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徳島県関係の海難事故について、部分的には、以下の資料に記述有。【A】『徳島県史 第5巻』 徳島県史編さん委員会/編 徳島県 1966.9 p571 「六 海難」 明治期の海難事故2件の解説。探されている地域ではない。【B】『阿波の交通 明治維新から現代まで 下』 阿波の交通編集委員会/編 徳島市立図書館 1991.3 p356-373 「海難」 徳島関係の海難事故。明治期から。全てではない。 p359-362 「県統計に表れた海難」 海難に関する記録があった明治初期(明治31年まで)の『徳島県統計書』からまとめている。 p374-393「南海丸事故」 昭和33年1月 阿紀航路南海丸の事故(淡路沖)【C】『徳島県統計書 明治32年』 徳島県 p120-121 「第八五 難破漁船」 漁船のみ。遭難場所、月日、遭難の種類、、船数、乗組総員が記されている。参考資料:【A】徳 ...
当館所蔵資料で、写真は見つけられなかった。人物については、下記資料に記述あり。淡路の出身であり、稲田家の家臣。稲田騒動のときに、調停役を命じられ、稲田旧家臣の説得に当たった。下記資料の他、庚午事変(稲田騒動)関係の資料にも記述あり。【A】『徳島県歴史人物鑑』 徳島新聞社/編・発行 1994.6 p188 「たつき かねよし 立木兼善」の項。 天保5・8~明治42・12(1834~1909)政治家。【B】『徳島県史 第5巻』 徳島県史編さん委員会/編 徳島県 1966.9 p6-11 「三 庚午事変」 p7-8 「政府は小室信夫(岩鼻県権知事元徳島藩士)立木兼善(福島県権知事元稲田家臣)の二人を阿波へ派遣」【C】『庚午事変』 庚午事変編集委員会/編 徳島市中央公民館 1970 p71-74 「小室信夫、立木徹之丞の差遣」その他、庚午事変(稲田騒動)関 ...
那賀郡仁宇谷にある太龍寺周辺の江戸時代の古地図が見たい。「阿波の峠を歩く会」のHPに掲載されているものを見たが、地名が読み取りにくい。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:33:52)
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「阿波の峠を歩く会」のHPに掲載されていた古地図(現在閲覧不可)の出典は『阿波志』となっていたため、那賀郡を扱った同書巻五を提供するが、見たものと違うとのこと。【A】『阿波志 巻五』(当館所蔵呉郷文庫本のマイクロフィルムより製本) 藤原憲/編 徳島県立図書館 1991 p4に那賀郡の古地図が掲載ほかに以下の資料を確認するが、ご希望のものは見つからず。【B】『阿波国全図[阿波国地図]』(当館所蔵森文庫絵図2枚(明治3年 明和7年)の写真撮影) 徳島県立図書館 1997.6 徳島県立図書館HPのデジタルライブラリ、とくしまデジタルアーカイブで閲覧可能 https://library.bunmori.tokushima.jp/digital/ezu/ezulist.htm (最終確認2024.5.19) https://adeac.jp/tokushima-bunkanomori/top/ (最終確認2024.5.19)【C】『那賀郡中庄村絵図』(当館所 ...
徳島藩家老職にあった山田織部と山田家の菩提寺等について。ア)『とくしま歴史散歩』(徳島史学会/編 徳島県出版文化協会 1972)p217-219「環国寺と来福寺」に、山田織部の墓があると書いてあるそうだが、山田家本家のものか、初代山田宗重など、名前も知りたい。あるいはそれは歴代当主の供養塔か。イ)山田家の菩提寺はどこか。ウ)山田織部真胤の墓はどこか。エ)山田与吉郎について。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:33:52)
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ア)環国寺の墓について【A】『とくしま歴史散歩』 徳島史学会/編 徳島県出版文化協会 1972 p217-219 「環国寺と来福寺」は、環国寺と来福寺について書かれたもので、山田家の墓についての文ではない。環国寺にある有名人の墓の一つとして、山田織部の墓が紹介されている。来福寺にはなし。【B】『寺町各寺院の名墓所在』 山本武男/著・発行 p5-6 「環国寺」 環国寺の名墓一覧に、以下のように記されている。 「山田織部 藩士寛永二十一年三月十七日」【C】『鷲敷町史』 鷲敷町史編さん委員会/編 鷲敷町 1981.12 p182-195 「第一節 山田家」 p196 「(二)宝暦六年の騒動」 山田家について詳しく書かれている。系図あり。 この中で、上記【B】の没年に一致するのは、二代彦八郎宗登。日にちは異なる。 「二代 彦八郎宗登 … 寛永二 ...
【A】『四国遍路道しるべ 付・茂兵衛日記』 喜代吉栄徳/著 海王舎 1984【B】『遍路道 徳島県歴史の道調査報告書・第五集』 徳島県教育委員会/編・発行 2001.3【C】『徳島県歴史の道調査写真資料集 3 遍路道(徳島県歴史の道調査報告書・別冊)』 徳島県教育委員会/編・発行 2000.3【D】『遍路道の丁石 藤井寺から焼山寺まで』 神山町文化財保護審議会/編 神山町教育委員会社会教育課 1996.9ほかにも『「四国八十八箇所霊場と遍路道」調査報告書』 徳島県教育委員会/編・発行 に「阿波遍路道」の巻が数冊あり、石造物について解説されている。参考資料:【A】喜代吉栄徳/著. 四国遍路道しるべ 付・茂兵衛日記. 海王舎, 1984., (自館請求記号 T180 /キヨ3/7)参考資料:【B】徳島県教育委員会/編. 遍路道 徳島県歴史の道調査報告書・ ...
【A】『日本の古代遺跡 37 徳島』 保育社 1988.1 p226-235 「第5章 勝浦川から県南部 5 県南の銅鐸をめぐって」の、p234-235に、「寺山古墳群と宍喰古墳」の項あり。【B】『芝遺跡』 海部町教育委員会/編・発行 2006.3回答プロセス:1.所蔵検索 全項目「芝古墳」または「宍喰古墳」では、ヒットしない。2.『徳島県埋蔵文化財センター年報』(徳島県埋蔵文化財センター 徳島県埋蔵文化財センター)、『真朱(徳島県埋蔵文化財センター研究紀要)』(徳島県埋蔵文化財センター 徳島県埋蔵文化財センター)では、見つからない。3.所蔵検索 全項目「芝遺跡」で、資料【B】がヒット。事前調査事項:以下資料は、見た。『宍喰町誌 上巻』(宍喰町教育委員会/編 宍喰町教育委員会 1986)『宍喰町誌 下巻』(宍喰町教育委員会/編 宍喰町教 ...
以下資料に、敬台院が大石寺や、大石寺日精上人のために様々な配慮をしたことは記されているが、はっきりと養子にしたとは書かれていない。【A】『いのち輝く No.82』 とくしま“あい”ランド推進協議会 2016.5 p20-23 「とくしま人物列伝(30) 初代蜂須賀至鎮夫人・敬台院」 根津寿夫/著 敬台院が大石寺御影堂を建立・寄進、寺領と金子を与え、僧侶たちの生活にも配慮し、 「同寺の御影堂棟札には、大石寺17世日精上人の「養母」と記されているという。」 と書かれている。【B】『阿波の女たち 歴史を彩る』 阿波の女たち編集委員会/編 徳島市立図書館 1987.3 p39-52 「敬台院 お虎の方」 中川静子/著 p49に、敬台院の推挙によって、日精上人が公儀の年賀に乗輿を認可されたこと、大石寺が幕府から朱印状をもらっていることなどが ...
江戸時代から現代までの、歴史的山崩れ災害に関する古写真や絵図、古文書、資料など。特に、以下の災害について。ア)明治18年災イ)明治25年災ウ)昭和51年災エ)山犬岳の山崩れオ)平成16年災カ)平成26年災(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:33:51)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:33:51)
過去の災害がまとめられているのは、以下、【A】から【C】の資料。【A】『徳島県自然災害誌』 徳島地方気象台/編 徳島県 2017.3 天武12(684)年から平成27(2015)年まで。【B】『徳島の気象100年』 徳島地方気象台/編 徳島出版 1991.11 明治24(1891)年から平成3(1991)年まで。【C】『四国の水害』 四国の治水問題研究会/編 四国建設弘済会 1981 昭和初期から昭和50(1970)年代に起きた水害の記録。ア)明治18年災【A】『徳島県自然災害誌』 p44-45【D】『四国山地の土砂災害』 国土交通省四国地方整備局四国山地砂防事務所/企画・発行 2004.1 p39-40 茶園嶽の崩壊(徳島県美馬郡脇町東赤谷名) 明治18年(1885)7月1日【E】『脇町史 上巻』 脇町史編集委員会/編 脇町 1999.9 p183イ)明治25年災【A】『徳島県自然災害誌』 p47-48【B】 ...
三宅速(みやけ はやり)墓石横にある、アインシュタイン友情の碑の、昭和29年5月に行われた竣工式典の新聞記事を複写したい。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:33:51)
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「徳島新聞」昭和29年5月6日3面に記事「三島に友情の墓碑 きょう建立式 ア博士の贈り物」 写真あり。回答プロセス:1.自館作成郷土DBで、「アインシュタイン」検索。ヒットしたものの内、碑の建てられた日が書いてあったのは、【A】のみ。【A】『徳島の文学碑』 吉益譲/著 徳島県教育印刷 1987.3 p164-166 「62 アインシュタイン博士の友愛碑」 昭和29年5月5日、舞中島の光泉寺で開眼式が行われた。2.碑があり、三宅速の出身地である穴吹町の【B】を見る。【B】『穴吹町誌』 穴吹町誌編さん委員会/編 穴吹町 1987 p1244-1246 「第7編 人物 六 三宅速」 式については書かれていないが、昭和29年5月5日に光泉寺に墓碑が建立されたことなどが記されている。3.昭和29年5月5日以降の「徳島新聞」を見ると、5月6日に記事有。参考資料:【A】吉 ...
徳島県と各市のホームページに掲載されている。国土交通省の「ハザードマップポータルサイト」では、全国市町村のハザードマップ情報を公開しているほか、ホームページに掲載されている市町村には、リンクがはられている。○徳島県総合地図提供システムHP https://maps.pref.tokushima.lg.jp/ (最終確認2024.5.19) トップ「防災・減災マップ」など。○徳島市HP https://www.city.tokushima.tokushima.jp/index.html (最終確認2024.5.19) トップ「消防・防災」>「防災に関すること」>「防災マップ」 「総合防災マップ」「徳島市地震・津波防災マップ」など。○小松島市HP https://www.city.komatsushima.lg.jp/ (最終確認2024.5.19) トップ「小松島市各種ハザードマップ」 ○ハザードマップポータルサイト https://disaportal.gsi.go.jp/ (最終確認2024.5.19)
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