リンク集 RSS/ATOM 記事
ホーム >>
リンク集 >>
RSS/ATOM 記事 (17189)
ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。
ここに表示されている RSS/ATOM 記事を RSS と ATOM で配信しています。
ア)以下の地域の地頭の名前。 ○宍喰 ○福井(阿南市) ○日和佐イ)平安時代の荘園と、荘官の名前。ウ)『太田文』の、海部、由岐、日和佐、阿南地域に阿部姓は載っているか。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:33:50)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:33:50)
ア)指定の地域の内、地頭の名前が出てきたのは、宍喰のみ。 ○宍喰 【A】『徳島県史 第2巻』 徳島県史編さん委員会/編徳島県 1966.3 p57-58 「第五節 宍咋荘の請文」 「宝治元年(一二四七)地頭光綱が…」 「この文書の宛名である、東条近江守は全く領主化した地頭であろう。」 p95 「七、海部郡 29 宍咋荘」 地頭光綱、東条近江守の記述あり。 【B】『阿波国徴古雑抄』 小杉榲邨/編 日本歴史地理学会 1913 上記【A】などで引用されている、荘園に関する文書類が収録されている。 国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能(インターネット公開) 永続的識別子:info:ndljp/pid/949391 (最終確認2024.5.19) 【C】『阿波国荘園史料集』 徳島大学教育学部社会科教育研究室/編・発行 1972.3 p245-252 「宍咋荘」 資料【A】と同文章より ...
以下の民謡の歌詞。ア)海南の子守唄イ)藍切り唄ウ)箕さび唄エ)お姿節オ)撫養の子守唄カ)鐘鋳音頭キ)藍搗音頭ク)水取唄ケ)馬子唄(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:33:50)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:33:50)
以下資料に歌詞あり。ア)海南の子守唄【A】『阿波の狸の子守歌 あそびとわらべ歌』 檜瑛司/文 入交泰助/図 井上書房 1984.2 p65 「海南の子守唄」 楽譜あり。【B】『海南町史 下巻』 海南町史編さん委員会/編 徳島県海部郡海南町 1995.11 p314-315 「三 子守歌」【C】『阿波の民謡集』 長田暁二/編 日本大衆音楽文化協会 1988.3 p70-71 「大里の子守唄」 海南町の子守歌。楽譜あり。イ)藍切り唄【D】『日本民謠大観 四国篇』 日本放送協会/編 日本放送出版協会 1973.2 p304 「藍こなし唄〔三〕(藍切り) 板野郡藍住町」【E】『四国民謡全集 徳島・香川・愛媛・高知』 桜楓社 1986.6 p20 「藍こなし唄<藍切り唄>」 歌詞と解説あり。【F】『貞光町史』 貞光町史編纂委員会/編 貞光町 1965 p1526 「藍切り唄」ウ)箕さび唄【D】『日本民謠 ...
以下の資料に県南の漁民が九州地方に進出したことが記されている。【A】『徳島県漁業史』 徳島県漁業史編さん協議会/編・発行 1996.3 p475-480 「二、以西底びき網漁業」 徳島県人が大正9年から九州西方で底びき網を開始したとの記述あり。【B】『由岐町史 下巻』 由岐町史編纂委員会/編 由岐町教育委員会 1994.3 p504-522 「第7章 漁業の開拓 1 由岐漁民の北九州への進出」 博多・平戸・宇久島沖漁場の開拓と機船底曳網漁業への転換による長崎・福岡出漁ついて記されている。【C】『「アワ船」による漁民移動と漁業移住の類型化に関する民俗学的研究』 磯本宏紀/編・発行 2014.3 p23-38 「第4章 以西底曳き網漁業における漁民移住と漁民経営の戦後の変還-長崎市・福岡市へ移住した徳島県美波町出身の漁民-」 美波町出身の ...
【A】『徳島市史 第5巻』 大和武生/監修 徳島市教育委員会 2003.10 p364-378 徳島藩藩医一覧表あり。81家。主に『阿波藩士譜』から、藩医を家別にまとめたもの。氏名、禄高、召し出された年と藩主名。【B】『徳島市医師会史 85年のあゆみ』 徳島市医師会史編さん委員会/編 徳島市医師会 1994.12 p83-106 「2 藩政時代徳島城下の医家群像」 藩政時代から明治初期にかけて、徳島城下で生まれ、または居住した医家の内、流行医、藩医など。藩医の一部と、それ以外の医家が混在。それぞれ簡単なプロフィールあり。参考資料:【A】大和武生/監修. 徳島市史 第5巻. 徳島市教育委員会, 2003.10. p. 364-378, (自館請求記号 T210 /トク/4-5)参考資料:【B】徳島市医師会史編さん委員会/編. 徳島市医師会史 85年のあゆみ. 徳島市医師会, 1994.12. p ...
一宮城小笠原家の「一宮成助系図」を見たい。以前、マイクロフィルムで『徴古雑抄』の中にあるのを見たと思う。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:30:06)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:30:06)
『阿波国古文書 名西郡 九』に収録されている、「入田村一宮助三郎系図」が、お探しの系図と思われる。当館デジタル画像閲覧端末(館内でのみ閲覧可)より その他古文書 >その他郷土史料 阿波国古文書 04> 04(10)阿波国古文書名西郡 九3-7コマ目が、「入田村一宮助三郎系図」。頼信からはじまり、4コマ目に成助の記述有。以下の資料は、活字で、部分的に記述有。【A】『阿波一宮城史料集』 阿波一宮城史料集編集委員会/編 一宮城文化おこし委員会 1991.3 p304-305 「(47)一宮成義氏所蔵一宮系図」 一宮四郎宮内大輔条、一宮成助条、一宮一之祐条のみ記述有。参考文献として『名西郡志』が挙げられている。【B】『名西郡志』 徳島県名西郡役所/編纂 臨川書店 1973 入田村のうち、p292-295に、一宮氏子孫が入田村に居住したいきさつ ...
『徳島県立博物館研究報告 第28号』 徳島県立博物館 2018.3p21-49 「恵解山古墳群の再検討 −9号墳出土遺物と開発対応の記録から」 岩井顕彦・岡本治代/著 名前などは、不明。副葬品から、身分などを推測している。参考資料:岩井顕彦・岡本治代/著. 恵解山古墳群の再検討 9号噴出土遺物と開発対応の記録から. 徳島県立博物館, 2018.3. 徳島県立博物館研究報告 第28号 p. 21-49, (自館請求記号 T069L /トク/15)
一覧になっているものはないが、掲載数が多いのは、資料【A】。【A】『那賀川水系河川整備計画 安全で安心できる那賀川水系の未来が拓ける川づくり』 〔国土交通省四国地方整備局/編〕 国土交通省四国地方整備局 2007.6 附図に那賀川の地図有。橋も有り。全ての橋かどうかは不明。【B】『阿波の橋めぐり』 坂本好/著 アルス製作所創立50周年記念誌刊行会 1999.10 巻末に掲載された橋梁の位置図あり。那賀川に架かる橋も多数掲載あり。【C】『四国の右下 2011年8月号 特集:那賀川』 〔徳島県南部総合県民局企画振興部/編〕 徳島県南部総合県民局企画振興部 p4-5 那賀川MAP 橋の名前は那賀川大橋、那賀中央橋のみ。参考資料:【A】〔国土交通省四国地方整備局/編〕. 那賀川水系河川整備計画 安全で安心できる那賀川水 ...
下記資料によると、城山が、かつて「渭山」と呼ばれていた。【A】『徳島・城と町まちの歴史』 河野幸夫/著 聚海書林 1982.4 p74-77 「(4)渭山と渭津」 複数説が書かれている。ア)の説は、多くの郷土史研究家に支持され、引用されているが、イ)の説が史実かもしれないとしている。 ア)細川頼之が、城山の影をうつして流れる助任川を見て、美しい景観が中国の渭水を描いた絵に似ているとして、この川を渭水、山を渭山と名付けた。渭山の山上に城を築いて三島外記に守らせた。 イ)元々、城山は、猪が伏した形に見えることから「猪山」と書かれていたのが、いつの間にか「渭山」と書くようになり、山の周囲に展開する吉野川の分流を利用した泊地(港)も渭津(いのつ)と呼ぶようになった。 「朝に夕に城山を身近に眺めて ...
国立国会図書館デジタル化資料送信サービスにあり。ログインなしで閲覧可能。『四国霊験記図会 下』 31コマ目から33コマ目に立江寺あり。https://dl.ndl.go.jp/pid/819376 (最終確認2024.5.15)事前調査事項:『八十八箇所四国霊験記図会 現代日本語訳と英語訳』(〔繁田空山/著述〕 山根勝哉,近清慶子,ディビット・モートン/翻訳・編)は、見た。
ア)徳島市内の御座船川周辺に、昔は塩田があった。違いを比べたいので、江戸時代から昭和初期の地図や写真はないか。イ)御座船の写真を見たい。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:30:05)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:30:05)
ア)江戸時代から昭和初期の地図や写真【A】『徳島市史 別巻 地図絵図集』 徳島市史編さん室/編 徳島市 1978.10 古代から昭和53年の地図を収録している。 「忠英様御代御山下画図」(推定寛永8(1631)年から同13(1636)年) 塩田開発は、元和6年だが、資料【D】によると、この絵図では、塩田開発前の状態が描かれている。 「徳島藩御城下絵図」(原図の元画は、藩政時代末期) 「山城屋浜」の記載あり。 「徳島県阿波国徳嶋近傍地図」(明治三十二年調製) 「山城屋濱」等の記載あり。 「徳島市街地名町名図」(昭和初年に作成された徳島市街全図に、藩政時代から昭和10年頃までに、徳島市街およびその周辺の町村で呼称されていた地名や町名を表したもの。) 地図記号に塩田あり。「御座船川」と書かれた川の両岸が、塩田 ...
execution time : 0.234 sec