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【前田利常の娘の読み方について】 前田利常の娘で八条宮智忠(としただ)親王に嫁した富姫(ふうひめ)について、名前を「富子」と表記している資料があるが、その読み方の書かれている資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:31)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:31)
富姫の読みが「ふうひめ」と書かれている資料は確認できるが、「富子」に読みが振られている資料は確認できなかった。『利家・利長・利常』p.94「富姫(富子)という姫がいたが」に「ふうひめ」とルビが振られている。富子には振られていない。『加賀前田家の母と姫』(118515317)p.34~「富姫(ふうひめ)と桂離宮」という章がある。同書には、富姫は八条宮家に嫁したときに昌子と改名し、没後に遺体が金沢に戻されることになり、名前も昌子から前田家時代の富子に戻されたとある。『日本の宮家と女性宮家』(113271596)p.120~121に「桂宮家略系図」があり、智忠親王の妃に「前田富子」とあるが、読みは書かれていない(八条宮家は現在の桂宮家に連なる)。『桂離宮御殿整備記録 本文編』p.304~307宮内庁書陵部所蔵「桂宮系譜」の影写本 ...
【川岸要吉について】 彫刻家の川岸要吉(1931-2003)の経歴が書かれた資料を見たい。できれば写真も見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:30)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:30)
石川県立美術館ホームページに略歴がまとめられている。写真の記載はなし。http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/collection/index.php?app=meibo&mode=detail&data_id=9757 (2021年10月29日最終閲覧)『美術年鑑』、『美術家名鑑』等、美術系の名鑑資料にも名前と略歴がまとめられている。写真はない。『人物レファレンス事典 美術篇』(113152432)には記載なし。以下の資料に記載なし。『金沢まちなか彫刻見て歩きマップ』(109180163)作品は載っているが、経歴等の記載なし。『金沢彫刻展 第4回』(11917064)記載なし。『北國新聞 縮刷版 平成8年11月号』(119888584)p.785、11/20朝刊の17面、『作家の仕事場』に川岸要吉のインタビューが掲載されていた。略歴と写真あり。『北國新聞 縮刷版 平成12年10月号』(118439420)p.1116、10/25朝刊の28面に、12年度文化功労賞の記事。写真あり。『 ...
【伏見寺の文化財について】 寺町の伏見寺にある 国指定重要文化財 銅造阿弥陀如来坐像 金沢市指定文化財 木造不動明王坐像の文化財指定理由を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:30)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:30)
以下の資料を紹介した。『石川県の文化財』(11824508)p.151に掲載あり。 「平安時代前期(貞観期)の制作になるかと推定され、金銅仏の数少ない平安時代にあって貴重な作例である。」『北國新聞縮刷版 平成25年11月号』(118558557)p.895 平成25年11月21日朝刊33面 「平安時代前期から後期初頭の製作技法を残しており、金沢の古代の仏像文化を考察する上で重要と判断された。」
【加賀藩本郷邸前にあった和菓子屋について】 東京の本郷にあった和菓子屋藤むらと加賀前田家の関わりを示す資料をみたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:30)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:30)
以下の資料に記載がある。『和菓子の辞典』(11051524)p.288~289『日本名菓辞典』(11805116)p.305~306『和菓子』(129058923)p.103『加賀百万石ゆかりの菓子』(119754590)p.40大意は以下の通りである。・秀吉が聚楽第で催した茶会で自慢してきた駿河屋の羊羹に対抗して、前田利家が¬ト(かねと)屋忠左衛門に羊羹作りを命じる。・羊羹はその後前田利常の時代に開発に成功。忠左衛門は浅香姓(のち藤村に改姓)と帯刀を許される。・藤むらは宝暦年間に、本郷の加賀前田家江戸藩邸前に移転。以下の資料に前田利家と聚楽第関連の逸話が載せられているが、羊羹に関する逸話は確認されなかった。『加賀藩史料 第1編』(11801624)『三壷聞書』(118511630)『御夜話集 上編』(118511603)『金沢古蹟志 第11編』(119865973)巻三十p.34に元和・寛永時代の藤村忠左衛門という ...
【相撲場について】 金石の日和山下、涛々園(とうとうえん)、平和町で学生相撲の大会が行われたときの相撲場の場所が載っている地図が見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:30)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:30)
地図上に相撲場の記載のある地図は確認できなかったが、相撲場のある施設等の配置図などで、相撲場の位置を確認できる。なお、相撲場の変遷は『相撲王国石川のあゆみ』(11913777)p.61~「金沢大会の歴史」で把握できる。大正4年~:日和山下大正15年~:涛々園下昭和21年:日和山下昭和21~26年:涛々園下昭和27~28年:平和台『平和町開町四〇周年記念誌』(118573553)に「平和町町内略図」があり、昭和30年の略図に「相撲場」が記載されている。周辺の街路構造も把握できる。『追憶 昔の金石とその周辺』(109069803)p.2の手書き地図に、涛々園下の海水浴場付近に「仮設学生相撲場」が記されている。p.59~66にかけて学生相撲大会に関する記述がある。「金石バッス計画配置図」(近世史料館特36.14-02)に涛々園の配置計画図があり、「角力場」 ...
『創立百年記念誌もろ江』(119811945)学校の創立100周年記念誌。学校のあゆみについて書かれている。『弓取郷土史』(109068495)p.66~「小学校教育の変遷」に、前身校含めた沿革が記されている。『伸びゆく諸江』(109068815)p.43~「学校のうつりかわり」に、諸江町小学校の変遷に関する記述がある。『石川県石川郡誌』(11824573)p.1215「旧弓取村」の「教育」の項目に、小学校に関する記述がある。『金沢市校下誌 西部地区編』(109205988)p.15の年表に、新校舎の完成年が記されている。
【金沢市北部地域の昔の人口について】 昭和20年代後半~昭和30年頃の金沢市の北部地域、とりわけ八田・才田・大場・忠縄の各地区の人口がわかる資料を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:29)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:29)
統計資料を調査したが、各地区ごとの人口まではわからなかった。『国勢調査結果 昭和30年』(119933400)は、地域別(校区別)の人口まで把握可能。『金沢市統計書 昭和30年版』(119505137)も、地域別(旧町村別)の人口まで把握可能。『石川県統計書 昭和30年』(11916182)は、市町村別の人口まで把握可能。昭和40年まで下ると、『金沢市統計書 昭和40年版』(119505235)で、町丁別の人口を知ることができる。各地域の歴史をまとめた資料を調査した。一部の地域については、以下の資料に昭和20年代後半~昭和30年の人口が記されていた。『八田の歴史』(109068593)p.15~16に八田の家数・人口がまとめられている。『大庭のあゆみ』(119377879)p.118~119に大場村の人口変化の表がある。
【明治44年の百間堀埋立工事について】 明治44年に行われた百間堀の埋立工事について工法やどのように水を抜いたか、苦労話等について知りたい。特に兼六園側に造った瓦の玉石を用いた土割の石積みについて知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:29)
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金沢城関係の資料を調べたところ、水を抜いた方法については『金沢城跡 車橋門発掘調査報告書』(119590325)p20に「百間堀の水を抜く時は、その水をいもり堀に流すしかなく、堀の埋立てが道路開削に連動しているのである。」との記載があることから、百間堀の水を抜く際はいもり堀に流したことが判明した。 工法等については、金沢城関係の各種発掘調査報告書に記載なし。 『よみがえる金沢城 1』(119950125)、『よみがえる金沢城 2』(118512478)を調べるも記載なし。 『20世紀の照像 石川写真百年・追想の図譜』(118388161)を調べたところ、明治44年(1911)6月に道路が開通したことがわかったので、当時の北国新聞を調べるも、工法等の記載はなし。
シタベニハゴロモは外来種の昆虫で、日本では2009年に石川県小松市で初めて確認された。『昆虫 ニューシリーズ』16巻1号「石川県におけるシタベニハゴロモの生態」に、シタベニハゴロモの特徴、生態等について述べられている。(J-STAGEで閲覧可能)【URL】https://www.jstage.jst.go.jp/article/kontyu/16/1/16_KJ00009573822/_pdf/-char/ja (2021年10月29日最終閲覧)石川むしの会が発行している『とっくりばち』という会誌では、近年石川県エリアのシタベニハゴロモの生息域等に関する論文が多く掲載されている。『昆虫レファレンス事典 3』(113885137)p.287「シタベニハゴロモ」によると、以下の資料にシタベニハゴロモの記載があることが確認できる。『くらべてわかる昆虫』(113589980)p.51画像が紹介されている。「中国原産で石川県に定着。」とある。『世界のふし ...
・『角川日本地名大辞典 17 石川県』(118552562)で町名の変遷を確認。昭和45年に尾張町2丁目に変更されたことがわかった。・『金沢市住宅地図 昭和44年度版』(118407507)で、住所を確認。新旧町名が両方記載されていた。・最新版の『金沢市住宅地図 地籍版』にて、場所と住居表示、地番を確定できた。
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