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・『角川日本地名大辞典 17 石川県』(118552562)で町名の変遷を確認。昭和45年に尾張町2丁目に変更されたことがわかった。・『金沢市住宅地図 昭和44年度版』(118407507)で、住所を確認。新旧町名が両方記載されていた。・最新版の『金沢市住宅地図 地籍版』にて、場所と住居表示、地番を確定できた。
【永原甚七郎の出生について】 幕末の加賀藩士永原甚七郎の出生地が加賀国の竹松村であるとの話を聞いたが、それに関する資料はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:29)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:29)
『加能郷土辞彙』(改訂増補)(119865516)、『金沢墓誌』(118582759)等、甚七郎の経歴を簡潔にまとめたものには、出生に関する記述なし。『諸士系譜』にも出生に関する記載なし。『加賀文化』(11824321)第3号「永原甚七郎外伝」p.8に「甚七郎は文化十年の生れ石川郡出城村字竹松の百姓與三右衛門方に養われ」た妾腹の子であるとの記述がある。典拠は示されていない。『石川郷土史学会々誌 第41号』(109085217)p.103~「一橋慶喜と永原甚七郎」には、出生に関する記述はないが、甚七郎の「先祖由緒并一類附帳」や「赤座甚七郎家系等略記」などの史料があることが確認された。近世史料館で上記史料を確認したが、甚七郎が竹松の出生であるとの記載はなかった。
『石川県史史料 近代編(2)』(119562939)p.464 加賀國石川郡水淵村 物産の項に「楮皮」「元結紙」「小厚紙」「島笠紙」の記述あり。『日本歴史地名大系17 石川県の地名』(118287258)p.503 水淵村の項に 「おそくとも元禄期には紙漉きが盛んになり、ちり紙などを生産していた」と記述あり。その他、以下の資料でも、水淵で紙漉きが行われていたことが確認できる。『金沢市史 資料編10 近世8』(119795743)p.162『金沢市史 通史編2 近世』(119896540)p.774『石川県の伝統産業』(118413040)p.265~296「石川の和紙」『加賀の紙』(11824957)p.16~25「近世紙郷の分布」、「医王山麓の紙郷」『石川県石川郡誌』(11824573)p.1065『加藩貨幣録』(11824808)p.183、186、192によると、19世紀の加賀藩の藩札の銀札は楮(こうぞ)で作られていたことがわかる。水淵には、土地の産物と ...
【「水淵」について】 金沢市の地名に「水淵」がある。ここには辰巳用水のかつての取水口があるが、そのことがわかる資料を探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:28)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:28)
『辰巳用水にみる先人の匠』(119416725)p73 辰巳用水は初め「雉」を取入口として造られた。『金沢用水散歩』(118334901)p84 「もっとも当初の取水口は、下流の雉にあったというが、」p86 辰巳用水縦断図に雉(寛永期取入口)と記載あり。『辰巳用水 加賀藩政秘史』(11802059)p120 「通称”雉”の取入口付近は、昼なお暗い樹林で覆われ」『辰巳用水にみる近世初期の先端技術』(119746097)p14 図2-3 明治42年頃の主要道路と辰巳用水 に「水渕」の記載あり。p25 3-5 雉取入口周辺の水路 に記載あり。p41 写真3-1 雉取水口遠景 の写真あり。
【桜井能監の出身について】 加賀藩の桜井梅室の子とされている桜井能監(さくらいよしたか)について、加賀藩の出身であるのか知りたい。加賀藩の出身としている資料以外に、島根県士族の父であるという資料や京都出身であるという資料も見受けられる。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:28)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:28)
『梅室関係俳書集』(118603886)の中に、尾張の門人山本春松が梅室の略歴をまとめた「梅室翁紀年録」が収録されている。同書で弘化元年(1844)に嗣子辰丸が生まれたとあり、解題で「辰丸」は能監のことと説明している。『講談社日本人名大辞典』(112321755)p.847「桜井能監」の項目あり。梅室の子となっている。郷土資料では、『加能俳諧史』(119569134)p.437に弘化元年の「辰丸」誕生の記述があるが、能監であるとの記述はない。『金沢市教育史稿』(118290979)p.500~501「桜井梅室」の項目あり。梅室に一子があり、名が能監であることが記されている。以下の資料に「桜井梅室」の項目があるが、子どもについての記載はない。『金沢墓誌』(118582759)p.25『加能郷土辞彙』(改訂増補)(119865516)p.360『三州遺事』(118596558)p.632「方円梅堂」以下の資料には、 ...
『北加賀の山城』(119722540)p37~40 に記述あり。『加賀中世城郭図面集』(118597930)同書では『加越能三州地理志稿』(ママ)の「山河城」の項目に「水淵古塁」という記述があることを紹介している。『石川県城郭総覧』(11909807)、『日本城郭大系 7 新潟・富山・石川』(11802330)、『山の民物語』(118419580)には記載なし。
【金石街道沿いの地蔵について】 金沢市の金石街道沿い、長田町の浜坂畳店の向かいにある地蔵について書かれた資料を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:28)
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住宅地図で所在を確認。浜坂畳店の通りを挟んだ向かい側に「地蔵」との表記がある。所在地は長田町1丁目7-17となっている。当該地蔵に関する資料を調べた。『金沢市文化財紀要 135 金沢市の地蔵尊』(119602480)p.61に「長田町地蔵尊」があり、概要がまとめられている。所在地は「長田町1-7-17」となっている。安置年代は文化年間と推定している。『長田のあゆみ』(119617115)p.115にも、長田町に鎮座している地蔵尊の由来についてまとめられている。文化5年(1808)の作で、作者・安置者は不明としている。『金沢のおじぞうさま』(119595644)にも、「長田町地蔵尊」があり、地図上で所在を確認できる。以下の資料の長田関連の箇所には記載なし。『亀の尾の記』(11824824)『金沢古蹟志』『加能郷土辞彙』(改訂増補)(119865516)『加賀志徴 下編』(1182 ...
・『加賀藩史料』に記載がないか「東京大学史料編纂所近世編年データベース」にて検索。東京都公文書館資料より 明治4年に旧大名邸を官用地として上地替えを命じたとの記載があった。・『加賀藩史料』より、本郷邸に関する事項を索引で調査し 明治元年4月17日 本郷邸類焼 p826 〃 3年8月 江戸の官私邸を届出 p1209~10 (本郷邸が借地であり、不要分は返却するよう沙汰があったことが分かる) 〃 4年6月 本郷邸の一部を私邸としての下付を東京府に出願 p1364 (東京都の公文書と合わせると、本郷の土地を返却するよう命じられたが、 本郷に居住を希望し私宅部分の下付を願い出、それ以外の部分を返却した ことが分かる)・『赤門』(113802223)p174明治政府が明治4年3月に各藩に屋敷を解体する際には、事前に伺う出ることを命じたとの記載あ ...
【鈴木市良平という大工について】 1763(宝暦13)年、富山県井波の瑞泉寺で催された儀式に、加賀藩の「鈴木 市良平(すずき いちろべい)」という大工が参加したという古文書を見た。その記録には、棟梁の次の位の者として鈴木の名があった。加賀藩でそれなりの地位にあった大工と思われるが、この人物に関する記録がないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:27)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:27)
『加賀藩大工の研究』(118507431)『諸頭系譜 下』(109209360)の人名索引を参照するが、記載なし。・宝暦13年に富山県井波の瑞泉寺で、前年全焼した御堂の釿(ちょうな)始めがあったことが以下の資料で確認される。『井波町史 上巻』(129813836)p.537~『年表でみる井波瑞泉寺』(113343309)p.58『井波 歴史のうねり六〇〇年』(119336188)p.169~瑞泉寺関係のまとまった史料集や調査報告書所蔵なし。(令和3年に瑞泉寺の調査報告書が出たが、当館に所蔵なし。「瑞泉寺 調査報告書」でgoogle検索すると、山本製材という会社のホームページで、富山新聞の記事を閲覧可(2021年10月29日最終閲覧)。・当該普請では、44人の大工が参加している(内21人は井波の大工、棟梁は本山から派遣されてきた本山の大工、金沢等からも派遣されている)。・上記井波関係の資料に ...
【加賀藩が所蔵していた軍艦の名称等について】 加賀藩が所蔵していた軍艦の名前と数が知りたい。また、そのうち幕府に譲った軍艦はどれか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:27)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:27)
・加賀藩、軍艦をキーワードに蔵書検索し、「加賀藩艦船小史」(119519277)に次の記載があった。 p18~20 第5章 軍艦所所属の艦船 明治元年、加賀藩所有艦船を軍務官に届け出たこと、各艦の名称と性能等記載あり。 p44~46 軍艦所及び諸艦船の処分 明治4年軍艦所の廃止に伴い所属艦船が会社、個人の手に渡ったこと、その後李白里丸は沈没、銀懐丸は破損、駿和丸、起業丸、猶龍丸は大蔵省に献納、乾元丸、有明丸は金沢廻漕会社が購入したとの記載あり。インターネット検索で「幕末から明治初期における加賀藩の造船への取り組み」(『日本船舶海洋工学会講演論文集』第26号)に加賀藩所有艦船の一覧があった。【URL】http://zousen-shiryoukan.jasnaoe.or.jp/wp/wp-content/uploads/column/2018S-OS1-2.pdf (2021年7月4日最終閲覧)
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