武家屋敷が軒(のき)を連ねていました。もともと武家地には町名が付けられていなかったため、猿楽町という町名が正式に誕生したのは、明治五年(1872年)のことになります。その翌年、神田錦町(かんだにしきちょう)にあった錦坊学校(きんぼうがっこう)の分校が、現在の猿楽町一丁目内に設立されました」・「神田猿楽町 1875年」でgoogle検索『School Spot』(https://www.schoolnetwork.jp/jhs/shingaku_tsushin/tsushin-202405/school-1.php 2024年8月1日最終閲覧)→「跡見学園の創始者である跡見花蹊が、キリスト教の学校以外では日本発となる女子教育を目的とした学校を設 ...
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