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【郷土史家日置謙の『加賀藩史料』編纂について】 郷土史家日置謙がいつまで前田家編輯員として『加賀藩史料』の編纂を委嘱されていたかを知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:18)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:18)
日置の没後12年後に刊行された『加賀藩史料』藩末編上下巻の奥付に、日置の名前が記されている経緯について、理由の記されている資料は確認できなかった。『加賀藩史料』全18巻の中で、最後(昭和33年)に出版された藩末編上下巻の奥付には「就業 前田育徳会嘱託日置謙」と記されている。以下の資料では、日置が昭和3年4月に前田育徳会から編纂を委嘱された旨が記されている。免職された旨は記されていない。『功業不磨』(119552496)p.88~「日置謙伝」、p.97~「出版年譜」県史編纂の嘱託を、『石川県史』全五巻完結をもって一度解かれた旨は記されているが、侯爵前田家の編輯員を解かれた旨は記されていない。『日置謙先生研究』(11902385)p.20~24「日置謙先生年譜」年譜中で、「嘱託ヲ解ク 石川県」と、県史の嘱託を解かれたことの ...
【ダム水没前の集落を写した写真について】 白山麓の旧桑島集落のダム水没前の写真が載っている資料を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:18)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:18)
白山市桑島地区は、手取川ダム建設に伴い旧集落は昭和54年に水没し、代替地に移転した。『白峰村史 上巻』(119562590)巻頭写真の中に、旧集落の航空写真や施設の写真がある。『白峰村史 第3巻』(118287570)巻頭に水没前と水没後の桑島地区の写真がある。『桑島の里』(11909683)巻頭に旧集落の写真が掲載されている。『白山麓島村山口家杉原家文書目録』(119537640)『白山麓島村諸家文書目録』(128007278)上記目録には、いずれも巻頭に集落の写真が収録されている。『ダムとふるさと』(119921778)p.12~21にかけて桑島のことが書かれていて、写真も多数収録されている。『白峰村手取川ダム誌』(11913621)には、主に移転後の写真が収録されている。『石川県石川郡白峰村桑島館跡』(119554445)は発掘調査報告書のため、水没前かつ建物撤去後の写真が収録さ ...
【荒谷作太郎・鷺池幸兵衛について】 幕末から明治期の金沢の商人が一覧になっているものが見たい。荒谷作太郎・鷺池幸兵衛という人物について記載されている資料がないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:18)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:18)
当初、幕末から明治期の商人の一覧を希望されたが、適当な資料が得られず、再度確認したところ、荒谷作太郎・鷺池幸兵衛について知りたいとのことだった。荒谷作太郎は佐奇神社に旗を奉納(正確な奉納年は確認できなかったが、大正~昭和初期頃)、鷺池幸兵衛は明治8年に燈籠を奉納しており、ある程度の財力があったと推察される、とのことだった。『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)を調べたところ、p.21に「荒谷作太郎」の記載があった。p.84には「鷺池香治」の記載があり、鷺池幸兵衛の子孫ではないかと考えられる。鷺池香治の住所を『金沢市住居表示整備区域旧新住居表示対照表 昭和39年度』(119522586)で確認。該当地域の郷土史『このはな』(109214717)には記載なし。『金沢町名帳』(119585450)の田丸町欄にも記載なし。紙問屋 ...
【医王山大沼付近の伝説について】 室生犀星の作品に『不思議な国の話』というのがある。医王山行った娘が帰ってきたら何かにとりつかれたように人が変わり、最後は行方不明になるというものだ。もとになった伝説が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:17)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:17)
・雑誌『金の鳥 1922年4~6月号』に掲載された作品で、国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧できる、との情報提供が利用者よりあった。・医王山がテーマの本、石川県の民話が収録されている本を確認し、次の資料から「医王山の大沼」の伝説を紹介した。 『加賀・能登の伝説』(11826162) 『加賀の昔話』(109167537) 『金沢の民話と伝説』(11824201) 『医王山物語』(118458364) 『山の民物語』(118419580) 『医王山』(118338114)国立国会図書館デジタルコレクション『我が郷土の童話伝説』鏑木勢岐 著 加越能史談会/刊 いずれも金沢下堤町(または堤町)の大店の娘が病気になり、大沼の水で治るがそのお礼参りに医王山へ行った娘は、沼に落ち大蛇になった、という話であった。犀星は、娘を薬屋の娘に設定しているとのこと。下堤町の場所を地 ...
長野嘉樹の墓所について書かれている資料は確認できなかった。石川県立図書館の「石川県関係人物文献検索」では該当する人物なし。長野嘉樹については、『加能郷土辞彙』(初版)(119754858)p.614、『国書人名辞典 第3巻』(111781071)p.486に項目があるが、墓所に関する記載はない。明治初年に加賀藩士が金沢藩庁に提出した由緒帳「先祖由緒并一類附帳」には、菩提寺の記載があるが、長野姓の医師はいなかった。文化8年の町人の職業・姓名の記された『金沢町名帳』(119585450)や、武士の交名帳である侍帳においても、名前は確認されなかった。『近世金沢の医療と医家』(118577033)には、近世前期及び後期の侍帳記載の医師がまとめられているが、長野姓の人物はいない。菩提寺ごとの人名の経歴が記されている『金沢墓誌』(118582759)にも記載なし ...
【穴水で行われた石川県体育大会について】 昭和53年頃に穴水で石川県体育大会が開かれたと思うが、その時の記録はないか。その時の女子卓球で穴水町が優勝しているはずである。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:17)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:17)
昭和53年の体育大会の記録した冊子『石川県体育大会 第30回』(11908013)を確認したところ、主会場は七尾で、穴水で競技はなされていなかった。『スポーツ石川のあゆみ』(119616744)p.760~「石川県民体育大会成績一覧」に各回ごとの主開催地が記されているが、穴水の記載はない。昭和53年前後で、能登で開催された体育大会がないか「石川県民体育大会成績一覧」で確認したところ、昭和57年に主会場輪島で行われていたと記されていた。昭和57年の大会を、『スポーツ石川のあゆみ』p.764~「スポーツ年表」で実施日を確認。実施日とその翌日の北国新聞の縮刷版を確認したところ、8月9日付9面に記事があり、「穴水町など奥能登二市四町一村の各会場で」とあり、穴水で競技が行われたことが確認された。なお、同面で女子卓球で穴水町が優 ...
【金沢の玉川町通り商店街について】 金沢の玉川町通り商店街について書かれた資料はないか。歴史について書かれていたり、古い写真が収録されていればなおよい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:17)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:17)
昔の商店街を紹介している資料としては、以下のものがある。『商店街の繁栄で拓く明日の金沢』(11916664)p.85玉川町商店街振興組合の紹介がある。写真あり。『金沢商店街のあゆみ』(118281423)p.178~179玉川町商店街が紹介されている。『芳斎教育のあゆみ』(11918163)p.27戦前の商店街の写真あり。『写真が語る金沢市の130年』(118613256)p.89現在の商店街を紹介している資料としては、以下のものがある。商店街の沿革についても触れられている。『玉川町通り商店街 エコショップマップ』(109225004)『玉川町通り商店街』(118610343)なお、同商店街のホームページにも、歴史について記されており、古写真も掲載されている。「玉川町通り商店街について」【URL】https://tamagawacho.com/about/ 2020年年10月25日最終閲覧
【宮本頼三について】 明治初年に岩倉具視とやりとりしていた宮本頼三という人物について書かれた資料を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:17)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:17)
石川県立図書館の石川県関係人物文献検索で検索すると、宮本頼三に関する資料が確認される。『石川県石川郡誌』(11824573)p.405や『新松任町史』(119562581)p.203によると、頼三の経歴は以下の通りである。天保14年 誕生文久元年 広瀬旭荘(『新松任町史』では範治と記載)のもとで漢学を修学慶応元年 長崎遊学明治2年 外務省権大録 のち、東京府議会議員、東京府茶業組合長明治38年 6/30没『石川県石川郡誌』は国立国会図書館デジタルコレクションにてインターネット公開されている(228コマ目を参照)。【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1186712/1/1 (2020年10月18日最終閲覧)『新松任町史』は、図書館送信参加館において閲覧可能。当館近世史料館で所蔵されている明治初年の藩士の由緒書「先祖由緒 一類附帳」に明治4年提出の宮本頼三の由緒帳があり、提 ...
以下の資料を確認した。資料によって、最終運行日昭和42年2月10日を以て廃止としているものと、最終運行翌日の11日を以て廃止としている資料があった。『よみがえる記憶北陸の鉄路』(118619115)p.26「S42.2.11 全線廃止」、p.49「昭和42年2月10日の廃止時に、」とある。『金沢市史 通史編3 近代』(119958310)p.739「運行最終日である二月十日の最終電車発車時刻には、」とある。『金沢市内電車50年のあゆみ』(11909314)p.3「昭和42年2月10日限り、約半世紀にわたる歴史を閉じたのであります。」p.50「軌道金沢市内線の運輸営業を廃止し、バス輸送に切り替える。」とある。『金沢の百年 昭和続編』(119320633)には、「大正8年以来48年の歴史をもつ北鉄の市内電車が全面廃止された。」とある。『市電廃止記念』(118309050)巻頭「昭和42年2月10日かぎりで、金沢 ...
【久保市乙剣宮について】 (1)久保市乙剣宮の由来が知りたい。(2)小坂庄とは今で言うとどの辺りになるのか知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:16)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:16)
『加能郷土辞彙』(改訂増補)(119865516)p.12に記載されている久保市乙剣宮の項目を提示した。金沢市図書館ホームページで『金沢古蹟志』に久保市乙剣宮の記載があるかどうか検索をかけたところ、該当する記事が『金沢古蹟志 第11編』(119865973)の巻廿九p.14に見つかった。『金沢市神社大観』(119555602)p.12にも久保市乙剣宮の記載があった。久保市乙剣宮は小坂庄久保市村にある、という内容の記述がそれぞれの資料に見られたため、追加質問として「小坂庄とは今で言うとどの辺りになるのか」と聞かれた。『日本歴史地名大系 17 石川県 石川県の地名』(118287258)p.348で久保市の記載部分を提供し、久保市が尾坂下、中町の呼称であったことが分かった。『図説 金沢の歴史』(109173982)p.36~p.37に小坂庄の記述が見つかった。それによって、小坂庄が ...
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