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『石川県教育史 第2巻』(119565627)p.43「第13表 金沢市内15小学校進学実態調査―大正12年―」 学校名の記載あり。『金沢市統計書 大正4年』(118575271)p.53-54「第十八 市立(尋常高等)小学校創立年月及建築費」 尋常高等小学校3校、尋常小学校13校の記載あり。『稿本金沢市史 学事編第4』(119562779)p.1233-1235「小学校の現在」 大正9年の小学校17校(うち尋常小学校14校、尋常高等小学校3校)の名称及び所在地の記載あり。『金沢市史 資料編15 学芸』(119751874)p.567-570 旧河北郡及び旧石川郡の小学校の名称及び所在地の記載あり。
【杉森久英と島田清次郎の資料について】 今度七尾市から金沢市まで徒歩で歩くことを計画している。ついては杉森久英、島田清次郎の資料をお送りいただきたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:11)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:11)
杉森久英と島田清次郎について、無償で配布しているパンフレット等は見つからなかったが、以下の関連資料は公共図書館で所蔵している。『近代文学の舞台を旅して』(113244955) 金沢学院大学文学部日本文学科/編 国立国会図書館、さいたま市立図書館所蔵 p.50-57「島田清次郎 『地上』第一部 にし茶屋街/白山市美川」『文学への旅 金沢・名作の舞台』(119711180) 「文学への旅 金沢・名作の舞台」編集委員会/編 国立国会図書館、埼玉県立図書館、さいたま市図書館所蔵 p.116-117「天才と狂人の間 杉森久英 旧制二中(現金沢市民俗文化財展示館)」、p.152-153「地上 島田清次郎 にし茶屋街」『ふるさと石川の文学』(118390221) 金沢学院大学文学部日本文学研究室/編 国立国会図書館、草加市立図書館所蔵 p.158-161「島田清次郎」、p.227-229「杉森久 ...
【前田斉泰の書について】 前田斉泰が書いた「入吾室者但有清風」の出典が知りたい。李延寿という人が書いた『南史』という本らしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:10)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:10)
『南史』については、『世界大百科事典 21』(118486073)p.216に説明があり、中国の南朝の歴史を扱う正史とのこと。「入吾室者但有清風」を国立国会図書館サーチ、Googleブックスで検索し、『大漢和辞典』に掲載されていることがわかった。『大漢和辞典 巻七』(118361542)p.75「清風明月 清らかな風と明らかな月。〔南史、謝ケイ伝〕(ケイはごんべんに恵の旧字体)「独酔曰、入吾室者、但有清風、対吾飲者、惟当明月」『南史 80巻〔6〕』列伝第十 謝弘微の項(曾孫ケイ)に記載あり。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/2600800/1/28
【八幡筵について】 藁工品(筵[むしろ]・叺[かます])の生産、流通について、とりわけ七尾港から移出された「八幡筵」が北海道の漁業で用いられていたことについて書かれた文献はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:10)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:10)
『鹿島郡誌』(119545114)下p.10「莚」に「莚は八幡の主産なり故に八幡莚の称あり」と記されている。『石川県鹿島郡誌 上巻』(11823164)p.524-526「藺作」『石川県鹿島郡誌 下巻』(11823165)p.216-218「八幡筵」「白馬角筵」『石川県史 第4編』p.872-873に八幡筵についての記述がある。『七尾市勢と商工案内 昭和26年度版』(119527134)p.25「農産加工品」に「かます」と「厚莚」が掲載されている。『金沢大学法文学部論集 哲史 1』(119519660)p.115「邑知潟地溝帯の農業地理 農業の後進性と兼業の問題」 斎藤晃吉/著 p.122に「このような古い時代からの零細農家が零細経営への適応として選んだ道は旧藩時代を通じて能登部町を中心に発達していた能登上布の賃織り(出機と称する)であり、藁工品であつた。明治以降になれば七尾市八幡がその創業地とされ八幡筵 ...
【カレンダーの赤マークについて】 休日のことを通称「赤マーク」「赤マク」「赤日」「赤の日」「赤い日」などと呼ぶ理由が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:10)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:10)
・「赤マーク」が休日のことを意味するという記述は広辞苑等の辞書では見つからなかった。・現代のカレンダーが休日を赤い色にするのはグレゴリオ暦カレンダーに由来するという説(推測)を文献・図説等により調べたが、その根拠を見つけることはできなかった。「暦-月日を奏でる世界」(119866237)で各国のグレゴリオ暦の写真が確認できる。・日曜祝日を赤日(あかび=辞書には定義なし)と言うように一種の通称として「赤マーク」「赤マク」などと言うことがあるのではないか。Yahoo!知恵袋【URL】https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1319101968[参考1]「ことばの文化史 中世3」(11104759)の90ページの『貞丈雑記』の記事の中に「赤日」の語句が見られる。「…赤日は赤口神という神のつかさどる日にて、弁舌を用るに悪き日也と云。 ...
【帝慶山箕祠碑文について】 大樋焼の創始を記した帝慶山箕祠碑文が『金沢古蹟志』に収録されているが、これを解説した資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:10)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:10)
『加南地方史研究』(109184180)「九谷焼史考 春日山窯史料研究」p.95-98、「釈文録」p.121-123に白文と釈文(大西勉氏による)が掲載されている。その他、同碑文を掲載したものに以下の資料がある。『定本 九谷』(118593912)p.17-19「箕柳祠碑文」『加賀越中陶磁考草』(119445914)p.27-30に白文と按が掲載されている。
東京大学史料編纂所近世編年データベースにより加賀藩史料を検索したところ、以下の資料が見つかった。『加賀藩史料 第4編』p.945-946「(元禄元年)三月。非人小屋に収容せられたる刀鍛冶清光一族の待遇に関して上申す」この資料によると、清光の本名は長兵衛(長右衛門とも)といい、父子3人で御細工をしていた。 兄は次郎九郎、弟は太郎という。妻の名前は記されていない。『加賀松雲公 中巻』(119437117)p.653に「非人清光通称長兵衛。初代藤嶋友重以後第六世の刀工と云ふ(中略)其父子三人に各米七合五勺を賜ひ。別に其妻及幼児に物を与へ」と記されているが、妻の名前は明らかにされていない。その他、清光については『加州刀工一覧』(119557920)p.28-29、『加州刀工系図資料』(119557901)p.3、『石川県史 第3編』p.718-722に記載があるが、妻の ...
【100年前の片町の豆腐屋について】 100年くらい前まで片町にあった豆腐屋について書かれた資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:09)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:09)
質問者からの情報提供によると、以下の文献に記載がある。『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)p.212 「豆腐 紺清外次郎 河原町57」その他、紺清外次郎の名前が載っているものとして以下の文献を見つけた。『家屋ノ賃貸価格ニ関スル下調書 昭和五年度 旧第二区』(119527760)「河原町57ノ1 紺清外次郎」『金沢市史 資料編11 近代1』「明治二八年度県税中商業税分賦等級別交名簿」p.715に「塩 河原町 紺清次三郎」の名前がある。『明治大正期商工信用録 第4巻 明治44年』(118583836)石川県下p.50に「〔姓名〕紺清次三郎 〔職業〕麩及豆腐陸軍用達 〔所在地〕仝(金沢市)、河原、三三 〔開業年月〕仝(維新前)」と記載されている。『明治大正期商工信用録 第12巻 大正7年』(118583818)石川県下p.30に「〔姓名〕紺清吉三郎 〔職業〕酒味噌醤油 〔所在地〕 ...
○芝生『金沢市史 通史編3 近代』(119958310)p.519「モダン金沢」「純喫茶店は昭和に入って定着した。片町のミドリヤ、カナリヤ、尾張町の石黒ファーマシーなどが古く、六年に香林坊交差点の明治製菓が開店し、芝生、モナミ、トキワパーラー、コンパル、白椿、十年以降には、アポロン、モンテローザ、山彦、ヒュッテ、りやん、処女林、仙石パーラー、ドリヤン、南海、白夜などが登場した。ちなみに、昭和七年には、広坂署管内のカフェーだけでも四九軒、女給の数は二七四人をかぞえ、最盛時の昭和十二年には七~八〇軒の店舗が存在したという。」と記載されている。『柿木畠タウンガイド』(109205629)p.22「喫茶 芝生」「昭和七年開業の老舗喫茶。」と記載されている。『金沢・柿木畠』(119378375)p.72「芝生開業当時の昭和七年頃」と ...
『角川日本地名大辞典 17 石川県』p.973「割出郷」「戦国期から見える郷村名。加賀国石川郡倉月荘のうち。現在の金沢市割出町に比定される。破出とも書く。応永24年12月13日、摂津満親が「加賀国倉月庄内諸江破出・山口破出」を南禅寺ホウ勝軒に寄進したのが初見」『日本歴史地名大系 17 石川県』p.471「割出村」上記と同じ説をとる。『加賀志徴 下編』p.367「割出村 按ずるに、割出の邑名は改作方より起りたるものにて、此村もし古き村にてあらざる時は、三州改作方命ぜられたる比などに、立たる村名ならむか」
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