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徳島県立文書館ホームページで公開されている図録『所蔵資料紹介展 絵図にみる吉野川』に掲載されている「吉野川改修工事計画図」について。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:37:13)
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『所蔵資料紹介展 絵図にみる吉野川』 徳島県立文書館発行 1996徳島県立文書館HP>過去の展示>第12回資料紹介展 絵図にみる吉野川https://archive.bunmori.tokushima.jp/monjo_pdf/zuroku1_7435321694976890d04865/012_shiryousyoukai_18237867949768a7dd5b26.pdf (最終確認2024.5.26)を確認すると、解説には「建設省徳島工事事務所蔵」「本図は第一次改修工事の計画図である。」と書かれている。図の写真ではタイトル「吉野川改修計画図」となっている。年代からすると、当館所蔵【A】と同じものと思われる。【A】『吉野川改修計画図』 1902 縮尺5万分の1。明治40年度吉野川高水防禦工事計画書の添付図。カラー。【B】『吉野川改修計画図』 [内務省大阪土木出張所]/編 [内務省] 縮尺5万分の1。【A】と同じ、明治40年度吉野川高水防禦工事計画書 ...
ア)長久館でどのような講義が行われていたか。イ)小杉榲邨が、長久館で行った講義について書かれた資料はあるか。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:37:13)
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ア)長久館でどのような講義が行われていたか。以下の資料に、記述あり。【A】『近世中期の徳島藩における文教政策と庶民教育』 名倉佳之/著・発行 1987 p31-44 どのような講義があったかも記されている。【B】『徳島県教育沿革史 1』(マイクロフィルムからの製本) 徳島県教育会/編 徳島県立図書館 1997.10 p219-227 五、長久館 の項に、講義内容の記述あり。イ)小杉榲邨が、長久館で行った講義について書かれた資料はあるか。下記資料に、小杉榲邨の講義について記述あり。【C】『史窓 第35号(2005)』 徳島地方史研究会 p23-51 「明治維新と小杉榲邨 -近代化の中の国学-」 湯之上隆/著 徳島で初めて国学教育がなされ、榲邨が国学助授に任ぜられたことなどが記されている。「古事記」や、「萬葉集」について講義したことが ...
以下資料に記述あり。【A】『阿波人物志』 藤井喬/著 原田印刷出版 1973 p2 「赤川直之助 あかがわ なおのすけ」 藩士。徳島市出身。「後名を直弥と改めた。」とある。【B】『庚午事変』 庚午事変編集委員会/編 徳島市中央公民館 1970 p378-379 「禁錮三年処刑後の赤川直弥」 赤川笑子/著回答プロセス:1.自館作成郷土DBで「赤川直弥」検索。資料【A】と、『徳島県史 第5巻 徳島県史編さん委員会/編 徳島県 1966.9』がヒット。『徳島県史 第5巻』は、名前のみ。2.庚午事変関係の資料を調べる。【B】に記述あり。参考資料:【A】藤井喬/著. 阿波人物志. 原田印刷出版, 1973. p. 2, (自館請求記号 T280 /フシ3/)参考資料:【B】庚午事変編集委員会/編. 庚午事変. 徳島市中央公民館, 1970. p. 378-379, (自館請求記号 T209.6 /トク6/)
高知の安芸城主・安芸国虎が長宗我部に滅ぼされたとき、子どもが阿波に逃げ、佐那河内に子孫がいる。その経緯について書かれている資料はないか。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:37:13)
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ア)下記資料によると、安芸「国虎」の子が阿波へ逃れた。【A】『高知県人名事典』 高知県人名事典新版刊行委員会/編 高知新聞社 1999.9 p5-6 「あきくにとら 安芸国虎」 戦国時代の武将、安芸城主。 「国虎は子・千寿丸を阿波へ落とし…」とあり。【B】『徳島県史 第2巻』 徳島県史編さん委員会/編 徳島県 1966.3 p242 長宗我部元親が安芸国虎を滅ぼしたことのみ書かれている。後のことは記述なし。【C】『佐那河内村史』 佐那河内村史編集委員会/編 佐那河内村 1967 p1241-1242 「(3)刀工安芸佐寿・佐之・佐重」に、「土佐の安芸備後守国虎の長子が阿波国佐那河内に土着した者」とあり。【D】『土佐戦国武将の盛衰の原因と末裔達 旧家の研究1』 横山良吉/著 モラロジー研究所研究部 1974 p351-420 「安芸家の歴史」 p364-368 国虎 ...
行勇が阿波国に開いた清浄寺は、以下の資料によると、旧勝浦郡新居見村(現・小松島市新居見町)にあったとされている。同寺は、近世にはすでに廃寺となっていた。【A】『小松島市史 風土記』 小松島市史編纂委員会/編 小松島市 1977.2 p288-290 「清浄寺の廃跡」、「清浄ヶ渕の鐘」という項目があり、享和2年に清浄寺の廃跡から黄金の仏像が見つかったという伝承が記されている。【B】『新編阿波叢書 上巻』 新編阿波叢書編集委員会/編 歴史図書社 1976.11 p417 「燈下録 巻之九 勝浦郡之部 下 清浄寺の廃跡」に、上記【A】と同じ伝承が記されている。【C】『燈下録』 元木蘆州/著 阿波郷土会 1941 p157 上記【B】の引用元。【D】『勝浦郡志 全』 勝浦郡教育会/編 名著出版 1972.9 (口絵その他説明)p5 「清浄寺の山神塚」 (上編 ...
蜂須賀家藩主の姉「高林院」という人物がいるらしいが、その藩主は誰か。阿南市椿泊の佐田神社祭礼「だらだら祭り」が、元は高林院の命日に行われていたため、蜂須賀家が「姉の命日に祭をするな」と、森家に伝え、日を変えたという。高林院は、椿泊に住んでいたことがあるらしい。この話が載っている資料はないか。『阿南市史2巻』に、家政の姉「奈良」が、阿南に住んでいたことは、書かれている。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:37:13)
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下記資料より、藩主の姉ではなく、養妹「高林院」。藩主は、蜂須賀綱通。【A】『徳島地域文化研究 第7号』 高橋晋一/編 徳島地域文化研究会 2009.3 p196-209 「阿南市椿泊町・佐田神社祭礼」 高橋晋一/著 『椿村史』からの引用(『椿村史』は、享保4年に森甚太夫芳純の著した古伝記巻一を略述)。 9月8日を祭日としていたが、蜂須賀5代綱通の養妹高林院が同じ日に亡くなったため、綱通に憚り、祭の日を8月13日に変えたことが書かれている。蜂須賀家から森家へ命令したとは記されていない。高林院が椿泊に住んでいたとは書かれていない。【B】『椿村史』 田所市太/著 門田丈夫、宮崎郁太 1940.10 p143-144 「佐田神社」以下資料、【C】【D】は、高林院について記述あり。佐田神社については、記述なし。【C】『和訳 ...
【A】『徳島県博物館紀要 17』 徳島県博物館/編集・発行 1986.3 p21-34 「山ノ神古墳群調査報告」 天羽利夫・岡山真知子/著 「1.気延山古墳群と山ノ神古墳」【B】『山ノ神古墳群』(石井町文化財調査報告 第6集) 石井町教育委員会/編・発行 2019.3【C】『徳島県文化財調査概報』昭和54年度 徳島県教育委員会文化課/編 徳島県教育委員会 1981.3 p21-54 ひびき岩古墳群【D】『ひびき岩16号墳発掘調査報告書』 石井町教育委員会/編・発行 1986【E】『徳島県立博物館研究報告 17』 徳島県立博物館/編・発行 2007.3 p1-43 「徳島県石井町前山古墳群の測量及び発掘調査の概要」 高島芳弘/著回答プロセス:所蔵検索〈気延山〉で見つからず。○当館郷土資料目次データベースより〈気延山〉で【A】がヒット。山ノ神古墳が気延山古墳 ...
NHK朝のドラマ「おはなはん」についてア)モデルについて。イ)実話では徳島なのに、なぜドラマでは他県が舞台になっているのか。(徳島県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/5/31 18:37:12)
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ア)モデルについて。以下資料に、おはなはんのモデル・林(深尾)はなについての記述あり。【A】『おはなはん』 林謙一/著 文芸春秋 1966.8 著者は、林はなの息子。【B】『徳島・城と町まちの歴史』 河野幸夫/著 聚海書林 1982.4 p263-266 「おはなはんとなっちゃんの写真館」【C】『徳島の女性先覚者展図録』 徳島県博物館/編・発行 1983.3 p20-22 「林はな」イ)実話では徳島なのに、なぜドラマでは他県が舞台になっているのか。【D】『ステラ〔関西版〕 1993年10月22日(通巻719)号』 NHK/編集 NHKサービスセンター p5-7 「(巻頭特集)嗚呼、懐かしい〈おはなはん〉」 p6 「〈おはなはん〉のホントの舞台は?」に、演出家の「ホントの舞台は徳島なんですよ。それを愛媛県大洲にしたのは、古い街並みが残っていたし、柳が ...
以下資料に記述あり。【A】『徳島県教育沿革史 徳島県教育会創立七十周年記念 続編』 徳島県教育会/編・発行 1959.3 p1424 「那賀郡坂野町新開小学校」 現在 大林字中津 明治40年5月1日 創立 住所記述なし。 明治41年4月2日 大林字宮ノ本に新築移転 昭和11年10月18日 現地に新築移転お探しの場所は、現在の一つ前なので、大林字宮ノ本と思われる。【B】『徳島県図歴地形図 2 2万5千分の1 2 撫養・板東・徳島・立江』 タミー工芸社/編 大阪人文社出版センター 1995.4 「立江」に坂野村あり。1番古いもので、大正6年測図。坂野村に学校の地図記号「文」あり。参考資料:【A】徳島県教育会/編. 徳島県教育沿革史 続編 徳島県教育会創立七十周年記念. 徳島県教育会, 1959.3. p. 1424, (自館請求記号 T372 /トク5/2-ゾク)参考資料:【B】タミー ...
以下資料に記述あり。【A】『ふるさと佐那河内 民俗と民話』 ふるさと佐那河内編集委員会/編 佐那河内村 1992.3 p174-175 「寺谷の北向き地蔵」 写真あり。【B】『津田の歴史・史跡めぐり』 徳島市津田コミュニティ協議会津田文化保勝会、津田公民館/編 徳島市津田コミュニティ協議会 2012.12 p89-90 「山路の北向き地蔵尊」【C】『津田町の昔話』 林信義/著・[発行] 2006.4 p66-69 「山路のたぬき(北向き地蔵尊)」 地蔵堂の写真あり。【D】『富岡の昔のはなし』 山根喜久子/編 中富 2005.7 p48 「北向きのおんぞはん(お地蔵さん)」 巻末に地図あり。(黒津地町・44)【E】『阿波の地蔵』 飯原一夫/著 教育出版センター 1977.2 p62-66 「津田、山路の地蔵」【F】『新編日本地蔵辞典』 本山桂川/著 村田書店 1989.11 p71-72 「北向地蔵 ...
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