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『全訳 漢字海』(第3版)(113162018) p226によると、正しくは「一方明月可中庭」で、日本語訳は「一方では明月が庭の真ん中に対している」とある。作者は劉禹錫で、この一節は劉禹錫の詩『金陵五題』のうち、「生公講堂」という題のものである。なお、詩の全文は以下の通り。「生公説法鬼神聴、身後空堂夜不?。高坐寂寥塵漠漠、一方明月可中庭。」「品詞集」【URL】http://www.poemjoy.com/show-157-2717-1.html「全唐詩検索系統」によると、「金陵五題:生公講堂」は「全唐詩」巻365に収録されている。【URL】http://cls.lib.ntu.edu.tw/tang/tangats/Tang_ATS2012/SrchMain.aspx「漢籍リポジトリ」によると、「欽定四庫全書」の「詩林廣記 巻四」にも収録されている。【URL】https://www.kanripo.org/text/KR4i0045/004
『金城聯隊史』(119566052)p.38-41「聯隊長及聯隊旗手」第1~37代まで記載あり。『〔歩兵第七〕連隊歴史 増訂版』(119565153)巻頭「聯隊長及聯隊旗手」第1~31代まで記載あり。『日本陸軍指揮官総覧』(111665395)p.216「歩兵第七連隊」最終連隊長のみ記載あり。『日本陸海軍総合事典 第2版』(112749364)p.385「歩7連隊長(9D)」昭和12年以降の6名のみ記載あり。
【卯辰山公園の平和祈願像について】 「殉難豊川女子挺身隊員世界平和祈願像」の題字が佐藤春夫によるものであるが、(1)題字がわかる写真掲載の資料、(2)この像の建立に際し、な佐藤春夫がぜ題字を書いたかがわかる資料を探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:25)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:25)
(1)題字がわかる写真掲載の資料・『矩幸成作品集』(11919004)P37に殉難女子挺身隊員世界平和祈願像の写真の掲載あり。(写真の大きさ22cm×15.2cm)・Googleマップに殉難おとめの像の画像登録あり。【URL】https://www.google.com/maps/place/殉難おとめの像(2)この像の建立に際し、なぜ佐藤春夫が題字を書いたかがわかる資料・『金沢の文学碑』(11929676)P66に「羽咋工業高校の校歌作詞のため来沢した折、作家の佐藤春夫が趣旨に賛同して題字を書いている。」との記載あり。・『ああ豊川女子挺身隊 8・7豊川海軍工廠の悲劇』辻豊次/編著(118411608)P427に「像の題字は芸術院会員で詩人の佐藤春夫氏がこの話をきいて快く執筆されたものであります。」との記載あり。殉難女子挺身隊員世界平和祈願像について掲載(写真含む)のある資料『石川県産業功労碑集』(11 ...
【亀田鶴山の遺物について】 『平安名陶伝 木米』p.88-89に、亀田鶴山の遺物が競売にかけられたことが書かれているが、この中に屏風が含まれていたかどうかわかる資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:24)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:24)
『平安名陶伝 木米』p.88-89に以下のように記述されている。「鶴山の家は薮の下といふ所に在つて、金沢の所謂家柄町人として鶴山以後も代々町年寄銀座両役を勤めた程の名望ある家であつた。惜しいかな明治の末年にこの家没落して、数多き鶴山の遺物も卯辰山の西養寺に於て競売に附せられた」【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/960232/1/67『幕末・金沢川南町宮竹屋喜左衛門家と金沢片町亀田伊右衛門家について』(119995501) p.27-33「二 12世亀田伊右衛門について」によると、12世亀田伊右衛門は青山家から養子に入り、商業会議所会頭、金沢市会議員及び県会議員などを勤め、明治32年に47歳で病没した。また、p.33-34「三 初代辰村米吉氏について」によると、同氏が亀田薬舗を受け継ぎ、さらに黒田永一に薬業の全部を譲り、黒田が宮竹屋の事業をつ ...
【割出の行政区分について】 明治22年の市町村制の施行後の割出の行政区分は「大字」と書くのが正しいのか。地元に残されている手書きの資料には「字割出」と書かれていた。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:24)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:24)
○大字と書かれているもの『石川県石川郡誌』(11824573)p.93「町村制」 「明治二十二年四月町村制実施により郡内を五町三十九村に区画し、戸長を廃して町村毎に公選町村長及び助役収入役を置き、旧村を大字となし、区長を置きて総代に依らしむ」『角川日本地名大辞典 17 石川県』p.973「〔近代〕割出 明治22~大正14年の弓取村の大字名」『本岡文庫目録』p.20「河北郡中口村大字大衆免」(明治36年)○字と書かれているもの『石川県石川郡誌』p.229「安原村字上安原耕地区画改正成績」『金沢市立図書館所蔵 絵図・地図目録』 「大野村字畝田耕地整理組合地区図」『本岡文庫目録』p.20「河北郡小坂村字大衆免」(明治39年)以上から、後年に書かれた地誌・辞典類では大字に表記が統一されているが、当時の史料で字と大字とが混在していること ...
【滝谷の長谷川家について】 長谷川等伯が滝谷の長谷川家に養子に入ったことが書かれた資料はないか。15年ほど前、横書きの本の妙成寺の項目に書いてあるのを見たことがある。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:24)
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『金栄山妙成寺誌』(11909580)p.55-56「〇是歳 長谷川信春(等伯)七尾に生れる。(中略)〔仲家本系譜〕能登国七尾城主畠山の下臣奥村文之丞藤原宗道実子 右故等伯者能登之国本七尾ノ産(中略)亦奥村文次ト云染物屋あり、皆本延寺之由緒なり」「〔本朝画史〕長谷川等伯、初名久六、能州七尾人、而世染色家也、至久六好画、遂棄其家業」『滝谷 妙成寺』(11802592)p.110「七尾法華の本延寺を基盤に画業活動を展開し、やがて上洛して、本延寺の本寺にあたる京都本法寺を中心に活躍した桃山画壇の雄、長谷川等伯(信春)」『長谷川等伯ふるさと調査5年間の成果』(109227930)p.114によると、「等伯殿のゆかりに(奥村)宗以入道と云人アリ」、「長臣大系図」の奥村家系図の2代目奥村宗意(以)景秀の菩提寺は羽咋の滝谷妙成寺である。以上の資料ではいずれ ...
【大樋焼について】 大樋焼の歴史や作品の写真などが掲載された資料はないか。また、大樋焼について詳しい人がいる機関を紹介してほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:23)
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○大樋焼の歴史<(十代)大樋長左衛門/著>『大樋長左衛門窯の陶芸 加賀百万石の茶陶』(112267276)作品のカラー写真が多く記載されており、歴代の長左衛門とその作風について詳しい解説がある。また、様々な意匠について、詳細に説明されている。『陶道無今昔(とうどうにこんじゃくなし)』(113040599)作品のカラー写真が記載されており、作品一つ一つの詳しい解説あり。<(九代)大樋勘兵衛/著>『大樋焼』(119480000)大樋焼の歴史を始め、その作り方、各代の人物や手法の移り変わりなど、大樋焼についての様々な事柄が詳細に記載されている。また、巻頭に作品写真があり、巻末には年表がある。○作品の写真『器への行程 大樋年雄展』(119722110)平成12年に東京日本橋高島屋で開催された作品展の作品集。作品名やコメントが英語で記載さ ...
「金沢職業女学校」という名称は見つけられなかったが、大正9年(1920)小将町に新校舎を建てた学校として「金沢女子職業学校」が見つかったので、「金沢女子職業学校」について調査した。『石川県大百科事典』(118310632)P269の金沢女子職業学校によると、明治39年(1906)金沢市が設立、校舎は旧長町小学校に始まり各所に移転したが、大正9年(1920)小将町に新校舎を建てた。昭和18年(1943)金沢市立第一高等女学校となり、同21年閉校したとある。『金沢の百年 年表 大正・昭和編』(119551514)P69に、大正11年(1922)4月1日、金沢市立女子職業学校を金沢女子職業学校と改称したとある。『金沢市史 現代篇 下』(119562680)P408に市立金沢女子職業学校について、長町五番丁の旧長町尋常小学校を仮校舎とし、明治39年6月開校、明治43年4月、旧長町尋常小学校の ...
【千田登文の邸宅について】 西郷隆盛の首を発見した千田文次郎(千田登文)の邸宅が長町に現存するとネットに書いてあったが、現在のどの辺りか知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:23)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:23)
『西郷隆盛の首を発見した男』(118562630)p.14に写真「金沢市長町の現在の千田家」が掲載されている。同頁の記述によると、千田家の庭は平成25年1月に金沢市指定文化財に指定された。金沢市公式ホームページ「文化財と歴史遺産 千田家庭園」【URL】http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11104/bunkazaimain/shiteibunkazai/kinenbutsu/senda.html『金沢市住宅明細図 中央部版』の長町付近に千田姓の住宅が掲載されている。『金沢市文化財紀要 2 金沢市内における侍屋敷土塀の系譜と現況』(11916437)№60に千田家の屋敷の情報が掲載されている。
【かせきについて】 『金沢町名帳』(1195585450)P460、461他に「かせき」という職業が多数見られるが、どのような職業か。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:23)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:23)
・『岩波日本史辞典』(112027556)P691「其日稼ぎ そのひかせぎ」の項目に「安定した職・収入がなく、日々の稼ぎによって生活を営む者。とくに江戸時代の都市下層民を指す。多くは裏店に居住した日用層。江戸後期に施行(せぎょう)の対象とされ、江戸では30万人を越えた。」と記載あり。・『加賀藩における都市の研究』(11900126)P137に「このうち稼人は「かせにん」と通称される日稼人を指し、定職を持たず、武家・町人の需要に応じて屋根葺手伝・人足・土方等の日雇として賃金を得る低所得階層であった。」と記載あり。・『城下町金沢 封建制下の都市計画と町人社会』(118412347)P82、93、94、102、290、296に細民を指す言葉として「稼人」「苧かせ人」「日稼人」「苧かせ」「稼人」「稼」の語句が見られる。P108 二 町人の職業構造と居住地 ...
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