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【江戸時代~明治中期の石川県の台風について】 江戸時代~明治中期頃、石川県で、多くの方が亡くなるような台風被害があったか知りたい。当時の住民の声、証言が残されているか。もし記録がある場合、「黄」という漢字の付く地名があるか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:45)
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・『石川県災異誌 1961』(119871602)に、石川県内の災害について年表で記載されている。当時、「台風」という用語はないため、「大風」や「大雨」の項目を参照するとよい。この資料は相互貸借できるので、興味があれば近くの公共図書館で相談してみてほしい。・『加賀藩史料』東大史料編集所の近世編年データベースで「大風雨」で検索すると、加賀藩史料に3件掲載があることがわかる。(1)文政8年(1825)8月14日(2)文政11年(1828)8月24日(3)天保7年(1836)8月13日。・市井の人々の証言、記録は発見できなかった。・「黄」という文字のつく地名があるかどうか、上記2冊を参照している際には発見できなかった。角川と平凡社の地名事典を参照したが、該当は「黄門橋」と「地黄煎」村のみである。
【8月1日富山大空襲時の金沢の天気について】 8月1日深夜の金沢の天気が知りたい。私の手元の本によると、当時金沢では濃霧が発生したため富山で空襲が行われたという。その裏付けとなる資料を探している。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:45)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:45)
北國毎日新聞 昭和20年8月3・4日の富山等空襲の記事に当日の天候に関する記載なし。『輪島の気象百年』p.113「毎日の天気」によると、8月1・2日の輪島の天気は晴である。『北國文華 2005年夏 第24号』(170329184)p.55-68「金沢はなぜ空襲を免れたか」で文化都市説(戦前の金沢は観光地としての注目度は低い)、原爆投下候補地説(金沢は入っていない)、攻撃対象外説(金沢は攻撃対象に入っている)、攻撃対象順説(金沢は爆撃地として重要性が低い)を検討している。当日の金沢の天候は記されていない。『泉 次代への贈りもの 北陸編』(119770673)p.150-161「富山大空襲と私」のp.150に、富山の当日(2日)の天気について、「陽はしだいに高く昇り、何ひとつさえぎるもののない焼け跡にジリジリと照りつけてくる」と記されている。『三馬公民館 五十年の ...
【金沢の刑場について】 (1) 加賀藩の刑場の場所の変遷について(江戸初期は金沢城の近く、江戸後期は城下の拡大により町はずれへ移転かと思います)、(2) 安政の泣き一揆に伴う、百坂刑場での処刑について、掲載資料を教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:45)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:45)
(1) 刑場の変遷について同様のレファレンス事例がレファ協にあり。「加賀藩の刑場はどこか?」(石川県立図書館)【URL】https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000131974 (2022年8月26日最終閲覧)その他管見の資料は以下のとおり。『加賀志徴』(11824805)p.233「同刑法場」(泉野)、p.483「刑法場跡」(百坂)『金沢・野町の四〇〇年』(119666192)p.76-81「上口刑場」『ふるさと三馬』(11921950)p.97-99「有松の刑場」『石川県河北郡誌』(11824575)p.475「刑場」(百坂地内)『石川県石川郡誌』(11824573)p.1021「仕置場跡」(三馬村)『いずみ界隈の歴史』(109241509)p.22「泉野仕置場」(2) 安政の泣き一揆に伴う百坂での処刑について『加賀藩史料 藩末篇上巻』(11801640)p.1049-1051「(安政6年)四月十三日。去年卯辰山に登り騒擾したる北市屋市右衛門等刑せらる。」『幕藩制都市の研 ...
【兼六園公開100周年当時の茶店について】 1973年(昭和48年)の兼六園公開百周年に関連して、兼六園にある茶店が何か行ったという記録はあるか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:44)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:44)
・『北國新聞縮刷版 昭和49年5月号』(119950036)p.117(5月5日朝刊17面)に内橋亭で行われる茶会と、一万人目の入場者への記念品贈呈と抹茶、だんごサービスの告知記事あり。p.153(5月7日夕刊7面)に式典と茶会の取材記事あり。・『兼六園歳時記』(119413311)p.27 「毎年、この日を記念して兼六園観光協会が主催して、「内橋亭」の全部を使ってお茶会が行われている。普通は入ることのできない内橋亭での年に一回だけの催しである」p.90 「五月七日には、毎年「内橋亭」を使って開園記念茶会が行われ、多くの人たちで賑わう」「内橋亭以外で何か行われた記録はないか」と追加で質問を受ける。内橋亭以外の茶店に関する詳しい資料は見つからなかった。以下の資料に関連する情報が見つかった。・『特別名勝兼六園』(119601035)p.98 「 ...
【清水朝之音寿碑について】 北方心泉の書で金沢市朝日町にある「清水朝之音寿碑」の碑文及び清水朝之音について知ることのできる文献はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:44)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:44)
質問者が確認したウェブサイトは以下のとおり。金沢ふるさと偉人館 近代日本を支えた偉人たち 【北方 心泉】【URL】https://www.kanazawa-museum.jp/ijin/exhibit/15kitagata.html (2022年8月26日最終閲覧)同サイトによると、旭日公民館付近の県道213号の路傍に建てられている(Googleマップ確認)。『心泉 北方心泉碑文集』(119867806)p.80-81「清水朝之音寿碑(南無阿弥陀仏)」に碑文が収録されている。『朝日校下ふるさと発見』(109079087)p.8「朝日の草相撲」に「当時の朝日町の清水さん(大関)が建てた石ひが、今ものこっています」と書かれている。『すまひ・角力・相撲』(119379597)の中に「清水朝之音」に関する記載なし。近世史料館所蔵の以下の史料の中に「清水朝之音」に関する記載なし。「於犀川川原相撲番付」(118297835、K780-973)「金沢香林坊大神宮大相 ...
【寺西直次・秀則について】 寺西直次・秀則の両名について、『三百藩家臣人名辞典 3』以外の文献や、両名の経歴の典拠史料があれば教えてほしい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:44)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:44)
石川県関係人物文献検索で「寺西」を確認したところ、以下の2名が見つかった。いずれにも『三百藩家臣人名辞典』3が挙げられている。寺西治兵衛秀則は『石川県史 第2編』(118587380) p.2,65,103にも記述がある。『石川県史資料 近世篇12 諸士系譜』(109164061)p.69「治兵衛秀則」、p.76「備中守直次」の系図が収録されている。『加能郷土辞彙』(119865516)p.599「寺西直次」「寺西秀則」【URL】https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/jii/jii_568.pdf (2022年8月26日最終閲覧)『加越能文庫解説目録 上巻』(119573816)「先祖由緒并一類附帳」p.152「寺西篤男(直一)」500石・直次系、「寺西宗餘(秀周)」「寺西徳三郎(秀敬)」7,000石・秀則系
石川県人物文献検索で見つかった資料を中心に確認した。『郷土数学』(119765145)p.139「米山専造」 米山保三郎の記載なし。専造は本姓吉崎氏、米山佐左衛門の養子となる。家は代々加賀藩に仕えたとある。『石川県産業功労碑集』(11913013)p.131「一五七 米山専造碑」 米山保三郎の記載なし。『加越能郷友会雑誌』94号(稼堂文庫、091.0-106) 「(米山保三郎)君は加賀の人、明治二年一月を以て金沢小立野に生れ幼にして学を金沢育英小学校に受く」と記されている。『明治大正人物事典 2』(113175240p.689「米山保三郎」出身地は「石川県金沢」と記されている。『〔金沢文化振興財団〕研究紀要 第11号』(109188706)「夏目漱石をめぐる金沢の人びと」 増山 仁/著 p.3「金沢市立玉川図書館近世史料館には、米山家の「先祖由緒一類附帳」が存在する。明 ...
国立国会図書館サーチで「北條時敬 十四会」と検索したところ、以下の文献が見つかった。『近代住友の経営理念』 瀬岡 誠/著 有斐閣 1998年(当館に所蔵なし、金沢大学附属図書館より取り寄せ)p.117「「十四会」は会員の数にちなんで名付けられたとも、明治14年(1881)の結成にちなんで名付けられたともいわれるが、そのメンバーの大半が金沢出身者であり、東大予備門出身者であったといわれる。北條時敬・織田小覚・早川千吉郎・土岐こう(にんべんに黄)・永山近彰・平山銓太郎・岡田良平・一木喜徳郎・平沼騏一郎・岡田次郎作・中橋徳五郎・河村善益・鈴木馬左也らがそのメンバーとしてあげられている。」p.118「この「十四会」は、「出身地・出身校・血縁などを媒介要因として参集した前途有為の青年たちが、宗教(とく ...
【町田半兵衛について】 金沢市の石浦神社境内にある「振戌町田翁寿蔵碑」の町田翁及び碑文について掲載された文献はないか。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:43)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:43)
『金沢市文化財紀要 48 加賀獅子」(109077304)所収「加賀獅子舞の棒ふり考-半兵衛流とその伝播を中心にー」p.163-167「二、半兵衛流の創始」に町田半兵衛の経歴及び石浦神社境内に建つ「振武町田翁寿蔵碑」の碑文の書き下し文が掲載されている。『加賀・能登の民俗 小倉学著作集 第2巻 民俗芸能』(119880460)に「加賀獅子舞の棒ふり考」が再録されている。『加賀武術の遺蹤』(119407628)p.37-40「町田久定半兵衛振武 流名水野真法一伝流」に流派の事歴及び「振武町田翁寿蔵碑」の碑文等が掲載されている。『金沢市史 資料編14 民俗』(119748725)p.464-465「半兵衛流」『弥生の明日のために』(119579005)p.93「棒術半兵衛さ流を創始した町田半兵衛」半兵衛流については以下のレファレンス事例も参照のこと。「【獅子舞の流派について】 加賀獅子舞、特 ...
【新追逃橋について】 森下川に架かっている新追逃橋(しんおいのけばし、塚崎町-岩出町間)の名前の由来が知りたい。(金沢市図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:43)
from レファレンス協同データベース (2025/1/10 0:33:43)
『香我の譜』(11915531)、『城北ものがたり』(119714558)、『森本村回顧誌』(11916035)に記載なし。『森本のあゆみ』(119704533)p.18に「森下川に架設された森本町内の橋梁は上流より、新追逃橋・追逃橋・森下川橋・森本大橋・川向橋の五橋梁である」と記されている。『もりもと』(119778303)p.125「金沢市に合併までの変遷」により、塚崎村は森本村に、岩出村は薬師谷村に統合されたことがわかったため、薬師谷地区の以下の地誌を調べた。『わが郷 薬師谷』(119707606)p.90「岩出神社」の項に「神作橋(今の岩出橋)」の記載あり。新追逃橋との関係は不明である。『薬師谷の変遷』(109068950)p.191「森本川と橋」に「昭和二十七、八年の大洪水に依り「カンサイ橋」以外の土橋、木橋は再三流失した。その度に架け変られた」と記されている。p.194に「新追 ...
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