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下記の資料を御案内しました。※【 】内は当館の請求記号です。資料1 高橋英博 著『都市と消費社会との出会い : 再魔術化する仙台』御茶の水書房, 2007年【K361/2007.3】pp.139-145 「4章集客支援装置としての都市イベント」-「5SENDAI光のページェント」の項資料2 高橋英博 著『せんだい遊歩 : 街角から見る社会・学』北燈社, 2009年【K361/2009.3】pp.43-50 「6集客装置ととしての都市イベント」の項資料3 上野隆士「草の根運動が実を結んだ光のページェント」『仙台経済界』12巻2号, pp.52-53, 仙台経済会, 1995年【PK330/セ】 資料4 2005SENDAI光のページェント実行委員会 著『街のビッグイベントを成功させる本 : 仙台「光のページェント」に学ぶ』中経出版, 2005年【K601/2005.Z】参考資料:高橋英博/著. 都市と消費社会との出会い. 御茶の水書房, 2007.3【K361/2007.3】: ...
下記の資料に記載がありました。※【 】は当館の請求記号です。資料1 [金井之恭 ほか 著]『明治史料顕要職務補任録』2, 東京大学出版会, 1981年【081.6/ニ3-2/86】p.447に藩知事、pp.521-523に明治2年から明治35年までの地方長官名・着任および離任年月日の記載がありました。参考資料:[金井 之恭/ほか著]. 明治史料顕要職務補任録 2. 東京大学出版会, 1981【081.6/ニ3-2/86】:pp.521-523,
下記資料に記載がありました。※【 】内は当館請求記号です。(1)「杜の都」の名称の由来等については、下記資料に記載がありました。資料1 菊池慶子 著『「杜の都・仙台」の原風景』大崎八幡宮, 2008年【518.85/2008.6】 pp.6-22 「1 呼び名としての「杜の都」」の項目に、明治期に「森(杜)の都」の名が登場し、以後「杜の都」の呼び名が観光案内書等により広く知られていく経過について説明されています。(2)「学都仙台」の名称の由来等については、下記資料に記載がありました。(「学都の都」は「学都仙台」を指しているものと推測して調査しました)資料2 仙台市市民文化事業団仙台市歴史民俗資料館 編『学都仙台と杜の都』仙台市教育委員会, 2015年【372.12/2015.6/タ】p.74 「企画展「学都仙台と杜の都 ~仙台文化を訪ねて~」につい ...
下記資料に「五城尚武会」に関する記載がありました。※【 】内は当館請求記号です。資料1 小野寺宏編 著『仙台陸軍幼年学校資料集』中巻, 小野寺宏, 2016年【K396/2014.5/2】pp.911-928「第五部 仙台陸軍地方幼年学校・仙台陸軍地方幼年学校資料(榴ヶ岡時代)」-「十六、陸軍地方幼年学校「志願手続」と「入学試験問題」(明治三十三年?同四十年)」の項p.911「仙台市にある五城尚武会と称する団体が発行したものである。この会は名称から考えると、士官学校や幼年学校などの軍関係学校の受験勉強を手助けする趣旨とした会であろうか。ページには予習会として一月八日から三か月間を挙げている。これは明治四十年九月の発行である。明治三十五年から同四十年までの問題を掲げている。」pp.913-928に「陸軍地方幼年学校志願心得、志願 ...
下記資料に、蝦夷塚古墳群に関する記述があるか確認して欲しい。(1) 中田町史編纂委員会 編『中田町史』中田町, 1977年「第一章 中田町内の主なる遺蹟」の項(2) 宮城県史編纂委員会 編『宮城県史』26, 宮城県史刊行会, 1958年「風土記御用書出 登米郡上沼村」の項(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:16)
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下記のとおり回答しました。※【 】内は当館請求記号です。資料1 中田町史編纂委員会 編『中田町史』中田町, 1977年【K261.4/ナ1-2】pp.3-21「第一章 中田町内の主なる遺蹟」を確認しましたが、「蝦夷塚古墳群」に関する記述は見あたりませんでした。なお、別の章に「蝦夷塚」に関する記述がありました。p.504「第十二章 文化財保護委員会」-「第四節 中田町内の主なる文化財」-「上沼地区」-「蝦夷塚」の項「大泉粧坂六十一番地にある。山地六町一歩に亘る。円形の塚二、三坪のもの数十ある。(後略)」p.783「第三十一章 名所・旧蹟」-「第四節 上沼地区」-「蝦夷塚」の項「新堤の西北に蛇洞がある。この蛇洞の西側山林地帯を蝦夷塚と呼んでいる。(後略)」※資料1は、国立国会図書館デジタルコレクションで図書館送信参加館・個人 ...
遠山景晋の『未曾有記』について言及した論文が、下記資料に収録されています。※【 】内は当館請求記号です。資料1 鈴木棠三 著『近世紀行文芸ノート』東京堂出版, 1974年【915.5/ス4】pp.167-208 「五 遠山景晋の旅行歴」の項『未曾有記』の中の仙台領に関する記述について、pp.185-189にて簡単に触れている箇所があります。参考資料:鈴木 棠三/著. 近世紀行文芸ノート. 東京堂出版, 1974【915.5/ス4】:,
佐藤大介編著『18~19世紀仙台藩の災害と社会 別所万右衛門記録(東北アジア研究センター叢書38号)』(東北大学東北アジア研究センター、2010)の中に、「(附録1)天保 4 年(1833)~天保 12 年(1841)仙台藩奉行・出入司・郡奉行任免表」があり、年・奉行・出入司の表が出ている。この掲載内容を含め仙台藩の歴代の役職別の家臣名がわかる資料があるか。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:16)
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1 御提示の資料について ※【 】内は当館請求記号です。当館所蔵資料の書誌は以下のとおりです。資料1 『東北アジア研究センター叢書』(38), 東北大学東北アジア研究センター, 2010年【P051.1/ト/0010】佐藤大介「18~19世紀仙台藩の災害と社会 別所万右衛門記録」のうち、pp.56-59に「(附録1)天保4年(1833)~天保12年(1841)仙台藩奉行・出入司・郡奉行任免表」が収録されています。また、資料1は下記URLより閲覧可能です。東北大学機関リポジトリ『東北アジア研究センター叢書』URL http://hdl.handle.net/10097/00128125 (最終アクセス日:2024年5月15日)2 仙台藩の主要な役職に就任した人物名の一覧が掲載されている資料として下記があります。資料2 清水東四郎 著『宮城県通史』宝文堂, 1976年【K201/シ1-2】pp.433-445「附録」-「五、伊達家奉行任免表」 ...
下記の資料に記述がありました。※【 】内は当館請求記号です。資料1 菊地勝之助 編『名数みやぎ郷土小事典』宝文堂出版販売, 1973年【K031/キ1-2】pp.59-60「(25)王門の四傑」の項資料2 菊田定郷 著『仙台人名大辞書』仙台人名大辞書刊行会, 1933年【K280/キ1】p.28「アベ・ゲンギ 阿部玄議」の項p.205「オートモ・ナオヒロ 大友直寛」の項pp.634-635「タカナリタ・キンダイ 高成田琴臺」の項p.821「ナンジョー・テーコ 南條鼎湖」の項資料3 『宮城県人物誌』歴史図書社, 1978年【K280/ミ13】「仙台近古史談」のうちp.48「阿部鶴鳴」の項p.72「高成田琴臺」の項※資料2とほぼ同じ内容です。資料4 坂田啓 編『私本仙台藩士事典』増訂版. 坂田啓, 2001年【K280/サ7-2】p.200「大友他氏の動向」の項「明和年中在仙者」に「兵太郎・兵学者安永五年没 三六才。(人 ...
宮城県図書館が所蔵している下記資料は、チリ地震津波に関連した文集かどうか知りたい。・佐藤正助[ほか] 著『ひとすじの道 : リアスの浜で』志津川町立戸倉小学校また、他に戸倉小学校が出版または著作、編集した資料で、チリ地震津波について記載した資料の所蔵はないか。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:15)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:15)
(1) お示しがありました資料の内容を確認したところ、戸倉小学校長であった今野公一氏の退職(平成2年3月31日)を記念し発行された記念誌で、当時の志津川町教育長、戸倉小学校のPTA関係者、児童、教職員が執筆しています。チリ地震津波に関する記述は見あたりませんでした。※【 】内は当館請求記号です。資料1 佐藤正助[ほか] 著『ひとすじの道 : リアスの浜で』志津川町立戸倉小学校, 1990年【K370/コ4】(2) その他、当館所蔵資料を調べたところ、下記資料にチリ地震津波の被災時のことが記載されていました。資料2 麻生川敦, 南三陸町立戸倉小学校 著『南三陸町立戸倉小学校 避難と復興の記録』南三陸町立戸倉小学校, 2012年【376.28/2012.8/タ】p.17 「3 戸倉小学校の立地と防災計画について」-「1 町の防災計画と戸倉小学校」の項「南 ...
仙台城下にあった光福院と光明院の所在地はどこか。また、仙台藩における真言宗の触頭について記述がある資料はあるか。(宮城県図書館)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:15)
from レファレンス協同データベース (2024/8/3 0:30:15)
1 「光明院」の所在地については、下記資料に記載がありました。ただし、お尋ねの「光明院」と同一の寺院であるかどうかについては確認できませんでした。※【 】内は当館請求記号です。資料1 『仙台叢書』第1巻, 宝文堂出版販売, 1971年【K081/セ1-2/1】「残月台本荒萩」(p.241-317.)のうち、「巻之四 寺院之部」p.311 「龍宝寺末寺。/一同心町。滝沢山光明院。」※原文は旧漢字です。資料2 田辺希文 編, 鈴木省三 校『封内風土記 第1巻』宝文堂出版販売, 1975年【K290.1/ホ1/1】「巻之二 府城」のうち、p.42 「滝沢山光明院。在旧寺小路。真言宗。龍宝寺末寺。不詳何時何人開山。滝沢明神別当。而寄付廩米三口。中御門帝。享保中。祐春法印中興。」※原文は旧漢字です。訓点は省略しました。2 「光福院」については、下記の絵図に記載があ ...
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