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金沢の北の廓は明治18年に栄町・松ヶ枝町一帯に成立し、その後明治32年に北石坂新町・石坂川岸町付近に集団移転した。その後、昭和40年代に北の廓は途絶した。北の廓については、以下の資料に記載がある。『金沢市西南部の歴史』(119467359)p.242~268にかけて、西廓と北廓に関する記述がある。『金沢市史 資料編14 民俗』(119748725)p.554~598にかけて金沢の廓について解説されている。北の廓についての記載もある。『加能民俗研究 第51号』(119930866)p.81~96「金沢の北廓(前)」『加能民俗研究 第52号』(119949554)p.41~57「金沢の北廓(後編)」『シリーズ遊廓社会 2 近世から近代へ』(113323155)p.155~177「「軍都」金沢と遊廓社会」『松ヶ枝の広場』(11917189)p.103~105『わが町・金沢安江町』(11920042)p.57~58
【明治~戦前の金沢の商家について】 明治時代から戦前の金沢の商家について調べている。何町にどんな店があったか分かる地図が掲載されている本を紹介してほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
主要な商家の場所が記された資料として『大日本職業別明細図金沢市』(119945232)がある。地図ではないが、下記資料には主要な商家とその所在地が掲載されている。『石川県下商工便覧』(118400014)『金沢商工人名録 昭和3年版』(119503114)以下の資料には、外観写真が載っている。『20世紀の照像 石川写真百年・追想の図譜』(118388161)その他、老舗の商家に関して以下の資料がある。『老舗百年』(11909605)『金沢の老舗』(118413003)『金沢町人の世界 金沢パフォーマンスの原像』(11826084)
【持明院と妙蓮について】 (1)神宮寺の持明院にある天然記念物の蓮は国指定か県指定どちらか知りたい。 (2)持明院の山号はなにかを知りたい。 (3)蓮の種類の名前は妙蓮かを知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
(1)について・『石川県大百科辞典』(118310632)p.491-492にかけて持明院の蓮が元は国の天然記念物だったが、移転に伴い解除となり、その後1988年からは県指定天然記念物となったとの記載あり。・県のHP石川県の史跡・名所・天然記念物(県指定)に持明院の妙蓮生育地の記載あり。【URL】https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/siseki/ken3-10.html(2022年3月12日最終閲覧)(2)について・『金沢古蹟志 第10編』巻27 p.57に江林山持明院との記載あり。・『加賀妙蓮の系譜』(119565912)p.48~「白髭神社と持明院」白髭神社及び持明院に関する地誌書の内容がまとめられている。「江林山」という山号の載った資料の記載はあるが、「白髭山」に関する記載はない。・『書府太郎 上巻』(118458284)p.650「持明院」の項目に「白髭山と号し」とある。・持明院のHPには白髭山持 ...
【戦前にあった踏切の名称について】 昭和初年頃森本駅付近に、北陸線の複線化に伴い跨線橋が設置されたが、それ以前にあった踏切の名称を知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
跨線橋が菊知坂と通称されていたことは確認できたが、以前にあった踏切の名称の書かれた資料は確認できなかった。『森本村回顧誌』(11916035)p.10~11にかけて、跨線橋の設置に関する記述があるが、踏切の名称に関する記述はなし。『森本のあゆみ』(119704533)p.150「菊知坂(北陸本線跨線橋)」の項目に跨線橋に関する記述があるが、踏切の名称に関する記述はなし。『もりもと』(119778303)p.110~111にかけて、跨線橋の設置に関する記述があるが、踏切の名称に関する記述はなし。以下の資料には記載なし。『鉄道要覧 昭和31年度』(11929737)『管内鉄道貨物事情調査』上中下巻『北陸線の記録』(11902801)『森本町建設基礎調査書』各巻
【第九師団の演習場を視察した宮家の人について】 城端にあった第九師団の演習場である立野原演習場を、昭和一桁年代に宮家の者が視察に訪れているはずだが、そのことについて書かれた資料を見たい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
以下の当館所蔵の第九師団、近代軍隊関係の資料を確認したが、該当する視察に関する記載は見当たらなかった。巻末の年表にも当該視察に関する記載がなかった。『第九師団戦史』(119565331)『〔歩兵第七〕連隊歴史』(119565153)『金城聯隊史』(119566052)『城端町の歴史と文化』(119881995)p.562に以下の記述があるが、質問の視察かどうかはわからなかった。「大正六年(一九一七)五月、閑院宮載宮親王殿下が第九師団の検閲使として御来町の時、(後略)」「昭和三年(一九二八)二月、東久邇宮稔彦殿下が立野原の第三回北陸スキー大会に御来町の時に(後略)」『城端町史』(129190283) 立野原演習場に関する記述はあるが、当該視察については記されていない。『城端町の歴史と文化 資料編』(119882007)、『富山県史 通史編6 近代 下』(11916121)及び『富山県 ...
【大屋愷?(合にぼくづくり)について】 金沢神社に石碑のある大屋愷?(おおやよしあつ)について書かれている資料を探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:34)
人物については、以下の資料に記載あり。石碑について触れられているものもある。『風雪の碑』(118412418)p.62~67『かなざわ偉人物語 [1]』(119599008)p.23~44『新加能画人集成』(119330030)p.131『郷史談叢』(11902881)第四輯61『金沢墓誌』(118582759)上編4『金沢市教育史稿』(118290979)p.459~460『加能郷土辞彙(改訂増補)』(119865516)p.145以下には、石碑の全文が掲載されている。『石碑でめぐる金沢歴史散歩』(118553659)p.72に概要、p.175~176に碑の全文あり。『石川県産業功労碑集』(11916380)p.111碑の全文のみ。
兼六園来訪者の県別内訳の書かれた資料は確認できなかった。『金沢市観光調査結果報告書 令和2年』(109279079) p.10に「発地」の項目があり、発地の地方別割合と上位都道府県が載っているが、調査場所が金沢中央案内所、ひがし茶屋街、金沢城公園となっている。ただし、古いものでは兼六園が調査場所に含まれているものもある。最新5年分は金沢市ホームページ統計関係リンク集で閲覧可能。【URL】https://www4.city.kanazawa.lg.jp/11018/toukeidatasyu/toukeilink.html#kanko (2022年3月12日最終閲覧)『統計からみた石川県の観光 平成29年』(119930409)p.7「地域別・発地別観光入り込み客数(推計)」に県内観光客のおおまかな発地が表になっているが、兼六園に限られたものではない。最新のものはホームページ「いしかわ統計指標ランド」で閲覧できる。【URL ...
【第2回国民体育大会の参加者名簿について】 昭和22年に石川県で開かれた第2回国民体育大会の選手全員の載っている名簿はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:33)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:33)
第2回国民体育大会は、10/30~11/3に石川県で秋季大会が行われた。参加した選手は12,000名を超える。『第2回国民体育大会報告書』(119557750) p.70に秋季大会の総選手数が、p.70~「競技記録入賞者一覧」の記載一覧があるが、選手の一覧はなし。『国民体育大会の歩み 増補改訂版』(11802140)p.245~各大会の競技ごとの上位入賞者の一覧があるが、選手全員の名簿はなし。選手名簿は当館に所蔵なし。『第二回国民体育大会記念写真帖』(11908001) 記載なし。『国民体育大会実施要綱』(109013970)記載なし。『国民体育大会秋季大会 第2回』(109004219)トーナメント表の収録されている卓球のみ選手を把握可能。当時の新聞にも選手一覧なし。
【高山右近と金沢の関係性について】 高山右近の金沢での様子がわかる資料はないか。特に高岡城築城のことについて知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:33)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:33)
高山右近の伝記本の中から、金沢関連の記述が多く見受けられた次の資料を紹介した。・『高山右近』中西裕樹/編 宮帯出版社/刊(113472155)・『高山右近』海老沢有道/著 吉川弘文館/刊(118563056)・『武将高山右近の信仰と茶の湯』高橋敏夫/著 いのちのことば社/刊(112939467)・『高山右近の足跡を歩く』嶋﨑賢児/著 三学出版/刊(113340129)その他論文・「初期金沢城の諸問題-尾山・加賀征伐・高山右近の言説をめぐって-」大西泰正/著 『金沢城研究 第19号』(119946454)石川県金沢城調査研究所/刊・「「ウコンドノ」のオペラに信仰を貫いた「モダン知識人」」加賀乙彦/著 p20~29・「教会建立を条件に金沢へ-滞在26年、「禄は軽くとも」-」木越邦子/著 p42~45 ともに『北國文華 2017年冬 第70号』(170596778)北國新聞社/刊伝記でも ...
【安政時代二塚村中野の場所について】 先祖が昔住んでいた場所を知りたい。住所は、石川郡二塚村中野イ235と聞いている。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:33)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:33)
・「二塚郷土史」(11900263) p131 明治期に二塚に中野村があった。 p151 金沢市編入時に中野は稚日野町に名称を変更した。 p606 稚日野町字地名地図 に旧字の記載あり。イの部が現在のどこになるか住宅明細図と対照した。番地の記載はなし。・「金沢市住宅明細図 南部版」(118626521)p33~34 で該当エリアを特定した。
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