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【井上友一の出生地について】 井上友一について調べている。『井上明府遺稿』(118573230)p.6「明治四年 四月十日、金澤市馬場五番町に生まる。盛重氏の長男なり。」p.9「二十三年、東京の帝國大学に入り」とある。①井上友一の生家は馬場5番町のどの辺りか。②井上友一が明治23年に上京するまでに、浅野川の洪水が明治7年、9年、11年にあったが、川があふれて浸水した範囲を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:36)
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〇井上友一について『石川県人物・人材情報リスト 2017』(113573194)p.30内務官僚、東京府知事であった人物で、生没年月日は「明治4年(1871)4月10日~大正8年(1919)6月12日」とある。『ふるさと人物伝』(118527452)p.362「加賀藩士族の家に生まれた」、年表に「1877 金沢の東馬場小学校に入学」と記述がある。①『金沢町名帳 金沢市図書館叢書 1』(119585450)p.399「【36】-卯辰町・森下町」地図の左端に「馬場五番町」の表記がある。しかし、『金沢町絵図 金沢市図書館叢書 2』(119618551)p.347-358には、浅野川大橋から続く通りの卯辰町、森下町しか掲載されていないため、馬場5番町の具体的な地図や絵図はわからなかった。『加賀藩士人別帳 藩末由緒書目録 上巻』(119607306)p.17に父親である井上盛重の項目があり、秩禄は130石、檀那寺は松月寺とある。松月寺 ...
【移転前の金沢市立工業高等学校について】 畝田の現在地に移転する前の金沢市立工業高等学校の住所を知りたい。また、跡地が現在どうなっているかを知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:36)
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『金沢市教育要覧 昭和38年版』(119510431)p.28に、「金沢市泉野町ヨ125」と記載されている(当該区域は昭和38年6月1日に住居表示導入に伴い町名変更されており、記載の住所は住居表示施行前のものである)。なお、翌年度版では住所が「畝田町イ2」に移転している。『かなざわ復刻地図』(118476489)の昭和29年度「金澤市街地圖」記載の旧校舎の場所と、現在の住宅明細図とを照らし合わせたところ、旧校舎は現在の泉野町1丁目1番辺りに存在したこと、跡地は現在泉野県営住宅や石川県泉野職員公舎、第四善隣館、NTT泉野寮、配食センター等が存在し、一部は住宅が建ち並び、宅地として転用されていることが確認できる。
『石川県大百科事典』(1993年発行)(118310632)p.647椿原天満宮『日本歴史地名大系 17 石川県』(118287258)p.377椿原天満宮『金沢市神社大観』(119555602)第四 椿原神社『石川県神社誌』(118412230)p.59椿原天満宮上記の資料によると、初めは田井天神と呼ばれていたことがわかった。「田井天神」をキーワードに所蔵検索を行い、以下の資料も提供した。『加賀志徴 下編』(11824805)p.391田井天神社『亀の尾の記』(11824824)p.6田井天神また、書架のブラウジングで見つけた資料として、以下のものがある。『石碑でめぐる金沢歴史散歩』(118553659)p.106玉水寺岡翁退筆塚境内にある石碑が紹介されており、「天神町一丁目、椿原天満宮の階段下の境内、右手奥に建つ。明治十二年(一八七九)九月、書家寺岡玉水を偲んで有志と門弟百人余が、その遺筆を納めて建立した ...
『加賀志徴 下編』(11824805)p.310では、加賀糸の項目で糸田村の名が出てきて、典拠として主計式上の「凡貢夏調絲者云々。加賀云々。右二十五國中絲。」をあげている。『米丸物語』(11929465)p.28では、上記『加賀志徴』と同じ典拠をあげ、「加賀糸の生産に関係せるため名付けられた」としている。『新神田創生 十年のあゆみ』(118579360)p.30では、「藩政時代に当地で稲作の副業として麻を植え、麻糸を作っていたことに由来するといわれ、」と記されているが、典拠は記されていない。中世以前に糸田の地名が記されていることに言及した文献は確認できず。『角川日本地名大辞典 17 石川県』(118552562)、『日本歴史地名大系 17 石川県』(118287258)でも、近世以降の記述にとどまる。
【参勤交代・江戸三度飛脚の移動経路・距離について】 1.加賀藩の参勤交代で、上街道から中山道を経由するルートの移動距離が660kmで、東海道を経由するルートの移動距離が600kmとあるが正しいのか。距離が逆に書かれているものもある。2.江戸三度飛脚の移動距離が570kmであると書いている小説があるが、下街道経由のルート(約480km)が最短ではないのか。3.忠田敏男『参勤交代道中記』では、参勤の93回交代97回と記されているが、参勤と交代の回数に差が生じるのはなぜか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:36)
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1.『参勤交代道中記』(118310786)では、「第五章一(一)参勤交代の三コース」p.124-126に中山道経由660km、東海道経由600㎞と記されている。2.江戸三度飛脚の移動経路は、以下より下街道を利用していることを確認できる。・『江戸三度』(118570426)p.8「江戸三度の飛脚の歩の規定は金澤と江戸との間所謂下街道の道程を百二十里半即ち四千三百三十八丁、一時に付き平均二里八丁内外と決定してあった」と記述されている。・『三都と金沢』(11931499)p.72「金沢~江戸間百二十里を下街道を経由して往来した」と記述されている。なお、下街道経由で移動した場合の一般的な距離は、120里前後(約480km)で記されている(上記『参勤交代道中記』では119里余り、『江戸三度』では120里半、『三都と金沢』では120里と記載されている)。質問者が読んだ資料 ...
【大谷廟所について】 大谷廟所について書かれた資料があれば確認したい。西町あたり、昔の後町というところにあったと聞いているが、東別院が火災に遭ったため寺には資料がない。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:36)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:36)
『金沢案内記』(118582857)の冒頭に写真があり、p.34に西町の大谷廟所についての記載がある。『加能郷土辞彙』(改訂増補)(119865516)p.516に「存如上人廟所」の項目があり、これが大谷廟所に相当するものと考えられる。後町については、『金沢古蹟志 第三編』(119865893)p.44や『角川日本地名大辞典 17 石川県』(118552562)p.141に記載がある。
【東京オリンピックの聖火リレーについて】 昭和39年の東京オリンピックの聖火リレーで、ランナーが石川県内を通ったルートを知りたいが、ルートの書かれた地図などはあるか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:35)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:35)
聖火ランナーは昭和39年9月30日から10月1日にかけて県内を通過している。地図にルートを明示したものは確認されていないが、新聞記事の情報が詳細なものであると思われる。『北國新聞』昭和39年9月30日号~10月1日号に、ランナーの通過場所と通過予定時刻が記されている。(加賀市)福井県境牛ノ谷峠(11:35)→熊坂保線区事務所(11:44)→三巴商事KK(11:53)→熊坂第2切り通入口(12:00)→大同KKチエン(12:08)→変電所陸橋(12:16)→黒瀬交差点(12:24)→中代バス停(12:32)→西島バス停(12:43)→桑原バス停(12:52)→モーテル北陸(13:00)→加賀瓦協組(13:07)→(これより小松市)北陸建材KK(13:16)→矢田野バス停(13:23)→粟津駅前(13:32)→矢崎バス停(13:41)→今江バス停(13:51)→松陽中学(13:59)→北陸交通(14:06)→小松砂業検問所(14:14)→平面バス停(14:23)→(これより寺井町)加賀園芸 ...
『金沢市史 現代篇 下』(119562680) (1969年5月発行)p.46-83 第一章 三、都市建設と都市計画p.57昭和の都市計画「当時の記録によると、この広い道路は昭和二年から三年にかけて完成し、総事業費七九蔓延、幅員は十九.一~二一.八二メートル、延長一、〇五〇メートルとなっている。第一期事業としては、次の三線が計画され現在完成している。金石街道昭和一〇~一一年、停東場・二万堂線昭和一一~一五年、富本町・三ツ口新町線昭和一五~二一年。金石街道は郊外電車を通じたために、整備拡幅したもので、金沢付近では極めて珍しい直線的なものであるが、市街地の部分は狭かったからこれを拡幅したものである。未完成の部分が長田町以北に残されていたけども、これは戦後になって、三十五年から着工し、三十九年ごろになってようや ...
【1、清風荘について2、小森直夫氏について】 1、東山にあった、清風荘が火事になった時期が知りたい。2、小森直夫氏が、昭和36年ごろ社長をしていた米関係の会社名が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:35)
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1、北國新聞データベースサービスにて、検索。1996年5月14日夕刊1面・7面、15日朝刊31面、18日朝刊31面等に該当記事あり。 『北國新聞縮刷版 No362 平成8年5月号』(119888520)p.493、499、531、665で、確認。1996年5月14日午前3時10分ごろ火事がおきたと記載あり。2、Googleで「小森直夫」を検索すると 「ののいち地域辞典でじたるbook」というサイトにたどり着き、第3章第4節に石川県米穀株式会社々長 小森直夫との 記載あり。 【URL】http://tiikijiten.jp/~digibook/20y_ayumi/keitai.php?no=0004(2018.4.17参照)(同一の紙資料の所蔵あり。『野々市町二十年のあゆみ』(119563177))フルテキストで「石川県米穀株式会社」と検索。『石川県米史』(118479453)推定折り込み写真p〔6〕に相談役(初代社長・二代会長) 小森直夫との記載あり。
【言葉の読み方について】 次の言葉の正しい読み方を知りたい。①「金川丸」・・・「カネカワマル」か「カナガワマル」か。②「日本国郵便蒸気船会社」・・・「ニホンコク」か「ニッポンコク」か。③「租税頭」・・・「ソゼイノカミ」か「ソゼイカミ」か。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:35)
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質問者は明治時代ごろの事柄について調べているとのことだったので、その時代の事柄が調べられる資料を当たっていった。①『船舶百年史』の索引に「金川丸」の項目があった。『船舶百年史 前篇』(112609908)p.30に金川丸の写真が掲載されており、「Kanagawa maru」と記載されていたため、「カナガワマル」とわかる。②『国史大辞典 11』(111178959)p.157に「にほんこくゆうびんじょうきせんがいしゃ」とある。『日本交通史辞典』(112465316)p.709にも「にほんこくゆうびんじょうきせんがいしゃ」とある。よって、「ニホンコク」が正しいとわかる。③『国史大辞典 8』(11089585)を調べてみたが、「租税頭」の項目はなかった。国立国会図書館インターネット資料保存事業(WARP)内収録の、日本法令索引〔明治前期編〕 ヨミガナ辞書p.190に、「租税頭」 ...
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