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『銭屋五兵衛の研究』(118412409)p.231-241に「嘉永五年八月廿九日、当面の大立物たる三男の要蔵は才許預となり、九月三日藤内指向の上引揚げられ、金沢町会所の牢獄に収容せられた。続いて五兵衛は九月十一日より、町会所縮所(シマリショ)に拘禁せられた。長男の喜太郎、次男の佐八郎は九月八日手鎖縮(テジョウシマリ)の上一類預となつた。同十一日両人は宮腰附御郡附出役相連れ、直ちに町会所縮所に収容された。(中略)九月三十日町会所に収容中の五兵衛、要蔵、川下縮所に収容中の孫兵衛、喜助のいわゆる主謀者と認められている四人の者は、愈々公事場へ仮牢される事となつた。公事場というのは今の裁判所と刑務所とを合併したような役所で藩においては最も枢要な官庁であつた。その牢獄の牢鍵は、金沢町奉行が保管していた ...
『北陸人物名鑑 大正11年版』(118406107)、『家庭の鑑』(118403025)、『北国人物志』(118402091)、『石川県官民肖像録』(118596217)に記載なし。『石川県の華』(119545455)p.111に斯波淳六郎の肖像写真あり。
国立国会図書館デジタルコレクションで検索したところ、以下の資料が見つかった。『新時代 第1巻第1号』「折々草」【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1812228/1/45『文章界 第1巻第2号』「樵路鶉」【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1467123/1/15『六大新報 第959号』「嶺上花」【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/7941887/1/2
【宇多須神社拝殿の再建年代について】 金沢市東山の宇多須神社が明治期に建て替えられているのだが、それが何年か知りたい(棟札には「〇5年10月21日」とあり、年が判読できなかったとのこと)。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:14)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:14)
『石川県神社誌』、『金沢市神社大観』に記載なし。『稿本金沢市史 寺社編』(119531469)p.46-48「宇多須神社」に「(明治)二十三年火を失したれば、二十五年十月、再造せり」と書かれている。
『金沢市史 通史編2 近世』p.813-814「渡し舟・伏見川の舟運」犀川では中村・衆免野(示野)村・鷺森村に、舟を各一艘・渡舟水子(水夫・渡し守)を二人ずつ決める、と記載あり。p.813「木曳川」木倉町、安江木町、木ノ新保、三社揚場等の記載あり。『金沢市史 資料編10 近世8 生産と生活』p.283天保10年7月(1839)に、示野村渡し舟があったことがわかる。『金沢・北陸の城下町 城下町古地図散歩1』(119952792)p.10「金府大絵図」現在の下菊橋と思われる箇所に舟渡の記載あり。『金沢古蹟志 第6編』巻15 p.19-20「犀川川除町」「犀川上川除町は法然寺より下舟場辺まで、犀川中川除町は下舟場辺より大橋辺まで」と書かれていることから、現在の桜橋付近が「下舟場」と呼ばれていたことがわかる。p.21-22「犀川小橋」桜畑(現在の寺町3丁目)に犀川小橋が ...
【日本陸軍の連隊の所在地について】 太平洋戦争直前くらいの日本陸軍の連隊の所在地がわかる資料はないか。地図でなくてもよい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:14)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:14)
『別冊歴史読本 1990年夏号特別増刊 日本陸軍連隊総覧歩兵編』(109013844)『地図で読む戦争の時代』(113165350)p.61「日本陸軍の師団配置と所属歩兵連隊(1932年当時)」『日本陸海軍事典』(111859826)p.508-509「陸軍部隊配備表(昭和初期)」『日本陸海軍総合事典』(第2版)(112749364)p.537-540「平時における陸軍主要団隊配備表(満州事変直前期)」
【山側環状トンネル上の塚について】 星稜高校の裏山の山側環状のトンネルの上にある塚(親王塚と聞いているとのこと)について書かれた資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:14)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:14)
『加賀志徴 下編』(11824805)P.428 八塚「寛永誌に、御所跡より五六町後の山の嶺に、塚あり。」と記載されている。『亀の尾の記』(11824824)P.125 八つ塚「又此山に八つ塚というあり。」と記載されている。『金沢市校下誌 北部地区編』(109202707)P.39 (小坂校下)連なる古墳「星稜高校の裏側に丘陵地の八塚山(標高約100メートル)があり、9基の古墳が確認されている(御所八塚山古墳群と呼ばれる)。」と記載されている。『石川県遺跡地図』(119452463)図26「金沢」、表9「金沢市(7)」
【江戸時代の大工の身分について】 江戸時代以降の大工(主に神社・仏閣)の身分について書かれた本を紹介してほしい。地域はどこの大工でもよい(金沢・京都・奈良等)。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:14)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:14)
『加賀藩大工の研究』(118507431)第1章 作事方の職制とその成立(P21~60)に作事方の構成や役職と人数についての記載がある。天明七年(一七八七)五月の気多太神宮社頭造営棟札を事例に以下の指摘をしている。(P33~34)・棟札の役職記載順は、その地位に関係があると思われる。・御大工並以上は姓・仮名・氏・実名で、扶持方大工以下は姓・仮名で記され、名乗りに差がみられる。・作事方の事務系(管理体制側)として、作事奉行、作事横目、寺社方修理裁許与力がいる。・作事方の技術系として、御大工頭、御大工、御大工並、扶持方大工、棟梁大工、屋根葺棟梁、大工棟取、屋根葺棟取が記され、作事奉行の配下に属する。P80~83に「表4 金沢の拝領地に住む大工の調査(享保9年8月)」について記載あり。『江戸時代の大工たち』(11025765 ...
【広坂のプラネタリウムのドームについて】 広坂のプラネタリウムのドームはいつ作られたのか。プラネタリウムの前身の北陸女学院の建物の時からあったのかどうかが知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:13)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:13)
『石川県大百科事典』p.666「プラネタリウム」によると、金沢市広坂のプラネタリウムは石川県児童会館の施設として1970(昭和45)年に発足した。『北陸学院百年史 部局史』p.399によると、1958年(昭和33)に鉄筋コンクリート3階建白亜の新校舎が建設された。同p.405に「中学部新校舎 正面」「中学部新校舎 背面」の写真が掲載されている(ドームなし)。同p.136に1965年(昭和40)当時の柿木畠校舎の配置図が掲載されており、現在プラネタリウムのある場所には「南館2号」という建物が建っていたことがわかる。『商工石川 2013年3月号』(179086345)表紙の航空写真「竣工した金沢市観光会館(現 金沢歌劇座)周辺空撮」(昭和37年 撮影)及び『石川富山昭和あのとき アルバム編』(118564509)p.175「本多町上空から石川県庁舎方面を望む」に北陸学院の建物が写っ ...
『石川県高松町史』(119563622)P.169 金津庄と大海庄「平安期に庄園化されて行った庄は、10世紀の前半に編さんされた『倭名類聚抄』によると加賀郡と羽咋郡は共に八郷からなる」と記載されている。加賀国加賀郡(河北郡)大桑、大野、芹田、井家、英多、玉戈、〔駅家〕田上能登国羽咋郡大(太)海、荒木、高家、羽咋、岡本、邑知、都知、神戸「高松地区は駅家郷に含まれている。又大海地区は羽咋郡大海郷に含まれていた」と記載あり。『日本歴史地名大系 17 石川県』(111271846)P.59 加賀郡〈大桑郷〉現金沢市大桑町。推定郷域は大桑町を中心としつつも犀川の谷頭左岸に限定する説、大桑町から犀川対岸の小立野台地まで広がっていたとする説、大桑町から下流に向かって広がり、同市の寺町台地から野町・中村町まで及んでいたとす ...
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