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ハワイ在住の日系人の方のご先祖様を探しています。福島県からハワイに移民した方の名前が書かれている資料はありますか。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:56:32)
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お問い合わせいただいた、福島県からハワイに移民した方の名前が書かれている資料をご案内します。・資料1『福島移民史 ハワイ帰還者の巻』 高橋莞治/著 福島ハワイ会 1958pp.17-222 ハワイ帰還者銘々伝pp.223-262 ハワイ在留福島県人銘鑑・資料2『福島県出身海外移住者名簿』 福島県商工経済会/編 福島県 1966 ※貸出不可pp.129-146 在ハワイ県人移住者名簿 「(註)昭和33年現在のハワイ在住者」と記載があります。・資料3『布哇在住福島県人略歴写真帖』 渡部弥吉/著 布哇在住福島県人略歴写真帖刊行会 1955 ※貸出不可資料4は福島県以外の移民についても含まれている資料です。・資料4『日系移民人名辞典 北米編 第2巻』 日本図書センタ- 1993.2 ※貸出不可※曽川政男著『布哇日本人銘鑑』 (布哇日本人 ...
太平洋戦争中の福島県における東京からの学童集団疎開の受け入れについて調べています。受け入れに伴って、東京都又は区との受け入れ人数の協議や資金提供、食糧配給など、疎開に関連する内容が記載された資料はありますか。また受け入れ時や受け入れ中に県と各市区町村がやり取りした内容等に関する記述があれば見たいです。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:53:30)
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資料1『福島史学研究 第51号』 福島県史学会 1989pp.1-28 「福島県における東京都学童集団疎開」野地一二/著 p.27-28「東京都学童集団疎開関係文献一覧 野地一二編」が掲載されています。資料2『福島市史資料叢書 第42輯 新聞資料集成』福島市史編纂委員会/編 福島市教育委員会 1985昭和15年1月から昭和20年8月15日までの福島市域に関する福島民報記事を抜粋編集した資料です。pp.57-59 学童疎開に関する記事 p.58 「学童疎開の受入 本県の大体方針決る」(昭和19年7月11日) 「内務省に於ける関係府県知事会議に出席した石井本県知事」が、知事室で関係部課長会議を開き、政府の方針を至達し、疎開児童受入れ県として本県の対策を協議したこと、その方策の内容が書かれています。→「疎開学童に対する食糧は、本省より配当配給され ...
利根川中流と江戸川をむすぶ鮮魚街道(なまかいどう・なまみち)沿いには、鯖の像があると知人に聞いた。これについて調べたい。(千葉県立西部図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:53:22)
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調査の結果、鯖ではなく「鯖を持った弘法大師の像」が街道筋に奉られて「鯖大師」と呼ばれ、千葉県以外にもあることがわかった。以下の資料を提供した。(1)鯖大師の像について、次の資料を紹介した。【資料1】『世界大百科事典』(平凡社 2007)「大師信仰」「旅姿の大師をばかにしたので悪いことが起こったとする型の伝説も多い。その一つに鯖大師伝説がある。行商人に大師が鯖を1匹請うが,行商人は与えない。そこで,〈大坂や八坂坂中鯖一つ大師にくれで馬の腹病む〉の呪文をとなえて,立ち去る。すると馬が腹痛を起こしたので,以後鯖を片手に持つ大師像をまつったとする伝説である。」「サバ」「古い街道筋の要所である坂や峠に僧がサバを手にもつ像を祭って〈鯖大師〉と呼び,弘法大師が旅僧の姿でサバ1匹を請 ...
以下の資料に、氏名まで記載のある、二本松城下の絵図が見つかりましたのでご紹介します。資料1(インターネット資料)『〔日本古城絵図〕 東山道之部(6)』191 奥州二本松城図,写,〔江戸中期-末期〕.※国立国会図書館デジタルコレクション インターネット公開資料、当館所蔵なし(https://dl.ndl.go.jp/pid/1286455)資料2『二本松城址 調査報告書 1(平成2・3年度)』 二本松市教育委員会/編 二本松市教育委員会 1992.3付図に二本松城の絵図が収録されています。いずれも白黒の図版です。付図3「奥州二本松城図」(郡山市・木目沢家所蔵絵図より模写) 数名ですが屋敷に氏名の記載もあり。付図4「二本松城図」(二本松市・和田家所蔵) 「寛政三辛亥年四月寫 文化七庚午年正月寫」とあり。邸宅と思われる個人名まで記載があります ...
福島市にある稚児塚・稚児桜について、鎌倉建長寺及び江の島弁天との伝承があるようですが、福島市史や江戸時代の地誌などに稚児塚・稚児桜についての記述はありますか。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:45:54)
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資料1『福島市史 第1巻 原始・古代・中世(通史編1)』福島市史編纂委員会/編 福島市教育委員会 1970p.382 白菊丸の稚児塚についての記載があります。伝承については以下の通りです。「鎌倉円覚寺の自休蔵司が廻国の途、泰慶寺の稚児白菊丸とめぐりあい、その悩みを救った。のち、白菊丸が鎌倉に自休を尋ねたが会えず、江島の稚児淵に身を投じて死んだ」p.650-651 白菊丸の『児塚』(ちごづか)について説明があり、「大蔵寺庭園の稚児桜についても同じ伝承がある」と記載されています。資料2『すぎのめ 第3号』 福島市杉妻地区史跡保存会/〔編〕 福島市杉妻地区史跡保存会 1980pp.27-28「稚児塚のこと」稚児塚の伝承については資料1とほぼ同様ですが、自休蔵司については「鎌倉の建長寺に仕える僧」とあります ...
関連資料を紹介いたします。資料1『近代日本の教育学 谷本富と小西重直の教育思想』稲葉宏雄/著 世界思想社 2004.2→p.202-208 「1 人間小西重直」 教育者としての小西重直について記述あり。 →p.203 「小西重直がそなえていた滋父のような人格的魅力については、彼の直接の弟子を含めて実に多くの人々が語っている」との記述あり、資料2の紹介あり。 「師としての小西に直接教えを受けた」人物として「片岡仁志・京都大学名誉教授」「鰺坂二夫・京都大学名誉教授」等の名前あり。 →p.206 資料3の引用あり。 →p.206 資料4の引用で、「篠原助市の小西についての思い出」がとりあげられています。資料2『小西重直の生涯と思想』 加藤仁平/著 黎明書房 1967.11 ※貸出不可 https://dl.ndl.go.jp/pid/2989573(国立国会図書館デジタルコレク ...
以下の資料に記載があった。・『いわき市史 第6巻』いわき市史編さん委員会/編 いわき市 1977.3 p.510に「勿来焼」の項目あり。(口絵図版四には写真も掲載)・『いわき地方史研究 第28号』いわき地方史研究会/[編]いわき地方史研究会 1991.7 pp.52~61「松岡焼と名古曽焼」(瓦吹堅)・『いわきの工芸展』 いわき市文化センター/[ほか編] [いわき市文化センター] [1983.2] 図録の最後に名古曽焼の写真と説明あり(ページ付なし)・『窪田藩の研究』甲高 武雄/著 白銀書房 1976.9 pp.94~112 第四章 窪田藩三代治績 第二節 藩成立と陶芸移入 pp.108~109「なこそ焼の語源と勿来釉工法資料」 pp.110~112「勿来釉と工法資料」 などあり・『福島のやきものと窯』松宮輝明/著 歴史春秋出版 1985.6 pp.120~124「いわきの諸窯」 pp.123~124「赤井焼 ...
旧制中学が新制高校に移行する際、各地域の高校では一時期「男女共学制」を受け入れたものの、その後しばらくして募集停止し、長期間そのままだったらしい。その詳細を各学校史から見てみたい。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:32:44)
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昭和24年に男子校だった、福島高校、安積高校、磐城高校、会津高校、相馬高校、白河高校、喜多方高校の7校について、各学校史を確認いたしました。(福島高校)資料1『福高八十年史』 福島高等学校創立八十周年記念事業実行委員会/編 福島高等学校創立八十周年記念事業実行委員会 1978第1編 福島高等学校八十年の軌跡 第2章 福島高等学校時代 第2節 教育改革と福島高等学校 三 民主化教育「福高に女子生徒」(pp.138-140)には以下のように記されていました。p.138「戦後民主化の時代、福高にも女子生徒が入学した一時期があった。」p.139「市部の学校で最も早く女子入学を認める方針をうち出したのは相馬高校であった。つづいて26年1月31日、白河で開かれた男子高校長会議において、福島・安積・磐城・会津・白河の5高校長が女子 ...
福島県の政策で2000年台前半までに県下公立高等学校の「男女共学化」が進められたという。その際の各校での賛否両論を含めた経緯を、各校の学校史等で調べたい。特に旧制中学校、旧制高等女学校が前身の高校について知りたい。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:28:30)
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福島県教育委員会は、平成9(1997)年に「平成15年度をめどにすべての県立高等学校を、逐次、男女共学する」と発表しました。その後、実施年次計画が決定し、各校で共学化に向けての準備が始まりました。2001(平成13)年 安積、安積女子、磐城、磐城女子2002(平成14)年 会津、会津女子2003(平成15)年 福島、福島女子、相馬、相馬女子この10校について、各校の学校史を確認いたしました。(安積高校)資料1『萌ゆる安積野 創立120周年記念誌』 [福島県立安積高等学校]創立百二十周年記念事業出版委員会/編 福島県立安積高等学校 2004該当の箇所は下記の部分です。男女共学化の動きがまとめられています。「安積高等学校の男女共学化を中心とした年表(平成6年度~15年度)」(pp.205-211)「安積高校の男女共学化に関す ...
彦根藩の資料「系譜」に、享和3年(1803年)、井伊家の長男・井伊直清が松平定信の娘と縁組になっていたが、婚姻前に離縁となったと記されています。「松平定信の娘」とは誰のことでしょうか。名前、出身藩、いつ婚約したのかなどが載っている資料はありますか。(福島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/2 11:23:20)
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「井伊直清と婚儀内約していた松平定信の娘」についてお調べしたところ、以下の資料が見つかりました。資料1『大定信展-松平定信の軌跡 桑名市・白河市合同特別企画展』 桑名市・白河市合同企画展実行委員会/編 桑名市・白河市合同企画展実行委員会 2015.8p.120に「松平定信関係系図」が掲載されています。井伊直清と婚儀内約していた松平定信の娘については、以下の記載があります。「庸姫(享・幸・多喜・容) 寛政五年一〇月二六日生 文政四年一〇月二〇日没 井伊直清室(婚せず直清没) 後、松平輝健室 後、松平輝延養女として前田利幹室 後、離別」資料2『武門の縁 忍・桑名・白河、幕末への軌跡 行田市・桑名市・白河市友好都市締結15周年記念合同企画展』 行田市・桑名市・白河市友好都市締結15周年記念合同企画 ...
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