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神前の塀(柵)の有無の理由が知りたい。なぜ、真清田神社(愛知県一宮市)には無く、国府宮神社(愛知県稲沢市)にはあるのか。(一宮市立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/10/30 11:48:21)
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神前にある塀(柵)とは何かを調べる。①『建築大辞典』彰国社,1982年 ・蕃塀について②『尾張地方の神社と密教寺院の建物』花村 清隆/著,2003年 ・蕃塀の意義・真清田神社にも戦前までは蕃塀あり。・真清田神社と国府宮神社の社殿形式を「尾張造」といい、尾張地方の神社の共通点である。・「尾張造」の特徴のひとつに社殿の前に蕃塀という目隠しがある。②より、真清田神社にも藩塀(透垣)があった事が判明。『尾張名所図会』が参考文献としてあげられていたので、こちらも確認する。『尾張名所図会 中巻』岡田 啓/撰,野口 道直/撰,小田切 春江/撰,愛知県郷土資料刊行会,1970年 後編巻の一に収録の真清田神社の絵図に藩塀(透垣)あり。現在、藩塀(透垣)は存在しないので、いつ頃なくなったのかを調べる。『 ...
「殊に先年傳奏使の饗應役を勤めたる大洲(おおず)藩より懇切なる注意もあり、」という一文について、くわしいことがわかる資料はあるか。 ※大洲藩=現・愛媛県大洲市本町(一宮市立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/10/30 11:48:21)
from レファレンス協同データベース (2024/10/30 11:48:21)
内容は確認できませんでしたが、こういった資料もありますとお勧めしたところ『史話日本の歴史 19』清原康正、鈴木貞美/編集.作品社,1991 上記の本をリクエストされました。回答プロセス:自館にて検索『藩史大事典 第6巻』木村礎/[ほか]編.雄山閣出版,1990,R210.5/ハン/6 p516-530 大洲藩の内、p521〔藩史略年表〕 「寛永20(1643)年7月7日、泰興ら、江戸で朝鮮使節馳走役を命ぜられる。(「加藤家年譜」)」との記述あり。p553-565 吉田藩の内、p557 「元禄5(1692)年3月、公家接待役を命ぜられる。元禄14(1701)年2月4日、村豊、赤穂藩主浅野長矩とともに公家接待役を命ぜられる。」との記述あり。『三百藩藩主人名事典 4』藩主人名事典編纂委員会/編.新人物往来社,1986,R281/サ/4p260 2段目「同十四年二月四日、年頭の賀使として~の接待役を命ぜられたが… ...
以下3点について知りたい。②栖龍山常福寺(西成、大赤見の寺)の由緒について。②赤見城址についてしりたい。①と関連する事柄があるとよい。③松尾芭蕉と、その門下の句碑について、①と関連のあるもの。(一宮市立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/10/30 11:48:21)
from レファレンス協同データベース (2024/10/30 11:48:21)
まず、西成の地誌をブラウジング調査した。『一宮市史 西成編』 一宮市教育委員会/著 一宮市教育委員会 1953年 A273/14/4p473~ 第八編社寺第二章寺院 常福寺の項あり「栖龍山と號し、…浄土宗西山禅林寺派…、維新前は赤見國玉社、村社八幡社などを控宮とし…。住古天台宗で阿弥陀寺と稱したが、…浄土宗に改め以来現在にいたった…(以下略)」など由緒のほか、歴代住職の名ありp577~ 第十三編第二章句解 常福寺境内にある句碑が以下3点あり・松尾芭蕉 竹塚「たはみては雪まつ竹の気色哉 芭蕉翁」…元禄六年の作で芭蕉より一水宛の書簡及び北向雲竹宛の書簡中にもみられる・其笑「知古の顔はあるましほとゝきす 高篁亭其笑」…碑陰に「弘化四年末三月建之、社中、牧二、三芝、遊帰、淸耳、桂子、桃外、樵夫」とある・遊歸 ...
『尾張名所図会 中巻』尾張名所図会後編第1のp.26「一宮月並市」とp.32「常念寺、福寿院」に記載のある「佐分清因」とはどういう人物か知りたい。(一宮市立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/10/30 11:48:21)
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記載のあった以下の6点を紹介した。『角川日本姓氏歴史人物大辞典23(愛知県)』.角川書店,1991,A288/カ/23.p.480に名前と解説あり。『一宮市史 下巻』.国書刊行会,1990,A273/117/2.p.831、852に記載あり。(p.850に父の記載あり)『尾張国諸家系図』.加藤国光/著者.展望社,1987,A288/33p.325の佐分氏系図(二)とp.329に記載あり。『尾張群書系図部集 上』.加藤国光/編.続群書類従完成会,1997,A288/37/1p.478名前あり。『兼松氏系図』.A288/シ7/48.佐分利氏系図内に名前あり。『一宮市金石文 巻五』.A273/シ7/8-5佐分清因の墓に関する記述あり。墓石に刻まれた経歴・辞世の句などあり。結果を報告したところ、世襲名である「佐分利新右衛門」の何代目にあたるのか知りたいと返答あり。追加調査していたが、質問者自身の調査で発見 ...
「喫茶」に関わるらしい広告や看板の写真などは発見できたが、モーニングの様子などは発見できませんでした。回答プロセス:・『所蔵写真目録第4巻』~『所蔵写真目録第8巻』を調査したが、喫茶店の写真はなし。『所蔵写真目録 第5巻』 一宮市立豊島図書館 A027/シ/5p22002 昭和34年の本町通商店街 『所蔵写真目録 第8巻』 一宮市立豊島図書館 A027/シ/8p82006 昭和25年 本町の復興 「アイスクリーム・みつ豆・プリンス」という看板・当館所蔵の『一宮タイムス』という地方紙で当時のものをいくつか調査した。『一宮タイムス 55-1-1~55-4-30』 一宮タイムス社 1955年昭和30年1月5日 広告 店舗の外観部分写真 公告文字に「酒・肉・塩・乾者・青物・喫茶・和洋料理・中華菜館 株式会社三楽商店」とあり昭和30年1月5日 広告 ...
起町役場の公文書から見つかった、新聞の切り抜き記事がどの新聞に載っていたのか調べてほしい。切り抜きが貼り付けてあった資料には、今伊勢村役場の名前あり。(一宮市立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/10/30 11:48:21)
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当館所蔵のマイクロフィルムには、「名古屋新聞」「新愛知新聞」ともに該当記事なし。「名古屋毎日新聞」に該当記事がある可能性はあるが、所蔵館をみつけられず。回答プロセス:依頼主より、昭和10年の7月頃をあたって、そこになければ同年の別の月をあたって欲しいと依頼される。所蔵マイクロフィルムの「名古屋新聞」と「新愛知新聞」の昭和10年1月から9月までをそれぞれ確認してみたが、該当記事はなし。以下の資料にも手がかりになりそうな情報の記載なし。『新聞集成昭和編年史 昭和10年度版』.大正昭和新聞研究会/編.大正昭和新聞研究会,1967年,071/18/10『愛知県20世紀の記録 昭和・平成編』.愛知県教科書特約供給所,1991年,A201/6/2『中日新聞社の120年』.中日新聞社社史編さん室/編.中日新聞社,2006年,A070/チp.4-p.5 ...
1.マイクロフィルム『名古屋新聞』大正10年9月2日マイクロフィルム『新愛知新聞』大正10年9月2日2.マイクロフィルム『名古屋新聞』昭和5年10月6日マイクロフィルム『新愛知新聞』昭和5年10月6日
真清田神社の桃花祭、馬寄の石刀祭、瀬部の臼台祭、黒岩の祇園祭が挙げられる。以下の資料に祭の説明、山車の写真あり。『ふるさと一宮』.岩野 見司/監修.郷土出版社,2011,A273/フルp.117~『東海の祭り』.田中 義広/著.中日新聞本社,1980,A386/27p.46『尾張のまつり』.愛知県社会科教育研究会尾張部会/編.尾張教育研究会,1992,A386/63p.68~75、80~83『尾張のお祭り』.伊奈 森太郎/著.名古屋鉄道,1963,A386/5p.56~63『一宮の文化財めぐり 増補改訂版』.一宮市文化財保護審議会/編.一宮市教育委員会,1999,A709/57/99p.201
播隆(ばんりゅう)上人名号碑(『一宮市史資料目録』P.83 1046)はどこにあったのか?名号碑には「南無阿弥陀仏」と書かれている。(一宮市立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/10/30 11:48:20)
from レファレンス協同データベース (2024/10/30 11:48:20)
以下の資料をご紹介しました。『槍ヶ岳開山 播隆』 穂刈三寿雄/著 大修館書店 1982年 188.6/ホ P.284,216 ・P.284に播隆の遺品や遺墨、関連資料の目録あり。 一宮に遺っているものでは該当はなさそうである。 ・P.216、「願主隆観」の名号碑は尾北地方に集中しており、天保10年から嘉永7年 にかけて建立されたもののようだ。「播隆という人の筆である」として伝えられた ようで、石碑にある「天保9年」は石碑が建立された年ではなく、書かれた年の 可能性がある。播隆は天保11年に逝去している。『揖斐川町史 通史編』 揖斐川町/編集 揖斐川町 1971年 A291/86/2 P442~444 「播隆上人」の項目あり。よく似た墨跡碑拓本の写真あり。『播隆と尾張・美濃』 犬山市文化資料館 2007年 展示品18番(ページ表示なし) 犬山市文化資料館企画展事前調査事項 ...
三河地区、尾張地区の神社に、もしも各々で一宮から十宮まであるならば、それぞれの社名と所在地を知りたい。(一宮市立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/10/30 11:48:20)
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以下の資料をご案内しました。『一宮ノオト』 斎藤盛之/著. 思文閣出版, 2002年, A177/サ P.40~43 尾張一宮:真清田神社、二宮:大縣(おおあがた)神社、三宮:熱田神宮 惣(総)社:尾張大國霊神社(尾張有力社の合祀)『諸国一宮と謎の神々』 新人物往来社, 2008年, 175/シ P.28~31 尾張・三河の一宮から三宮の所在地と写真あり。『中世諸国一宮制の基礎的研究』 中世諸国一宮制研究会/編. 岩田書院, 2000年, 175/チ P.101~尾張、P.123~三河の記載あり。『尾張一の宮私考』 山口恵三/著. 一宮史談会, 1995年, A177/32 P.55~57『真清田神社御遷座祭』 古賀末松/編. 東海商工新聞社, 1957年, A177/5 P.17~18『大神神社と尾張一宮』 山口恵三/著. 2002年, A177/41 P.20 尾張一宮は真清田神社とする説、大神神社とする説の2説あり。 二宮、三宮は制度として確 ...
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