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1905年(明治38年)11月6日、小村寿太郎全権大使が清国の大沽に派遣された用件は何か。日露戦争で捕虜となったロジェストベンスキーが、日本からロシアに帰国した日時が知りたい。知人の海軍奉職履歴に「小村全権大使を護衛し大沽に派遣の命を受け、6日横須賀発、12日大沽着」との記載があり、聞いた話では「ロジェストベンスキーがロシアに帰還するにあたり護衛して行った」とのこと。真偽を調べたい。(神奈川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/9 15:38:12)
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・『小村外交史 下』外務省編 新聞月鑑社 1953「第八章 第一次外務大臣時代」p.216~253「第二款 満洲に関する日清協約の締結」のp.219明治三十八年の出来事として「(前略)清国政府をして露国の遼東半島租借権及び東清鉄道の譲渡を承諾せしめるの件」「小村は特派全権大使として清国に赴き、内田公使と共に折衝の任に当る」「十一月二日その大命を拝した」等の記述があり、p.220に「十一月六日を以て再び東京を発し、横須賀より一軍艦に搭乗し、大沽に向つた」とあります。・『官報 号外』明治三十八年十一月四日(https://dl.ndl.go.jp/pid/2950041/1/18)「彙報」に「特派全権大使 外務大臣男爵小村寿太郎ヲ特派全権大使トシテ清国へ差遣サル〵旨一昨二日仰出サレタリ」とあります。こちらの記事は国立国会図書館のデジタルコレクシ ...
テレビで放送された「日本の話芸」という番組内において、神田松鯉の講談「河内山宗俊 松江侯玄関先の場」を「こうちやまそうしゅん まつえこう げんかさきのば」と読んでいます。“げんかんさきの”ではなく“げんかさきのば”という読み方であるのかを確認したいと思います。(神奈川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/9 15:34:30)
from レファレンス協同データベース (2025/2/9 15:34:30)
「げんかさきのば」という読み方を示す資料は見つかりませんでした。調査した資料は次のとおりです。・『講談事典』瀧口雅仁著 丸善出版 2023 pp.194-196に「天保六花撰」が立項されており、p.195に「松江候玄関先の場」が立項されており、(まつえこうげんかんさきのば)とカナが振ってあります。・『天衣紛上野初花 歌舞伎オン・ステ-ジ 11』古井戸秀夫編著 白水社 1997講談『天保六花撰』を脚色して歌舞伎の演目にした「天衣紛上野初花」の第三幕、「松江家上屋敷の場」がpp.141-197に掲載されていますがタイトルに玄関の表記がなく、また、本文中のト書きなどの「玄関」にはカナ振りがありませんでした。この他に、当館所蔵の講談・浪曲・歌舞伎等のCDの中で、「天保六花撰」「天衣紛上野初花」「河内山宗俊」等の収録があ ...
五代友厚が明治政府に上申した紅茶の製法については見つけることができませんでした。参考になりそうな資料は以下のとおりです。・『五代友厚』田村茉莉子著 ミネルヴァ書房 2018p.2~5「誕生と成長」に「五代才助(友厚)は(中略)幼名を徳助、または才助ともいう」(p.2)とあり、p.223~233「五代友厚略年譜」のp.227「明治元年 一八六八」「12月」に「この頃、友厚と改名」とあります。p.26~30「潜伏生活と上申書の提出」の項があり「一八六四(文久四)年」「五月ごろに提出されたと推測される「上申書」」とあり、出典として「『薩藩海軍史』中巻」が記載されています。・『薩藩海軍史 中巻』公爵島津家編纂所編 原書房 1968p.867~918「五代才助上申書」があり、p.887~888「茶の義」の「紅茶の儀は」に製法の記述があり ...
山梨県の広報車だと思われる車が写っている昭和30年代の写真がある。屋根前方にスピーカー(四角)が付いており、後方にはデッキがある。この広報車の名前を知りたい。写真の提供者によれば「そよかぜ号」だったかもしれない。(山梨県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/9 15:30:04)
from レファレンス協同データベース (2025/2/9 15:30:04)
昭和30年代の山梨県の広報車の名称は「ひかり号」。県の広報車「ひかり号」の名称は、1950(昭和25)年に広報車が導入されてから現在まで継続して使用されているようだ。ただし、今回確認できた「ひかり号」の写真では、屋根に四角いスピーカーが搭載されているものはなかった。また、「そよかぜ号」という名称の車については確認できなかった。回答プロセス:1.『山梨県政誌』を確認。・『山梨県政七十年誌』(山梨県/編・発行 1962年)p.636に「広報車ひかり号の購入」、p.638に「広報車ひかり号を提供しての観光キャラバン」などの記述がある。2.『県政報告書』を確認。・『県政報告書 第8回 昭和25年度(自八月至十一月)』(山梨県/編・発行 1951年)p.269「(五)調査弘報活動」の「ニュースカーひかり号」の項によると、「ひかり号」は1 ...
教員が高村光太郎の詩として「いい悪いを抜きにして、花が咲いたらまずみろ。しずかに。」という作品を紹介してくれた。その作品が高村光太郎のいつの作品なのか、なんというタイトルなのか、どの本に収録されているのかを知りたい。(神奈川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/9 15:29:22)
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・『高村光太郎全詩稿』北川太一編 二玄社 1967(国立国会図書館永続的識別子info:ndljp/pid/8799815)索引のp.8(942コマ)「初句索引」で「い」に「いいわるいを抜きにして→とげとげなエピグラム」とあり、詩の題名を確認できます。p.83~90(101~108コマ)に「27 とげとげなエピグラム」が掲載されており、p.83(101コマ)に「制作年代 大正十二年」、「発表誌『明星』 大正十二年六月」とあります。p.85(103コマ)に「いいわるいを抜きにして、花が咲いたら花を見ろ、しづかに。」の最終詩形の文章が、p.86(104コマ)に該当の部分の原稿の画像が掲載されています。当館所蔵資料で「とげとげなエピグラム」の掲載が確認できたものです。・『高村光太郎全詩集』高村光太郎著 新潮社p.266~273「とげとげなエピグラム」が掲載されて ...
今谷明著『武家と天皇』に「『慶長年譜』足利学校の寒松(かんしょう)や月斎などの学者を動員して、地元の系図や伝承の探索を行ったもの」との記述が出てくる。『慶長年譜』の足利学校の寒松や月斎に関する記述がどこに書かれているのかを知りたい。また、足利学校の寒松や月斎(二人とも僧侶)について書かれている資料が何かあるか。(神奈川県立図書館)
from レファレンス協同データベース (2025/2/9 15:28:03)
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○『慶長年譜』について国書総目録データベース(https://kokusho.nijl.ac.jp/page/kokusho.html 古代から慶応3年(1867年)までの間に日本人により著述・編纂・翻訳された書籍の所蔵先をまとめた岩波書店発行の目録)で検索したところ、「慶長年譜 五巻五冊 類:記録 写:宮書」とあります。「宮書」は「宮内庁書陵部」の略称です。宮内庁書陵部の図書寮文庫で以下の資料の所蔵が確認できます。・『慶長年譜(慶長3年―5年・5巻)』写, 江戸末期 松岡本https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Toshoryo/Detail/1000099240000?index=0&sort=Title&searchtype=Freeword&keyword=%E6%85%B6%E9%95%B7%E5%B9%B4%E8%AD%9C内容検索はできないため、足利学校の寒松や月斎に関する記述については調べることができません。閲覧申請等、ご利用については、下記をご確認ください。宮内庁書陵部図書課図書 ...
本覚寺にアメリカ領事館が開設された日及び移転した時期について記述のある資料をご紹介します。新暦と旧暦の日付表記にご注意ください。なお、資料において「神奈川」「横浜」表記が混在していますが、基本的に「神奈川」は現在の東神奈川あたり、「横浜」は関内、山下町あたりを指しています。1 開設日(1)『神奈川県史 通史編4』神奈川県県民部県史編集室/編 神奈川県 1980.3 p.100 1859年6月30日の神奈川入港の記述に続き、「神奈川(横浜)の開港は 七月四日(六月五日)であった。その日、本覚寺にアメリカの神奈川領事館も 開かれた。」という記述があります。(2)『横浜近代史総合年表』 松信太助/編 有隣堂 1989.12 p.18「1859(安政6)7.4(6.5) 神奈川本覚寺に米国領事館設置」(3)『アメリカ彦蔵自伝 1』山口修,中川努 ...
1 『本牧のあゆみ』 本牧のあゆみ研究会/編 新本牧地区開発促進協議会事業部 1986年 p.125に「地名の由来は、東京の八王子と同じく牛頭天王すなわちスサノオノミコトの八人の王子から 出ています。・・・」とあります。2 1の情報より、東京都の八王子市の由来を調べました。 東京都八王子市ホームページの「八王子市の名前の由来」ページ(https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/002/p005301.html) 「八王子」という地名の由来について次のような説明があります。 「「八王子」という地名は、全国に分布しています。それは、牛頭天王(ごずてんのう)と8人の 王子(八王子 )をまつる信仰の広がりの中で、八王子神社や八王子権現社(ごんげんしゃ)が 建立され、地域の信仰を集め始めるとともに、地名として定着していったからで ...
飯田五郎家義の館があった場所については、「下飯田の本郷」付近としている資料がありました。しかし、どの資料も館の場所については伝承(言い伝え)として扱っていました。詳細は、次の資料をご確認下さい。1 飯田氏の全体像がまとまっている資料 (1)「飯田五郎家義と飯田氏」大湖光雄/著 (『郷土いずみ 第5号』 泉区歴史の会 1999) p.1-10 家義の居城や墳墓、飯田氏の家計図等、引用した資料、根拠となる資料を明記して います。巻末には飯田氏関係文書一覧があります。 p.1に下記の記載がありました。 「(一部抜粋)富士塚公園の一隅に、「富士塚城址」の碑がある。 これは鎌倉時代の地頭・飯田五郎家義の居城があったという伝承に基づいて、 昭和三十九年(一九六四)五月、団地造成に当たった横浜生活共同組合 関係者 ...
Both JPMorgan and Evercore generated more financial advisory fees last year than Ted Pick’s bank
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