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『明治天皇紀 第1』(宮内庁/著 吉川弘文館 1968)p823 明治元年9月に、「兵庫港衛兵徳島藩士青木孟が米国人ハールマスコに刺され、その傷が元で死亡…(知事伊藤俊輔)米国領事に対して加害者の処刑および報償を促す」とある。この事件の結末はどうなったか。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:39:05)
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徳島藩士・青木孟が刺され、兵庫県知事・伊藤俊介(博文)が加害者の処刑を促した後のことについては、以下の資料に記述あり。【A】『伊藤博文 近代日本を創った男』 伊藤之雄/著 講談社 2009.11 p76 「廃藩置県を提言する」 以下資料【B】の該当部分を、簡単にまとめている。 「不平等条約の下で、米国側の決定により、水夫は禁錮一年の刑となって本国に送還される、と米国公使が外交官に通知してきた。外国官はさらに米政府に陳謝の意を示すことを求め、米公使が承諾したので、この事件は落着した」【B】『伊藤博文伝 上巻』(春畝公追頌会/編 統正社 1943)国立国会図書館デジタルコレクション送信サービスで閲覧可能。 https://dl.ndl.go.jp/pid/3440640 (最終確認2024.5.30) p400-408(253-257コマ) 伊藤が出した文書など、詳細な記述あ ...
ア)下記試料に写真あり。【A】『竜の窟緊急学術調査報告』 徳島県教育委員会/[編]・発行 1974.3 写真多数あり。【B】『阿南市史 第2巻』 阿南市史編さん委員会/編 阿南市教育委員会事務局 1995.6 p808 「龍ノ岩屋(加茂町 石灰岩採掘前の状態)」 写真1枚あり。イ)以下資料によると。石灰岩の採掘のため。【A】『竜の窟緊急学術調査報告』 p32「付近では石灰採掘の作業がはじまって、ひんぱんに発破がかけられるようになった。」 p34-35「竜の窟、その歴史」 p35「昭和36年に住友石炭鉱業株式会社の石灰岩の採掘の申し入れを機に退去した。」【C】『徳島の文化 第3号』 徳島の文化を進める会 1984.5 p148-151 「消えた「竜ノ窟」の動物たち」 木内盛郷/著 p148「一 「龍ノ窟」の潰滅」【D】『阿波の語りべ』 徳島県老人クラブ連合 ...
海野十三が徳島を舞台にした小説には、『三人の双生児』があり、以下の【A】から【C】の資料によると、唯一の望郷小説とされている。【A】『徳島ペンクラブ選集 PART34 特集:海野十三の世界』 徳島ペンクラブ 2016.8 p36-41 「海野十三とふるさと徳島」 山下博之/著【B】『海野十三メモリアル・ブック 没後五十年追悼特別出版』 海野十三の会/編・発行 2000.5 p17-18 「ふるさとの匂い 「三人の双生児」と安宅」 山下博之/著【C】『火葬国風景』 海野十三/著 東京創元社 2015.9 p436-437 「編者解説」 日下三蔵/著 「海野の生まれ故郷である徳島を舞台にした中篇「三人の双生児」は科学的奇想とグロテスク趣味が融合した作品」とある。【D】『四国近代文学事典』 浦西和彦/著 和泉書院 2006.12 p55-56 「海野十三」の項に「三人の双 ...
下記資料によると、月待行事の一つ。1・5・9・11月の23日夜に月待をする習慣。「三夜待ち」「二十三夜」「三夜講」「三夜待」などとも言う。【A】『三好町史 地域誌・民俗編』 三好町史編集委員会/編 徳島県三好郡三好町 1996.2 p678-703 第五章 生活のリズムとしての年中行事 第一節 年中行事 p699-700 「(十一)十一月(霜月)」 p700 「2 二十三日」 「この日は、「霜月三夜」という月待ち行事が行われた」 p678-683 「(一) 一月(睦月)」 p682-683 「9 二十三夜(二十三夜はん)」 「月待行事の一つで、「三夜待ち」あるいは「三夜講」ともいう。(中略)中でも、十一月二十三日は「霜月三夜」と呼ばれ、特に重要視された。【B】『ふるさと阿波(阿波郷土会報) 107』 阿波郷土会 1981.5 p11-15 「なつかしい阿波の民俗(七) 月待(二十三 ...
【A】『徳島県歴史人物鑑』 徳島新聞社/編・発行 1994.6 p333「ゆあさ どうへい 湯浅道平」の項に、寛政10-明治6年徳島藩の儒者で、著書『救荒録』『水郷叢話』『阿南遊記』があることが記されている。【C】『阿波洋学史の研究』 佐光昭二/著 教育印刷 2007.4 p2に、「阿南遊記」の一部があるが、【D】『阿波国最近文明史料』(神河庚蔵/編纂 臨川書店 1973.8)p58からの引用。【D】p214-215に、湯浅翠■について記述あり。上記【C】p2-6「ロシア船恵比須浜沖に漂着」から、「阿南遊記」の明和年中のロシア船の来航は、明和8年のハンベンゴロウ(ベニョフスキー)の漂着のことと思われる。【E】『翻刻歴史史料叢書 3 日本漂流漂着史料』 荒川秀俊/編 クレス出版 2002.8 p308-312[通航一覧]明和8年のロシア船漂着の記事。【F】『ベ ...
16世紀朝鮮王朝の文人「月峯」と、蜂須賀家と関係のある「東嶽」が、詩のやり取りをしていたらしい。これに関する資料はあるか。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:39:04)
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【A】『月峯海上録 丁酉再乱慶長の役に因る日本抑留生還記』 鄭希得/著 若松実/訳 日朝協会愛知県連合会 1992.2【B】『青海波』 船越淑子/編 青海波俳句会 2015年8月号から2017年1月号まで、「鄭希得『月峯海上録』を読む」佐藤武/著の連載記事あり。回答プロセス:インターネット検索で、下記資料【A】の著者・鄭希得=月峯と確認。鄭希得は、慶長の役で捕虜となり、徳島に送られ、後に帰国。その間の日記が『月峯海上録』。コトバンクの鄭希得の項では、福聚寺の東首座と交流があったと記載されていた。「鄭希得」で所蔵検索すると、【B】の連載がヒット。「東首座、鄭希得の詩才を試す」「家政・東首座との交流」などの副題あり。東首座は、東嶽禅師のこと。参考資料:【A】鄭希得/著 若松実/訳. 月峯海上録 丁酉再 ...
以下資料【A】が、探されていた昭和47年発行の資料。【A】『商業近代化地域計画報告書 徳島地域』 商業近代化委員会徳島地域部会/編 商工会議所 1972【B】『徳島市議会史 第2巻』 徳島市議会史編さん委員会/編 徳島市議会 1990.12 p590-591 「徳島駅周辺再開発計画」 少し説明あり。前年の昭和46年「徳島市総合計画」と、昭和61年「商業近代化地域計画報告書」については、他にも資料あり。回答プロセス:1.「徳島地域商業近代化地域計画」で所蔵検索、自館作成郷土DBを検索してヒットするのは、昭和61年のもの。2.郷土資料に絞り、全項目「地域商業近代化地域計画」で所蔵検索。【A】ヒット。その他、阿南地域、池田地域も同年に発行されている。3.『徳島市議会会議録』(徳島市議会 徳島市議会)は、所蔵が昭和51(1976)年から ...
ア)椎本城(しいのもとじょう)(徳島県上板町)について。『阿波古城諸将記』に記述があるらしい。イ)昌光寺(上板町)について。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:39:03)
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ア)椎本城については、以下の資料に記述あり。【A】『徳島県の中世城館 徳島県中世城館跡総合調査報告書』 徳島県教育委員会/編・発行 2011.3 p192 「V 02 椎本城跡」(p60に地図)【B】『伝説とわらべ歌』 上板町誌資料調査会/編 上板町教育委員会 1961.3 p27 「(五)椎の本城」【C】『上板町史 上巻』 上板町史編さん委員会/編 上板町史編纂委員会事務局 1983.10 p339 「椎ノ本城」 「椎ノ本の四宮地区に椎之本城址がある。」 「この付近の土地を発掘したら大きな石が出てきた(中略)石は今も残っていて、土地の人びとはこの付近に城があったのだといい伝えている。」 「この城の城主は坂東紀伊守といい、板西城主、赤沢信濃守宗伝入道の第一の家臣」 「紀伊守一族の墓二十三基は、(中略)椎本昌光寺の境内に整備された。」 ...
ア)1960年から1970年代に、読書推進の活動をしていたという徳島市立図書館の鈴木館長について。イ)当時の徳島県立図書館の読書推進活動についての資料。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:39:03)
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ア)以下の資料によると、鈴木敏夫さんは、徳島市立図書館長をしていた。随筆家でもある。【A】『徳島県 人物・人材情報リスト 2023』 日外アソシエーツ/編集制作・発行 2022.10 p57 「鈴木敏夫 すずき・としお」 【B】『徳島県人名事典』 徳島新聞社/編・発行 1994.6 p540 「鈴木敏夫 随筆家」以下、徳島市立図書館、徳島市読書グループ連絡協議会等について書かれている資料。【C】『徳島市史 第4巻』 徳島市史編さん室/編 徳島市教育委員会 1993.10 p628-631 「徳島市立図書館」【D】『いずみ 20年のあゆみ』 徳島市読書グループ連絡協議会/編・発行 1987 徳島市読書グループ連絡協議会の歴史と活動について。【E】『機関誌いずみ』 徳島市読書グループ連絡協議会/[編] 徳島市中央公民館付属図書館 No.1(1967.9)-45(1979.10) ...
【A】『徳島県歴史人物鑑』 徳島新聞社/編・発行 1994.6 p255 「はまぐち なんがい 浜口南涯」 「享和元~慶応1・7・26(1801~1865) 医家・画家。徳島・佐古町の人。」 【B】『佐古郷土誌(複刻版)』 佐古刊行物発刊委員会/編 佐古コミュニティ協議会 2015.3 p192 「浜口南涯」 「通称は啓甫、南涯・無極齋また秋成と号した。」【C】『阿波国最近文明史料』 神河庚蔵/編纂 臨川書店 1973.8 p406-407 「濱口南涯」 住所あり。参考資料:【A】徳島新聞社/編. 徳島県歴史人物鑑. 徳島新聞社, 1994.6. p. 255, (自館請求記号 T280 /トク3/4-2)参考資料:【B】佐古刊行物発刊委員会/編. 佐古郷土誌(複刻版). 佐古コミュニティ協議会, 2015.3. p. 192, (自館請求記号 T210 /サコ2/2-2)参考資料:【C】神河庚蔵/編纂. 阿波国最近文明史料. 臨川書店, 1973.8. p. 406-407 ...
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