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茂原の合戦について次の資料に記述がありました。・『宇都宮市史 第3巻 中世通史編』(宇都宮市史編さん委員会/編 宇都宮市 1981)p.455-460 「第七章 室町・戦国時代の宇都宮氏」「第一節 足利基氏と小山義政の乱」の「裳原の合戦」項に、戦が展開された場所は茂原町の一部と思われるが、場所は明確ではないとあります。茂原城の場所に関する記述が次の資料に確認できましたが、詳細な地図は見つかりませんでした。・『栃木史心会会報 第18号』(栃木史心会/編、発行 1986)「グラビア」にモノクロの写真が掲載されています。「茂原城館跡付近(宇都宮市茂原町)」p.2-8 「中世・茂原城館址とその周辺 寺内武夫」の項があり、茂原城館跡の場所について記述があります。・『今昔雀宮』(吉野益太郎/著、発行 1983)p.414 「二 ...
江戸時代、宇都宮藩主が塩原へ行った時のことが分かる資料はあるか。『塩原町誌』、『藤原町史』、『塩谷町史』、『宇都宮市史』は既に確認している。(栃木県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/6/2 15:19:48)
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このことについて、回答は以下のとおりです。1 塩原関係の資料による調査(1) 『塩原の里物語 塩原温泉千二百年の歴史』 (「塩原の里物語」編集委員会/編 随想舎 1998)宇都宮藩主の塩原訪問として、次の3回についての記載が確認できました。残念ながら、記載の元となる史料等の出典については、明記されておりませんでした。・p105「宇都宮家臣団の塩原見聞 塩原大巻狩り」より ①正徳4年(1714)4月 ②享保17年(1731)6月中旬、宇都宮藩主 この頁には、「塩原大巻狩りの図(正徳4年)」という絵図の図版も掲載されていました。・p121「宇都宮藩主の塩原行楽」より ③天保6年(1835)(2)『塩原温泉誌』 (杉田丑太郎/著 杉田丑太郎 1896)(3)『塩原温泉誌』 (桜井建雄/共編 田代近 ...
ご依頼の件について、関連する記載を確認できた資料をご紹介します。〇『二つの教会をめぐる石の物語』(宇都宮美術館/編,角幸博/〔ほか〕著 宇都宮美術館 2023)p.19-96「第一章 カトリック松が峰教会とマックス・ヒンデル」があり、章内に以下の2つの論考が収録されています。・「第二節 マックス・ヒンデルの生涯と活動」(角幸博/著)(p.38-53)マックス・ヒンデルの出自、家系、経歴などがまとめられています。・「コラム マックス・ヒンデルの建造物めぐり」(橋本優子/著)(p.71-96)マックス・ヒンデルが手がけた主な建造物について、今日の名称(所在地)・構造・様式等が写真とともに紹介されています。〇『栃木の建築文化・カトリック松が峰教会』(岡田義治/著 日本建築学会関東支部栃木支所 1987)p.81- ...
宇都宮市桜にある宇都宮地方合同庁舎にもみの木はいつから生えているのか。また、庁舎前の通りの拡張工事の時、木を残すか伐採するかの議論があったらしいが、その内容が分かる資料はあるか。なお、合同庁舎の場所にはかつて第十四師団長官舎があり、庭にもみの木が生えていたらしい。(栃木県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/6/2 15:19:48)
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当館の所蔵資料等を調査しましたが、ご指定の木に関するお求めの情報(いつから生えているか、切るか残すかの議論等)は確認できませんでした。ご参考までに、もみの木に関する記述が確認できた資料をご紹介します。・『さくらの今をたずねて』(〔桜地域まちづくり協議会〕/著 桜地域まちづくり協議会 2009)当資料は、桜地区にある26の自治会の各自治会長が、まちの様子や歴史等をまとめた資料です。p.40-47「桜二丁目界隈の変遷」(横山和夫)の項に、「桜通り交差点西南の角」にある「巨木」について簡易ですが記述があります。巨木は「トド松」と記述されていますが、植えられている位置や「旧師団長官舎の敷地内にあった」とあることから、お探しのもみの木ではないかと推測されます。念のため、当館所蔵の植物図鑑 ...
元和6(1620)年宇都宮城改修時、御用川は用材を運ぶために開削されたらしい。その際のルート・技術・絵図等、何か記録はあるか。(栃木県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/6/2 15:19:47)
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当時の御用川を記録した絵図や、開削の技術などの詳細な記述は確認できませんでした。以下、関連の記述を確認できた資料をご紹介します。・『宇都宮市史 第6巻 近世通史編』(宇都宮市史編さん委員会/編 宇都宮市 1982)p.125-126「第二章 城下町の形成と発達 第一節 城下町の発達 御用川の開削」本多正純が城の改築・町割などの工事の資材運搬のために、後に御用川と呼ばれる川の開削を実施したことや、御用川の維持管理などについて記載があります。・『豊郷村郷土誌』(佐藤庫一郎/編、発行 1912)p.5「第二章 水界 第一節 河 第四目 御用川」の項があり、開削された経路について記載されています。・『古老懇談会記録 第1集』(河内町誌編さん委員会/編 発行年不明)p.11「(ハ)御用川」の項があります。開削された川 ...
栃木県立足利高等学校にかつて併設されていた葉鹿分校と御厨分校について、廃校の経緯が分かる資料はあるか。(栃木県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/6/2 15:18:36)
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ご依頼の件に関する記述を確認した資料は以下の通りです。・『足高六十年誌』(栃木県立足利高等学校「足高六十年誌」編集 栃木県立足利高等学校 1981) p.203-207「第三編 昭和二十三年-昭和四十二年 第一章 新制足利高校の発足 第三節 定時制課程の設置」に「葉鹿分校設立全史」「葉鹿分校の創設」「御厨分校」の各項があります。(p.204-207)また、p.222-251「第二章 教育内容の変化 第三節 定時制中心校・分校の振興」に「第二項 葉鹿分校(坂西分校)」「第三項 御厨分校」の各項があり、教育内容や施設・設備、廃校に至るまでの経緯等が詳細に記述されています。(p.233-251)・『栃木県立足利高等学校四十年誌』(栃木県立足利高等学校四十年誌編集委員会/編、発行 1962)p.149-154 「定時制の発足」に「坂西分校史」「御厨分校史 ...
栃木県における原木しいたけの栽培について、記載が確認できました資料は以下の通りです。・『栃木県林政史 林業・自然環境行政のあゆみ(昭和20年~平成8年)』(栃木県林政史編さん委員会/編、発行 1997)p.169-171 「第1章 林業の振興 第13節 特用林産の振興 1 特用林産物の需給の推移 (1)シイタケ」本県におけるしいたけ生産・流通の状況について記載があります。・『栃木県林業統計書 昭和49年度』(栃木県林務部/編、発行 1974)p.46-49「④林産物 第2表 昭和48年市町村別特殊林産物生産量」県内市町村のしいたけの生産量が分かる表が掲載されています(p.46,48)。種別としては「生しいたけ」と書かれており、昭和44~48年の数値が確認できます。なお、本資料の凡例にあたる「利用される方々に」や他の統計項目の記載から、数値 ...
足利市にある赤雪山(あかゆきやま)について分かる資料はあるか。『栃木県大百科事典』や『日本歴史地名大系』、『角川日本地名大辞典』では確認できなかった。(栃木県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/6/2 15:18:36)
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栃木県内の山についてまとめられた資料をお調べしたところ、記述が散見されました。確認した資料から、記述の分量の多かった次の2点をご紹介します。・『栃木百名山ガイドブック』(栃木県山岳連盟/編 下野新聞社 2005) 「赤雪山」(p414-417)の項があり、「足利市の最北部の佐野市堺に位置し」という記述が確認できました。 赤雪山の由来、標高、登山コースの案内等の情報を得ることができる資料です。・『足の向くまま 栃木の52山』(風の星水の星 蓮実淳夫/著 下野新聞社 2004) 同様に「赤雪山」の項があり、「足利市の第二の高峰」とあります。(p227-231)
鬼怒川水力電氣の第一期工事の送電線経路について、記述が確認できた資料は以下のとおりです。■国立国会図書館デジタルコレクション資料・『工學會誌 第375巻』(工学会/編、発行 1914)【図書館・個人送信限定】 URL: https://dl.ndl.go.jp/pid/1528393(2024.3.27確認)12-24コマ「鬼怒川水力電氣工事報告」(吉村惠吉/著)の「○準備工事 二、原動力送電線路」の項に、送電線を通した地名及び距離について記載があります。(17コマ)また、25コマには下瀧発電所の写真(キャプションは「下瀧發電所(鬼怒川水力電氣株式会社)」)があり、26コマ~56コマには、工事関連のものと思われる図面が掲載されています。■当館所蔵資料について当館所蔵資料で記述があった資料は以下のとおりです。・『鬼怒川水力電気株式会社』(小田急沿革史 ...
栃木県立太平少年自然の家について。建物ができる前の土地の形状や周辺の建築物の有無が分かる資料はあるか。(栃木県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/6/2 15:18:35)
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■県立太平少年自然の家の建設時期について調査に先立ち、下記の資料から県立太平少年自然の家の建設時期を確認しました。・『所報おおひら 1-2号』(栃木県立太平少年自然の家/編、発行 1976)※2冊を合冊製本した資料です。1号、2号ともp.4に「栃木県立太平少年自然の家沿革」の項があり、「昭和47年12月25日 建築工事始まる」とあります。なお、資料内に建築前の写真や記述は確認できませんでした。上記記述から、昭和47(1972)年11月以前の写真や地図を中心に調査することとしました。■昭和47(1972)年11月以前の写真について当館の所蔵資料からは、お求めの写真を確認することができませんでした。このため、国の地図作成機関である国土地理院がインターネット上で公開しているデータベースから、この年代の空中 ...
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