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【金沢素囃子について】 昭和50年代前半頃の金沢(加賀)素囃子の写真が載っている資料はないか。金沢芸妓または邦楽関係者が舞台に座って演奏している写真で、楽器がわかるもの、唄を唄っている人がいないパターンを希望している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:19)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:19)
金沢素囃子については、『金沢市史 資料編15 学芸』(119751874)p.380「金沢素囃子保存会」に「舞台の雛段で演奏する出囃子で、いまでは全国的にも例が少ない」と記載されている。また、金沢市ホームページに詳細な説明が掲載されている。【URL】http://www4.city.kanazawa.lg.jp/17003/dentou/geinou/subayashi/index.html『金沢市史 資料編14 民俗』(119748725)巻頭写真55に昭和13年頃の素囃子の写真、『金沢市文化財紀要 148 金沢市の指定文化財と指定保存建造物』(119641620)p.51「金沢素囃子」、『月刊北国アクタス 2004年4月号』(170296154)p.16、『おとこ川おんな川』(118475516)p.9、『10倍楽しめる金沢おどり徹底ガイド』(118575567)p.38-39に平成期の素囃子の写真が掲載されている。『金沢素囃子調査最終報告書』 「金沢素囃子と金沢の文化」 高久舞/著 p.30によると、昭和40年 ...
『国史大辞典 5』(11063657)p.211「建仁寺流」に「建仁寺の大工横山氏は入唐大工横山吉春の子孫との伝えがあり」と記されている。『加賀藩大工の研究』(118507431)p.451に「坂上家は初代を横山権頭吉春(真吉備朝臣十一世)としており、文治三年(一一八七)栄西に従って入宋し、建久二年(一一九一)帰朝後、博多聖福寺、京都建仁寺の創建等に従事し、その子孫が代々建仁寺大工職を世襲したという。また、「禅家金山寺図」に、「・・・番匠之祖真吉備朝臣十一世備中国住人横山権頭吉春・・・」とあるが、「権頭吉春」を確認できる中世の史料がなく、伝承上の人物と考えられる」と記されている。『江戸と江戸城』(118599999)p.175-176に「建仁寺大工が禅宗様を中国から将来したとする伝説は多い。(中略)正保二年(一六四五)より富山瑞竜寺を造った ...
【馬術書について】 大坪流の馬術書について調べたい。「削贅クン要集」(クンはにんべんに君)という資料について詳しいことが知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:18)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:18)
日本古典籍総合目録で「削贅クン要集」という資料名はヒットしなかった。Googleで検索したところ、東京の古書店が所蔵していた。【URL】http://taiseido.koshoten.net/catalog/index.php書誌は以下のとおり。馬術書・宝永2年記・上田丹右衛門 和装毛筆書44枚・虫穴多有・イタミ有・絵入大坪流については、『国史大辞典 2』(11022317)p.649に説明があり、系図の中に上田姓の人物が含まれていた。『日本馬術史 第4巻』(129429576)「馬術参考書目」に「削贅クン要集」は掲載されていなかったが、『日本馬術史 第2巻』(129429558)p.66-68「上田流」の系図の中に上田丹右衛門の名前が掲載されていた。
【アメリカ文化センターについて】 終戦後、金沢の海軍人事部跡に建てられたアメリカ文化センターが現在何の建物になっているのか知りたい。また、アメリカ文化センター(CIE)が載っている地図が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:18)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:18)
『薫苑 金沢アメリカ文化センター創立七周年記念集』(119536554)p.85-86「金沢アメリカ文化センターの沿革」によると、設立の経緯は次のとおり。1948年6月4日 スキャップ図書館(CIE)が西町3番丁に開設された。1950年12月 下本多町の旧海軍館に移転した。1952年4月28日 講和条約の発効によりスキャップ図書館が閉鎖され、その資料及び職員は米国大使館(名古屋の米国領事館)管理下のアメリカ文化センターに引き継がれた。『金沢市街地図』(1952年発行)(119889429)によると、金沢城の南側、現在石川県社会福祉会館(金沢市本多町3丁目3-1-10)が建っている場所に「スキャップ図書館」と記載されている。『金沢市街地図』(1954年発行)(119956138)の同じ場所に「アメリカ文化センター」と記載されている。『金沢市住宅明細図』(1966年発行)(118407472)p.116の ...
『金城霊澤碑文解説』(11912390) 金城霊沢碑の白文、書下し文、訳文及び作者津田鳳卿の略歴等が掲載されている。『特別名勝兼六園』(11825940)p.172-174「金城霊沢・鳳凰山」 金城霊沢の解説が掲載されている。『兼六園を読み解く』(118478705)p.196-200「金城霊沢と金城霊沢碑」 金城霊沢碑が建てられた経緯を考証している。『兼六園歳時記』(119413311)p.94-95「お水とりと金城霊沢」 金城霊沢の解説が掲載されている。『兼六園』(118554960)p.97-99「金城霊沢」 金城霊沢の解説が掲載されている。『金沢古蹟志 第4編』(119865900)巻10 p.19-22「金洗沢霊泉」、p.22-23「金洗沢霊泉碑石」 金城霊沢碑の白文及び設置の経緯が記されている。『加能郷土辞彙』(初版)p.250「金城霊沢」 金城霊沢の解説が掲載されている。『兼六園全史』(109207463)p.215-222「金城霊沢」 碑 ...
『金沢駅西広場』(119474531)「事業経過」施工前と施工後の写真掲載あり。『新世紀・新都心』(119799475)p.7-8「都市計画道路」道路地図と路線写真の掲載あり。金石街道線、北安江長田線、金沢駅西通り線、高架側道3号線、高架側道2号線、北安江八日市線、堀川粟崎線、疋田上荒屋線、金沢駅東通り線、北安江出雲線、諸江二口線、金沢駅港線『新都心の創造』(119799493)p.16-17「都市計画道路」道路地図と路線写真の掲載あり。金石街道線、金沢駅港線、諸江二口線、金沢駅東通り線、北安江出雲線『未来にはばたく金沢駅西新都心』(119412762)p.24-25「都市計画街路位置図」道路地図と路線図の掲載あり。北安江・出雲線、金石街道、北安江・八日市線、金沢駅西通り線、高架川道3号線、疋田・御経塚線、北安江・長田線、堀川・粟崎線、金沢駅東 ...
【黒田の地名の由来について】 金沢市にある黒田町の地名がいつ頃から使われているか、また地名の由来が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:18)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:18)
『日本歴史地名大系 17 石川県』p.478「黒田村」によると、黒田村の初見は鎌倉時代末期の正中2年(1325)である。地名の由来について、『加賀志徴 下編』p.324「黒田」では出雲風土記等を引用し、土の色が黒いため黒田という説を紹介している。『米丸』(119721570)p.69に「黒田の名前の由来について黒田の黒ねばと言われるほど田んぼが黒かった。その上、村の崖淵に田のくろ(畔)がたくさんあったため黒田と名付けられたらしい」と記載されている。
【金沢第二中学校の校舎について】 金沢第二中学校の土地取得から建設・開校に至る過程が記された資料が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:17)
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『金沢の百年 明治編』(市史年表)(119871415)によると、金沢第二中学校校舎の建築の過程は次のとおり。明治31年6月18日 用地取得明治32年4月 創設明治32年9月 小立野新校舎に移転『金沢市文化財紀要 57 金沢の歴史的建築』(11917593)p.111「金沢市民俗文化財展示館(石川県立第二中学校校舎)」によると、建築年は明治32年で、設計者・施行者は不詳とされている。この作品と全く同形で、同一の設計に基づくと考えられる建築が小松高等学校記念館(県立第四中学校)として現存しているとのこと。『石川県教育史 第1巻』(119565618)p.565-566「石川県第二中学校(金沢二中)」によると、はじめ馬場・彦三・小将町などが候補にのぼったが、結局閑静な小立野台に決定した。そして、下石引町67番地から82番地にいたる片側より飛梅町にかけての地域に6,182坪(20,4 ...
『よみがえる金沢城 1』(119950125)p.151「昭和16年(1941)の旧金沢城内配置図」『軍都の慰霊空間』(118375305)p.26「金沢城内の軍施設配置図(昭和16年[1941]頃)『石川県立歴史博物館(旧金澤陸軍兵器支廠兵器庫)保存工事報告書』(119335215)p.297「旧城内配置図(昭和16年頃)」
【羅漢講員影像について】 『城下町金沢は大にぎわい』p.31に掲載されている羅漢講員影像の町人名を活字にした資料はないか。できれば、各町人の略歴も知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:17)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:17)
『城下町金沢』(118412347)p.210「羅漢講員画像町人」に町人名の活字が掲載されている。ただし、p.209の解説によると、羅漢講員画像は全部で3幅(1幅は彩色画、2幅は墨一色)あり、ここに掲げられたものは『城下町金沢は大にぎわい』(109236812)に収録された彩色画のものとは町人名が異なっている。同画像(彩色画)は『金沢市史 資料編7 近世5』(119763300)口絵p.1及び『町人の世界 金沢』(119867762)にも収録されており、『町人の世界 金沢』には町人名の活字も掲載されている。羅漢講員影像に掲載された町人の一部の略歴は『城下町金沢』p.210-211に掲載されている。
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