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城内の建物の配置がわかりやすいのは以下の資料だと思われる。『よみがえる金沢城 1』(119950125)p.151「昭和16年(1941)の旧金沢城内配置図」←元の図は、『石川県立歴史博物館(旧金澤陸軍兵器支廠兵器庫)保存工事報告書』(119335215)に掲載されている。そのほか、建物の外観が写っている写真は、以下の資料に掲載されている。『金沢市案内記』(119511448)写真「第九師団司令部」「旧金沢城大手先(歩兵第七聯隊)」「旧金沢城本丸の下に在る陸軍被服工廠」p.33「金澤兵営」…「旧金沢城内に歩兵第七聯隊の兵営あり宏壮を極む。」『金沢写真案内記』(119511466)写真「旧金沢城大手門(歩兵第七聯隊)」p.4-5「旧金沢城」…「城内には第九師団司令部・第六旅団司令部及び歩兵第七聯隊の兵営あり。」『金沢案内』(118576250)写真「歩兵第七聯隊兵営」p. ...
【関助馬場を描いた絵について】 関助馬場を描いた絵があるのだが、私(=質問者)が知っているものよりもきれいな絵の写しを友人が持っていた。その絵を見てみたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:43)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:43)
作者及び作品名を質問者は知らないとのこと。当館及び近世史料館には関助馬場を描いた絵の所蔵はない。関助馬場の描かれている絵の収録されている資料を捜索。『金澤古蹟志 第十二編』(119865982)に簡易な絵は描かれていたが、それ以外についてその場では確認できず。その後の調査で、『城下町金沢の人々』(119661481)p.78に馬場の絵が収録されていることを確認。佐々木泉景筆の「浅野川四季風景図」という作品であり、個人蔵で金沢市指定文化財である。ただし、泉景筆のこの絵が、利用者が探していたものであるかはわからない。以下の佐々木泉景関係の資料には収録なし。『加賀藩御抱絵師佐々木泉景展』(119377663)『佐々木泉景下絵展』(11929204)『佐々木泉景展図録』(109184369)『金沢市史 資料編16 美術工芸』(119725865)に収録な ...
【木製の道路元標について】 昔は道路元標が木製だったそうだが、その外観がわかる写真や絵はないか。できれば地元(石川県)のものがよい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:42)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:42)
当館資料検索システムで郷土資料に絞り「道標」「里程」「元標」といったキーワードで検索し、以下の資料に当たった。文章では以下の資料に記述がある。『尾張町界隈の老舗と名所の由来』(11918305)p.20「石川県里程元標」…「同標は、枯木橋総構堀右岸に建てている。旧標(木製)が朽ちてしまい、1983年(中略)再建されたものが現存している。」この記述を手掛かりに探すと、以下の資料に木製のものと思われる絵が掲載されている。『石川県下商工便覧』(1992年、復刻版)(118542593)p.53-54「西洋小間物商(洋酒類) 金澤尾張町 河合栄治郎」Googleで「里程標 木製」といったキーワードで検索すると、富山県高岡市の木製道路元標が掲載されているWebページを見つけることができた。たかおか生涯学習ひろば「富山県里程道標」【URL】http://www.manabi-t ...
【玉川町(たまがわちょう)周辺の工場について】 戦前・戦中に玉川町(金沢市)近辺に軍需工場があったという記録はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:42)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:42)
『北陸専売事業60年の歩み』(11913575)p.97「昭和13年に入ると、満洲、中華民国など日本の経済圏に入った地域に対して、原料葉たばこを供給する必要が増し」p.98「大陸における日本経済圏に対し原料の供給増加をはかる必要があり、耕作面積を拡充することにした」p.188「工場疎開の方針により、前述のように品川工場の両切紙巻たばこ製造機械の一部が金沢工場へ移設され、金沢工場で昭和19年から両切の製造が開始されたのであるが」旧専売公社金沢工場(現在は玉川図書館)では戦時中も一貫してたばこを製造していたと見られ、そのたばこが軍用に供されたことは考えられるが、軍需品を製造していた明確な記述は見つけられなかった。『こども金沢市史 第2版』(109163805)p.234-235「軍需工場と物資の不足」具体的な工場の所在地は記載がな ...
阿部碧海の事績については、以下の資料に記載がある。下記の一部については、石川県立図書館の石川県関係人物文献検索でも探すことができる。『石川県史 第四編』p.755~757『九谷陶磁史考草』(119557320)p.41『金澤の焼物』(118290843)p.19、20『定本 九谷』(118593912)p.349~350『九谷の紋様 三』(11801936)p.231、245『金沢の近代工芸史研究』(119576460)p.15~25『北陸伝統産業学会誌』No.3、4(119883416)なお、阿部碧海については「先祖由緒并一類附帳」に「阿部甚十郎(敬忠)」という名前で由緒帳が残されている。阿部甚十郎旧蔵史料(旧加賀藩士阿部家旧蔵史料)は、現在金沢美術工芸大学が所蔵している。当館近世史料館により、同史料の目録が作成されている。同目録はインターネットで閲覧可能である。なお、同目録では上記由緒帳の ...
【東山ひがし地区の呼称について】 東山ひがし地区の観光地化や呼称の変化について調べているが、参考になる資料等があれば見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:41)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:41)
東山ひがし地域の沿革及び景観保全条例についてわかる資料として以下の資料がある。『金沢市文化財紀要6 旧東のくるわ』(119573530)『金沢市文化財紀要188-1 金沢市東山ひがし伝統的建造物群保存対策調査報告書』(119765771)金沢市のまちづくりの構想を把握するものとして、以下の資料がある。『21世紀金沢の未来像』(11915833)『金沢世界都市構想』(119581774)『金沢市新基本計画』(119588318)『金沢市まちづくり関連条例』(119786379)『金沢世界都市構想 第2次基本計画』(119955032)『金沢市都市計画マスタープラン』(2009年)(109106676)『金沢の気骨』(118551073)なお、現在の市政情報については、ホームページで公開されている。【URL】https://www4.city.kanazawa.lg.jp/kurashi/shisei.html【URL】https://digilib.city.kanazawa.ishikawa.jp/「北國新聞」2010年1月18日付の記事にひがし茶屋 ...
『金沢・北陸の城下町 城下町古地図散歩1』(1995年出版)(118578845)p.14-17 大手町から武蔵ヶ辻周辺 高級藩士邸や経済の中心地p.17「南町交差点から西に入り、一つ目の交差点から鞍月用水までの北側が、八家で年寄役の前田近江守家(一万一千石)の屋敷であった。ここで道路を横断すると、この一帯が八家で年寄役の長家(三万三千石)の屋敷地であった。現在は日本たばこ産業・金沢市立玉川図書館・玉川公園である。」と記載あり。(日本たばこ産業は現在玉川こども図書館)p.14-15の金府大絵図と現在の地図を見ると、「長大隅守」と「市立図書館・日本たばこ産業・玉川公園」との位置が重なっていることが分かる。以上より玉川図書館のところは元々長家屋敷があったと考えられる。「金府大絵図」は「金沢市画像オープンデータ」からも閲覧 ...
以下の資料をご案内した。『皇室事典』(119759890)p58-63「天皇系図」『歴代天皇と元号秘史』(113592995)p126-127「天皇125代・皇位継承略図」『歴代天皇125代』(113344271)p57-60「天皇系図」『日本の天皇 国難と天皇の歴史』(109202304)p62-65「天皇家皇位継承略図」『歴代天皇全史 万世一系を彩る君臨の血脈』(112536104)巻頭折込「皇位継承略系図」『歴代天皇・皇后総覧』(112774741)p506-513「天皇家系図」『歴史と旅 臨時増刊 1993年4月号』(109014940)p408-415「皇室系図」
【浅野川の氾濫について】 2008(平成20)年夏に起きた浅野川の氾濫について、詳しいことがわかる資料はないか。(できれば新聞以外で)(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:41)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:41)
「浅野川 氾濫」「浅野川 洪水」といったキーワードで所蔵検索やブラウジングを行い、以下の資料を紹介した。『石川県立自然史資料館研究報告 第1号』(109131982)p.85-98「記録写真から推定した中流域における2008年浅野川洪水」→中流域における当時の記録写真や冠水範囲の図もあり、その被害の様子がわかりやすくまとまっている。浅野川の氾濫があったのは、2008(平成20)年7月28日とわかる。『石川県の気象・地震概況 平成20年』(109088326)「石川県の気象・地震概況 平成20年7月」p.9「28日の洪水害、浸水害、山がけ崩れ害、落雷害」『金沢市地域防災計画 総論編・計画編 〔平成25年〕』(109179860)総論編第4章p.6「浅野川水害」『金沢市校下誌 北部地区編』(109202707)p.23「浅野川氾濫を教訓に」浅野町校下における当時の被害とその後の対策が簡 ...
【冬瓜町(かもりまち)の町名由来について】 旧町名の冬瓜町(かもりまち、現在の金石西1丁目あたり)の由来について調べている。「冬瓜町」の前には「神守町」という表記だったと聞いたことがあるが、なぜ「冬瓜」という表記に変わったか知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:41)
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『亀の尾の記』(11824824)p.44「冬瓜町」…「宮腰内にして實は別なり。冬瓜の號何に因る事を知らず。」とある。(質問者事前調査済み)『角川日本地名大辞典 17 石川県』(118552562)p.290「かもりまち 冬瓜町」…「大野湊神社の夏祭りは、当町の住居が冬瓜太鼓(かもりだいこ)をたたき寺中へ行ってはじめて神輿がでるので、冬瓜は神守りが転化したともいわれる。」とある。→質問者によると、神輿は「仮殿」から冬瓜町以外の町もめぐって大野湊神社に向かううえに、冬瓜町内には「天磐?樟船(あまのいわくすぶね)社」という別の神社がある。大野湊神社の「神守り」だったのか疑問が残るとのこと。『大野湊神社壱千参百年祭記念誌』(119724269)p.201「神輿御還幸行列順路図」神輿が仮殿から大野湊神社までたどる順路が地図で掲載されている ...
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