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当館の所蔵資料をお調べしましたが、関連の情報は確認できませんでした。以下、お調べした資料等について、参考までお知らせいたします。■新聞記事について当館所蔵の以下の新聞をお調べしましたが、お求めの情報は確認できませんでした。調査期間:昭和6年9月1日~30日調査した新聞名:下野新聞、毎日新聞(東京日日新聞)また、念のため、当館の契約する以下の新聞記事データベースをお調べしましたが、関連の記事は確認できませんでした。・ヨミダス歴史館(1874年以降の読売新聞を検索可能)・下野新聞データベース plus 日経テレコン(2001年以降の下野新聞、1949年以降の日本経済新聞)・朝日新聞クロスサーチ(1985年以降の朝日新聞)検索キーワード:「松本」「幸四郎」「巡業」「栃木」上記を適宜組み合わせて検索 ...
昭和33年10月10日の日光市名誉市民条例の制定後、最初の名誉市民として推挙された徳川家正氏、小杉放菴氏、清水秀氏の推薦文を見たい。(栃木県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/6/2 15:18:33)
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当館所蔵資料等を調査しましたが、残念ながら、お探しの日光名誉市民3名(清水秀氏、徳川家正氏、小杉放菴氏)の推薦文は確認できませんでした。なお、日光市名誉市民3名の略歴等は以下の資料から確認できましたので、ご参考までにお知らせいたします。・『日光市史 下巻 近現代・民俗』(日光市史編さん委員会/編 日光市 1979)p.956-963「第十四章 日光市の成立 第四節 市民憲章と名誉市民 2 名誉市民」の項があり、日光市名誉市民条例の制定等についてまとめられています。当資料発行時には、お尋ねの3名を含む7名が名誉市民に選ばれており、それぞれの人物について、顔写真と共に推戴日や生没年、日光市への貢献等が掲載されています。推薦理由等のはっきりとした記述はありませんが、これらの功績から推薦されたも ...
お調べした結果、菅沼綱正に関する資料を複数確認しました。1 菅沼綱正に関する資料・『栃木県史 通史編4』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1981)p.153「奥平家臣団と七族五老」という項があり、奥平家昌の息子である忠昌の時代についての記述の中で、「菅沼綱政(正)」の名が確認できます。また、「また綱政は慶長七年に新しく分家した家である。」と記述があります。・『上河内村史 上巻』(上河内村/編、発行 1986) p.314「大名領家臣の地方給地」という項があり、綱正の領地として耐えられた村とその石高、亡くなった年や墓のある寺等の記載があります。また、上記項目の内容について「享保七年改、奥平藩家中(大身衆)系譜」の内容とも合致したという記述があり、該当の系譜について調査したところ、国立国会 ...
氏家友国は出家後「卜全」(ぼくぜん)と号し、「氏家卜全」とも言われる人物です。関連する記載を確認できた資料をご紹介します。○『大垣城主氏家氏の子孫』(内田利夫/編 氏家斎一郎 1992)資料を発行した氏家斎一郎氏の曽祖父・玄遊氏と、祖父・廣雄氏が残した文書や書簡、日記等を翻刻してまとめた資料です。p.5-19「玄遊篇 氏家家譜 並 松永家系ニ関スル玄遊自記伝」の冒頭に、わずかに友国への言及があります(p.5)。後半のp173-218「資料篇」には、「栃木県氏家町史(抜萃)」が収録されており、「第四節 氏家氏の末裔」の「氏家重国」の項に、「戦国期には重国から九代を経過し、その孫の氏家常陸介友国は乱世に活躍し」と、わずかに言及があります。(p.181-182)また、「氏家行広」(友国の次男、p.182-183)、「氏家志 ...
お尋ねの件について、詳細な情報は確認できませんでした。ご参考まで、今回確認した「火挟」説について記述された資料をご紹介します。いずれも推察の範囲で、説を紹介するにとどめられています。・『おくのほそ道奥州古道 日光から今市への直道をゆく』(丹羽佳岐/著 随想舎 2012)p.34-35「其ノ一 日光への道筋 文挟宿を経て板橋宿まで ・文挟宿」の項があります。「日光奉行から江戸へ送る信書の中継地ゆえに付いた地名と言われている」とあり、「曾良の随行日記に「火バサミ」とあり、林羅山の漢詩にも(略)ある民家に火種を頼んだら(略)付近の家から燻っている薪木を挟んできた」 火挟村(略)」と詠んでいて、それが火挟村の語源かもしれない」とあります。今市史談会編『いまいちの伝説・昔話』が出典として記 ...
安蘇郡植野村における商店について、次の資料に記述がありました。・『栃木県營業便覧 復刻版』(城北逸史/編著 吉本書店 1978)全国営業便覧発行所刊(明治40年10月1日)の複製です。町並の図に、店舗業種と商店主名が記載されています。p.233-238「江戸町より大工町植野村赤坂に至る」の項に、植野村の「赤坂通り」が掲載されています。また、p.256-259「横町通り(中略)植野村赤坂館林街道に續く」の項に、植野村赤坂の一部が掲載されています。・『大日本博覧図 栃木県之部 復刻版』(あかぎ出版 1985)※精行舎明治23年刊の複製当時の著名な商家、農家、社寺等を描写した銅版画集です。「安蘇郡」の項に、植野村の2軒の商家(清酒醸造業等)が当主名とともに紹介されています。(p.134-135)・『栃木県史 史料編 近世5』(栃 ...
以下の資料に関連の記述を確認しました。・『川のあるくらし 栃木の漁師の玉手箱』(栃木県立博物館/編,発行 2015)p.36「第1章 漁法と漁撈用具 5.その他の漁法と漁具 伝えられた技と智恵」の項にヤナを設置して魚を捕らえる地域として那珂川、鬼怒川が紹介されています。7月から11月ごろにかけては大規模なヤナが設置され地域の重要な観光資源となっていると記述があります。p.37「第1章 漁法と漁撈用具 5.その他の漁法と漁具 伝えられた技と智恵 ヤナ漁」の項に那珂川水系には歴史あるヤナが多く、本流の「大瀬やな」(茂木町大瀬)と荒川の「森田やな」(那須烏山市森田)は百年ヤナと呼ばれていると記述があります。・『茂木の歴史』(大木茂/著,発行1980)p.192「近世の茂木 交通の発達 那珂川と鮭」の項に、江戸時代の那珂川にお ...
ご依頼の調査について回答します。お問い合わせの「ねっこぎる」について、当館の所蔵資料をお調べしましたが、記述は確認できませんでした。発音が似ている言葉、部分的に同じ綴りの言葉が確認できた資料を、参考までにお知らせします。・『下野方言覚書』(黒尾正臣/著 下野新聞社 1988)p.86「ヒッコギル」の項に「コゲーシ(捻挫)」という方言があること、山口県大島に足をコネル(挫く)というように方言「コネル」があること等の記載があります。・『栃木県方言辞典 改訂増補』(森下喜一/著 随想舎 2010)p.280「ひっこぎる」の項に「くじく。筋をいためる。」とあります。p.148「こぎる」の項に、「値切る。値段をまけさせる。」とあります。・『全国方言辞典』(東条操/著 東京堂出版 1975)p.639 「ねっこ」の項 ...
以下の資料に関連の記述を確認しました。・『八木節宗本家堀込源太の生涯』(福田忠節/著 善本社 1993)初代堀込源太の生涯をまとめた評伝です。また、巻末には以下の資料が収録されています。p.248-252 「資料 足利遊楽会(八木節踊り後継者育成教材より抜粋)」の項に八木節の起源の記述があります。p.253 「資料 八木節堀込源太一門系統図」の項に八木節元祖堀込源太から五代目まで、弟子一門の出身地、本名、芸名の記載があります。その他、初代堀込源太または八木節についての記載を確認できた資料をご紹介します。・『足利の人脈』(下野新聞社/編, 1979)p.267-268「大正の群像 初代堀込源太 上」p.267-268「大正の群像 初代堀込源太 下」・『我が回想の堀込源太』(友常太響/著 随想舎 2006)p.149-168「第二部 足利と八木節 足利発祥 ...
お問い合わせの件について、調査結果を回答します。■栃木県の未確認生物について記述が確認できた資料以下の資料に関連の記述を確認しました。・『栃木の怖い話』(由乃夢朗/著 絵写真 TOブックス 2019)p.90-97「十二 チュッシーの正体はもしかすると」の項があります。「国立国会図書館デジタルコレクション」からは、以下の関連記事も確認しました。・『探検世界. 6(4)』(成功雑誌社 1908)【図書館・個人登録限定】URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11186831(2024.3.27確認)18-21コマ「日光中禪寺湖湖底大怪物遭遇記/阿部吞宙」の項があります。■新聞記事『下野新聞データベース plus 日経テレコン』にてお調べしたところ、以下の記事を確認しました。・日本経済新聞1994/12/15夕刊 14面「未確認動物(ワンポイントネーチャーウオ ...
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