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徳島全体の古代豪族についてまとめられており、人名も入っているのは、以下【A】から【C】の資料。【A】『古代の地方豪族』 松原弘宣/著 吉川弘文館 1988.10 p122-161 「第四章 阿波国の地方豪族」【B】『古代阿波の氏姓豪族の研究 古代史探求と考古資料集成序説』 橋野義治/著・発行 1982.10【C】『川と人間 吉野川流域史』 東潮/ほか編 渓水社 1998.8 p207-234 「八 川と古代地方豪族 −阿波国造碑と粟凡直氏−」以下は、一豪族について。【D】『徳島県の歴史 第2版』 石躍胤央/著 山川出版社 2015.1 p55-63 「2 地方豪族の足跡」 吉野川流域に勢力を持っていた粟凡直氏について。参考資料:【A】松原弘宣/著. 古代の地方豪族. 吉川弘文館, 1988.10. p. 122-161, (自館請求記号 T209.3 /マツ/)参考資料:【B】橋野義治/著. 古代阿波の氏姓豪 ...
昔の民生委員「方面委員」について。鳴門の撫養に、方面委員が作った養老院があったらしい。そのことに関する資料はないか。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:37:12)
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◎方面委員について【A】『徳島県史 第6巻』 徳島県史編さん委員会/編 徳島県 1967.3 p522-523 「方面委員」 方面委員制度のはじまりについて記述あり。◎養老院について【B】『鳴門市史 現代編1』 鳴門市史編纂委員会/編 鳴門市 1999.3 p109 「第3節 第2章 行政の変遷 (12)老人ホーム」 「昭和48年3月、里浦町の旧老人ホーム(昭和28年5月2日に養老院として開設した。…)が老朽化したため、撫養町立岩…に新築」 お探しの施設と同一かは、不明。 こちらには、方面委員についての記述なし。参考資料:【A】徳島県史編さん委員会/編. 徳島県史 第6巻. 徳島県, 1967.3. p. 522-523, (自館請求記号 T209 /トク3/15-6)参考資料:【B】鳴門市史編纂委員会/編. 鳴門市史 現代編1. 鳴門市, 1999.3. p. 109, (自館請求記号 T220 /ナル/3-ゲン-1)
下記資料より、山の名前は「勢見山」。勢見山とわかる写真は、【C】のみ。【A】「徳島」2万5千分の1地形図 国土地理院 平成30年11月調整 名前は「勢見山」【B】『角川日本地名大辞典 36 徳島県』 角川日本地名大辞典編纂委員会/編纂 角川書店 1986.12 p410 「せいみやま 勢見山」の項。「眉山の一部をなし,徳島市西二軒屋町の市街地西側にある山。…」【C】『徳島勢見山二軒屋側(絵はがき)』 徳島県文化の森総合公園/とくしまデジタルアーカイブで閲覧可 https://adeac.jp/tokushima-bunkanomori/catalog/mp001000-200080 (最終確認2024.5.26)回答プロセス:1.地形図で場所と形から山の名前を確認。2.地名辞典、地域の本などで詳細を調べる。3.「勢見山」が限定されている写真は、【C】の絵葉書。参考資料:【B】角川日本地名大辞典編纂委員 ...
徳島県内寺院の蔵書目録を、以下の資料以外には所蔵していないか。『寶壺山願勝寺所蔵文書文献目録』 原卓志,梶井一暁,平川恵実子/編 〔鳴門教育大学〕 2012.3『臨江山地蔵寺所蔵文献目録』 原卓志/研究代表者 〔鳴門教育大学〕 2011.3『臨江山地蔵寺所蔵文献目録』 原卓志,梶井一暁/編 補訂版 〔鳴門教育大学〕 2011.12『國傳山寶珠院地蔵寺所蔵文献目録』 上・下冊、索引 原卓志,梶井一暁,平川恵実子/編 〔鳴門教育大学〕 2014.3ほか 『無蓋山荘嚴院地蔵寺所蔵文献目録』第1冊から4
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:35:16)
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当館所蔵で、目録としてまとまっているのは、質問に挙げられている資料。それ以外では、「「四国八十八箇所霊場と遍路道」調査報告書』の各巻で、各寺の「古文書・古記録等」という章と、文書目録がある。【A】『舎心山常住院 太龍寺 四国八十八箇所霊場第21番札所 「四国八十八箇所霊場と遍路道」調査報告書 3』 徳島県教育委員会/編・発行 2013.3【B】『霊鷲山宝珠院 鶴林寺 四国八十八箇所霊場第20番札所 「四国八十八箇所霊場と遍路道」調査報告書 5』 徳島県教育委員会/編・発行 2014.3【C】『母養山宝樹院 恩山寺 四国八十八箇所霊場第18番札所 「四国八十八箇所霊場と遍路道」調査報告書 6』 徳島県教育委員会/編・発行 2015.2【D】『黒巌山遍照院 大日寺 四国八十八箇所霊場第4番札所 「四国八十八箇所霊 ...
『阿陽記』の、以下の地域部分には、どんなことが書かれているか。ア)阿波郡久千田村(くちたむら)イ)阿波郡西林村ウ)阿波郡西之(野)川村エ)麻植郡山崎村(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:35:15)
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当館が所蔵する【A】『阿陽記』(岩村武勇文庫) 久佐木種次郎/(書)・発行 写本。行書体で、読みにくい部分も多い。該当するのは、以下の部分だが、解説があるのは、西林村のみで、他は村名のみが記されている。ア)44丁表8行目「久千田村」イ)44丁表9行目-44丁裏「西林村 当村乃内岩津ト…」ウ)44丁表5行目「西野川村」エ)33丁裏2行目「山崎村」【B】『ふるさと阿波(阿波郷土会報) 67号』 阿波郷土会 1971.6 p3-14 「阿陽記(郡村記)の研究」 津田篁史/著 『阿陽記』の異本・類似本の紹介あり。上記【B】で紹介されていた異本・類似本の内、当館が所蔵する下記資料【C】【D】で調べる。いずれも、【A】と同様、西林村以外は、村名のみが記されている。【C】『阿波国徴古雑抄』 小杉榲邨/編 日本歴史地理学会 1913 ...
【A】『宍喰町誌 上巻』 宍喰町教育委員会/編・発行 1986 p229-230 「第三章 近世 一三 阿土国境警備 (一)阿土国境」 【B】『海部郡誌 二』 海部郡誌刊行会/編 徳島県立図書館 1998.3 (当館所蔵「海部郡誌」のマイクロフィルムより製本) p437-467 「宍喰町」 p438「管轄沿革」を参照。参考資料:【A】宍喰町教育委員会/編. 宍喰町誌 上巻. 宍喰町教育委員会, 1986. p. 229-230, (自館請求記号 T242.4 /シシ/1-1)参考資料:【B】海部郡誌刊行会/編. 海部郡誌 二. 徳島県立図書館, 1998.3. p. 438, (自館請求記号 T242L /カイ/3-2)
徳島県木屋平の三木家の歴史について。インターネットで、木屋平の三木家が阿波忌部氏の直系であるという記事を見たが、阿波忌部氏の直系は、麻植氏であると思っていた。木屋平の三木家の歴史について書いている資料はあるか。三木家と麻植氏の関係について言及している資料もあれば見たい。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:35:15)
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忌部(斎部)氏は、天太玉命を租として、中臣氏とともに古代朝廷で祭祀を司っていた氏族。阿波忌部は、その忌部氏に奉仕した集団で、地方忌部に属する。阿波国麻植郡忌部郷を拠点として、大嘗祭に麁服を調進していた。以下の資料に、三木家が阿波忌部の直系であることや、その歴史が記されている。【A】『阿波の忌部』 斎藤貢/著・発行 1984.2 p183-211 「(四)三木氏」 系図あり。三木文書の一部が掲載されている。【B】『麻植郡郷土誌』 久保忠男/著・発行 1917 p134-176 「忌部氏と三木氏の関係」 系図あり。三木文書が掲載されている。【C】『大嘗祭に阿波忌部奉仕の由来 三木由緒(合本)』 三木宗治郎/編 徳島県立図書館 1994.11 (本館所蔵、呉郷文庫本のマイクロフィルムより製本) 「三木由緒」の1-3枚目に三木家の由緒 ...
大麻比古神社所蔵『神社明細帳』の大麻比古神社の箇所に、「阿淡両国の総産土神と崇め奉り…」と説明がある。この出典を知りたい。山口定実の説らしいが、江戸時代以前のものはないか。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:35:15)
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「阿淡両国の」としているものは、大麻比古神社社務所が編集した資料【C】以外では、見つけることができなかった。明治より後の資料で、「阿波国の産土神…」のとしているものはあるが、それ以前では、「産土神」という書き方も見つけることが出来なかった。【A】『鳴門市史 上巻』 鳴門市史編纂委員会/編 鳴門市 1976 p381-399 「大麻比古神社」 祭神については諸説あるとして、社伝による由緒と明治以前の諸説を挙げている。 社伝による由緒に 「昔から阿波国一の宮と称え阿波国の産土神として崇敬高く…」 とあり、「以上が明治以降、宮司山口定実によって研究せられた由緒である。」としている。淡路については書かれていない。 明治より前の資料として、『阿波志』など、多数資料から引用していが、一致する文章なし ...
当館所蔵『阿淡夢物語』【森文庫本(当館所蔵森文庫本のマイクロフィルムより製本したもの)】ア)『阿淡夢物語 巻之壱』 請求記号:T209.5L/アタ3/9イ)『阿淡夢物語 第一−巻第十』 請求記号:T209.5L/アタ3/8 1:巻第一−巻第二 2:第第3−第第四 3:巻第五−巻第六 4:巻第七−巻第八 5:巻第九−巻第十を収録。ウ)『阿淡夢物語 一・二・三』 請求記号:T209.5L/アタ3/7A 一:第一巻、巻之第二 二:巻の第三−巻の第四 三:巻第五−巻第六を収録。エ)『夢物語 上・下』 請求記号:T209.5L/アタ3/6 上:巻之一−七、下:巻之八−十二を収録。 表紙の書名『夢物語』。目次の書名『阿淡夢物語』。【呉郷文庫本】『阿淡夢物語 初篇九より拾貮終』 請求記号:T209.5/アタ3/4『阿淡夢物語 初篇九より拾貮』(上記資料のマイクロフィルムか ...
以下資料より、「深尾一次郎」。【A】『徳島・城と町まちの歴史』 河野幸夫/著 聚海書林 1982.4 p263-266 「おはなはんとなっちゃんの写真館」 p263に「深尾一次郎の長女」とあり。【B】『おはなはん』 林謙一/著 文芸春秋 1966.8 p8 「明治十五年、深尾はなは、徳島第八十九銀行の頭取、一次郎の次女として生れた。」【C】『徳島の女性先覚者展図録』 徳島県博物館/編・発行 1983.3 p20-22 「林ハナ」 p20 「深尾一次郎の次女に生まれる。」【A】では「長女」、【B】【C】では「次女」となっているが、【B】のあとがきに、著者は、おはなはんの息子であるとの記述があるため、「次女」が正しいと思われる。参考資料:【A】河野幸夫/著. 徳島・城と町まちの歴史. 聚海書林, 1982.4. p. 263, 4-915521-09-5(自館請求記号 T210 /カワ3/2)参考資料 ...
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