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○100年前の地図『大日本職業別明細図之内石川県』(118578602)大正14年発行の地図あり。『こまつ-「身近な地域」地図資料集』(119458879)P17に明治21年発行の地図あり。『二万分の一地形図』(明治43年陸地測量部発行)『石川県能美郡小松町々治一覧表』(118601200)大正6年発行の地図あり。○50年前の地図『2万5千分1地形図(石川県周辺)』(119573478)「小松」(昭和51年発行)<追記>その後質問者が来館し、調べたい場所が現在の小松駅東口の日の出町(旧町名は八日市町地方)周辺で、朝鮮人居住地があったのかどうかを確認したいことがわかった。『北陸3県における在日朝鮮人の定住過程(戦前・戦間期)』(109167680)、『石川県の在日朝鮮人人権歴史マップ』(109152982)を確認したが、小松駅周辺の居住地については記載されていなかった。『本折町史』(118552034) ...
【加賀前田家の大名交際における贈答について】 加賀前田家の献上・贈答に関する資料を探している。参勤交代の際に送られた献上品や結婚調度品、藩内(家臣への贈り物)や藩間で交換した献上品についても調べたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:01)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:01)
○大名交際についての論文『武家屋敷 空間と社会』(118331525)「近世中・後期大名社会の構造」松方冬子/著『日本歴史 1994年11月号』(通巻558号)(170020226)「「不通」と「通路」」松方冬子/著『金沢市史会報 Vol.12』(『金沢市史 資料編4 近世2 藩制』(119728123)所収)徳川将軍家と加賀前田家の「年頭御礼」について」深井雅海/著『論集きんせい 第32号』(109131884)「加賀藩前田家における公家との交際」千葉拓真/著『史学雑誌 2012年8号』(第121編第8号)(170504373)「近世大名家における書札礼と公武の序列」千葉拓真/著『加賀藩研究 加賀藩研究ネットワーク会誌 第1号』(109137547)「京都をめぐる加賀前田家の儀礼と交際」千葉拓真/著以上の論文の中に、加賀前田家の通路に関する資料が引用されている。○参勤交代の際に送られた献上品について『 ...
【富士山の宝永大噴火に伴う献金について】 富士山の宝永大噴火に伴う砂除人足代として加賀藩が幕府に献金した額が記された資料が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:00)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:00)
以下の資料によると、幕府は宝永大噴火の役金として、諸大名に対し石高100石当たり2両の献金を課した。『富士を知る』(112423497)『日本の時代史 16 享保改革と社会変容』(112962563)『富士山宝永大爆発』(113399663)『加賀藩史料 第5編』p.785、宝永5年3月29日条に「幕府、先に富士山麓諸国の降灰を除く為に用金を課したるを以て、此日金沢藩二万五百両を納る」と記載されている。
【前田光高・綱紀の住吉派絵師招へいについて】 前田光高・綱紀親子の文化政策について書かれた本はないか。住吉如慶・具慶を加賀に呼び寄せて絵を描かせたことについて調べている。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:00)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:00)
郷土の絵画史に関する以下の文献を紹介した。『加能画人集成』(119801662)『新加能画人集成』(119330030)『金沢市史 資料編16 美術工芸』(119725865)『石川県史 第3編』『金沢城研究 研究紀要 第6号』(109085880) 「近世後期の城郭建築にみる障壁画と儀礼」 太田昌子/著前田綱紀に関する伝記として以下の文献を紹介した。『加賀松雲公 上巻・中巻・下巻』上巻(119437108)p.443-484に、将軍臨邸(江戸)のための室内装飾として障壁画を描かせた絵師の名(狩野探雪・休碩など)や、床飾の三幅対の絵師の名(雪舟)が記されているが、住吉如慶・具慶の名は見当たらなかった。『加越能文庫解説目録 上巻』に絵画に関する史料の解説が掲載されている。
【金沢市庁舎について】 金沢市図書館ホームページに公開されている『金沢絵葉書』「10. 金沢市役所」の建物の建設と取り壊しの年が知りたい。また、現在のどの場所に建っていたのかも知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:00)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:00)
『金沢絵葉書』(11826123)【URL】https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/kanazawaehagaki.htm○建設の年・場所について『20世紀の照像 石川写真百年・追想の図譜』(改編版)(118388152)p.58「金沢市役所」によると、最初の庁舎は明治16(1883)年に建てられ、次の庁舎は大正11(1922)年に完成した。『金沢の百年 大正・昭和編』(市史年表)(109089889)p.68によると、大正11(1922)年2月11日に金沢市役所新庁舎の落成式が行われた。『金沢市政概要 昭和5年』(119514824)などによると、大正11(1922)年に完成した庁舎の住所は広坂通76番地ノ2ノ2、77番地ノ2ノ2合併他15筆である。『金沢市遊覧案内』(1923年発行)(118570687)所収「金沢新市街地図」などによると、金沢市役所の所在地は現庁舎の建っている場所(広坂1-1)と同じである。○取り壊しの年・場所について『20世紀の照像 石川写真 ...
【泉鏡花、一九席、福助座の資料寄贈に関する記事について】 尾張町又は下新町の町家から泉鏡花、一九席、福助座に関する資料が発見され、泉鏡花記念館に寄贈されたということが記された北国新聞の記事を探している。たしか青山館長が写っていた。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:00)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:00)
北國新聞データベースで「泉鏡花 一九席 福助座」とキーワード検索したところ、以下の記事が見つかった。北国新聞 2009年11月2日 朝刊 25面「没後70年、遺品200点展示 金沢市の鏡花記念館」本記事の中に記載されている「明治、大正期に下新町にあった劇場「第四福助座」と寄席「一九(いっく)席」の番組」が寄贈資料と思われるため、2009年11月以前の記事を探したが、見つからなかった。
【「大徳曰生」の出典について】 「大徳曰生」という言葉の出典と意味が知りたい。大屋愷あつの家に書額として掲げられていた。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:00)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:32:00)
国立国会図書館サーチで「大徳曰生」という言葉を検索したが見つからず。Googleブックスで検索したところ、『易経』繋辞伝下の一節であることがわかった。『易学大事典』(111465090)p.554-556、『易経 下』(1969年)(129669394)p.251-253に記載あり。[原文]「天地之大徳曰生」[書下し]「天地の大徳を生と曰い」[意味]「天地の偉大な徳は、万物を生々して息むこととない生のはたらきであり」
【馬車の写真について】 昭和初期の乗合馬車の写真が見たい。川端康成の小説の中に出てくる、8人乗りのものが見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:59)
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乗合馬車の出てくる川端康成の小説に「夏の靴」「有難う」(いずれも『川端康成全集 第1巻』(1981年)(11034795)、『旅の風景』(129501919)所収)などがあり、「夏の靴」では八人乗の馬車、「有難う」では乗合馬車と記されている。『金沢みやげ』(118405502)巻末広告写真「金石馬車鉄道株式会社」『20世紀の照像 石川写真百年・追想の図譜』(改編版)(118388152)p.51「金石馬車鉄道・1909年(明治42)」「山代馬車鉄道・1908年(明治41)」「山中馬車鉄道・明治後期」『北陸都市史学会誌 No.15』(109158672)「山中馬車鉄道とその客車の遺構について」山崎幹泰/著 p.18-19,21『昭和の金沢』(118489020)p.38「野町地区の木材を運ぶ荷馬車」、p.58「荷台が低い木材用荷馬車」、p.131「小松市安宅付近の海岸」、p.139「鶴来町の馬車と自転車」『紀尾井町事件』(119643492)p.8「大久 ...
【郷土の文人(俳人・漢詩人)について】 矢田四如軒の三回忌の追悼文に名前の出てくる「松斗」(松計ヵ、画人又は俳人)「呂舟」(俳人)「香山」(漢詩人)について知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:59)
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『加能郷土辞彙』(初版)p.863「矢田広貫」によると、矢田四如軒の没年は寛政6(1794)年なので、松斗(松計)・呂舟(俳人)・香山は寛政9年頃の人物である。松斗は『新加能画人集成』(119330030)に記載なし。呂舟は『加能俳諧史』(改訂版)(119569134)p.336「磯すすみ 亡師槐庵馬来百ヶ日追善瓢箪町於崇禅寺(小室山崇禅寺曹洞宗)興行十月廿一日」の一座中に名前がみえ、上田馬来門下の金沢の俳人である。同書p.303によると、矢田四如軒は河合見風と前田直躬(前田土佐守家当主、俳号嵐鶴)の画像を描いており(『郷土の俳人河合見風』(119467902)p.8-9に図版掲載)、主君の前田直躬を通じて俳人と交流があったと思われる。その他、『北陸の俳壇史』(119570091)、『郷土の俳諧』(119679305)、『富田文庫目録』(119537767)、『村松文庫目録』(109075856)、『加越能古俳書大 ...
【兼六園の滝について】 江戸時代中期の出羽の細工師、嘉六という人物が兼六園の滝を作ったことが書かれた文献はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:59)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:31:59)
嘉六については、質問者からのご教示どおり、『講談社日本人名大辞典』(112321755)p.554に説明がある。兼六園内には翠滝(七瀬滝、松蔭滝ともいう)及び長谷池男滝・女滝(雄滝・雌滝)が現存する。このうち、安永3年(1774)の翠滝の改修については、『兼六園全史』(109207463)p.7,241,492、『特別名勝兼六園 その歴史と文化 本編』(119597667)p.180-181,288-289及び『兼六園を読み解く』(118478705)p.91-94「中島御亭と滝の改修」、p.96-97「安永初期における蓮池庭の施設」に記載があるが、嘉六の名前は見つからなかった。
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